第42話 知らぬところで


 うしろからきたモルゴーに声を掛けられたのは、ラスティたちを庭に残し、声の大きな騎士とふたり連れ立って部屋へと戻る道を歩いていたときだった。足を止め振り返る。


 暗くなりはじめた夕刻の道に、白い顎髭と同じくらい蒼白な顔をしたモルゴーが立っていた。魔術師塔の方から急ぎやってきた、という風だ。肩で息をしている。騎士を下がらせた彼は開口一番、私になにをご覧にと聞いてきた。なにがあったのかではなく。

 失言に気が付いたのだろう、モルゴーはすぐに両目を閉じた。私は無言で、皺の刻まれた魔術師の閉じたまぶたを見つめ、続く言葉を待つ。


「なにか惨いものを」


 モルゴーはそこで一度言葉を切って目を開けた。頬には血の気が戻ってきている。


「なにか惨いものをご覧になられたのではないかと。途中男がひとり死んだと耳にしたものですから」

「なにも」


 すぐにそう答えた。風が奥から吹いてきて、あたりがほんの少し、仄かに焦げくさくなる。かさ、と枯れ葉の転がる音が聞こえた。


「庭の中から聞こえた悲鳴は恐ろしかったけれど。それでお前を呼ぶように言いつけたの」

「なぜ私を」

「魔術師が二人、庭に消えたあとに悲鳴が聞こえたからです」


 私がそう言うと、モルゴーはごくりと唾を飲み込んだ。


「イルメルサさまは庭にお入りになってはおられないのですか」


 それには黙って首を横に振る。嘘を吐いても仕方がない。あの騎士がラスティと庭にいる私を見ているのだ。


「犬の声が聞こえなくなったの。知っているでしょう、最近城にいるあの賢い犬よ、私を助けた」

「はい」

「それで心配になって中を覗いたわ。恐ろしげな魔力が充満していて、そこであの赤い髪の男がなにかを焼いているのを見ました」

「なにか」

「ええ。なにか奇妙なものを。でも私はすぐに犬のところへ行ったから、しっかりとは見ていない。なにか魔物が出たのでしょう? 山から降りてきたのかしら、恐ろしい。ガウディールがこんなに物騒な土地だなんてお父さまは言っておられなかったのに……」


 敢えて父のことを持ち出してみた。この話をシファードに伝えるという意志を見せたら、この男はどうするかと思ったのだ。

 言って見つめると、モルゴーは私からほんの少し目をそらした。その口元に唇を歪ませた薄い笑いが浮かぶ。


「それは、それは。この北方の地の平穏とシファードの平穏が異なると、ゲインさまほどの方がご存知ないとも思えませぬ。親の心にございましょう」


 私に不安を感じさせないよう黙っていたと言うのね。なぜか軽んじられた時の不快な気持ちがわき上がってきたけれど、それを見せるのはやめておいた。もののわからぬ間抜けた女、と思われている方がいいと思ったから。


「そうね。お前と話していたら、父に話すほどの騒ぎとも思えなくなってきた。ここではよくあるのね?」

「まれに」


 さっ、と俯いて答えるモルゴーを、たっぷり数秒黙って見つめた。動く気配がない。


「話は終わり? 部屋に戻るわ」

「はい……いや、お待ちを。あそこは庭から近うございます。今しばらく、城内でお過ごしいただきたい。危険がないかすぐに隅々調べさせますゆえ」

「城の中。そこに私の休める場所があって?」

「あちらこちらに。おそらく」


 非難まじりの言葉を口にした途端、モルゴーが顔を上げ饒舌に語り出した。異論は挟ませない、といった感じ。お喋りな年老いた食えない魔術師、という印象ばかり大きくなってくる。それにしても、城の中とは。


「バルバロスさまがご不快に思われないかしら」


「不思議なことをおっしゃられる。今おふたりが離れてお過ごしなのは、体裁上の理由があるからにすぎませぬ。お美しいイルメルサさまがお近くにおられるとお知りになれば、バルバロスさまはお喜びになられこそすれ、ご不快になどなられるはずがございません」


「よく動く舌だこと。そのうち使いすぎて千切れ飛ぶかもしれないわよ。気をおつけなさい、モルゴー」


 嫌みを言ったのに、モルゴーは愉快そうに肩を揺らしてくつくつと笑った。


「肝に銘じておくといたしましょう」


 ◆◆◆

 

「……ここで待てというの」


 混乱がおさまるまでのしばらくの時間お過ごしを、と私が連れてこられたのは、城の中庭の隅に置かれた無骨な石の長椅子のところだった。階段の脇にある。こんな場所。

 庭といっても石畳の、昼間騎士たちが集って剣を合わせたりするための場所だ。日の落ち掛けたこの時間には人気もなく暗く、寒いだけ。


「じき夕食の時間になるからと、バルバロスさまが」

「ええ、そうでしょうとも」


 長椅子の上に狐の毛皮を敷くフラニードが言うのを遮って、不機嫌な声をあげた。バルバロスさま以外の誰が、私をこんなところに置いておけなどと言えるだろう。下に落ちている泥の塊や、古ぼけた木の桶がいやでも目に入る。

 狐の上に腰をおろしながら、中庭を囲む四隅の柱にともされた灯りに目を向けた。魔力の灯りではなく、松明が燃えている。熱いだろうに、虫が周りを飛んで時折影を壁に映し出していた。

 風に乗って舞い上がる火の粉を見ていたら、ふとさっき治したラスティの手を思い出した。火傷、本当にきれいに治せたかしら。煤を落としたら治し残しがあったなんて言われたら……彼なら治してしまえるわね。大丈夫。


「お寒くはございませんか?」

「平気よ」

 

 それは本当だった。まともな部屋を用意されたとしても、暖炉に火をいれてもらえないかもしれない。そう思ってマントを羽織ってきていたし、なにより私の体にはまだラスティの魔力が残っているから暖かい。この場所は寒かったけれど、体が冷えはしなかった。


 ただ、体に触れられないように気を張っているのは少し骨が折れたけれど。フラニードとの距離を測ろうとそっと彼女を盗み見ると、所在なげに立っているフラニードは、ちらちらと落ちつかなげにあたりに視線を走らせていた。こんなところに捨て置かれているのを誰かに見られたら、とでも思っているのだろうか。


「この上。そこに手すりが見える」


 そんな彼女の様子には気が付かないふりをして、見上げ言った。木製の手すりがぐるりと上の階を囲っている。暗い色の手すり。


「上にはなにがあるのかしら。明るいうちあそこからここを見下ろすのは、気持ちが良さそう」

「なんでしたかしら。歩いたことはあるはずなんですけれど。たぶん――いつからあるのかわからない古びたがらくたをしまってある部屋が並んでいるだけですわ」


 フラニードの気のない言葉に、ラスティのねぐらにあった、いくつもの無駄な部屋を思い出した。なんだかよくわからないものの詰まっただけの部屋がいくつも並んでいた。盗品とか、壊れたものとか。あんな感じなのかしら。


「そう」


 短く答えると、それで会話は終わった。急にあたりが静かになる。松明の燃える音がするだけ。本当にここは静かな城だわ。よく耳を澄ませば遠くに騎士たちの気配があったけれど、そのくらい。召使いたちはまるで私みたいに、気配を消して立ち働いているらしい。


「フラニード」


 だから、急に上から潜めた声が降ってきた時には驚いた。それも男の声で、甘い響き。


「あら――あなた」


 答えるフラニードの声は、いつもと変わらない。


「探したよ。君を探してる子供がいてさ、連れてきた。こんなとこにいたんだ。離れの庭に魔物が出たんだって? ここは庭から遠いから――」


 声と一緒に、ちょうど背中合わせの位置にある階段を降りる足音がした。どこか獣くさい臭いがする。大人のものに小さな足音がまざっていた。その足音が止まる。


「これは、イルメルサさま! し、失礼を、まさか、こんなとこに……いえ、どこにおってももちろん……」

「しっ、口を閉じなさい、あなたが口をきいていい方ではないのよ!」


 階段を降りきって視界に入り込んできた大柄の男をちら、と見る。粗末な服は上衣にまで泥がはね、足元は乾いた土で白くなっていた。フラニードに叱責された男はかわいそうなくらいおどおどとしている。


「構いません。私に話しかけてはいけない者など、誰もいないわ。子供といったかしら? あら…お前」


 男の近くには子供の姿はなかった。それで階段を見上げ、その中程の手すりの間からこちらをじっと見ている毒味の子供の姿を見つけた。薄い緑の髪の間から、大きな目が不安げに私を見下ろしている。広間で食事を取りはじめてからは、遠くから見かけるだけになっていた。久しぶりに間近で見る子供は、頬に肉がついて以前より元気そうに見える。


「リュイ」


 名前を知らない、と気が付くより一瞬早くフラニードが子供をそう呼んだ。毒味と思うとどこか哀れで、名前を尋ねていなかった。そんな言い訳めいた気持ちが心に広がる。


「あっちこっち、いつもと違うから、どうしたらいいか聞きにきたの」

「いつも通り広間の脇の部屋に行けばいいの。カラルに聞けなかった?」

「カラルさんいなかった」


 子供は、怯えた目で私を見つめながらも、フラニードと気安げに話しはじめた。いつの間にか親しくなっていたのね。


「そう、でも食事はいつも通り。見咎められる前に行きなさい」

「わかった。フラニードは?」

「あとで」


 そっけない返事。けれどリュイと呼ばれた子は驚いたことに、小さな笑みを口元に浮かべたのだった。


「さあ行ってふたりとも」

「またね」

「フラニード、また、また来てくれ」


 フラニードが特に愛想よくしているわけでもないのに、ふたりは名残惜しそうに彼女に視線を送りながら暗い通路へ姿を消した。

 フラニードの大きなため息がひとつ聞こえたあとは、また静寂。


「あの者たちと親しいの?」


 黙っていてもよかったのに、聞いてしまった。


「別に……馬番の男はここに来たとき馬を任せただけです。名前も知らない男。リュイは毎日顔を合わせていたら懐かれて」


 冷たく答えるフラニードを見ると、視線に気が付いた彼女は取って付けた笑みを浮かべてみせてきた。


「下の者ばかりですわ」

「そればかりでもないでしょう?」


 騎士や魔術師たちも隙あらば彼女に視線を送っているのに。そういうつもりで言ったのに、赤い火に照らされたフラニードの頬がこわばったのを見てぎくりとした。引きつった顔で懸命に笑みを浮かべようとしているさまがありありとわかる。


「それは……どういう……?」

「騎士や、魔術師たちよ、他になにがあって?」


 そんなにおかしなことを言ったかしら。戸惑いながら口にすると、フラニードがほっと体から力を抜いた。


「ああ、彼ら、いえ、彼らはイルメルサさまを見ているのですわ」


 そう答えたフラニードはいつもの気取った様子に戻っている。今のはなんだったのかしら。思いながら空を見上げた。雲に覆われ星の見えないガウディールの空はただ黒く、夜の手を伸ばし城を包もうとしていた。

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