第38話 空っぽの心
翌朝から急に、窓の下の道を通る騎士や兵士の数が明らかに増えた。はじめのうちはなにかあったのかと不安に思ったけれど、通る者たちがみなちらちらと私の使っている部屋のあたりを見上げて行くので、さすがに察した。
フラニードの姿が見えないかと思っているのね。
面白くなくて窓の外を見るのを止めた私とは対照的に、フラニードは何度も窓から表を見下ろしている。
「ほら、またあの兵士。イルメルサさまに懸想しているのですわ」
絶対にそう思っていないと誓える顔でこちらを振り返り、フラニードが言った。口元に自慢らしい笑み。目を細めて私を見ている。
灰色の修道服から、侍女らしい少し地味めの服に着替えたフラニードの美しさは昨日以上だった。銀の髪は編んで上に纏められている。修道院から来たにしては随分と髪が長い理由が気になったけれど、雑談をする気にもなれない。
「お喋りをする気分じゃないの。呼ぶまでお下がり」
ぴしゃりと言うと、フラニードはすっと笑顔を消して黙って部屋を出て行った。ほっとしたの半分、自己嫌悪半分から大きなため息が出た。
私彼女に嫉妬している。美しさを誉められ、ここで受け入れられているフラニードに。
しばらくすると、窓の下から楽しげな笑い声が響いてきた。戸口を警護する兵士とフラニードが話しているみたい。ここでは私と話して笑顔になる者なんて誰も……いえ、ラスティがいる。
魔術が使えたと教えた時にラスティが見せてくれた顔を思い出し、やっと気持ちが落ち着いてきた。そうよ、私にだっていい思い出はある。故郷の家族、うちの騒がしい騎士たち、マルドゥムさま、それにジーンとラスティ。
みなが私のために動いてくれている。私がここで死なないように。でもいつまで? ここで私が年老いて死ぬまで?
肌が萎びて髪が白くなるまで。
「なんてお荷物なの」
窓から差し込む午後の光がふいに膨らんだ。違う、目に涙が滲んだ。大切な人たちの役に立てれば、この空っぽの心は満たされるのかしら。
◆◆◆
「もう一度仰っていただけますか?」
「城内を案内して。修道院に行くまではここで暮らしていたのでしょう」
夕暮れ前、部屋に呼んだフラニードに同じ言葉を二度繰り返した。フラニードは何故かぽかんとしている。聞いた言葉が理解できないみたいに、椅子に腰掛け座っている私を見つめていた。
「行くなと言われている場所ばかりで、どこなら行けるのか私にはよくわからないの」
気晴らしになる、珍しい景色の見られるところを知りたくて。それに領民たちの暮らしている姿も見てみたい。続けて言うとフラニードはほんの少し眉根を寄せ、考える素振りをみせる。
「裏の庭のあたりと、広間までの道。ひとりではそのくらいしか歩かせてもらえなくてもう飽き飽き。侍女がつくのを待っていたのよ」
「それは、ええ、構わないと思いますけれど……すぐというわけには」
「もちろん今からとは言わない。どこか気の晴れる景色の見える場所を見つけておいてちょうだい」
それだけ言ってフラニードから視線を外すと、それが合図のように彼女は部屋を出て行った。その後ろ姿が見えなくなってからふうと息を吐いて、いつの間にか握りしめていた拳を緩く開く。
馬鹿ね、侍女相手に緊張して。でも言えたわ。行動出来る場所が増えれば、ラスティやお父さまの助けになれるかもしれないもの。
私は魔力がないけれど、そのぶん人に気づかれにくい。耳を澄ませて秘密の話を聞ける。城内の地図が頭に描ければ、きっと役にたてるわ。
そう考えた私の頭には、当然この間ラスティに近づくなと釘をさされた場所が浮かんでいる。魔術師塔と、北の城壁。行ってみたいけれど、そもそも魔術師塔や城壁には近づけた試しがないのだから難しいだろう。
「城壁ね……」
つぶやいて窓辺に寄って外を見た。黒い石の堅牢な城壁は、北の山脈との間にその姿を見せている。遠く高くその上に立つ騎士、はためくガウディールの緑の旗。なぜラスティはあそこに近づくなと言ったのだろう。
それになぜバルバロスさまも、私を城壁に近づかせてはくださらないのか。私の死をお望みになるのなら、あそこに登らせて突き落とせば済む話なのに。
特に興味もなかったので行きたいとも思わなかったけれど、こう続けて止められると興味がわいてしまう。
ガウディールの北の城壁といえば、蛮族の侵入を幾度となく阻んで国を守ってきたものとして有名だ。一度くらいは登って、見える景色を目にしてみたいわ。
ぼんやりとそう考えていた私の耳に、聞き慣れた吠え声が届いた。ジーンの声。近い。
「……どこかしら」
近くで聞こえた気がしたのに、下を見ても探す黒い犬の姿は見えなかった。ジーンだけだろうか、もしかしたら飼い主も一緒にいやしないだろうか。
急にジーンを返せなんて言って、ラスティは何をしているの。ふとそう思った時、また一度だけジーンの声が聞こえた。今度は遠く、庭のある方から。気になって仕方がない。
庭に出るのは私の自由よね。
部屋の隅の衣装箱に歩み寄り、上に広げて乾かしていた緑のマントに手を伸ばす。触れる寸前、ラスティのお母さまの縒った糸で繕ったところが目に入って、なぜだか胸が締め付けられる思いがした。それが怖い。
ラスティに惹かれている。その思いが日に日に強くなっている気がして。勘違いだわイルメルサ。孤独なここで、魔力の強い彼に唯一気遣われ、心が揺れているだけ。
なにより、ラスティはお父さまに命じられたから仕方なしに私を守っているだけなのよ。大きな魔石を手に入れるために。それを忘れてはいけない。
自分の空っぽの心を埋めるのに彼を利用してはいけないわ。ぎゅ、と唇を引き結んで、それからマントを取り上げた。
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