第36話 領主の気まぐれ


 ラスティと庭で別れたあと、部屋に呼んだカラルに今夜から食事を広間でとると伝えると、彼女は一瞬目を細めた。カラルの立つ部屋の入り口は遠く薄暗く、感情を読めるほどのなにかを伝えては来ない。


 外は相変わらずの曇り空で、夕暮れ前のぼんやりした光が冷たい風とともに部屋に入ってくる。もうしばらくすればその鎧戸もぴしゃりと閉じられ、ここは私の心と同じ暗い場所になるだろう。


「もちろん毒味役の子供も連れてゆくわ。お前が選び連れてきた子供なのだから、粗相があればすべてお前の責任よ」


 不安があるならお前が毒味をおし。黙ったままのカラルにそう付け足すと、彼女は膝を折り何も答えずに部屋を出て行った。

 

 日が落ちてから私を呼びに来たのは見知らぬ女だった。まさか本当にカラルが毒味についたのだろうか、そうちらと頭をよぎる。

 城に入ってからは、なるべく威厳を持って見えるよう、顎をあげ表情を消して広間への通路を進む。冷たい石造りの壁に影が揺れた。

 いつも通り、立ち働く召使いの気配がほとんどしない静かな城だ。時折歩いてきた騎士や魔術師が、私の姿を見てぎくりと顔を強ばらせた。

 それに気が付かないふりを何度かしながら広間に近い通路にたどり着くと、中から男たちの笑い声が響いてきた。なぜか硬いもののぶつかり合うこもった音も。一際大きな音のあと、ドサリと人の倒れる気配がした。途端、床を踏み鳴らして騒ぐ野太い歓声がわっと広間で起こって、私の足を止めた。


「一体中でなにをしているの」


 広間の入り口脇に立ち、興奮した面もちで中を覗いている男の召使いにたまらず声をかけると、男は慌てて視線を広間から通路に戻した。


「あっ、バ、バルバロスさまの褒美をかけて魔術師が剣技の模擬試合を」

「魔術師が剣技?」


 真っ先にラスティの顔が浮かんだ。変なことをさせられて怪我でもしていたら。

 走り出したい気持ちを抑え広間に足を踏み入れた私の目に映ったのは、木製の剣を右手に持ったラスティのうしろ姿だった。がっしりとした大きな体で肩で息をする彼が立っているのは、食事用の卓を移動して急遽つくったらしい、広間の真ん中にぽっかり空いた即席の闘技用の空間。

 彼の前には、倒れたガウディールの魔術師が一人。可哀想に、倒れた魔術師はすっかり戦意を失った顔つきで右手首を押さえ震えている。


「力押しだな新入り!」

「騎士に鞍替えしろよ、俺の従者に迎えてやろう!」


 騎士たちはなにがおかしいのかゲラゲラと笑い合い、ラスティに野次を飛ばしていた。勝ったのになぜ馬鹿にされているのか、来たばかりの私にはわからなかったけれど不愉快だわ。でもラスティに肩入れするわけにはいかない。


「あ、おい」


 無表情にもう一歩広間に踏み入った私に、入り口近くにいた騎士のひとりが気がついて隣の男を肘で突く。


「イルメルサさまだ」

「もう話せるのか?」


 こそこそと私の名前が囁かれ、そっと、あるいはあからさまな好奇の視線が向けられる。ラスティも振り返って私を見たのが視界の端に映ってわかったけれど、そちらには気のないふりで、いつもの席に腰掛けているだろうバルバロスさまを探して視線を彷徨わせた。

 

 いた。


 広間の奥、食事用に運ばれた椅子に腰掛けたバルバロスさまが、卓に肘を置き頬杖をつきながら、目を細めて私を見ていた。一歩そちらに近付くごとにあたりが静まり返って行く。ラスティの横を通るとき、倒れた魔術師に差し伸べた彼の手が相手にはねのけられる乾いた音が一度、響いて消えた。

 

 なぜか皿はあるのに、彼の息子ガイルさまとその妻モイラの姿はなかった。いくつか席を空けオースン司祭が腰掛けていて、近づくと立ち上がって曖昧な笑みを見せてくる。私はそれに応え、視線を送って口角を小さく引き上げてみせた。


「ずいぶんと賑やかな催しをされておいでですのね」


 司祭の後ろを通って、バルバロスさまの方へ。

 前にバルバロスさまに会ったのは毒で死にかけた日の夜。不作法に酔って部屋にやってきて、早く死ねという意味の言葉を吐き捨てていった。それに関してこの男は、謝罪も取り繕いもなく、見舞いの品もなく。


 私を、そのあたりに転がっている小石程度にしか思っていないに違いない。そう考えると腹が立つより恐ろしかった。


「教えていただけておりましたら、もっと早く参りましたのに」


 怯えを悟られたくなくて努めて明るい声を出す。と、私に向けられていたバルバロスさまの灰色の目に、私の心を探ろうとする光を見た。


「そうか」


 バルバロスさまが立ち上がる。椅子が床を擦り軋む音がいやに大きく響く。恐ろしくて自分の鼓動が聞こえる気がするくらい。バルバロスさまは私から視線を外さずゆっくりと近づいて来た。


「野蛮だと嫌うかと思ってな」

「毎日部屋で退屈しておりましたから」


 強い領主の視線に負け、ふいと顔を広間の中程に向ける。中央には木製の剣を持て余した様子で、下げて揺らし立つラスティ。彼は何気ない顔つきでバルバロスさまを注視していた。汗をかいたのか、少し額に髪がおりている。森の庭で一度見た、入浴したてのラスティ。あの姿を思い出した。


「勝者はあの者ですか」


 こう聞けば、ラスティを見ていても不自然に思われないわよね。私の声が聞こえたのか、ラスティもこちらに目だけを向ける。視線が合ったのは一瞬だった。


「そうだ。これから褒美をやるところ」


 目の前まで来たバルバロスさまが、私の右の手を取ったから。驚いて視線は触れた手に向かい、体が固まる。バルバロスさまの指は硬く、ラスティのものより冷たかった。

 私には触れたくないとおっしゃっていたのに。手から続けて視線を上げバルバロスさまの顔を見ると、そこには不快な色を隠そうともせず私を映す灰色の双眸があった。


「来い」


 強く手を引かれ、軽くよろける。広間に抑えたざわめきが起こり、頬が熱くなった。きちんと歩かなければ。放っておけばすぐに下に向きがちになる視線を懸命に上げ、当たり前の顔をしてバルバロスさまに導かれるまま広間の中を進んだ。

 騎士たちは無遠慮な視線を私に向けながら、バルバロスさまのために道を開けていった。


「さて……褒美をやるのだったな」


 ラスティの立つ広間中ほど近くまで来ると、バルバロスさまはそう言って立ち止まり私の手を離した。ラスティは顔を上げ、まっすぐ私たちを見つめている。

 右手に下げた木製の剣は近くで見ると思ったより古びている。そこそこ大きなものだったけれど、体の大きなラスティが持っていると子供用の模擬剣みたいに見えた。


「その指のものを与えると言った。嘘はないか領主」


 ラスティの率直な話し方に心臓が縮む思いがする。

 指輪。ついバルバロスさまの手に視線を走らせると、いくつかの指輪が見えた。いままではこんなに幾つも指を飾ってはおられなかったから、今晩はこの趣向を思いつかれて付けてこられたのだわ。


「無論だ」


 バルバロスさまはラスティの失礼な態度に腹を立てた様子もなく、小さく頷いて緩く握った手を持ち上げ、ラスティに指輪を見せていた。

 右の人差し指に大きな赤い魔石がついた銀のものがある、あれが一番ラスティに似合いそう。ぼんやりそう思っていたら、なんの遠慮もないといった彼の声が広間に響いた。


「右の手にしているものを全てくれ」


 届いた言葉に耳を疑った。弾かれたように私が顔をあげるのと同時に、広間にいた他の者たちの間にもどよめきが起こった。


「ひとつとは言わなかっただろう」


 周囲の反応を気にしたふうもなく、ラスティはさらに言葉を重ねる。顔色ひとつ変えずにいられるなんて豪胆なのか、愚かなのか。

 バルバロスさまはなんてお答えになるだろう、怒りに触れ追い出されでもしたら――。そう思うと、胸の中に言い表しがたい不安が雨雲のように広がってくる。


 と、隣に立つバルバロスさまの方から小さく息を吹き出す笑いが聞こえ驚いた。顔を向けると、口元に小さな笑みすら浮かべたバルバロスさまが、すでに右手に嵌めた指輪を外しはじめていた。


「確かにひとつとは言わなかった。持って行け魔術師」

「助かる。カネはいくらあっても邪魔にはならんからな」


 あまりに失礼な物言いにまた広間にざわめきが広がった。領主からの褒美を換金しようなんてことを目の前で言うなんて。


「はっ! 確かにその態度では大学になど残れぬ筈だ……だがそれでは強大な魔力の持ち腐れ。ガウディールでそれなりの振る舞い方を学ぶがいい」

「必要ない」


 手のひらを上に向け腕を伸ばし、バルバロスさまから三つの指輪を受け取ったラスティはそれを握り締めると、短い拒絶の言葉を吐いた。はらはらする。いつバルバロスさまが怒鳴り出すかと思うと。


「そう言うな」


 けれど私の心配をよそに、バルバロスさまは相変わらずどこか楽しげにされていて。その横顔を見ていたら、急にこちらを振り返ったバルバロスさまと視線がぶつかった。


「――お前たちは面識はあるのだったか?」


 お互い見知っているかと確かめられ、ぎくりと体が強張りそうになるのをすんでのところでこらえた。こらえられたと思う。


「はい、バルバロスさま。これは毒を口にした私を救った魔術師です」


 言うと、バルバロスさまは二度頷いて視線をラスティに戻した。つられて私も彼を見る。ラスティは視線を手元に落として、手に入れたばかりの褒美をローブの中に仕舞っていた。


「魔術師ラスティ」


 バルバロスさまの静かな呼びかけに、ラスティは一瞬動きを止めてからバルバロスさまに目を向けた。彼の赤銅色の目に警戒心が滲んでいる。


「どう思う」


 言いながらバルバロスさまは顎で私を示した。ラスティは怪訝そうな色を隠そうともせず、私とバルバロスさまを見比べる。ゆっくりと彼の唇が動いた。


「――領主の相手にしては随分と若い」

「そうだな。だがそれを言ってどうなる。雇い主が婚約者について尋ねたのだ、世辞のひとつふたつ並べてみせぬか」


 無茶を仰る。世辞なんて、ラスティに言えるのかしら。ラスティの背後から、忍ばせた笑いがいくつも聞こえてきたけれど、ラスティを笑ったのか私を笑ったものなのかはわからなかった。

 ラスティはむっつりと黙り込んで、何故か目を細め私を見ている。怒っているのかもしれない。どうしろというの。そんなことお止めになって、皆お腹を空かせているようですから早く食事をとでも言えば……愛されている婚約者ならば許され和やかな空気が流れるだろうけれど、私では。


 どうしたものかと思っていると、ラスティが動いた。私の方に体を向けるとこう言ったのだ。


「美しい髪だ」


 唐突に髪を褒められ、返事に詰まった。見え透いた世辞などいわれ慣れているというのに。

 ラスティに髪を褒められるのは二度目。一度目は彼の森の……いいえ、あのときは編み方を褒めてくれたのだった。今夜の髪はあのときほど美しくは編まれていない。


「髪か。確かに、これはシファードの血筋の色。美しいと知られたものだ」

「これでいいか、腹が減った。うしろの騎士どもはなおさらだろう。そろそろ飯を食わせてくれ領主」


 ラスティは私を見なかった。ただそう言って、頭を動かし自分の背後を示す。そしてそれで、この気紛れな催しは仕舞いになった。

 ただ私ひとりだけが、あの日の彼の洞窟に残されたまま。

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