第11話 泥棒市
「いやだラスティ、あの黒毛は私の馬よ」
「しっ、黙ってろ。俺から離れるな」
ラスティの馬に二人で騎乗して、長い時間北西に進んだと思う。今日は晴れていたけれどそれでも寒く、目当ての市にたどり着いた時には夕刻で、私はかなり疲れていた。
北の山のふもと、どの村や城からも遠い深い森の奥に、盗賊たちの市がたっていた。粗末な小さな木の小屋があれば、地面に直接品物を並べている者もいる。
あちこちで火が焚かれ、煙が空に昇っていた。色んな食べ物の匂いがする。こんなの、王国の兵が気がつかないわけがない。わかっていて放置されているんだわ、きっと。
私の馬は矢傷を手当てしてもらえたのか、元気そうだった。山賊みたいないかつい男が、剣を腰に下げた男に手綱を渡している。
「これはいい馬だ。こんなのはめったに出回らないぜ」
「そうだな、よく躾られている」
大きな荷を背負わせた馬を引き、濃い紺色のマントを着たラスティのうしろから、彼に渡された茶色の羊毛のマントを羽織ってついて歩きながら、私の馬を買い取ろうという男をつい恨めしい目で見てしまう。
「ジロジロ見るな、山賊と傭兵だ」
それに気がついたラスティにそっと耳打ちされ、彼の手でマントのフードを被らせられた。私の顔のほとんどが隠れる。彼が術をかけてくれたマントは粗末だけれど暖かい。
「だって……ラスティ、私の……あっ、あれは私の食事用の小刀よ、買い取ってラスティ、お願いよ、他の人に使われるなんて嫌よ!」
「しいっ、声を抑えろ。ただでさえ目立っているんだ、くそ、連れてくるんじゃなかった」
目立っている?
彼の言葉が気になって、フードの下からそっと辺りの様子を窺った。確かに、店を開いている人たちが、ちらちらとこちらを探る視線を向けてきている。
「なぜこんなに見られなければいけないの?」
ラスティのマントを摘まんでひいて、こっそりと聞くと、ラスティは不愉快そうな低い声で短く返事を返してきた。
「俺に連れがいるからだ」
「え? ああ、そうなの」
私自身が目立っていたわけではないんだとわかって少しほっとした。でも、気がついてみれば好奇の視線を向けられるのは不快なもので。両脇に並ぶ店も禄に見ずに私はただ下を向いて、時々視界にあらわれるラスティのマントを目印に、彼から離れすぎないよう歩いた。ジーンも連れてこられていたらよかったのに。あの子はお留守番。
「ここだ」
と、そう言ったラスティがあまりに急に立ち止まったので、彼の背中に思い切りぶつかってしまった。勢いでフードが外れる。
「いたっ、ごめんなさい」
「肉を買い取ってくれ。劣化防止の術はかけてある」
私のことなんて気にもとめていない風のラスティは、すでに露天の肉屋の店主と商談に入っていた。話しながら馬から荷を下ろし、肉を広げてみせている。
「あんたには世話になっているから一番に見せにきた。だがご覧の通り食い扶持が増えてな、いつもより高く買って欲しい。無理なら余所へ行く」
珍しく饒舌に語ったラスティに顎で食い扶持、と示されて不愉快だったけれど我慢した。事実だ。髪の薄い店主がちらりと私を見たので視線をあわせると、にわかに店主は慌てだした。
「そうか、なら仕方ねえな、あんたの肉は実際よく保つ、こっちも助かってる。熊か。これでどうだ」
「もう少しいけるだろう」
「これ以上は無理だ。干し肉を少しつけてやろう」
「毛皮もあるんだが、高く買ってくれる人間に心あたりは? サハンが見当たらないんだ、死んだのか? 口利きを頼めるならそれでいい」
「ああ死んだ。狩りでヒグマの魔物にやられたそうだ。今年は熊がやたら多いな、獣も、魔物も」
声を低くひそめて話す男たちの話を、黙って聞いていた。熊の魔物は森で見た。私を射た盗賊の腹に顔を埋めていた熊の魔物。あんなのがあちこちにいるのかもしれないと思うと、急に森が恐ろしくなった。
足元から震えが走り、体温が下がった気がする。
「錆色の、連れの顔色が悪そうだが大丈夫か」
肉屋の店主の声が聞こえる。森は寒くて、長旅は傷が癒えたばかりの体には堪えた。これではまるで、城にいた時みたい。ここしばらくは随分調子がいいと感じていたのに。
怪訝そうな顔のラスティが、私の顔を覗き込む。
「どうした、腹でも減ったか」
「平気よ、少し疲れただけ」
本当だ。今までが不思議なくらい元気だっただけだ。前はいつもこんな感じだった。
「本当か?」
「ええ、辛ければ言います、ラスティ。ありがとう」
本心はどうあれ、気づかってくれた彼に礼を言って、少し笑った。疲れていて、憎まれ口を叩く気力がわかない。
「嫌に素直で気持ちが悪い。店主、とりあえず肉の金と干し肉をくれ。またあとで来る」
「わかった、準備しよう。随分気取った話し方の女だな」
店主の何気ない言葉にラスティは返事をしなかったけれど、その体が少しだけ緊張したのがすぐそばにいた私にはわかった。
連れているのが貴族の娘だと周りに知られないよう警戒しているのだ。私も気をつけているつもりだけれど、言葉を変えるのは難しい。ここに来るのに自分の毛皮のマントではなく、この羊毛のマントを羽織ったみたいに、使う言葉を取り替えられれば楽なのに。
あまり話さないでおこう。
ラスティは店主からお金と干し肉の包みを受け取ると、黙って歩き始めた。私もなにも言わずついて行く。さっきまでよりゆっくり歩いてくれている気がする。
「ここに入るがその前に馬を預けてくる、決して動かず口を開くな、すぐ戻る」
がやがやと多く人の気配のする二階建ての小屋の前に私をひとり置いて、ラスティは馬をひいて小屋の裏手に行ってしまった。
あたりは薄暗くなり始めている。あちこちに火が焚かれ、闇の迫る時間にも関わらず多くの人がいる。こんな場所が森にあるなんて思わなかった。
と、フードを深く被ってうつむいていた私の視界に、人影が伸びてきた。近づいてくる。一番に靴の先が見えた。皮で足を包んだだけの粗末な靴だ。視線を上げると、泥で汚れた赤いドレスの裾。粗悪な生地で襞も乱れている。ベルトは元は緑だったのかと思われる、色褪せた古いもの。
「ねえあんた」
それより上をみる前に、かすれた低い女の声がした。ちらりと顔をあげると、派手な化粧をした濃い紫の髪色の、背の高い女が立っていた。髪を下ろし、頭に薄い布をかけている。娼婦のしるし。
娼婦と口をきいた経験はない。ラスティに口を開くな、と言われていたのもあり、目を合わせただけに留め、また視線を下に向けた。
「ねえ、あの魔術師といたろ、あいつと行っちゃいけないよ」
と、突然そばでささやき声がして、思わず顔をあげる。私を案じる、不安げな顔がそこにはあった。
「え?」
「前にあいつに買われた仲間がひどい目にあったんだ。いくら金を積まれたって、あんたみたいなちゃんとした女がついて行く男じゃない、気をつけな」
「ひどい目って、どんな? 本当に彼? 誰かと間違えているのではない?」
「何年経ったって間違えるもんか、あんな化け物じみた魔力を垂れ流してる男……」
と、急に女の顔が恐怖に歪んだ。
「あっ、ち、忠告はしたからね」
最後に震える声で言い足して、女は走って夕闇の忍び寄る市に消えていった。振り返ると、思った通りラスティが立っている。熊の毛皮を入れた大きな包みを手にしていた。
「口をきくなと言っただろう」
彼の表情には特に変わったところはない。娼婦を買った、なんて話を聞かされたばかりでその相手と顔を合わせるのはなんだか気まずい。どんな顔をしていたらいいのか。
「彼女が、あなたのことを……」
「だいたいの予想はつくが。話は中で聞こう」
娼婦の話は気にはなったものの、ラスティ以外に頼れる人もいないのだ。促され、小屋に入る。中は食事のとれる店のようだった。宿や風呂も兼ねているみたいで、賑わっている。暖かい。ほっとしてフードを外すと、その場の多くの視線が私の顔に向けられた。なんなの、一体。
さっきの娼婦の話を思い出す。あいつに買われた仲間が酷い目に……何年経ったって……。何年も前にラスティが娼婦を買って、酷い目に合わせた。だから私にも気をつけろと。
「熱い蜂蜜酒とエール、羊肉の煮込みを」
ラスティに背中を軽く押され、どこか媚びた顔で近づいてきた店主に注文する彼の声を聞きながら、隅の空いた席に向かった。床に骨がたくさん落ちている。ジーンが来ていたら大喜びだったろうに。暖炉からは遠いけれど、立って歌っている一団からも遠く、静かそうだ。
「座れ、マントは脱ぐな」
「どうして?」
マントを外そうと首に手をやると、ラスティに制止された。疑問に思いながらもそのまま座る。
「そこらでしょっちゅう喧嘩の起こる場所だ、何かあったらすぐ外に出なければならん」
「怖い」
「ここが一番ましな店だ」
一番ましな店。汚れた机には乾いたパンが入った籠が置いてある。大きな声で話し、歌う人たち。まあ、父が騎士たちと酒を飲んで騒ぐ夜の騒がしさを思えば。
「寒くはないか」
「え?」
「ここは暖炉から遠い」
優しい言葉をかけられ驚いた。
「あなた、今日は優しい」
「お前がいつもよりおとなしいからだ、顔色はまだ戻らないな」
「これが普通よ、ここ数日がおかしかったの」
静かに言った時、飲み物と料理が運ばれてきた。ラスティは蜂蜜酒を私の前に置く。香辛料と果実のいい香りがする。取っ手のない、陶器の杯を手に取ると温かかった。
「ありがとう」
「素直すぎる。熱でもあるんじゃないだろうな、面倒は御免だぞ」
「ないわ、大丈夫です」
真剣な顔でラスティがそんなことを言い出すので、少し腹がたってきた。むっとしながらも蜂蜜酒に口を付ける。ひとくち飲むと、ほんのり甘くておいしい。
ほっと息をついたその時だった。
「バルバロスの嫁取り話の顛末は聞いたか?」
ラスティと背中合わせの席の客たちが、大声でそんな話をしはじめた。思わず体がびくりと強張った。どうして今そんな話を始めるのよ? 蜂蜜酒を飲む振りをしながらラスティを盗み見ると、彼は詰まらなそうな顔でエールの注がれた杯を触っている。聞こえているわよね、当然。
「ああ、シファードの行き遅れとの話だろ、王の命令とか。三度目の結婚とはいえ、卿もやきがまわったなあ」
「四度目だ、四度目」
「いくら四十も若い嫁でも、修道院にも引き取りを拒まれた生きた死体なんて真っ平だろ、青白い顔で城の部屋にこもってるって話じゃないか。顛末ってのぁなんだ?」
聞かれた。相手と年が離れていることも、自分が行き遅れとあざ笑われていることも、向こうから望まれていない結婚だということも言っていなかったのに。言っていないどころか、幸せな縁組みだと嘘をついていた。恥ずかしさにかっと頬が熱くなる。ラスティの顔が見られない。
ここにいたくない。
「それがどうも森で襲われ死んだらしい。貴族女の品物が色々出回ってるぜ。輿入れだってのにろくなもんがないけどな」
「死んだ? さすが領主に生まれるような男には幸運の精霊の加護でもあるのか――」
これ以上聞きたくない。立ちあがりかけた私の手を、机の向こうから掴んでおさえる手があった。温かい手。
「座れ」
聞こえてきた低く小さくささやく声に従い、そっと座り直した。男たちの噂話は続く。魔術師の顔は見られない。机の上の蜂蜜酒が冷めていくのを、ただじっと見つめていた。
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