第93話 タイミング

「結衣、夏休みもバイト漬け?」


7月。1学期の終業式が終わり、担任が保護者向けの書類などを取りに行っている時間は、まるでそれが世界の決まりのように教室が騒然とする。

その中で、席の近い女子が私に声を掛け、来たる夏休みの予定を聞いてくる。


「うん、まあね」


「あら〜、じゃあ暇な日連絡して」


「うん、ありがと」


うちの学校は、夏休みが8月から始まるため、二学期が始まる日は9月の中旬になる。だから、他校の休暇と比べても日数はほとんど変わらない。


遊びに誘ってくれるのは嬉しいのだが、彼女の言う通りバイト漬けだ。別にお金に困っているわけではないのだが、どうしてもシフトを頻繁に詰め込まなければならない。


というのも…。


気になって仕方がないのだ! 『呪い殺す』という不気味な能力で、『サトちゃん』なる人物が自分の父親を本当に殺してしまったのだろうか。


時末さんに会えさえすれば、直接尋ねなくても顔色だけで、事の真相が分かるかもしれない。あの人は思ったことが顔に出やすいタイプで、典型的な激情家だ。


時末さんと同じシフトになるよう、8月のほとんどを出勤するようにしたが、夏休みということもあり、希望が通らない場合がある。ウチは出勤日数を均等にするため、今回出した希望日の3分の1は通らないだろう。


吹っ切れるのも意外と早そうだから、なるべく8月の頭にでも彼の様子を見ておきたい。


『サトちゃん』の家庭の安否はもちろん、亀井さんと今でも連絡を取り合う仲になったこと、彼女ができたこと、他にも知りたいことは山ほどだ。


関わりたいのだ、私は彼らの世界に。


走ることを失って、何かを追うように、いや何かに追われるようにバイトや勉強だけの分かりきった日常の中で、彼らの非日常を求めるようになった。


亀井さんのプライドを崩壊させた立場のくせに、あまりに身勝手な考えだけど、そう思った。



8月1日。


夏休みの初日に出した希望日が採用されなかった私は、部屋の中で数学の課題に取り組んでいるところだ。


昨日は読書感想文を終わらせた。1週間前から読んでいた本を昨日でちょうど読み終わったので、原稿用紙を5枚の約2000マスに文字をびっしりと埋め込んだ。


私は、課題を早く片付けたいタイプらしく、長期休暇の初日から課題に取り掛かっているのは別に苦ではない。最初にやろうと最後にやろうと、結局はしなければいけないのだから、早めに終わらせておけば、残りの時間を余念なく満喫できる。


どうしてみんな早くやらないのだろう、と思うことはあったが言うことはない。これが嫌味であることは重々承知だ。



9時から15時の6時間で数学の課題を仕上げた。ついでに英語の課題も終わらせようと思ったが、最後から2ページ目の図形を解くときから集中が切れてしまったので、やっぱりやめて、外出することにした。


昼過ぎの西日が、私に直撃する。朝からずっとクーラーの涼風の中にいたので、その暑さに怯んだ。


日差しを想定して、日焼け止めを塗っておいて正解だった。


私は、映画館へ向かう。いま話題の映画が随分人気らしいから、夏休みの2週間前から気になっていたのだ。私は、ミーハーだ。


田舎特有の大きなショッピングモールの三階の一角。


近くに映画館はあるけど、夏休みシーズンだから混雑するに決まっている。そう思って、直営店ではなくこういった量販店に足を運んだのは正解だった。


ジャンルはアニメ映画。若者ウケのみを狙ったかのようなキャラクターのタッチと世界観だが、実は奥が深くミステリー要素も十分に含まれているらしい。そして最も驚くべきは、一部の大人にも人気のあるこの映画の原作が、当時の中学生が書いたライトノベルだということだ。


著者名は確か、伏なんとか…。思い出せないが、間違いなくすごい人なんだろう。

中学時代の私が同年代の人間たちとタイムを競い合っているのに対して、その人は作家を志す世の大人たちの上にいるのだから。


大きなスクリーンの室内だけは、満席に近い状態だった。チケットを販売するカウンターはまばらだったのに。この作品のために来た人がほとんどを占めているということか。


私は、上下左右も真ん中あたりの席に座る。いい角度で映画を楽しめる期待と、座高の高い人が前に座ることへの不安の両方を抱えた気分で、上映を待った。


1週間前にSNSで店長が添付したバイトのシフト表を眺める。希望日のちょうど半分くらいが私の出勤日だった。


もう少し入れてほしかったのに、そう思って画面を見つめた後、視線が少しずつ、別の名前を追う。


左端に、『時末隆太』の名前。私の名前と、出勤日を彼のそれと照らし合わせる。


同じシフトがなかったことに頭では分かっていたが気持ちがそれを認めなかった。どこかに見落としがあるかもしれない、そう思いながら変わるはずのない結果を変えるように表を睨み続ける。


タイミングの良い不運。どうして、会いたい時に会えないのか。聞かれたくなかったのに彼があの場所にいた放課後を思い出す。


仕方ないと思いながらスマホの電源を落として顔を上げると、巡り合わせの悪さに追い打ちをかけるように、私よりも圧倒的に背の高い男が目の前の席に座っていた。彼の座高は、スクリーンを縦に真っ二つにした。


本当に、ついてない。特に、今日は。


ガクッと、人知れず項垂れていると、右隣に座っていた女の人が、斜め前にいるその男に「ねえ」と声をかける。


キレイな顔立ちをした横顔だなあ。まず、そう思った。肩にかかるくらいの長さの髪は、根元までキレイに茶髪に染められている。美人。


目の前の人は、彼氏かな。高身長で喧嘩の強そうな大男。お似合いのカップルだ。


でも、なんで隣に座らないのだろうか。チケットの指定席を間違えたとか。疑問に思っていた直後、そんな疑問を木っ端微塵にしてしまう現実に直面した。


「あんた、何間違ってんのよ、バカ」


周りに気をつかった小声だが十分気の強い口調に、男が振り返った。


金髪の、大男が。


「はあ、マジかよ! なんでそんなとこいんの!?」


男の方は周りなんか気にしない、ノックを受ける野球部みたいに張った声で驚いた。


しー、と人差し指をピンと立てて睨む女の人に目線を向けていた彼だが、次に私と目が合う。


2人して、あっ、と声が出た。


「結衣ちゃん」


薄暗い室内で、時末隆太が私の名前を呼んだ。

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