第87話 不思議な感じ
6月の雨の日。
時末さんは、どこか落ち込んでいるように見えた。
18時オープンのこの店で、シフトが1番早い17時の開店準備の時間。あらかじめ切られてサラダを、トングを使って大きなタッパーに詰める作業。
「今日は、平日だから、多分のんびりですね。」
隣で別の仕事をしている時末さんに声をかける。
「ああ」
返事があまりにも短いことに驚きを隠せなかった。それは、雨の日だからなんとなく怠いわけではなさそうで、何らかの理由があって、素っ気ない態度になっているのかもしれない。
中学の時に話すことなど一度もなく、傍目から見ていた彼は、気持ちが沈むことなんか無縁で、悪く言えば脳天気で無神経な印象すらあったため、今の彼の様子を見ると不思議な感じだ。
「ごめん」
それが私に向けられた言葉だということを理解するのに少々の間を要した。
「何が、ですか?」
そして、何に対してのごめんなのか、それは彼の口から直接聞かないと分からなかったから、そうする。
彼が私の問いかけに答えるまでに1分以上かかった。意図的に無視されたと勘違いしてしまうほどの間。
そこまで勿体ぶられると気になるし、私に謝るような内容だから、私自身に降りかかる損の大きさを想像してなおさら怖い。
作業の手だけを止めて、私に顔を向けないまま、作業の台を見つめて答えた。
「彼女ができた」
「えっ?」
「サトシに、彼女ができた」
彼女ができた。
学校でよく聞く言葉だ。誰々に彼女ができた、誰と誰が付き合っている、誰々がフられた。私たちくらいの年頃の男女が大好きな、いわゆる恋バナ。
私は、謙遜でもなんでもなく、そういう話には興味がなかった。なのに、亀井さんの名前でそれがあったことにショックを受けていることを自覚した。亀井さんにとっては大したことない存在の私は、おこがましくもその当事者として、もっと言えば被害者としての意識を持ってしまっている。
心臓を誰かに手で掴まれて、徐々に握りしめられるように胸が苦しかった。
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