第14話 放課後
あっという間に10月になった。
新人戦まで、あと2週間というところ、僕は未だ、雑用のために走っていた。
選手たちの顔色が、試合目前からか険しく、触れると静電気のようにピリッとしそうなくらい、神経質な面持ちだった。
樽本さんとご飯に行ったのは夏休みの間に一回と、9月の間に1回くらいで、新人戦が近づいてくるとさすがに遊ぶ時間も惜しくなったのだろう、9月の下旬からはご飯に行かなくなった。
放課後、僕は2学期からは保健委員に選ばれてしまったので、クラスの保健委員が集まる会議に顔を出していた。
週一回の頻度で行われるため、週一回の頻度で部活動に遅れる。他の委員会は月に一回だけなのに対して、頻繁だから、途中からグラウンドに入るのが非常に気まずかった。
休み時間に、後輩のグループとたまたま顔を合わせると、「保健委員の仕事、がんばってください!」と、含みのあるような笑い方で表向きの激励をされる。少し歩いた後に、後ろから面白いものを見たときのような笑い声が聞こえた。
委員会の集まりは30分ぐらいで終わり、僕は、学校の鞄と部活用のエナメルバッグを抱えて、いつも委員会が行われる理科室を足早(タイムは遅いけど)に出た。
4階にある理科室近くの階段を降りればすぐに昇降口がある。もう遅れてるけど、なるべく急ぐ。
3階まで降りて、次に2階への階段を降りていると、踊り場に女子の姿が3人分見えた。
そしてその中には、グラウンドにいるはずの樽本さんもいた。
僕はこのタイミングで鉢合わせするのも、何となく気まずいので、廊下を渡って反対側の階段を降りようと思うと、突然、彼女たちの誰かの口から、「亀井さん」という言葉が飛び出した。
「結衣、亀井先輩のこと狙ってんの?」
心拍数が跳ね上がった。狙ってる、という言葉への期待から。
しかし、その言葉が、揶揄のニュアンスを含んでいることがすぐに分かった。女子たちがクスクスと笑っている。クラスの女子が、遠くから僕を見るときにする顔。
「どうなの?」
あっ、と気付いた。
この雰囲気、知ってる。無理、だと分かる、この感じ。期待が一気に覆る。
このあとに答える樽本さんの言葉も、なんとなく分かる。
大丈夫。言っていいよ。心の準備はできてるから。このどうしようもなく情け無い、補欠の雑用係に。
「ありえないし、亀井さんは先輩としては良い人だけど。アイスとか、ご飯とか、よく奢ってくれるから、ホントに優しいの。お財布にね」
やばい。
心の準備はできていた。
はずなのにな。
ダムが決壊して水が流れ込むように、視界が潤ってきた。
気付いたら僕は、男子トイレの個室にいて、薄汚れたタイルをぼんやりと見ていた。
迎えた新人戦の日。トラックでレギュラーのみんなが準備運動をしている一方で、僕たち補欠組はスタンドに立っていた。
談笑したり、応援用のメガホンをいじったりする中で、僕は1人、トドメを刺されたあの日を思い出す。
奢ってくれる。財布に優しい。
ありえない。
あの日も一緒に帰った。彼女は何事もなかったように、いつもと同じ、陽気な口調で僕に話しかける。僕も、何も言い出せなくて、ただ、何事もなかったふうを装った。
あの日の夜は、ご飯も喉に通らなくて、ずっと部屋で泣きっぱなしだった。泣いた後には、抜け殻のように部屋の隅で、電気もつけずに何時間も体育座りをしていた。
次の日も、その次の日も、生きた心地がなく、みるみる痩せていく身体。
4月からおよそ半年まで過ごした楽しい時間。その時間は、食べ物を奢ってもらうため、『お財布』にするため。今まで抱いていた彼女への想いは無駄だったのだ。
騙された、そして踏みにじられた。
じゃあ、逆に。
4月からおよそ半年間、部活や学校が始まる前から、ほぼ毎日1人でグラウンドを走り続けた彼女。その時間は、結果を残すため、勝つため。必死に走ってきた。
じゃあ、それを。
踏みにじってやる。
陸上競技場には、見渡す限り彼女の姿はなかった。
僕が、彼女の出場を『拒絶』したからだ。
そして数日後、顧問の先生が言った。
「樽本は、新人戦の朝、交通事故に遭って、もう走ることが出来なくなった」
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