右側通行と左側通行、そして50Hzと60Hz


車が左側通行か右側通行かというのは技術とは無関係に、単なる「社会的な経緯いきさつ」で決まったものだ。


これは、日本(と英国連邦)が世界の道路交通ルールの中で孤立している理由であり、馬車の時代に決まった英国流儀の交通ルールとフランス風の交通ルールの混乱において、偶然にも日本が少数派側についてしまったに過ぎない。


日本が左側通行に決まったことに、どんな理由があったのか今となっては定かではないようだが、その結果、日本で生まれ育った人が英国連邦(旧を含む)以外の国を訪れてレンタカーを運転しようとするときには大いに戸惑い、時にはヒヤッとするシーンに遭遇したりする羽目になっている。


英国に行ったときでも、「右ハンドル車だから」と安心して、交差点でウィンカーを出す代わりにワイパーを動かしてしまうと言うのも、一種のお約束である。(こちらはEU規格の問題だ)


また、交通とは違うが、社会的規格に関する日本特有の事情としては、東日本と西日本で電源の周波数が変わってしまうと言う、おなじみの問題がある。


糸魚川と富士川を境に、東は50Hz、西は60Hzの交流周波数になっているわけだが、これは単純に関東では50Hzのドイツ製発電機を購入したのに対し、関西ではアメリカ製の60Hzの発電機を購入したという理由によるらしい。


細かなことを言うと、医療関係や登山関係ではドイツ系由来の用語(クランケとか、ザイルとか、リュックサックとか)が多いとかいうのも、文化流入時の経緯によるものだろう。


そういったことが文明開化という怒濤の社会変革時に積み重なり、日本は「(結果として英国風の)車は左側通行で、(フランス発祥の)メートル法を使用し、電力規格が(アメリカ流とドイツ流で)東西で違う」という、世界でもかなり珍しい部類に入る地域になった。


なんとも馬鹿馬鹿しい話だが、事業というものはいったん動き出してしまうと変更するのが難しい。

とにかく「自分だけは損をしないように」という視点でしか動かないというか、対応を考えない人間が大多数なので、この手の調整は難航する。


さて、こういった混乱を解決するのは何か?



もちろん、それは政治ではなく、テクノロジーの進化だ。


例えば自動車の通行区分については、かつて、沖縄が米国統治下から日本に沖縄県として復帰した時のように、ある日一気に右側通行から左側通行へ切り替えるといった過激なことをしなくても、自動運転の普及がかなりの問題を解決してくれるだろうと思える。


自動運転車ならレンタカーを借りた旅行者も困らない。

ウィンカーレバーがハンドルの右側についているか左側についているかで混乱することもない。

自分の車に乗ったまま英国から大陸側へフェリーで渡っても、AIが自動的にその地域の交通ルールに則って走らせてくれるだろう。


(さらに、「ブレードランナー」の世界並に、車が空を飛ぶようになってくれたら、路面交通のルールなど、さほど気にしなくて良くなるかもしれない。)


電力も、周波数の切り替えに自動対応する電源の普及で、50Hz機器か60Hz機器かを気にしなければいけないことは非常に少なくなったし、最近では小型の機器は「USB給電」がデファクトスタンダードとなりつつあり、世界中どこの地域に行っても、ACアダプターさえ用意すれば利用できるようになっている。


いずれは、ACアダプターにもAIが搭載されて、自分が差し込まれたコンセントの規格を自動的に検知し、電圧の変動具合(海外の家庭用電源は、非常に不安定な地域がまだまだ沢山ある)などを見ながら最適な給電をしてくれたり、急を要する機器から優先的に充電してくれたりもするようになるだろう。


つまり、仮に「規格の違い」自体は厳として存在し続けていたとしても、ほとんどのユーザーの目には、それは覆い隠されて見えなくなるから、気にしなくて良くなる、ということだ。


原則として一般消費者に向けたテクノロジーは『背後で何がどう動いているか』を見せない方向、意識させない方向に進んでいく。


それが、「仕組み」であっても「規格」であっても変わらないし(場合によっては「倫理」だったり「思想」だったりするかもしれないが)、規格など作り手がしっかり準拠していれば良いという話であって、利用者にとっては目的さえ達成できれば良いのである。


交通ルールも、電力システムも、携帯電話網の通信方式も、いずれ世界で統一されるときが来る(あるいは、システムはバラバラなままだが、利用者は全く気にしなくてすむときが来る)としたら、それは政治活動の成果ではなく、テクノロジーの発達がもたらす成果だろう。


世界中どこでもセットすれば動く。それが理想だ。


「規格」や「ルール」は、社会をスムーズに動かすために必須の概念ではあるが、どんな優秀なエンジニアでも未来社会の正確な予測はできないのだから、あらゆる規格は、将来的には「制約」というか「枷」にもなる可能性を秘めている。


技術発展による「パラダイムシフト」は、そうした『過去からの枷』を一掃するためにも、社会に必要な「事件」なのだと思う。


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< 私自身、初めて米国で車を運転していた頃、左折した後に無意識に反対車線に入り込んでヒヤッとした経験がある。>


< 現代では元英国連邦で左側通行だからといってヤード・ポンド法を使っていたりはしないが、アメリカ合衆国がヤード・ポンド法を使っているのは、元々が英国領だった時代の名残であることは事実だ。

もしも、イギリスとフランスが新大陸の覇権を争っていた時に、フランス側が勝利していたら、どんな「北米国家」が誕生していたのか興味深い。>


< 逆に言うと、現在のUSBを巡る混乱の原因もテクノロジーの不足にあるし、利用者が規格の内容を気にしなくてはいけないという時点で、USBは、まだまだテクノロジーとして未熟なものだとも言える。>

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