第173話 孤独

今日も、何も言い出せなかった。

そんな後悔の念が彼女の心を覆い尽くす。


榊原摩耶。名門榊原家の長女でありながら事実上の榊原家からの追放状態に陥り、今もなお彼女は関係修復の糸口が掴めていない。


彼女は物憂げに窓の外を見た。

今日は雲一つない日だったからか、夜空には文明社会の光にも負けることなく光を放って存在を示す恒星たちがいくつも見える。


自分もその中の一人だったら良かったのに。明るく輝き続けられるほど強ければ良かったのにと考える彼女。摩耶はシャワー上がりで湿っている自分の髪に手を当て、無意識の内にブラシで撫でる。


自分は今、どれくらい強くなったのだろうか。

榊原家ではただひたすらに強くあるべきだと教えられ続け、それ以外のことは二の次未満だと徹底的に叩き込まれた。だから摩耶も強くあろうとし続けた。


中学生の時点で光魔法を筆頭に多くの異能を操れるようになり、雅樹に次ぐ日本最高の才能だと謳われていた摩耶。だが宿敵関係に近い光城家の御曹司に次ぐ評価だったことに父は満足してくれなかった。それでも摩耶は父が怒るのは仕方がないと思っていたし、それについては今も彼女は何処か理解する部分もあった。


だがあの出来事を境に彼女の運命は変わってしまった。

忘れもしない合宿で彼女は謎の異能力者に出会い、そして雅樹もろとも完全敗北をすることになったのだ。

きっとあの時出会った異能力者は、その気になれば雅樹も摩耶も殺すことが出来ただろう。むしろ彼女は命が助かっただけでも幸運だったのが現実なのかもしれない。


しかし、父の龍璽はそう思ってくれなかった。

命が助かっただけでも良かった。龍璽があの時そう言ってくれていれば、摩耶と父の関係は今とは大きく異なるものになっていたかもしれない。

しかし父は摩耶を激しく叱責し彼女を強く叩いた。そして摩耶は弱い存在として榊原家から不要とみなされ、追い出されてしまったのだ。


そしてここに逃げ込み現在に至る。

そこで出会ったのは、今まで摩耶が知りもしなかった世界だった。


ここの店主をしているマキはミステリアスな女性で、不思議な科学実験をしたり変わった異能具をいくつも開発しているエンジニア兼科学者。

また異能力にも優れていて、摩耶のために異能力向上のためのプログラムを組んだりするなど、明らかに普通の人間ではない技術の数々を持っていた。


摩耶は内心、マキが元DHだったのではないかと思っているのだが、彼女の過去を聞くことはまだできていない。普段はフランクなマキだが、彼女の過去に関することだけは気安く聞けるような雰囲気がないと感じていたのだ。


そしてもう一人の住民、葉島直人。

彼のことも未だに摩耶は詳しく知ることが出来ていなかった。

唯一の手掛かりは彼が臥龍の弟子であるということだが、では何をきっかけに直人は臥龍と出会ったのか。臥龍に教えを請うた弟子の存在など今まで噂にも聞いたことがなかったのに。そんなことを摩耶は思う。


だが、彼のその力量は間違いなく一級品だった。

仁王子烈の青銅の騎士を攻略し、かつ異能を使わずに制圧するその力は本物だったし、少なくともその身体能力は摩耶が今まで知る誰よりも高いのではないか。そんなことを思う摩耶だったが、彼について知っていることはそれくらいだとも言えた。


彼との関係は言葉を交わすことも殆ど無く、あくまで住む場が近いだけの同居人。

食事を作ってくれることだけが唯一の接点で、食事の時も殆ど彼は話すことなく黙々と箸だけを動かして摩耶よりも早く食器を片付けて消えてしまう。

たまにマキと話していることはあるが、摩耶が近づくとすぐに口を閉ざしてしまう。直人とマキの接点も分からずしまいだ。


つまり直人のことを、摩耶は何も知らないのである。


だがそれでも彼女は、自分の居場所があるだけでも幸せだった。

本来居るべき場所に自分の安寧の居場所はない。本来なら路頭に迷うか、榊原家に無理やり連れ戻されて人の道を外れた地獄の日々を送るしかなかったのだから。


しかし、彼女は心のどこかでそれでも思っていた。

『自分はいつか父に娘として受け入れてもらえる』と。


父が今までの非道を詫びて、一から関係をやり直せる日が来る。

彼女は内心そうも思い続けていたのだ。


千沙に会い、榊原家の真の手札を見るその日までは。


家族にスペアはいない。

どんな状況下でも家族は唯一無二のものであると摩耶だけが思っていたのだろうか。


八木原千沙は、摩耶のスペアだった。

そして今まで表舞台に出てこなかった千沙が今回摩耶の前に現れ、そして摩耶にも千沙の存在を明かしたというのが何を意味するのか、摩耶は理解していた。


それは千沙をもう摩耶に隠す必要がなくなったということだ。

摩耶の代わりに千沙が榊原家の後継ぎになり、摩耶は用済みとなる残酷な末路。

そうなれば摩耶は捨てられ、今度こそ孤独の身となるだろう。


学校を卒業したところで、自分は何処に行けばいいのだろう。

もう自分を受け入れてくれる場所なんてどこにもないのに。従者や分家の繋がりで知り合う人間はいても、純粋な友情で繋がった友達なんて一人もいない。このバーの外を出れば、その先には頼みの綱も居ない底無しの孤独が待っている。

兄は死に、母は居場所も分からない。そんな状況で一体誰に頼ればいいのか。


ベッドの上で、何か熱いものが目にこみ上げてくる摩耶。

彼女は顔を伏せ、掛け布団で顔を覆う。


「助けて⋯⋯」


空腹のせいか、ポジティブな考えも湧いてこない。

このまま自分は影の中で消えていくようなそんな恐怖が摩耶を襲っていた。


と、その時だった。


「失礼します」


鍵を掛けていたはずの扉が突然開く。

同時に摩耶の部屋の中に豊潤な匂いが広がった。


「落ち込んでるみたいですね。何かあったんですか?」


そんなことを言いながら入って来たのは直人だった。

彼の両手には、作ったばかりの野菜炒めとチャーハンを足して二で割ったような、直人オリジナルの創作料理が乗った皿があった。

皿の上には食べやすいようにスプーンも置いてある。


「葉島⋯⋯くん?」


「俺が榊原さんと食事ついでにお話しをすることになりました。あとこれは、俺の部屋の冷蔵庫に入ってた余り物で作ったチャーハン」


余り物で作っただけにしては香りが良く、食べずとも美味なのが伝わってくるほどだ。最近は自分の焦げた料理ばかり食べていた摩耶は思わず唾を飲む。

摩耶はスプーンを持ち、そして一掬いすると口に入れた。


「⋯⋯美味しい!」


「ん、まあまあかな」


食べやすいように細かく刻まれた野菜と、しっかりと味付けされた肉と米が絶妙にマッチしていて、動かすスプーンが止まらない。

空いていた腹が満たされていくうちに、暫く忘れていた満足感を思いだしていく摩耶。気が付いたとき、彼女はチャーハンを口にしながら泣いていた。


「あれ、何で泣いてるんだろ⋯⋯」


「言いたいことがあるんでしょう? それを聞くために俺が来てるんですから」


スプーンを止め、摩耶をじっと見る直人。

普段はボンヤリしているはずの直人の目が、まるで心の奥底まで見透かすような鋭い目付きに変わっている。


「榊原さんの家の人から、また何か言われたとか?」


コクリと頷く摩耶。まるで直人の言葉に促されるように。

いつもならそんな問いをされたら硬直してしまうはずなのに、直人にそう言われると自然と体が動いてしまう。


「できれば、その詳細を話してほしいです」


「でも、葉島君に言って何とかなるような話じゃ⋯⋯」


だが、ここで直人の口調が少しだけ変わった。


「何とかなるとか、そんなのどうでもいいだろ。いつまでも溜め込んでないで、パンクしないように吐き出せって俺は言ってるんだ」


少しだけ声が低くなり、強制力を持たせるような直人の声。

直人といえば常に空気のようで存在感など殆ど見せない印象だった摩耶。だからこそ、強く詰め寄るような直人の姿勢に胸中で緊張の鼓動が高まる。


「言えよ。俺もマキさんも、摩耶が口を開くのをずっと待ってんだ」


その時初めて、直人は彼女のことを摩耶と名前で呼んだ。

そして同時にそれは彼女にとっても大きなことだった。

今まで彼女を呼ぶ人は皆、苗字か様を付けて呼ぶことが殆どで唯一名前で呼んでくれるのは家族くらいだった。そして家族は今、もう名前を呼んではくれない。


「私、私ね⋯⋯」


それに触発されるようにそこから摩耶の口は動いた。


それは自然に、口から零れるようにすらすらと流れ落ちる。

摩耶は直人に全てを話した。自分に今まで顔も知らなかった腹違いの妹がいたこと、榊原家はその妹に信頼を置いていて自分が捨てられそうな状況にいること、そして自分にもう居場所がないのではないかと思っていること⋯⋯


「もう何も分からないの⋯⋯私はこの先どうしたらいいのか分からない」


ここで摩耶は掛け布団で顔を覆う。

全てを話してそして今彼女を覆うのは、今まで自分の心を守っていた秘密と言う名の壁が失われたことによる恐怖と孤独の洪水だった。

もう気丈には振舞えない、それを摩耶は分かっていた。


「私、これからずっと一人ぼっちなんだ⋯⋯!!」


そして泣き始める摩耶。

長い時間耐え続け、そして押し殺し続けていただけにその反動も大きかった。

最初は毛布の中で押し殺していた声が、少しずつ大きくなっていく。


肩を震わせ、ひたすら涙を流す摩耶。

それを見る直人は、ここまで何も言わずに最後に皿に残ったチャーハンを平らげた。


「フォールナイトは、榊原さんの味方です」


すると直人は小さくそう言った。

彼は空になった皿にスプーンを置く。


「マキさん、コード・ワン、ブルース、あと俺。この四人に共通していることが何か分かりますか?」


そう話す直人の口調はいつもより柔らかい。

それは摩耶が精神的に疲れていることを知っているからか、はたまた別の何かか。

顔を伏せたまま首を横に振る摩耶。すると直人は言った。


「全員独りぼっちなんですよ。ある人は家族を失い、ある人は友を失い、またある人は家族に捨てられた過去があるんです」


顔を上げる摩耶。

泣いて赤く腫れた目からの視線が、直人に向けられている。


「フォールナイトの名の由来は、秋の夜。肌寒くなって少しずつ身も心も冷えていく心が一番冷たくなる時期⋯⋯」


直人は摩耶の目を見て言った。


「心に傷を抱えた人間たちが、傷を舐め合うようにして集まった場所。それがフォールナイト。だから俺たちは血は繋がってなくても家族みたいなものなんです」


そう語る直人の目は、どこか深い悲しみを湛えているように見えた。

しかし直人は、摩耶を真っすぐ見て続けた。


「でも、それはただ傷を舐め続けながら腐っていくということじゃない。過去に終止符を打って、次の道へ進むための大きな一歩にする。それがこのフォールナイトに込められた本当の意味。だからどんな過去があっても、ここにいるフォールナイトの住民たちは榊原さんを支えるでしょう」


思えば摩耶が父に連れ戻されそうになった時に、コード・ワンとブルースは彼女のことを助けてくれた。今まで彼らと摩耶との間に面識などなかったのに。


「俺も摩耶を支えます。榊原さんがこの問題に終止符を打てるその時まで」


直人は一瞬宙を彷徨わせる。

何を言ったらよいのかと悩んだのだろうか。すると彼は少し間を開けて言った。


「榊原さんは独りじゃない。俺はそう思ってます」


言い慣れないことを言ったからか、少し気恥ずかしい様子の直人。


「あり⋯⋯がとう」


するとそれを聞いた摩耶は再び泣き出した。

何故、あれ程泣いていたのに泣き止んだはずのまた摩耶が泣きだしたのだろうか。直人はそれがよく分からず半ば困惑気味だ。


「俺、何か嫌なこと言ったかな?」


「その⋯⋯嬉しくて⋯⋯」


「ハンカチあるけど、使う?」


マキが直人を摩耶の部屋に送る間際にポケットに突っ込んだハンカチを不器用に取り出す直人。マキはこうなることを分かってたのだろうか。


しんみりした空気の中、摩耶にハンカチを差し出す直人。

直人の手から、摩耶がハンカチを受け取ろうとした。

まさにその時だった。


「直人。その子誰?」


錯覚だろうか。冷たい風が吹きつけたような感覚が直人を襲った。


ヤバい。理屈ではなくただ純粋に直感として、直人の第六感がそう叫んだ。

ゆっくりと、声のした方へ目を向ける直人。

それに続いて摩耶も潤む目をそちらに向けた。


「その子といつから一緒にいたの?」


紫色の髪と、ビキビキと筋立つ拳を見た瞬間に直人はこれが非常にマズい状況だとすぐさに理解した。


「直人、私に内緒で彼女つくってたんだ」


目が大きすぎてまるで金環日食のようにカラーコンタクトレンズで隠してあるはずの金色の淵が見える紫の瞳。それは両目とも摩耶に向けられている。

そこには眠らせたはずのアニイが立っていた。

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