第164話 戻って来た力
ここはDH協会が所有する大型病院。
一般には解放されていない特殊病院で、DBによって負傷したDH達の治療を専門に行う病院だ。そして椿の病室には既に多くの見舞い品が山積みにされていた。
見舞いに来たのは椿が隊長を務める中村討伐隊のメンバーや、ゴールデン・ナンバーズの面々、その他直接面識のないDHたちなど、その数は暇がない。それは彼女がそれだけ多くの人望を集めていたが故だろう。
だがそんな見舞い品の山を圧倒する存在感を放ち、そして椿がここに運ばれてきてからずっと手放す気配がない物がある。
「本当にそれは臥龍さんの⋯⋯?」
「そうだよお兄ちゃん! 臥龍さんの刀!」
折れた黒い刀。ここに来た人間のほぼ全員、特にDH関係者が一目見た瞬間に驚きのあまりに目を大きく見開くほどのそれは、伝説のDH臥龍の刀だ。
特に見舞いに来たNO1こと羅刹は、それを見るや絶叫して一度病室を飛び出した。
彼女にとってはそれほど深いトラウマが刻まれた代物だったのだろう。
「でも椿はね、臥龍さんに会ったことは何も覚えてないの」
それは恐らく誰かが椿の記憶を改竄したからだ。
と面会に来たNO5が言っていたのを健吾は思い出す。
実は少し前に、健吾は椿の上官を名乗るNO5という人物に話をされていた。
『君の妹さんは、臥龍のことはおろか加藤理沙のことも覚えていない』
『加藤理沙⋯⋯?』
『君の妹の元教官で、先日亡くなった。恐らく記憶を改竄した人物は、今回の出来事が彼女にとって非常に大きな心の傷になると考えたのだろう』
これは健吾がNO5と会って話をした時の会話だ。
椿にこのことは一切伏せてある。
『俺たちは彼女がどんな人間なのかを今回の件で知った。責任感が強く、他人に対する思いやりと自己犠牲も厭わない精神力。困難な相手を前にしてもひるむことのない勇敢さ。間違いなく彼女は逸材だと確信した。だが⋯⋯』
そう語るNO5。だが、すぐに彼は首を横に振った。
『DHとは過酷な仕事だ。時には大を守るために小を切り捨てなければならない時がある。だが君の妹は、どちらも守ろうとしてしまう』
それはある種のジレンマだったのかもしれない。
そう語るNO5もまた、自分の発言が正しいという確信がないようだった。
『今回は臥龍の介入があったから助かったが、恐らく次はないだろう。君の妹さんはこれからも人を守るために自分を犠牲にし続けるだろうし、それに対する後悔も持たないかもしれない。だが、そんなDHが辿る未来はいつも同じだ』
健吾の背を、冷たい感覚が流れ落ちる。
無茶をし続け、自分を犠牲にし続けた末に待つ未来。NO5が言わんとしていることを、健吾は言外に理解した。
『率直に言おう。私は彼女がこれ以上DHの活動を続けることに否定的だ。それは彼女が力不足だからというわけではなく、”DHとして完璧すぎるために”いつか命を落としてしまう可能性が高いからだ』
椿は、自分を犠牲にすることに抵抗がない。
だから危機的状況にも飛び込んでしまうし、その結果傷を負ってもそれを後悔することもない。それは一種の英雄的思考であり、DHとしては理想的だ。
だがその結果として命を落としてしまえば、全てが水の泡だ。
『椿は⋯⋯昔からそういうところがあるんです』
すると健吾は話し始めた。
『椿は孤児で、僕の妹になった最初の頃はいつも『死にたい』って言ってたんです。暗くて自分の話もなかなかしてくれなくて、自傷行為をすることもありました』
それは健吾が初めて会った頃の話だった。
『僕もどうしたらいいか分からなくて、何度も話をしようして、でもダメでした。
椿は自分の両親の顔も知らないし、寂しくて仕方がなかったんだと思います。それにあの頃は僕もちょっと⋯⋯ある事情で普通じゃなかったです』
含みのある健吾の言葉に少しだけ眉を上げるNO5。
『とある不思議な力を持っていた影響で、昔の僕は今とは違いましたから⋯⋯』
それはかつて健吾が王の御前を持っていた時期の話だ。
だが彼はそれ以上詳しく話をすることはなかった。
その後少し間を開けて、健吾は言った。
『でも臥龍さんに会ってから、椿は変わったんです』
それは椿が今のような明るい椿になったきっかけの話。
『命を助けられて自分の目標になる人に出会えたのが自分を変えてくれたって椿は言ってました。確かにあれから椿は少しずつ自分のことを話すようになって、活発になったと思います。そしてDHの試験も受けて、気が付いたらDHに⋯⋯』
と、ここでNO5と健吾の元にNO4ことアリーシャが現れた。
『つまり、椿にとってDHとして働くことには大きな意味があるってことね?』
すると足を組んで近くの椅子に座るNO4。
それを聞いたNO5は、NO4を見て言った。
『まるでお前のようだな。昔はとんでもないワルだったが、DHとして働いたことがきっかけでマイルドなワルになったあたりが』
『言うじゃない。今のアタシはマリア様もビックリの聖人よ』
『聖人が仕事を定期的にすっぽかすとは思えんがな』
話の本筋とは全く関係ない所で火花をバチバチ散らし始めた両者。
だが少しして落ち着くと、NO5は健吾に対して言った。
『君の妹にとってDHとして働くことがそれほどに重要ならば、我々が無理やりDHとしての活動を辞めるように言えば、またかつてのようになってしまう可能性もある。だが私は一人のDHとして、彼女のこれ以上の無茶は容認出来ん』
元を辿れば、椿が重傷を負ったのも彼女の独断行動だ。
今回に関してはNO5らの働きかけもありそれを咎められることは無かったが、それもまた椿が幸運だったからに過ぎない。
『無理は承知だが、兄である君に一つ頼みたい。何とか妹にDHとしての活動を暫く控えるように説得してくれないか』
『控える、ですか?』
『辞めろとは言わない。だが、まだ中学生の彼女がこれ以上身を削って消耗していくのを看過することは好ましくないという私の判断だ。せめて、高校生の3年間は仕事のことを忘れて遊ぶのもいいのではないかと思う』
それを最後にNO5は何も言わなくなった。
これ以上の言葉はもしかしたらNO5も用意していなかったのかもしれない。
それから暫くしてから彼は仕事があるから本部に戻ると健吾に告げて席を立った。
『きっと、あの子の記憶を変えたのは臥龍だわ』
すると今度は健吾にNO4が口を開く。
『現場に残されていたスーツの残骸も間違いなく臥龍の物だったし、きっと臥龍はスーツを脱いだところを椿に見られたから記憶を消したのよ。間違いないわ』
するとNO5が居なくなったのをいいことに、煙草禁止の病院で一服やり始めるNO4。しかしよく見るとそれは、香りを楽しむだけの電子タバコのようだ。
『映像は残っていないんですか?』
『臥龍が現れるときはいつも周辺の監視カメラの映像が消されるのよ。昔からそう。だから今回もあの場所で何が起きたのかは分からないわ』
何者かによって周辺のカメラの映像は全て消されていた。
そのため臥龍が何と戦ったのか、そしてどんな戦いが繰り広げられたのかは状況から推察するしか分からないのである。
『そもそも何で臥龍は現れたのかしら。あの子が臥龍を呼んだの?』
『それは⋯⋯僕も分からないです』
『あそ』とだけ言ってタバコをポッケに仕舞うNO4。
『聞いておいてよ。もしかしたら、何か役に立ちそうだし』
役に立つ、というより何とか利用できないかという魂胆が透けて見える。
そしてNO4もNO5と同様にここを立ち去ることを決めたようだ。
『それじゃ、アタシも帰るわ。今日は仕事に行かないとマズいのよ』
そんなことを言って踵を返す彼女だったが、最後にこんなことをポツリと言った。
『臥龍があの子の記憶を消したのは正しかったわ。あんな小さい子が目の前で大切にしてた人が壊れていくのを見せられたんだもの。おかしくなっても仕方ないわよ』
そう語る彼女はいつものNO4とは違う、真剣な様子だった。
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健吾はまだ、心の整理がついていなかった。
椿にどう伝えればいいのだろうか。ストレートに「仕事を辞めろ」と言うのも違う気がする、でも長時間話したら意見がまとまらなくなるかもしれない。
何より彼は、それが原因でかつての暗鬱とした椿に戻ってしまうことを恐れていた。
「ねえお兄ちゃん。椿ね、一つ決めたことがあるんだ」
そんな中、椿の方から健吾に口を開いた。
臥龍の刀を大切そうに撫でながらそういう彼女に、これからDHを辞めろだなんてどうしたら言えるのか。健吾は悩む。
「あ、あの椿。お兄ちゃんも一つ椿に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
だが勇気を振り絞って椿に言う。
すると椿はきょとんとした顔で健吾を見つめた。
「でもまずは椿の決めたことを教えて欲しい」
椿の目を見た健吾は思わずそう続けてしまった。
先手必勝で言うと決めたのに、土壇場で日和ってしまったことを内心後悔しつつ話を続ける健吾。
「きっと椿は、もっと強くなるって覚悟を決めてるんだと思う」
「うん」
「だから、一番大事なのは椿が何をしたいかを知ることだと思うんだ」
「うんうん!」
「教えて欲しい。椿が決めたことって何?」
動く口と、心が一致していないような奇妙な感覚が走る。
これで椿に『DHとしてもっと頑張る!』とでも言われようものなら一体自分はその後どんな顔をして『DHを辞めろ』と言えばいいのか。
そんな激しい後悔を感じながら、その時を待つ健吾。
すると椿は言った。
ごく自然に、当たり前のことを言うように。
「椿ね、DH辞める」
思考が止まる。
今、椿は何といったのか。
辞める? 辞めるとは何を?
「記憶が無くなっても椿、分かるんだ。自分が今凄く疲れてるってこと。今の椿じゃどんなに頑張っても空回りして、人を助けるなんて無理だって分かるの」
椿はじっと腹部の傷を見つめていた。
「きっとこの傷もそのせいだよ。自分を守れないDHが人を守るって言っても、信用なんてしてもらえない。それに、いろんな人に迷惑かけちゃったから」
「椿⋯⋯」
「だからDHを辞める。辞めて、普通の女の子になってみる」
何故だろう、言葉が出てこない。
こんな時に何を言うべきなのかが分からない。先を越されてしまったことは問題ではなく、今の椿に何を言うのが正解なのかが分からなかった。
そして少し間が開く。
「つ、椿⋯⋯実は僕も⋯⋯」
だが意を決して健吾も口を開いた。
自分もそれに賛成だと、そう言うために。
だがその時だった。
「お兄ちゃん!」
そんな声の主は椿。
椿の声は先程とは違う。
まるで怖がっているような、そんな声。
「蛇がいる⋯⋯」
振り向く健吾。
健吾と椿以外には誰もいないはずの病室に、何かがいた。
「まさか、あれは⋯⋯」
直接見るのは健吾も初めてだった。
だが健吾はそれを見た時に懐かしい感覚を覚える。
そこには、真っ白に輝く大蛇がいた。
どこから現れたのか見当もつかないが、幻覚などではなく確かにそこにいる。
白く輝く大蛇には、鎖のようなものが巻き付いていた。まるでそれは大蛇の動きを無理矢理抑制するかのようである。
「王の御前⋯⋯!!」
のろのろと、ゆっくり健吾に近づく大蛇。
不思議と恐怖は感じなかった。それは目の前の大蛇が自分の所有物であることを本能のように感じていたからか。
チロチロと舌を見せ、健吾の足元に寄る大蛇。
その瞬間、大蛇は白く輝く光の球となって健吾の胸元に吸収された。
「戻ったの⋯⋯かな?」
光が消えていった自分の胸元をポンポンと叩く健吾。
「お兄ちゃんが、昔使ってたあの能力が⋯⋯」
だが、それを見る椿の表情はやや不安げだ。
それはかつて健吾がこの能力を使っていた時期のことを知っているからだろうか。
「あれ⋯⋯?」
だが何故なのだろう。
健吾は『あの時』とは感覚が明らかに違うことに気付いた。
健吾はかつての自分に思いを馳せた。
王の御前を意のままに操れたあの時の自分。だが、あの時の自分はまるで能力に飼われているかのようなそんな感覚だった。
「椿、力を使ってみてもいい?」
一瞬、椿の表情に恐怖の色が映る。
だが意を決して彼女は頷いた。
すると健吾は、見舞い品の山の中にあったチョコの板を見つける。
そして、その板に命じた。
『割れろ』
パキッ。
乾いた音と共に、板は見事に真っ二つに割れた。
思わず自分の手を見る健吾。それが自分自身の力だと確かめるように。
「戻った⋯⋯!」
しかし、何故かそれを心から喜ぶような感情は湧かなかった。
強大な力を取り戻した。もう自分は今までの弱小劣等生じゃない。自分に逆らう人間も、バカにする上級生も、この社会そのものにも対抗できる力を得たはずなのに。
「お兄ちゃん⋯⋯」
ふと、横にいる椿を見る。
その時の椿を健吾は一生忘れないだろう。
椿は、誰が見てもそれと分かるほどに怯えていた。
彼女は知っていた。かつて、この力を持っていた健吾がどうだったのかを。
そして健吾もまたかつてのそんな自分を激しく悔いていた。
健吾はギュッと拳を握り締める。
もう過去の過ちは繰り返さない。かつての能力に支配されていた過去を捨て、この力を正しい方向に向ける日が来たのだと健吾は知った。
「大丈夫だよ椿。もうあんなことはしない。絶対に繰り返さない」
そして椿の頭に手を置く健吾。
そこから伝わる健吾の手は、いつもと同じ健吾の暖かい手だった。
「この事は僕らだけの秘密にしよう。大丈夫、絶対に僕はこの力を正しいことに使って見せる。もう同じ過ちは繰り返さない、約束する」
健吾の顔を見る椿。彼の言葉に嘘偽りがないことを理解したようだ。
「約束だよ。いつまでも優しいお兄ちゃんでいてね⋯⋯」
そんなことを呟く椿は、ゆっくりと健吾に身をもたげる。
こうして、健吾は王の御前を取り戻した。
そして椿もまた新しい自分の道を進むこととなった。
そうして二人だけの時間が暫くの間流れる。
椿はリラックスして頭を健吾の肩元に預け、健吾は自分に戻って来た王の御前の感覚を思い出すかのように両手を無意識に擦っている。
と、ここで椿が突然言った。
「椿ね、DH辞めたら留学する」
「へ?」
「イギリスの学校から特待生の話が来たじゃん。あの話を受けてみよっかなって思ってるんだ」
ノースロンドン・ハンターカレッジ。
欧州最高のDH養成校で、多くの一流DHを排出している名門校。
椿はそこの特待生として勧誘を受けていた。
「でも、手続きとか入学試験とかあるんじゃ⋯⋯」
そんなことを口走る健吾に、椿は一通の封筒を見せた。
「お兄ちゃん、これ見て!」
封筒を開ける椿。すると中には羊皮紙の手紙が入っていた。
「椿に送ってきたの! ノースロンドン・ハンターカレッジの入学許可証!」
「入学許可証!? 送り主は?」
「分かんない。けど、間違いなく本物だって!」
しっかりと椿の名前も印字され、署名も入っている。
紛れもない本物の入学許可証だ。
「でも誰がそんなものを?」
「えっとね、封筒に"父からの招待状"って書いてある」
お互いに顔を見合わせる健吾と椿。
父とは果たして誰なのか。それは彼らが知るよしもない話であった。
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