第98話 補習授業 その2

「おう先公、まさかこの程度で終わりか?」


「カリキュラム自体はこれで終わりだねえ。しっかし、まさか本当に⋯⋯」


補習授業が始まって数日なのだが、今回の補講授業を担当している大吹にとっては予想外のことが起きていた。


「君い⋯⋯まさか、カリキュラムの殆どをたったの三日で終わらせるなんてねえ」


「本気になればこんなもんだぜ。ほら、プリントこれで全部だぜ」


そう言って大吹に電話帳並みの厚さのプリントの束を渡す。


本来三週間程かけて行うはずの授業課題を、その男はたったの三日で終わらせてきた。しかもそれだけではない、内容もビックリするくらいのクオリティである。


「君、寝てるのかい?」


「寝る? フザけんな先公、俺には寝る時間も惜しいんだよ」


どうやら補講期間が始まってからその男、仁王子烈が一睡もしていないという噂は本当だったらしい。一切集中を切らすことなく彼は課題を処理し続けていたのだ。


「で? この俺より早く課題終わらせたヤツはいんのか?」


分かりきってるぜ、とでも言うように大吹に言う烈。

そしてその予想に違わぬ答えを大吹は返した。


「君が最初だねえ。というより、他の子たちは普通のカリキュラムについていくだけでも精一杯みたいなんだけど⋯⋯」


へッ、と声を漏らして近くの教室を見る烈。

そこには真っ青な顔でティーチングロボットの授業についていかんと、ノートに書き込みを続ける他の生徒たちの姿があった。


「マトイの授業を受ける権利は頂いたぜ。じゃあさっさとマトイを教えろや」


上着のブレザーを脱いで、何時でもこいとばかりの烈。

かつてないほどの意欲を見せている烈に内心感心していた大吹ではあったが、とはいえ今すぐ体育館に行って教えるというわけにもいかない。


「まずはゆっくり休んでからだねえ。五大体術は心技体全てが正常じゃないと習得が遅れてしまうからね。保健室で休んできなよお」


「オイ待て先公、俺は疲れてねえ!」


「はーい、はいはい。寝よっかあ!!」


そう言って大吹は、無理やり烈を保健室に連れていく。

アドレナリンが出まくっている今の烈は疲れを感じていない。だが疲れが無いわけではなく、あくまで感じていないだけだ。実際は相応の疲労がある。


「今後のために教えておくよ。五大体術は疲れた状態で無理やり学ぼうとすればするほど習得が難しくなるんだ、だから自分の体のコンディションも整えないといけない。君は凄い才能があるけど、そこをしっかりしないと習得できないよお」


保健室に着くと、大吹はそこにあるベッドの一つに烈を寝かせる。

因みに無理やり寝かせるためか、一本背負いのようにしてベッドに投げ飛ばした。


「最初のマトイ習得のための課題は、日が沈むまでここで大人しく寝ていることだよお。脱走したらそこの監視ロボットが全部教えてくれるからねえ」


部屋の隅にある、小型監視ロボットのスイッチを入れる大吹。

まだ烈が何か言いたそうに口を開きかけたが、大吹はそれには一切耳を貸さずに扉を閉めた。


「ま、何だかんだでちゃんと寝ててくれるよ」


根拠は無いが、大吹はきっと烈なら大丈夫だろうという確信があった。

マトイ習得に何故あそこまで執着しているかは分からなかったが、彼の持つ天賦の才と類まれな身体能力にマトイが加わったらどうなるのか。純粋に大吹はそれが気になっていた。


それに、彼が烈に五大体術を早く教えたいと思っていた理由はもう一つある。


(五大体術は、魔力の成長が最も活発な高校生くらいの時期に教わるのが一番良いんだよねえ。実際に他所の学校さんでは教えているところもあるくらいだし⋯⋯)


そう心で呟く大吹。

だが実際の所、山宮学園ではそれが叶わない。


(理事さんがあの調子じゃねえ⋯⋯五大体術はもうDHなら習っていない方がおかしい技術になってきてるのに、それを認めたくないようだし)


率直に、大吹は山宮学園の教育方針に疑問を感じていた。

あらゆるパイプと、財力、何より圧倒的なネームバリューを武器に、日本中の才能を青田刈りし最高級の訓練器具を用いて育成しているのは事実だ。


だが五大体術だけは頑なに認めない。

加えてレベル1クラスに対する迫害的な対応と、それを学校が推奨する異常な環境。


実は大吹は、教員間のパイプを通じて話に聞いていた。


(山宮学園に入れなかった中学生が、他の高校で急激に力を付けてトップクラスに成り上がるケースが多々見られ始めているんだよねえ。今までは高校生ランキングの上位陣はほぼ全員山宮学園生だったけど⋯⋯)


それだけではない。

所謂山宮学園の『退学組』が、他の学校で力を付けるケースも起きている。

そして噂では、彼らの多くが五大体術を学んでいるという話だった。


「今度の教員会議で言わないとダメかもねえ⋯⋯」


山宮の指導方針は遅れていると。ハッキリ言わねばダメかもしれない。

今まで山宮が全国のDH予備生の憧れであったのは、指導方法がどうあれ確実に世代最強の超高校生級を輩出し続けていたからだ。だがこのままでは、他校にそのシェアを奪われる可能性がある。そうなれば、確実にこの学校は凋落するだろう。


(この学校は閉鎖的で、そして遅れている。それを今までは圧倒的な実績でねじ伏せてきたけど、そろそろ新しい空気を入れなきゃいけない時期になってきているのかもねえ⋯⋯)


そんなことを心で呟いた大吹。

だがここでふと、大吹は思った。


(もしかして、八重樫君が中村君を生徒会に入れることにこだわったのは⋯⋯)


彼はもう分かっていたのかもしれない。

山宮が古臭い校風になってきていることも、時代の波についていけなくなりつつあることも。


だから彼は、テコ入れを図ったのだろうか。

今までレベル5で固められていた最高組織にレベル1クラスの人間を入れるという、アンタッチャブルな劇薬を投入したのは、それが理由なのだろうか。


自分の力が及ぶうちに、猛批判を覚悟で環境を変える。

それがいかに勇気が必要で、困難な事だろうか。


(もしそうだったら⋯⋯敵わないねえ)


そんなことを思う大吹。

そんな彼は山宮学園の事務室の近くを通りかかる。


すると、そこに一人の女子生徒がいた。


(⋯⋯ん? あの子はもしかして)


大吹はその顔を知っていた。

何故なら、本来ここに居なければならない立場のはずの女子生徒だったからだ。


「君、ここで何をしてるんだい? 今からでも補講に来てもいいんだよ?」


それを聞いた途端、ビクリと体を震わせる彼女。

彼女の手には『退学届』と書かれた紙があった。


「長野ひかりさん。君にも補講の連絡は送ったはずだよ?」


その少女、長野ひかりは数か月ぶりに山宮学園を訪れていた。

だがそれは同時に、最後の訪問という意味でもある。


「もういいです。アタシ、この学校辞めます」


そう言う彼女は大吹の横を通り過ぎようとする。

その先には事務室がある。ここで書類を提出すれば、彼女の退学は決まったようなものだ。そして先に向かう彼女の足取りもまるで未練を感じない。


「⋯⋯君、今まで何してたの?」


だがここで、大吹が言った。


「君はお家が複雑な状況なんだよね? 僕は知ってるよ」


「だから、何ですか?」


そう返すひかり。

すると大吹は彼女に向かって振り返る。


「この数か月、君は何処にいたの?」


「家で⋯⋯」


だが、大吹は小さく首を振る。

それは彼女の言いかけた言葉が嘘だと見抜いたからだ。


「君は両親の家から抜け出したくてこの学校に来たんじゃないのかい? そんな君が、わざわざ家で閉じこもっているなんて、有り得ないよ」


大吹はゆっくりと、ひかりに歩み寄る。

退学届を持つひかりの手は少し震えていた。


「正直に言うんだ。君は、『誰の家で』過ごしていたんだい?」


誰の家で。大吹は確かにそう言った。

それは彼女が、自分の家ではない誰かの家に居ると確信したが故か。


「⋯⋯言えるわけない」


「言うんだ。僕は、君がそれを正直に言うまで何度だって言い続けるよ」


俯くひかり。

ギュッと退学届を握りしめる彼女。


「⋯⋯友達の家です」


「うん。じゃあ、『どうやって』友達になったの?」


大きく見開かれるひかりの目。

友達。そして、そうやって友達になったのか。


彼女の呼吸が荒くなってきた。それは激しい動揺故か。


「君の持つ催淫能力のことを僕は知っているよ。さあ正直に言うんだ」


いつも穏やかな大吹はずのの表情は、いつもと違う。

嘘は通じない。そう彼女に宣告するような威圧感がある。


そしてひかりは絞り出すように言った。


「能力を使って⋯⋯催淫した人の家にそのまま⋯⋯」


その瞬間だった。


パチーーン!!


大吹は、ひかりの頬にビンタを叩きこんだ。


「⋯⋯お互いに許されないことをしたね。僕も、君もさ」


生徒に対する明らかな体罰。明るみになれば停職ものだ。

だがそれでも、大吹はそれをした。


「未成年とはいえ無関係の人間を催淫して意のままに操るのは、立派な犯罪だよ。僕は君を管理する立場として、それを見逃すわけにはいかない」


未成年であれば、厳重注意程度で済むだろう。

だがもしこれが成人であれば、即警察に御用になるレベルの犯罪だ。


「君が複雑な家庭の生まれなのは知ってるし、だからこそ君にはここで力を付けて欲しいと僕は思ってる。けどね、長野さん⋯⋯」


すると大吹は、言った。


「ここから退学して、君は何処に行くんだい? 僕は君がこの先、一人の人間として真っ当な道を歩んでいけるようなビジョンが全く見えないよ?」


すると、苛立ちが籠った口調でひかりは言った。


「じゃあ、あの教室であの女とまた授業を受けろって言うの?」


「あの女⋯⋯?」


「若山夏美。皆が大好きな、若山夏美のことよ。頭も良くて、異能力の力もあって、無駄に可愛くてさ。皆あいつに夢中なんでしょ!?」


そう言うひかりだが、寧ろそれを聞いて困惑するのは大吹だ。

夏美に関する雪波からの報告では、『学業は優秀だが、今一つ周りと馴染む気配がない』という旨の内容だったが、ひかりの発言の内容は真逆だ。


「いーじゃん、だったらアイツだけでさ。アタシなんかいらないんでしょ!!」


そう言って事務室に駆け込もうとするひかり。

しかしここで、大吹は言った。


「だったら、君がもしこの補講を合格したなら⋯⋯」


そんな言葉の後に、大吹はこう言う。


「若山さんのクラス変更を職員会議で真剣に話し合ってみるよ。若山さんの成績はレベル5クラス相当だし、彼女のためにもそれがいいんじゃないかと思うしね」


ピタリと止まるひかりの足。


大吹の言葉は、決してひかりを引き留めるためのデマカセではない。

ただ純粋に、夏美がレベル1クラスに留まり続けることが適正なのかという疑問が大吹の中に生まれたのとそれを雪波と話し合わなければという考えが浮かんだからだ。


雪波は夏美がレベル5に行くことに反対していた。

その理由も大吹は概ね知っている。だがそれでも、夏美の力はレベル1クラスの範疇を逸脱していることに疑いはなかった。


「君は自分を冷遇し続けた両親に目にもの見せたくてこの学校に入ったんじゃないのかい? だったら、今ここから去ることは本当に正しいのかな?」


少し間を開けて、大吹はひかりに言う。


「無理強いはしない。けど、僕は君に踏ん張ってほしいと思っているよ」


そう言って踵を返す大吹。

彼は敢えて、無理やり引き留めることはしなかった。


ここから先の決断はひかり自身が行うことだ。

そこに大吹が介入する余地はない。


ただその場で、退学届を握りしめて立ち尽くしているひかり。

目の前には、事務室がある。そこにこれを出せば彼女は解放される。


夏美という悪夢からも、叶わない夢からも。

全てから解放される。


そして、ひかりが選んだ選択とは⋯⋯⋯

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