第82話 『遠い日の記録 その二』
時は直人たちの時代から100年以上昔の時代に遡る。
これは遠い日の記録。遥か昔にあったもう一つの物語。
「山田社長、お電話です」
秘書の一人が、そう言うのを聞いてその男は受話器を取る。
ここは高層ビルの一角に位置するオフィスだ。
その高層ビルは『スカイハイヒルズ』という名前で、何と高さは一キロにも及ぶ。
そしてそのオフィスは、まさに最上階、上空一キロの場所に位置していた。
「よう太郎。暫く見ないうちに大出世しやがって」
「その声は次郎さんですか? お久しぶりです」
「おかげさまで俺は失職中なんだがな。太郎はIT会社を立ち上げて大儲けしてるっていうのにさ」
「いつでも雇うって言っているじゃないですか。なのにいつも次郎さんが断るから⋯⋯」
「バカ言うな。だれがお前の下なんかで働くかよ」
冗談のような口調でそう電話越しに言う男の名前は佐藤次郎。
そしてオフィスで彼と話すのは、山田太郎だった。
あの不可解な出来事から十年が経過した。
かつては傭兵として共に働いていた山田太郎と佐藤次郎も、今は別々の道を歩んでいる。太郎はあの後、独自のネットサービスを軸としたIT企業を立ち上げて今では日本で三本の指に入る大企業へと変貌を遂げている。
そして佐藤次郎は、銀行警備員などを続けながら細々と生活していた。
だが、いずれもあまり長続きせず今も失職中なのである。
「俺のことは気にするな。それより太郎は覚えているか? 十年前のあのニュース」
「ええ⋯⋯絶対に忘れないです」
彼らが話しているのは、十年前の話。
太郎が今居るオフィスからそう離れていない場所を流れている川から、一人の水死体が発見された。
年は二十歳にも満たない女性で、死後そう時間は経っていないとの鑑識結果を、太郎は知り合いの警察官から聞いていた。
「死因は、結局解明できなかったそうですね。何が原因なのでしょうか?」
「知らねえ。詳しく知りたかったら八津志儀の所にでも行けよ。俺はあんな奴らのことは絶対に信用しないけどな」
十年前に、彼らはある女性の監視を頼まれていたのを彼らはしっかりと覚えている。
そして死んだのが、その女性であることも彼らは察していた。
それは、その遺体を実際に写真で確認した太郎の確信も合わせてのことである。
「それよりも、太郎。お前に一つ話しておきたいことがあるんだ」
ここで、次郎の声が電話越しに少し小さくなる。
次郎が声を小さくするときは、いつも真剣な話をする時だ。
「最近、民間人の消失事件が多発しているのは知ってるな?」
「ええ。社会問題どころか、国際問題ですよね」
実は今、国際的に非常に深刻な問題が起きていた。
それは人間の消失事件、それに加えて異形な謎の生物の発生である。
「治安維持軍と警察の幹部と最近会食しましたが、皆深刻に受け止めておられましたよ。何より、対策のしようがないそうです」
「煙みたいに人間が消えるだけでも大変なのに、銃火器が通用しない化物の登場ときたからな。お前は対策とかしてるのか?」
黒い霧の発生と、そこから生まれる謎の生物。
その生物に襲われた人間は、まるで霞の如く消えてしまうために行方不明になったら最後、その人間の安否も分からずじまいなのである。
世間では、黒い霧とそこから生まれる怪物の巣窟を、ダンジョンと呼び始めていた。また巣窟に住む化物のことをダンジョンビーストと呼ぶ人間も増えてきていた。
「出来ることなんて、むやみに一人で出歩かない位ですよ。それでも身を守れるのか分からないですけどね」
「だろ? 俺も似たようなものだな」
するとここで、オフィスのテレビにCMが映った。
チラリとテレビを横目に見る太郎。そこにはエンブレムの様なものと一緒にこんな言葉が並んでいた。
『DH協会、現在隊員募集中。ダンジョン・ビースト討伐のため、更なる人員確保にご協力をお願いします。異能力開発も我々が最先端です』
「おい、お前そんなCM見ていたらバカになるぞ」
電話越しに聞こえる次郎の声。
「異能力とか、ダンジョンビーストとか、中二病を拗らせた奴の戯言だろ。そんなCMを信用する奴の気が知れないぜ」
十年前から、DH協会を名乗る人たちが存在しているのは知っていた。
現にあの依頼を二人が受けた時に、負の瘴気を和らげるシールドを張っていたのはDH協会から派遣された人物だという噂も二人は聞いている。
しかし、彼らは最近まで殆ど話題にされることのなかった組織である。
だが異形の化物と黒い霧の問題が表面化してきたころから、DH協会はその存在を表に出すようになってきたのだ。
「でも次郎さん。僕らは十年前に異能力の様なものを体験しているじゃないですか」
すると、次郎は急に黙る。
だが暫くした後、ケッと舌打ちするような音と共に彼は口を開いた。
「あれは忘れてないけどな。でも、その異能力⋯みたいなのを使っていた子は死んじゃっただろ。忘れるわけないさ、あれは間違いなく『異能力』ってやつだった」
心を蝕む、悪夢の瘴気。
今でも彼らは時々夢に見るのだ。自分が忘れたかったトラウマを、心の中の沈んだヘドロを掻きだすかのように抉り出されるあの出来事を。
「でも、DH協会なんてインチキ野郎の集まりだろうが。アイツらが居て役に立ったことなんてあるか? ダンジョンビーストを倒したりできたのか?」
「最近はダンジョンビーストはDBと呼ばれているそうですが⋯⋯全くと言ってよいほど朗報は聞きませんね。それに、行方不明者も増える一方です」
「だろ? けど、コイツを見てくれよ」
すると受話器に設置されたプロジェクター機能から、何かが空中に投影される。
それは受話器の向こうの次郎の姿で、よく見ると彼は何かを持っていた。
「俺宛てに届いた招待状だ。お前の所にも届いてるんじゃないか?」
すると太郎は、オフィスの引き出しから一通の便箋を取り出した。
それは次郎が持っているものと全くの同一な物だった。
「僕の所にも届きましたよ、DH協会から届いた招待状ですね。僕らは協会で行われる選別なるものに招待されたようです。何を基準にして招待したのかは分かりませんが⋯⋯」
「俺はこれを便所でケツを拭くのに使ってやろうかと思ってるんだけどな。まさかお前は、これに行くつもりじゃないだろうな?」
そう語る次郎。どうやら彼にとっては紙屑も同然の代物のようだ。
だがしかし、太郎の返事は違った。
「いえ、僕は行くつもりです」
「嘘だろ!? お前はこんな奴らの言うことを⋯⋯」
そう言いかける次郎を、太郎は電話越しに遮る。
「僕らがこれを受け取ったのには必ず理由があるはずです。DHとは、ダンジョンハンターの略称。つまり彼らはDBの存在を、僕らが知る前から知っていたということになります。それこそ、僕らがあの依頼を受けた時から⋯⋯」
黒い霧から生まれるダンジョンに潜む魔物を、人はダンジョンビーストと呼び始めた。そしてDH協会とはダンジョンハンター協会、つまり『ダンジョンでハンティング』する者たちの集まる場所ということだ。
「それに、異能力というものにも興味があります。僕はビジネスマンですから。新しい情報を仕入れて分析するのは、なるべく早い方が良いですからね」
「あっそ」と、面白くなさそうに呟く次郎。
しかし、その後二人の間に何とも言えぬ沈黙が流れた。
「行かないんですか? 次郎さん?」
そういう太郎の言葉に渋い表情を浮かべる次郎。
だが暫くした後に、彼は言った。
「無職のクソッタレに予定も何もないしな。お前が行くっていうなら、行ってやってもいいぜ」
あくまで、太郎が行くからだと主張する次郎。
素直ではない様子を汲み取ってか、その様子を見て太郎も僅かに笑う。
するとその時だった。
「うん? おい、お前なにすんだ!!」
突然、プロジェクター越しの次郎の姿がブレる。
次の瞬間、一瞬だけ少年の姿が映し出されると映像が激しく乱れ始めた。
「ガキてめえ!! 俺の携帯返せ!!」
電話越しに聞こえる次郎の声。
時折映る少年の姿を考えるに、どうやら次郎は携帯をその少年にひったくられてしまったらしい。
「次郎さん!? ええと、これだ!!」
それを見た太郎は、手元にあったリモコンに特殊なコードを入力する。
実は次郎が使っている携帯も太郎の会社が開発したもので、遠隔操作で追跡も出来る。打ち込んだコードは、次郎の端末から追跡電波を自動で発させるものだった。
「次郎さん!! 替えの端末に切り替えてください!!」
するとすぐに、次郎の姿が再び現れた。
太郎が定期的にプロトタイプの端末を次郎に送っていたのが、幸いしたようだ。
「太郎。あのガキは何処に逃げたか分かるか?」
「すぐに分析して居場所を特定します。あと十秒もあれば⋯⋯」
と言い終わらないうちに、太郎のオフィスのデスクに周辺地図が映し出される。
人の動きも個人単位で映し出されており、調べようと思えば個人情報もそこから特定できるほどの精度を誇る、高精度のデジタル地図だ。
そして地図には一際大きい赤い点が動いている。これは次郎の端末の現在位置だ。
その動きを見るに、少年は何処かへと向かっているようだ。
「次郎さんの端末を奪った犯人は、地下へと向かっているみたいです。でも、僕のデスクなら地下に逃げても簡単に追跡できますよ」
「おおそうか。見つけたらボコボコにしてやる」
指をポキポキと鳴らす次郎は、早くも少年を血祭りにする気らしい。
だがしかし、ここで赤い点が急に不可解な動きをし始めた。
「あれ? 物凄い勢いで地下に潜っていくぞ? それにこの座標って⋯⋯」
地下に潜った少年は、突然異常なスピードで動き出した。
しかも、一直線に向かうその行き先には目ぼしい建物がないのにである。
地図上でその動きを追う太郎。
すると赤い点は、山岳地帯を目指していることが分かった。
「目指しているのは⋯⋯白楼山?」
「白楼山? あんなところ、フレアクリスタル以外は何もないだろ?」
「ええ。でも、そのフレアクリスタルが大事なんですよ」
フレアクリスタルとは、欠片程度でも莫大な熱を放出する不思議な結晶のことだ。
最近になって発掘されるようになった謎の結晶なのだが、その結晶によって生み出された熱エネルギーはあらゆる産業分野で重宝され、特に発電分野では拳大の結晶で火力発電所一つに匹敵することから非常に好まれている。
日本に限らず、世界的に見てもフレアクリスタルは稀な鉱石資源で、それが産出される白楼山周辺地区はそれだけで途轍もない富を得ているのである。
「クリスタル云々は関係ねえ。俺はガキを捕まえに行く!!」
「あ、ちょっと待ってください!!」
だが次郎は太郎の言葉を聞かずに、そのまま回線を切ってしまった。
喧嘩早い次郎のことだ。今頃白楼山目指して猛進しているのだろう。
「うーん、僕が指示を出さないと見つかる物も見つからないのになあ⋯⋯」
だがここで、太郎はふとDH協会から送られてきた便箋を見る。
そこには協会の本部の所在地が、記名されていた。
「そういえば、DH協会本部も白楼山の麓にあるんだったな」
DH協会の本部は白楼山の麓にあるのである。
次郎を助けに行くついでに、本部に言って話を聞くのも良いかもしれない。
「ちょっと、急用ができた。後のことはよろしく頼むよ」
太郎は立ち上がると、近くにいた秘書にそう言った。
椅子に掛けてあるコートを羽織ると、社長専用のマスターキーとポートブルデジタル地図が内蔵された端末を、太郎はコートのポケットに入れる。
「しかし、午後からは商談が⋯⋯」
「後日にしてもらうよう、あちらに頼んでおいてくれ。こっちの方が大事だ」
そう言って踵を返すと、太郎は部屋を出ようとする。
だがここで、忘れ物をしたことに気づいた太郎は一度足を止めた。
「おっといけない。これを持って行かなきゃね」
そう言って太郎は、DH協会からの便箋も一緒にコートのポケットに入れると、
そのまま部屋を立ち去った。
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