第78話 赤城原家の悲劇
極限まで研ぎ澄まされた集中力で、流れる周りの時間すら緩やかに感じられた。
翔太郎は体中にエネルギーを張り巡らせる。これは『マトイ』の神髄だ。
(僕はマトイの
しかし、その瞬間に翔太郎の表情が変わる。
信じられない程のスピードで目の前の直人が、翔太郎の前に現れたのだ。
そして、拳を握りしめると直人はパンチを放つ。
それを両手で顔を覆うようにガードする翔太郎。
しかしパンチが直撃した途端、骨に響くような衝撃が彼を襲った。
(何だ!? 腕がッ!!)
まるで無防備な状態で、金属バットで殴られたかのような衝撃。
腕の内部にジンワリと広がる鈍い痛みに、冷や汗が流れる。
このまま肉弾戦を続ければ間違いなく負ける。翔太郎は直感した。
(あり得ない!! マトイを極めた僕が肉弾戦で押されるなんて!!)
体こそ華奢だが、翔太郎は最高峰の戦闘スキルを持っている。
『マトイ』という、五大体術の一つを十二歳で極め、異能で後手を取らない限り彼が負けることはまずあり得ない。それは彼自身も理解していたはずの事実だ。
「どうした? 赤城原翔太郎」
まるで演武を見せるかの如く、滑らかな動きで直人は翔太郎の肩と腕を同時に小突く。パンチではなく、まるで軽く触れるかのような力感のない動きだ。
「グアアアアアアッッ!!??」
なのに、翔太郎の体を恐ろしい衝撃が襲う。
体内の臓器が悲鳴を上げ、脳が生命の危機をハザード信号と共に知らせる。
「マトイを極めた、などと軽々しく言うんじゃない。五大体術は高みに登れば登るほど限界が見えなくなる究極の『異能術』だ。俺から見れば君のマトイは、体をティッシュで覆って満足しているくらいにしか思えないがな」
文字通りの紙装甲であると、翔太郎を断じる直人。
その言葉を受け入れたくない翔太郎だが、現実はハッキリと事実を見せている。
「俺の全力を受ければ、君の体は爆発四散する。だが、本当に君がそれを望むのなら、俺は一切躊躇しない」
利き足を後ろに引き、蹴りの構えを見せる直人。
それは翔太郎の行動次第では、全力で彼を潰すという直人なりの
「僕は⋯⋯僕は⋯⋯」
プルプルと震える翔太郎の拳。
分かっている。彼には全て分かっている。
この僅か数手のやり取りだけで、現実を見せられた。
異能、マトイ、ハライ、全てのカードが目の前で燃やされたような錯覚を覚える。
中村椿と戦った時も、翔太郎は危機を感じた。
だがしかし、今の状況はそれの比ではない。
(次元が⋯⋯違う)
天から見下ろされるような、圧倒的な威圧感。
持ちうる限りの力を使っても、時間稼ぎにすらならないであろう恐怖。
すると、ここで直人は口を開いた。
「赤城原家。かつて三大名家の一角は赤城原だった」
ポツリと呟くように、直人が呟く。
戦いの中、唐突に話し出す直人は翔太郎を真正面から見つめている。
「およそ一世紀近く前、当時の赤城原家当主はある人物を配下に招き入れ、そしてその人物の積み上げた実績を評価した結果、その人物の一族を分家筆頭とした⋯⋯」
突然話し始めた直人が語るのは、赤城原家の辿ってきた歴史だ。
このことを知るのは本当に限られた人間のみ。
直人はマキを通じて、その話を聞いていた。
「その一族は後に苗字を変え、『榊原』を名乗ることになる。しかし、分家筆頭となった榊原家は、ある時を境に赤城原家に対して敵対するようになった⋯⋯」
間を少しだけ開ける直人。
ここから先は、話すことも憚られるほどのアンタッチャブルな内容だ。
「⋯⋯白楼山で起きた集団失踪事件で、榊原家の関係者が失踪するまではな」
それを聞いた翔太郎の呼吸が荒くなる。
早まる心臓の鼓動が、生々しく感じられた。
「榊原家はこの事件に関してより詳しく調査することを赤城原家に求めたが、赤城原はそれを認めなかった。何故なら、この事件の背後には三大名家の一角だった赤城原家すら関わることが憚られるほどの巨大な闇が潜んでいることを知っていたからだ」
ギュッと拳を握りしめる直人。
これは白楼山の失踪事件が調査することすら難しい案件になった原因でもある話だ。
「その結果、榊原家は赤城原家に公然と敵対するようになった。赤城原家が仲間を見殺しにしたと判断した榊原家は、本家の意向にも歯向かうようになり、赤城原家とその分家たちは、榊原家と本家赤城原家との間で分裂状態に陥った⋯⋯⋯」
そう、それが悲劇の始まり。
そして赤城原が凋落する理由となった全ての始まり。
「そして、赤城原家に悲劇が訪れた。赤城原家の分家筆頭だった榊原家がクーデターを起こし、赤城原家の当主を殺害して本家の座を奪い取ったのが全ての始まりだ」
それは、赤城原家の血塗られた歴史。
翔太郎が幾度となく両親から聞かされてきた悪夢の歴史。
「表向きは、持病の悪化による死となっているがそれは全くの嘘。赤城原家の当主は榊原家の者たちによって無惨に殺害され、そして彼らは赤城原家直系の子供たちまでをも纏めて殺害した⋯⋯」
ギリギリと歯を食いしばる翔太郎。
心の中に眠る激しい憎しみが再び目を覚ましつつあるのを感じていた。
「しかし、ごく一部の赤城原の血縁者は榊原家の激しい粛正の嵐を何とか生き延びることに成功し、実に半世紀以上表舞台に現れずに潜伏し続けた。その間、秘密裏に彼らの世話をし続けていたのが三大名家の一角である神宮寺家だったのだろう?」
翔太郎はそのことも知っていた。
自分たちの一族が、神宮寺家と密接な関係になったその始まりの話。
その結果、赤城原家と神宮寺家の結びつきは非常に強くなった。
かつては三大名家に名を連ねる間柄として敵対に近い関係だったが、榊原というある種共通の敵を見出したことで友好関係を築いたのである。
「その後、赤城原家が本家であった歴史は完全に抹消され、赤城原は名前だけが残る当主無き空白の一族となった。しかし、半世紀という長い時が経つにつれて赤城原の関係者は再び各方面に進出し始める。赤城原翔太郎、お前もその一人なんだろう?」
翔太郎の目は、完全に血走っている。
それは彼の中に秘める激しい憎悪ゆえのものか。
「その通りです。僕の一族は榊原家によって壊滅した!」
魔力を手に集中させる。
そして翔太郎は新たな異能を発動した。
「赤城原は榊原の分家筆頭だったなどという真っ赤な嘘が流布されているのは、僕らにとっては屈辱なんだよ!! 実際は全然違う! 僕らが
マトイがダメでも、翔太郎には異能がある。
出し惜しみはしない。最初から全力で向かうと彼は決めていた。
「
真っ黒い電撃が翔太郎の右手から放たれる。
だがこれを直人は、鼻先を掠めるくらいのギリギリのところで何とか躱した。
ズガン!!という音と爆発するような音が木霊する。
直人が振り返ると、黒稲妻が着弾した先にあった大木が跡形もなく吹き飛んでいる。
メラメラと炎上する木は、木の内部に至るまでボロボロに炭化していた。
「だから僕は榊原家を恨む。榊原の分家である櫟原家で、使用人として働くことになった時も、反吐が出るような思いだった!」
跳躍し、マトイを秘めた手で直人に連撃を浴びせる翔太郎。
内に秘める怒りが力を引き出したからか、その連撃のキレは直人の想像以上だった。
(⋯⋯コイツのポテンシャル。底知れないな)
人智を超えた動体視力で翔太郎の連撃を躱す直人は、心でそう呟く。
怒る翔太郎は攻撃を繰り出しながら、それでもなお話し続ける。
「でも困窮していた日々から脱するためにも、そして榊原の寝首を掻くためにも奴らの近くにいる方が都合がいい。櫟原家に居るのもそれだけの理由だ!」
翔太郎の連撃を躱し続ける直人。
だが直人から再度攻撃を返すことはしない。
「つまり、櫟原には何も恩はないということか?」
ここで直人が翔太郎に言った。
するとここで翔太郎の連撃が僅かにブレる。まるで彼自身の心の奥底に秘める何かが動揺したかのように、一瞬だけパンチにキレがなくなった。
「赤城原家の人間が、榊原の分家に属するなど普通はあり得ないはずだ。奴らだってそのリスクの大きさを理解できない程バカじゃない」
ここで翔太郎のパンチを再び右手で易々と受け止める直人。
続いて蹴りが飛ぶが、それを直人は左手でいとも容易くガードした。
「お前が榊原家を恨む気持ちは分かる。だが、君を受け入れてくれた櫟原家の当主に何一つ恩義を感じていないなら、お前はクズだ!」
ここで直人は返しの蹴りを翔太郎に浴びせた。
両手で足を踏ん張り、真正面からそれをガードする翔太郎。
「うわああああッ!!」
しかし直人は、ガードの上から翔太郎を吹き飛ばした。
ボキッ、という鈍い音と共に地面に倒れ伏すと両膝をつき、肩で息をする翔太郎。すると彼は直人に言い返す。
「お前に櫟原の何が分かる!! 今の当主は、榊原の当主と何も変わらない感情に支配されているだけのバカだ!!」
ガクガクと震える膝を抑える翔太郎。
焼けるような腕の痛みを堪え、そして再度両手の拳を握りしめる。
「僕を救ってくれたのは、前当主の進十郎様と現当主の息子である佑介様。そして、凜様だ!!」
翔太郎は両手を広げ、閃光弾を続けて放つ。
マシンガンのように放たれた閃光弾は、太陽の如き光で直人の目を眩ませる。
「僕は心に決めている。例え僕が榊原を乗っ取ったとしても、あの方々だけには手出しをしないでおこうと!」
それによって、生じた一瞬のスキを見逃さない翔太郎。
がら空きになった直人の懐に飛び込んだ。
「だが他の奴らは別だ!! 僕の先祖を虐殺した、他の悪魔共には制裁を下す!!」
右足を振り上げ、放たれた渾身の一撃が直人の下腹部に突き刺さる。
余りの威力に、直人の体は十メートルほど上空に舞い上がる。
「当然だろう? 死には死で報復しなければ、釣り合いが取れないじゃないか。僕は玉座を奪われた奴らの目の前で言ってやるのさ。『赤城原の復讐だ』とな!!」
そして翔太郎の右手に黒い電撃が纏われる。
極大のオーラの膨張と共に、無慈悲な電撃が放たれた。
「黒稲妻!!」
空中の直人を黒稲妻が貫く。
真っ黒な稲妻によって貫かれた直人の体は、一瞬不気味にカッと光る。
その瞬間、直人の体が炎に包まれて炎上した。
「そうだよ⋯⋯アイツらもいずれ皆こうなるのさ」
地面に墜落する直人の体はピクリとも動かない。
それを見て直人の死を確信した翔太郎はクルリと踵を返す。
だが、戦いは終わっていなかった。
「そして、いずれ赤城原を狙う新たな
ハッと振り返る翔太郎。
そして見たのは信じられない光景だ。
「⋯⋯⋯お前は化物か?」
意識したわけでもなく、そんな言葉が翔太郎から漏れる。
何と炎上している直人の体がゆらりと立ち上がったのだ。
「言っただろう。俺はマトイを君に到底理解できないようなレベルで極めていると」
大きく右手を掃う直人。
その瞬間、体を包んでいた炎が一瞬で消えた。
「憎しみの連鎖を加速させても、お互いに共倒れになるだけだ。赤城原翔太郎、お前の力はそんなことのために使っていいものじゃない」
煤けた制服に、少し乱れた髪型。
だが黒稲妻の一撃を真面に受けたはずの直人自身は無傷だった。
「奴らの所に居るのが嫌なら俺の所に来い。赤城原翔太郎」
「何を言って⋯⋯」
風を切る音と共に、翔太郎の背後に回り込む人影。
目にも止まらぬ速さで、直人が背後に回り込んでいた。
「榊原摩耶は俺たちが匿っている。俺についてくるなら『復讐』できるぞ?」
見開かれる翔太郎の目。
しかし、直人の言葉は続いた。
「だが、タダではやらせない。君が俺を倒すことが出来たなら、後は煮るなり焼くなり好きにすればいい」
翔太郎の頭を、直人は掴んだ。
その感触で翔太郎は全てを察する。
「戦いは終わった」と。
「お前がやりたいようにやればいい。目覚めてからな」
その瞬間、翔太郎の頭を直人は思いきり揺すった。
頭の中の脳漿が揺すられ、世界が猛烈に揺らめいて見える。
翔太郎は遠ざかる意識を感じながら、ある一つの事実だけを受け止めた。
(負けた⋯⋯のか)
これ以上出し尽くせない程のベストを出し、そしてことごとく跳ね返された。
そして翔太郎は分かっていた。直人は本気の欠片も見せていないということを。
(葉島直人⋯⋯お前は一体⋯⋯)
そして翔太郎は倒れ、気を失った。
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