第57話 朝の目覚め

暗い部屋の中、一人の少年が目を覚ます。


深夜にやっとのことで部屋まで帰ってきたその少年こと葉島直人は、制服を脱ぐこともなくそのままベッドに寝てしまった。彼がいるのはバーの横に隣接された簡易的な宿舎で、ベッドは少しかび臭い。


バスルームは最近になって改築したのだが、その改築料にただでさえ少ないバーの売上の殆どを持っていかれたために、最近は金欠だ。とはいえ、疲れて帰ってきた所に広いバスルームが待ってくれているのは直人自身は有難いと感じていた。


部屋には最早いつの時代の物かも分からないような、超骨董品レベルのガスコンロが置いてある。起きて早々に直人はフライパンを棚から引っ張り出すと、冷蔵庫からハムと卵を取り出し、そして型落ちのトースターに食パンを放り込む。


「オッス、おはようさん。今日はいつもより遅いじゃないかい」


「マキさん⋯⋯珍しく起きるの早いですね」


すると卵とハムの焼ける音を聞きつけてか、マキが直人の部屋にやってきた。

彼女の手には、赤色の体に悪そうな色をした液体が入ったコップがある。


「もうそれ飲むのやめてくださいよ。いくら万能栄養ドリンクだって、そんなの飲んでたら体おかしくなりますから」


「大丈夫だって。もう五年もこれだけで生活してるのに風邪すらひかないからねえ」


マキが持ってるのは、彼女自身が五年前に開発した自称万能栄養ドリンクで、実はマキは栄養補給の全てをこのドリンクだけに任せて五年間生活し続けている。

因みに味はイチゴ味で、彼女曰く「これさえあれば食糧問題は解決する」と言えるレベルの代物らしいが、直人は絶対に飲まないと決めていた。


手早くハムエッグを作ると、皿に焼きあがったトーストを放る直人。

バーのカウンターから取ってきたオレンジジュースをコップに注ぐと、直人は朽ちかけの椅子に座って軽く手を合わせる。


「そのドリンクを見るたびにちゃんとした食事が出来る自分が誇らしくなりますよ」


若干意地悪気にそんなことをいう直人など何処吹く風とばかりに、マキは赤い液体を豪快にラッパ飲みすると、流しにコップを置いた。


「今日は休みなんだろ? 折角だからいろいろ手伝っておくれよ、試したい異能術式とか、直人君に試し斬りしてほしいDBロボとかいっぱいあるんだからさ」


今日は合宿から帰ってきてから初めての休日だ。

普通の学校であれば部活動などで学校に行くこともあるのだろうが、山宮学園では生徒会を除くと、基本的には自主的な実習を除けば休日登校することはない。


山宮学園には部活動というものはなく、スポーツなどを楽しむならどこかしらのスポーツクラブに個人で所属したりするのが当たり前だ。そのため、人によってはプロも視野に入れたユースチームに所属している人も山宮学園には多くいるのである。


「そうですね⋯⋯ちょっと体を動かしておきましょうか」


ものの一瞬でハムエッグとトーストを胃袋に納めると、直人は立ち上がる。

制服を洗濯籠に放り込むと、シャツとズボンの姿で直人はバスルームへと向かった。

体を動かすにも、最低限前日の汚れくらいは落としておこうと思ったのだ。


「んじゃ、アタシは⋯⋯おっと表に誰か来たようだね」


すると表のドアの呼び鈴が鳴る音がした。

今日は休日のため、バーも夜のみの営業だ。こんな早朝から来る客も珍しい。


「全く⋯⋯表の営業時間の札ももう少し大きくしようかねえ。じゃあ直人君はゆっくり汗を流してきなよ、アタシは表のアホを追い返してから準備するからさ」


そういって店のカウンターへと出て行くマキを見送ると、直人はバスルームへと入る。シャツとズボンを脱ぎ捨てて、自動洗濯機に入れると中に入った。


改築したバスルームは超が付くほど快適だ。

シャワーは四方二メートルを自由自在に水量を調節できる広範囲なシャワーになっており、頭や体だけでなく体全体を包み込むように洗うことが出来る。


ボディーソープやシャンプーもオートコントロールで散布してくれる上に、マジックアーマーで優しく頭を洗ってくれる特殊機能も付いてはいるが、直人自身は自分の手で毎回体を洗っている。因みにマキは毎回マジックアーマーを使っているらしい。


そして最大の目玉である大浴場は、二人しかいないにもかかわらず100㎡というとんでもないデカさになっていた。「こんなに大きくする必要ないでしょ」という直人の意見はマキの「お黙り」という一言で揉み消され、結果的にジャグジーと自動ライトアップ機能、アロマ効果のある芳香剤にリラックス効果のあるBGM付の、あり得ないほどゴージャスな浴槽が完成してしまった。


「⋯⋯銭湯でもやった方が儲かるでしょ」


そんな直人の呟きは、浴場に流れるBGMにかき消される。

とはいえ直人自身も浴槽の快適さそのものには満足していた。


シャワーを浴び終え、直人は浴槽へと入る。

スペースを持て余したからか、軽く泳ぎながら直人は物思いに耽るが、ここでふと天井に設置されていた鏡に自分の姿が映るのが見えた。


それは言うなら、ガチガチに磨き上げられた肉体と言ったところか。

体脂肪は常に5%前後でキープされ、太ももからハムストリング、尻周りに至るまで下半身は頑強に鍛えられている。また上半身も凄まじく、腕周りこそしなやかだが体幹部分は8パックの腹筋が浮き上がり、背中周りはボコボコに隆起している。


だがそうなるのも仕方がないと、自分自身で考える直人。

異能に頼るのではなく、究極的な意味での肉弾戦及び白刃戦で相手を叩きのめすのを得意とする直人からすれば、これくらいの肉体はむしろ当然なのだ。


実に十分ほど、軽く遊泳した直人は浴槽を出る。

浴場の自動洗浄機能をオンにすると、直人はバスタオルを手に取って体の水分を丁寧に取っていく。すると自動乾燥機能でブロワーから温風が吹きつけられたが、鬱陶しいと感じたのか直人はその機能をすぐにオフにした。


そして予め用意していた私服を着る直人。

半袖でも良いくらいの気温ではあったが、彼は敢えて厚着をした。

その理由は、自分の体から余計な不信感や警戒心を与えないためだ。いつも直人は二枚以上の上着を着ているが、それくらい着れば自分のガタイは隠れるのである。


「⋯⋯調整、か」


身体能力だけなら、今の時点でも既に仕上がっている。

だが彼のポテンシャルを本気で引き出すのなら、ここから更に『仕上げる』必要があることは彼自身理解していた。


浴槽を出ると、廊下に何かが置かれている。

それはピカピカに磨き上げられた黒い黒刀と鞘だ。


「⋯⋯辛いんだよなあ」


そんなことを言いながら、刀を持つ直人。


軽々と手に持つ直人だが、実はこの刀は40キロもある。

だが直人は鞘に刀を収めると、試し斬るように軽く居合を放った。


常人なら一瞬で手首が捻じ曲がってしまうような所業だが、抜き放たれた刀の刃先はまるでブレていない。直人の体幹と手首がどれほど強靭かが良く分かる。


「ダメだ」


あっさりと、呟くようにそう言う直人。

クルクルと刀を回すと、鞘に納めて直人は刀を床に置く。


今の居合は、直人にとっては評価に値しないほどの出来だったようだ。

「あーあ」とぼやきながら階段を上がっていく直人。体を洗い終えたことをマキに報告すべく、直人はバーのカウンターへと向かった。


「よっ、丁度いいタイミングで来たねえ」


するとマキがコップを片手にこちらを見て言った。

見るとカウンターには誰かがいる。


「追い返そうかと思ったんだけどね、ちょっとやめといたよ」


水道水をコップに注いで、カウンターにトンと置く。

何処で見つけたのか、カウンターにはケーキも置いてあった。


「本当なら紅茶がいいんだろうけど、贅沢は言わんでくれよ。臨時営業なんだからさ」


そんなことを言うマキだったが、当の直人はその目の前にいる人物を知っていた。

むしろ表情が余り表に出ない直人にしては珍しく、かなり驚いた様子だ。


「驚いたかい? まあアタシも驚いたよ、だって今まで生きてきて見たことないからねえ、『ここに泊まらせてください』なんて言ってきた人なんてさ」


その言葉を聞いて更に驚く直人。

そんな理由でこんなボロボロの場所に、それもよりにもよって彼女がまたやって来るとは直人でも予想することは困難だった。


服は長袖の白いカーディガンに丈の長いスカートを履き、長い黒髪がコントラストで映えているが、彼女本来の強気なオーラが今日は全く感じられない。

目からは光が失われ、美しい横顔に暗い影を落としている。


「ま、いろいろあったからね。まずは温かく迎えてあげようじゃないか」


すると直人の方を向くその人物。

それは前に会った時より、若干痩せているように見えた。


「⋯⋯ここしか頼れそうな場所がなかったんです」


小さな声でそう言うのを聞いて、「おおよしよし⋯⋯」と、マキが彼女の頭を撫でている様子は途轍もなく異様に思えた。


それ故に直人は、その人物に向けて聞き返す。


「ええと⋯⋯榊原さん、だよね?」


コクリと頷く。


誇り高き3大名家の一角、榊原家の長女にして舞姫の異名を持つ少女、榊原摩耶がそこにいた。


「家を追いだされちゃったみたいでね。まあ、落ち着くまでゆっくりすればいいさ」


そういうマキに対して、ゆっくりと頭を下げて礼をする摩耶。

だがコップを片手に遠くを見つめる彼女の目からは、大粒の涙が流れ落ちていた。

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