第55話 無謀

バスを降りる3人の人影。

バス停に降り立った頃には、既に深夜の1時を大きく過ぎていた。


「⋯⋯妹いたんだ」


小さくそう言うのは、直人だ。

その横には真っ青で今にも倒れそうな健吾が、直人に支えられる形で立っている。

すると暫くしてから、バス停の近くにあった自動販売機から少女が水を持ってやって来た。


「お兄ちゃん⋯⋯ほらお水だよ」


医療用のエナジー成分を配合した飲料水だ。敢えて普通の水ではなく、そのタイプの水を持ってきたのはその少女の配慮だったのかもしれない。

そう思いたくなるほどに、今の健吾は憔悴していた。


近くのベンチに座って、静かに口に水を含む健吾。

暫くしてボトルの半分ほどの水を飲み終えたところで、彼はボトルから口を離した。


「支えてくれてありがとう葉島君⋯⋯椿もありがとう」


そう言う健吾は、直人の方を見ると軽く頷きながら言った。


「ここにいるのは、中村なかむら椿つばき。僕の妹だ」


すると椿と呼ばれた少女は、「椿です」と言ってぺこりとお辞儀する。

つられるようにして直人も、「葉島直人」とぼそりと言ってお辞儀した。

それを見た健吾は続けて、椿を見ながら言う。


「仕事は終わったの? 今日は随分遅かったね」


「うん。本当はもう少し早く帰れたはずなんだけど⋯⋯交代のハンターさんが急に来れなくなっちゃって、残業しちゃった」


見たところ椿は、高校生にもなっていない。

学生服ではなく、DHの正装である真っ黒なスーツに白いシャツを下に着ている服装はある意味ミスマッチではあったが、それが彼女の持つ特異性も表している。

身長は140センチくらいで小柄だが、直人はその小さな体に似合わぬほどの魔力が彼女の体から放出されているのを感じ取っていた。


すると健吾は、直人に向かって言う。


「椿は僕と違って、天才的な実力を持っているよ。もうDHとして活躍していて、「中村討伐隊」っていう隊のトップも任されてるんだ⋯自慢の妹だよ」


そう言って自虐的な笑みを浮かべる健吾。

明らかに心が疲れているようで、声にも全く力がない。


「それに⋯⋯最近は「例の話」も進展してるんだろ?」


ポツリとそんなことを言う健吾。

だがしかし、それを聞いた椿はブンブンと激しく首を振る。


「そんなことない!! 椿はずっとお兄ちゃんと一緒だもん!!」


「そう⋯⋯そうか」


二人だけの会話であろうことから、言っていることの真意を今一つ掴みかねてる直人。恐らく、家族間での彼らしか知らない事情のことなのだろう。


ここで直人は、バスの中で起きたことを再度思い返してみる。

正直、人間関係に疎い直人でも今クラス間で起きていることが、相当に厄介なことであるのは簡単に理解することが出来た。


あの後ひかりと夏美は、バスが停車するまでの間取っ組み合いをし続け、それを修太、新、健吾、それに腕を軽く引っ張る程度ではあったが直人が制する形だった。

そして結果的にその後もうここには居たくないとばかりにひかりは、真理子が止めるのも聞かずにバスを飛び出していった。


彼女が飛び出していった後もお通夜ムードは続き、新、修太、真理子の順に家の最寄りのバス停を降りていき、最後に夏美と椿の部下2人を残して、3人が降りた。


「クラスは、これからどうなるんだろう」


そんなことを言う直人。

足並みはバラバラ、しかも唯一真面だった7人の間でも大きなしこりが残った。

特に夏美とひかりの間の溝は、修復が不可能に思えるほど深い。


何も言わない健吾。もういっそ考えたくないのかもしれない。

するとここで、椿が今度は直人に尋ねる。


「直人さんはレベル1クラスの人なんですか?」


そう尋ねる彼女に、直人は軽く頷いて応える。しかしそれを聞いた椿は、少しだけ首を傾けた。どうも何かが腑に落ちないと言った様子だ。


「えっと⋯⋯何か格闘技とかやってたんですか?」


「えっ?」と健吾が呟いて椿を見る。

直人の頭からつま先を食い入るように見ながら、椿は言った。


「一見ただ立っているようなのに、全く隙が無いんです。こんな感覚を感じたのは、『NO1』さんに会った時以来かな⋯⋯」


「NO1?」


聞き慣れない言葉に、健吾がそう聞き返す。

すると椿は言葉を続けた。


「NO1さんって、日本で一番強いDHなの。『羅刹』っていう二つ名も持っていて、多分、今の日本人で唯一海外の超一流ハンターさんたちと戦える人かもしれない。でも本名は椿も知らないんだ。ゴールデンナンバーズって言われていて、強い人たちは皆コードネームで名前を呼ばれているから⋯⋯」


へえ⋯⋯と言葉を漏らす健吾と、何も言わない直人。

直人にとってはそんなことなど説明されずとも分かり切っていた話だった。


そして同時に思う。この少女の実力は本物だと。

恐らく元から非凡な戦闘センスを持っているのだろうが、それを更にワンランク上の物にするだけの経験を椿は積んでいるのだろう。人の佇まいだけで実力の片鱗を感じ取る第六感の鋭敏さは、直人をもしても賞賛に値するレベルだ。


しかしここで、椿はふと周りを見回すと声のトーンを落とす。


「本当は教えちゃダメなんだけど、特別にお兄ちゃんには教えてあげる。直人さんにも⋯⋯言っても問題ないよね」


「言っても問題ないって⋯⋯俺口軽いよ?」


どうやら、機密情報に近い情報を言おうとしているらしい。

直人のそんな軽口に、椿は口元で人差し指を立てる。


絶対に言うな、という意味のようだ。

すると椿は二人に近づくと、ヒソヒソ声で言った。


「最近、S級DBが現れたらしいの。名前は分からないんだけど、噂では『ダイナ』って言われてるみたい」


「ええっ!!」と驚きの表情を見せる健吾と、驚く「素振り」を見せる直人。

直人は内心、「もう漏れたのかよ」という心持であった。


二人の反応が良かったせいか、気を良くした椿が更に加えて口を開く。


「それでね、今度ゴールデンナンバーズが総出でそのS級を討伐する予定を立ててるみたいなんだけど⋯⋯その偵察に椿が選ばれたの!!」


そう言ってイエーイ!とピースサインを出す椿。

だが今一つ偵察の意味が分かっていない様子の健吾を見たのか、椿が詳細を話し始めた。


「S級DBは秘境の奥地に潜伏していて、詳しい居場所が把握できていないらしいの。だから椿がS級の居場所を皆に知らせて、その後皆で⋯⋯」


目の前の何かを殴るような仕草を見せる椿。

どうやら、ボコボコにするというニュアンスの意味らしい。


つまり椿の任務はS級の居場所の特定ということだ。


「で、でも大丈夫なの!? S級って今までほぼ誰も撃破できていない化物なんじゃ⋯⋯下手したら殺されるかも!」


妹が得た思わぬ仕事に、不安を隠せない様子の健吾。

幾ら彼女が実力者と言えど、今回ばかりは心配で仕方ないようである。

すると椿は、少し口先を尖らせながら言う。


「なあにお兄ちゃん? 椿が失敗するかもって思ってる?」


「そ、そんな訳じゃないけど⋯⋯」


すると椿は、胸元から何かを取り出した。

見たところ刃渡10センチもないくらいの黒いナイフのようなものだ。


「椿⋯⋯それって⋯⋯」


健吾はそのナイフに見覚えがあるようだ。

椿は大事そうにそれを胸元に抱える。


それを見る直人の目は、普段より大きく見開かれていた。


「椿の大事なお守りだもん。臥龍さんから貰った大事な宝物⋯⋯」


胸元のポケットにナイフを再度収める椿。

彼女の目は先程とは変わって、決意に満ちていた。


「伝説のDH、あのS級DBを二体も単独で討伐している臥龍さんに椿が追いつくためには、これくらいできなきゃダメなんだもん⋯⋯」


するとここで、誰かが椿の肩を叩いた。

彼女が振り返ると、そこには直人がいる。

だが椿を見る直人の表情は明らかに今までのものとは違う。


「直人さんも言っちゃダメですよ。これ他の人に言ったのがバレたらマズいんですから⋯⋯」


と、その時だった。


「絶対に、殺される」


直人は静かにそう言った。


「⋯⋯えっ?」


「S級を舐めるな。あれは、今の君が戦っていい相手じゃない」


椿の肩を持つ直人の手の力は徐々に強くなっていく。

直人の目は、一切の冗談気を感じさせない本気の目だ。


「直人⋯⋯さん!?」


「ゴールデンナンバーズだってS級には勝てない。上の連中に会ったらこう言うんだ、『今すぐ計画を白紙にして撤退しろ』と。余計な犠牲者を出すだけだ!」


だがここで、横から何者かの手が直人の手を掴む。


「葉島君⋯⋯何を言ってるのかは分からないけど、僕の妹が痛がってるんだ。だから、そんなに強い力で掴むのは止めてくれ」


それは健吾だった。

健吾の声に引き戻されるように、直人は彼女から手を離す。


「葉島君が言ってたことは分からないし、僕からは何も詳しいことは言えないけど⋯⋯僕はただ、椿が無事に帰ってきてくれさえすればそれでいいよ」


手に持つアンナから貰った紙を乱雑にポケットに突っ込むと、健吾は歩き出した。見ると直人が泊まっているバーと彼らの行先は、目の前の道で分かれているようだ。


「葉島君にはこんな遅くまで付き合って貰って申し訳なかったよ。クラスのことは、僕が必ず何とかするから安心して⋯⋯」


だが健吾の足がここでガクリと傾く。

慌てて横の椿が健吾を支えるが、もう疲労の色は隠せない。


「⋯⋯あと、代理補佐の件も。君の分も僕が頑張って⋯⋯」


「お兄ちゃん!! もう無理しないで帰ろ!!」


最早、健吾の言葉は夢見心地に聞こえるほどに安定しない。

すると椿が直人に向かってお辞儀する。


「今日はお兄ちゃんがお世話になりました。後は椿がお兄ちゃんを送るから心配しないでください。それと⋯⋯」


ここで一度、言葉の間を開ける椿。

直人を見る椿の目は、何か言うことを躊躇しているようにも見える。


「いえ、何でもないです⋯⋯それじゃ」


そう言って椿は、健吾を半ば引きずるようにして道を歩いていく。

そして直人は、彼らが曲がり角を過ぎて見えなくなるまでそれを見送った。


暫くした後、直人はバーに向かう道を歩き始める。

今日一日は、余りにも多くのことがあり過ぎた。学校では代理補佐という役職を用意され、ひかりと夏美は乱闘し、そして健吾は精根尽き果てた。


そしてクラスは今、大量退学者を出す瀬戸際まで来ているのも判明した。


だがしかし、今の直人にとってそんなことはどうでも良いことだった。

全ては先程であった椿という少女から聞き出したあの言葉。


『S級を討伐する予定』


S級と称されるDBがあの黒マントによって生み出された怪物、『ダイナ』であることは間違いない。一度は仕留めたはずのあのA級恐竜型DBが、それを凌ぐ怪物の力で復活し、そして正真正銘の化物へと変貌を遂げた。


それを彼らは倒そうとしている。それがどれ程無謀であるかも知らずに。


「⋯⋯死ぬぞ、椿」


胸元から何かを取り出す直人。

それは彼女が持っていた黒いナイフと全くの瓜二つな物だった。

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