第30話 王の帰還

森の暗闇の中で、一人の男が立っているのを二人は見た。

遠くからは人の叫ぶような声と、大きな獣のようなものが蠢いているのが肉眼でも捉えられたが、その二人は一切動じることなく歩みを進める。


暗闇の中で立つ男は顔を仮面で隠しており、その顔を拝むことは出来ない。

加えて声も特殊な変声機で変えており、生の声は聞けない状態だ。


『はるばる遠い所を来て頂き、光栄です』


その男は中肉中背で、服はごく普通の私服だ。

電子音交じりのバリトンボイスに変性された声は、奥深い森の奥深くまで響いていきそうだ。無論、周りに3人以外の一般人がいないことは分かりきっていたが。


「ランデブーポイントをここに設定したのには、何か意図があるのですかな? まるで今回の事件がここで引き起こされるのを分かっていたかのように思えますが」


『旧第一研究所を資料を漁ったところ、大変興味深い事実が分かりまして。しかし、そこから先はいくら貴方方といえど、おいそれと喋るわけにはいかない内容ですので過度な質問は止めて頂きましょうか』


そういう男の前に立つのは二人のスーツに身を固めた人物。

筋骨隆々の大男と、金髪の美女。いずれも、最上級のスーツに金のピンバッジを付けた正装で、その佇まいからは目に見えない強烈な力を感じさせる。

だがしかし、二人は分かっていた。目の前にいるその男が怪物であることを。

強者の部類に属するであろうこの二人をもってしても、この男を倒すことなど出来ないであろうことを完全に理解していた。


『代理人からはアレを渡されているんでしょう? 私の『魂』を他人の手に預けるのは本来あり得ないことですが、貴方方になら託せますよ』


すると金髪の美女が背中に背負っていた細長い刀を背中から降ろすと、ゆっくりと地面に置く。そしてその横に、ゴツいブーツのようなものと漆黒の特殊繊維で編まれたスウェットスーツのようなものを置いた。

そして最後に彼女は、メモリーカードの様なものをポケットから取り出す。


「コイツをアンタのヘルメットに装着すれば、アンタの見た物全てがこのメモリーカードに記録されるわ。アタシらがアンタに協力するのは、サービス精神なんかじゃないよ。敵の実態を手っ取り早く解明するのに、アンタの力を借りるのが一番手っ取り早いからだから。そこ、間違えないでよね」


すると、目の前の男はくぐもった声でフフッと笑う。


『お久しぶりですね、アリーシャ。いや、今はNO9ですか』


「バカね、今はもうNO4よ。そこのゴリラより偉いんだから」


「フン、お前こそバカを言うなNO4。お前の仕事のポカが多すぎるせいで、たかが荷物の引き渡しにこの俺まで付いてくる羽目になったのだろうが」


ムム⋯⋯と呻き声を上げるNO4と呼ばれた女性を尻目に、大男が目の前の男に小さな小型の短刀と黒いヘルメットを渡した。


「電脳次元の魔女から渡されたものはこれで以上です。後は任務終了後に、NO4から渡されたメモリーカードを我々が遣わす使者に渡しておいてもらえれば全ての取引は終了となるので、ご理解いただきたい」


『万事了解しました、NO5殿。貴方方のような手練れにしか、この『神の装備』を託すことなど出来ませんから。それに、ここに来るまでも大変だったのでしょう?』


「これから貴公が行う大仕事に比べれば大したことのない仕事です。まあここに来るまでに軽く数えても数十ほどの下級DBを倒したとは思いますが、この森の奥には例の『アレ』が潜んでいると思われますのでな。是非とも貴公には、その『アレ』を一刀両断して頂きたい。そして余裕がおありでしたら、その先の黒幕にも⋯⋯」


するとそれを遮るようにして男は言う。


『この件の黒幕には既に目星が付いています。しかし、この一件の背景はもっと複雑に入り組んでいるでしょう。先日山宮学園で起きた北野譲二殺害事件の実行犯は恐らく相当な手練れ。もし、その実行犯がここに来ていれば大変です」


するとここでNO4が眉を僅かに上げる。


「妙なことを言うわね。アタシはてっきり山宮の殺人事件と、今回のDBの大量発生は同一人物が起こしていると思っていたけど」


『いえ、それはあり得ません。確かに北野譲二を操っていた黒幕は存在しますが、それだけでは今回の事件の全てを説明することが出来ないのです』


「⋯⋯⋯????」


意味が分からない、とばかりに首を捻るNO4。

だがここで、横の大男がハッと気が付いたように表情を変える。


「まさか⋯⋯⋯北野は⋯⋯⋯!!」


『NO5殿はお気づきのようですね。しかし、これ以上は話しても時間の無駄でしょう。これより先は、また別の機会に話し合うとしましょうか』


すると男は地面に置かれた細長い刀を手に持った。

そして、置かれたブーツにも足を通す。すると170センチくらいだった男の身長が、ブーツによって大幅に底上げされて巨大な長身に変わった。

更に男は特殊スーツにも袖を通す。すると自動的にスーツとブーツの結合部から金属の液体のようなものが流れ出し、体全体を薄く覆いながら黒い光沢のある人間型ロボットのような風貌へと変わっていく。


そして現れたのは仮面で顔を隠し、身長190センチはあろうかという黒い金属と防刃繊維が融合した特殊スーツに身を包んだ大男である。


「電脳次元の魔女が作った人類最高の戦闘スーツ。全ては彼の戦闘スキルを極限まで引き出すことに特化された逸品⋯⋯」


そして男は刀を背に背負う。

刃渡り一メートルはあろうかという刀は、最近になって更に改良を加えられたこの男のための業物である。そして男は腰元の鞘に短刀を差し込んだ。


『懐かしい⋯⋯全てが懐かしい。この感覚もまた久々です』


体を軽く動かすその男の所作は、長く実戦から遠ざかっていたとは思えぬほどに滑らかだ。それでありながら同時に、周りへの目配りを忘れない繊細さもある。


「アンタのその姿、見るだけで吐き気がするよ」


『フフッ、誉め言葉と受け取りますよ。NO4殿』


彼女もまた昔の悪しき記憶を呼び覚まされていた。

手当たり次第に暴れては手の付けられない怪物だと恐れられていた何年も昔に、一度だけ彼女はこの男と真っ向から戦い、そして敗れた。


『では、体慣らしも兼ねて一つ斬って見せましょう。丁度良いものが近づいてきているようですし』


その直後だった。

森の奥から途轍もなく大きな一体のDBが姿を現した。


巨大な蟻のような形だが、その前足にはドリルのような突起が付いている。

恐らくそれで相手を貫き、自らのエネルギーの糧とするのだろう。

それと同時に、辺りには得体の知れない瘴気のようなものが充満し、黒い霧のようなものが漂い始める。


「ほう、奴らは相当に仕上がっていると見える。まさか精神に甚大なダメージを与える新型DB『催眠型』を連れてきているとは」


『先程、山宮の校舎でも催眠型のDBが一体現れました。貴方方ほどの実力者なら瘴気を跳ね除けるなどそう難しくもないですが、まだまだ未熟な学生たちでは正気を保つことは難しかったようです』


先程の、山宮学園の一部の学生たちが起こした錯乱現象はこの『催眠型』と呼ばれるDBが放つ瘴気に毒されたのが原因だ。

精神にシールドを張る技術を会得していなければ、この瘴気の中で自我を保つことは限りなく不可能に近い。そして一度毒されたら最後、瘴気を放つDBが撃破されない限り己の負の感情に支配されたまま欲望のままに振舞う、理性を失った化物になってしまうのだ。


『太刀落とし 第二式』


その刹那、男の腰に帯びた短刀がキラリと輝いた。

そして、目で追うことなど到底不可能な音速を超える刃が暗闇の中で放たれる。

同時にキキッ⋯というDBの一瞬の悲鳴に似た鳴き声が零れた。


『⋯やはり腕が落ちていますね。0.01mmも刃先がブレている』


「皮肉を言うならDBに弔いの一言でも掛けなさいよ。もう手遅れだけど」


その瞬間、DBの体が真っ二つに割れた。

そしてその体はゆっくりと黒い霞のようになって暗闇の中に消えていく。

男の神速の刃は一瞬でDBを貫いていたのだ。


「お見事。流石は一時代を築いた伝説の戦士です」


その横で静かに拍手をするのはNO5と呼ばれた大男。

だがしかし、当の本人は不満のようだ。


『勘を取り戻すにはあと数百体は斬らねばなりませんね。でなければ、奥に潜むあの怪物には太刀打ちできないでしょう』


そう言うや否や、ブーツのスイッチの電源を入れる男。

するとブーツから低重音の振動音が聞こえると同時に、男の体が浮き上がった。


『ではこれにて、私は失礼いたします。なに、そう時間は掛けずに終わらせますよ』


その瞬間、男は消えた。

いや、正確には一瞬の間に超高速加速してその場から立ち去ったのだ。


彼の使うブーツはリニアとホバークラフトの技術を応用した浮上技術に、小型ジェットエンジンを積んだモンスターマシンだ。並の人間がこれを使えば、あっという間に空の果てまで吹き飛ばされた挙句、体分裂するまで永遠に空を飛ぶことになるだろうが、人間の域を超えた体幹の強さと銃弾すら捉える超人的な動体視力を誇るあの男が専用の特殊スーツを着ることで、実戦での使用を可能にしたのだ。


「化物ね⋯もうそれ以上言いたくないわ」


もうすでにあの男は、数十体のDBを殲滅しているに違いない。

音速を超えるスピードで飛び回りながら、通り過ぎ際にDBを撫で切りにしていく様は最早DBに同情の念を覚えるほどである。


「では帰るぞNO4。後は、彼に任せようではないか」


呆然としている彼女の肩に手を置いて、NO5が静かに言う。

乱雑に置かれた手を彼女は跳ね除けると、来た道を引き返し始めた。


「⋯⋯今、この瞬間にアイツに勝てるのは誰だと思う?」


「誰もいないだろうな。恐らくだが、彼はアレでもなお本気を見せていない」


「⋯⋯そう。「お前なら勝てる」とか言ってくれないのね」


「見え透いた嘘はつかない主義なんでな。何より、お前自身がそういう虚言を嫌うだろう」


軽く溜息をつくとNO4は森の中を歩いて、路肩に止めてあった車に辿り着く。

彼らの仕事はこれにて終わりだ。本来ならこのまま戦いに参戦してDBを殲滅するところなのだが、今回はその先の仕事を全てあの男に任せることになっている。


「ねえNO5、この後予定ある?」


「ない。今回の任務のためにプライベートの話は全てキャンセルしてきた」


「あのさ⋯⋯ちょっと一晩付き合ってよ」


助手席に座る彼女の目を、NO5は物憂げに見つめる。

彼女とは長い付き合いだ。彼には彼女が何を思っているのか手に取るように分かる。

彼女の目は潤み、気丈さは失われている。彼女は怯えていた。


「お前の悪い癖だ⋯⋯アリーシャ。イライラするといつもお前はあらぬ方向へと走ろうとする」


「アイツとだけはもう顔を合わせたくなかったのよ⋯⋯だってアイツは⋯⋯!!」


「お前の父親を殺したからか? アレは仕方のないことだったと、割り切っているのではなかったのか?」


カタカタと彼女の体は震えている。

NO5には分かっていた。彼女があの男と対面している時、強く怯えていたことを。

今にも倒れそうな体を理性のみで支え、激情渦巻く心中を抑えていたことを。


「彼の正体は、電脳次元の魔女しか知らない。そして彼は途轍もなく強い。かつて騎士王だったお前の父親をたったの一撃で仕留めるほどにな⋯⋯」


車のキーを回すNO5。

敢えて彼女の顔はこれ以上見なかった。


「お前の好きにしろ。一晩だけなら、何処へでも付き合ってやる」


「⋯⋯うん。ありがとう」


そして車は走り出した。

助手席に座るNO4は、NO5の服の裾を掴む。

そんな中一人、NO5が静かに呟いた。


「王が、帰ってきたのだな。後は頼むぞ、臥龍殿」


夜が深まる深夜の道を、車が走る。

闇深い森の奥から聞こえるDBの断末魔をかき消すかのように、車は猛烈なエンジン音を放ちながら、暗い夜の道を走り去っていった。

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