第92話 四方魔法陣 5

 わあああ! と、歓声が上がった。ヴィンセント・コボルバルドの両足は凍り付き、関節の駆動部分までが氷におおわれている。


 動かせるのは胴体と頭部だけ。この状況から脱しようと、体をくねらせ必死にもがく。だが、分厚くまとわりつく氷はそれをよしとしない。苛立ちをこめたなうなり声をあげるだけで、抵抗と呼べるような行動ができない。


 体は動かず、脱出できない。傷は治っていくが、その巨体を囲っているのは王国最強の戦闘集団。

 彼らが、見逃すはずもない。


「叩き込め!」


 間髪入れず、大剣が腹部を貫いた。そのまま解体でもするかのように、刃こぼれを起こした剣は強引に肉を引きちぎり、浮かび上がる輝線をなぞっていく。それに続くように、動ける騎士たちはヴィンセント・コボルバルドに飛び掛かった。


 数人の騎士が重装兵から借りた盾を持ち跳び上がる。落下する勢いそのまま、面を背中に叩きつける。背中に刺さっていた武器が、ハンマーに打たれたかのように沈み込む。


 何十年経っているのかは知らないが、腐っても鉄製品。折れ、砕けながらも、それらは身体の奥に刺さりこみ内臓を損傷させる。関節に入り込み、ヴィンセント・コボルバルドの動きを阻害する。長い時を経て、その役割を果たす。


 人外の悲鳴が木霊した。

 巨体から赤黒いしぶきが飛び散り、数瞬遅れて瘴気が栓を外したように吹き出す。

 その姿に、大きな変化はない。


 ――まだ。まだいける。


 今の段階で、攻撃手段を指定する必要はない。というよりも、彼らの方がそっち方面の知識は持っているはずだ。俺が気を配らなければいけないことは、もっと別にある。


 ――まだ来てない。もう少し。


 ぐるりと、広間を見渡す。まだ周囲の様子に変化はない。だが、俺の中にある記憶が確かなら、もうすぐその兆候が表れるはずなのだ。安全策を採ってあると言っても、俺自身が楽をしていいということではない。それが機能しないものとして動かなくては、失敗すれば、取り返しのつかないことになる。


『なるほど、これですか。見つけましたよ』


 通信機に、この迷宮攻略で聞き慣れてしまった独特な声が飛び込んできた。続けて、声の主であるレグ大尉から、どこにそれがあるのかの指示が出された。指示された通りのことに注目してもう一度見渡す。


 注目していたのは、壁にも埋め込まれている水晶体。その中で、いくつかだけがまるで生きているかのように不自然な明滅を繰り返している。そしてその壁には、はるか昔に刻まれたと思われる魔法陣。


 明滅する水晶体を視線で繋げていく。すると、それはヴィンセント・コボルバルドを囲むような領域を浮かび上がらせる。間違いない。探していたのはこれだ。そして、その範囲もいまはっきりと解った。


『では、私は手筈通りに』


「お願いします」


 レグ大尉との通信が切れる。

 直後、


《オオォォォォォオオッ‼》


 咆哮とともに、まがまがしい空気が拡散した。ゾクリと、背筋が凍るような嫌な空気。チラリと計測器に視線を向ければ、値はすでに危険域にまで達していた。


 同時に、地面に輝線が走る。

 光ったのは、壁の水晶四か所。それは放射状に広がるのではなく。いつの間にか引かれていた練成陣をたどり直線的に広がっていく。完成したのは、四角形の陣。偶然にしては形が整いすぎており、しかし魔法陣にしては簡略化しすぎた代物。


 ――来た! 


 その内側に、もう一つのサークルが生まれた。それは、外のものよりも黒く、歪で、禍々しい。この中にいてはいけない――そう本能が直感してしまうほど。攻略隊すらも、思わず地面に目を向けてしまう。そして、瞬時に理解した。


 これが、作戦前に言われていた奴の切り札なのだと。


「輝線外に飛び出せぇぇえ‼」


 そう言った時には、もうすでにすべてが始まっていた。

 ある者は負傷兵を抱え、間に合わないと思った者は自らの武具を投げ捨て、一目散に張られた四角形の外へと飛び出す。全員が、半ば転がるように離脱した。

 その数秒後――、


 強烈な光が迸った。

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