アルトレイラル(下)

第45話 積る焦燥感 1

 ――地球歴 六月十二日――


「始め!」という声とともに、負荷をかけていた右足で地面を一気に蹴りに抜く。同時に、俺の身体が信じられないほどの加速度を帯び、前へと飛び出す。土塊が舞う。冗談では済まされない衝撃が足全体を駆け巡る。だが気にしない。この状態ならば、この程度はまだ許容範囲だ。


 肉体強化――身体中のオドを活性化させ、身体能力を大きく高める。これを使ううちは、常人の数倍から数十倍の運動能力が発揮できる。俺が訓練の末手に入れた、唯一の戦闘手段だ。


 前方の雨宮が、口を動かしているのが目に入る。詠唱を唱えているのだ。時間にして三秒、詠唱破棄にすら匹敵するほどの短時間。雨宮が口を閉じた瞬間、


 足元が、ぐにゃりと軟化した。


 ――足場崩す気かっ。


 上手い手だ。近接戦闘において、足場の状態は戦況を大きく左右する。そして、俺たち近接型が苦手とするのがぬかるみだ。踏ん張れないし、何よりも近づけない。近づけなければ俺に勝ち目はない、雨宮の独擅場だ。


 足がぬかるみにはまる前に、速力が落ちてしまう前に、少し多めにオドを練り身体能力を向上させる。そのまま踏み込み、土が固化するほどの衝撃を与えて一気に駆け抜ける。


 そのとき、


「……ッ、痛つぅー……」


 ズキンと足に痛みが走る。今度は許容範囲を超えてしまったようだ。練りこむオドの量を減らし、身体能力を少しだけ落とす。


 肉体強化――これはあくまで、身体能力を高めるだけ。肉体強化とは言うけれども、筋肉の強度が比例して強化されるかといえばそうでもなく、せいぜい二倍の負荷に耐えられれば御の字といったところだ。骨などはもっての外。既に構成されたものの強度が上がることはまずありえない。


 故に、これは諸刃の剣だ。上手く使えばこの上なく頼もしい能力。だが加減を間違えれば、その刃は俺の方へと容赦なく牙をむく。


 今度は、風の魔術が放たれる。向こうの世界では上級魔法だった《ウィンド・ショット》だ。バスケットボール大の大気の玉が、うっすらと視認できるほどに圧縮されている。死にはしないだろうが、破裂すればかなり痛いだろう。あれを喰らえば、そこで俺はおしまいだ。


 はじかないように、斬らないように、目を凝らしながら大気の境界を選別し、ぎりぎりで回避する。そうれにしても嫌な撃ち方をしてくる。すべて避けようとすれば、かなりのスキが生まれる。

 もしかしなくても雨宮のことだ、当たることを想定してはいないのだろう。きっと本当の狙いは、俺をこんな体勢にすることだ。


 刹那。


 右肩が、何かを遮ったような感覚を感じ取った。右肩に、わずかながらだが熱のようなものを感じる。そう、例えとしては、温風を遮ったときのようなイメージが近い。


 いままで何度も感じて学習している。これは、雨宮の魔術通過線だ。


 肩をずらした数秒後、「ひゅっ」という音が耳元を通る。すぐ後ろで、ばしゃんという水が弾ける音。いまのは雨宮の魔術――《アクア・バレット》だ。殺傷能力はそれほど無いが、瞬間発動が可能な使い勝手のいい魔術。当たってしまえば、敵に致命的なスキを生む。当然一発だけということはなく、まっすぐこちらに向かってくる水弾を、引き延ばされた時間感覚の中で脳が認識する。


 弾く。弾く。致命打となる通過線を通る水弾だけを、刀で逸らし攻撃方向を変える。一発受けるたびに、右手には痺れにも似た衝撃が走る。しかもそれは、数秒腕を包み込み、感覚を鈍らせる。すぐに引くことがない。弾けば弾くほど、痺れは右手首から切って下全体に蓄積していく。


 そして雨宮の狙い通りなのか、俺の動きは雨宮に対して縦ではなく横の平行移動。雨宮の周囲をぐるぐると不細工な円を描きながら回ることしかできない。雨宮が一定距離を保てるように弾幕を張っているのだ。


 ひと際大きな衝撃が腕を襲う。思わず刀を取り落としそうになる。完全に足が止まり、思わず鋭く舌打ちする。


 また、いつものパターンだ。

 しっかりと弾幕が張られ、まともに近づくことすらできない。雨宮に近づくことができなければ、近接戦闘型の俺は勝つことなんてできない。

 刀を握った右手を、左手で乱暴に包み込む。


 このままじゃジリ貧だ。右腕の痺れが限界になれば、刀が弾き飛ばされてしまう。そして痺れが蓄積されている以上、それはいつか必ず訪れる。対して雨宮のオドは常人の三倍以上、痺れが取れるより前に向こうのスタミナ切れはあり得ない。このままじゃ、負けるのはまた俺だ。また、雨宮との差が開いていってしまう。


 弾幕が納まり、砂煙が晴れる。雨宮の周りには水弾ができており、向こうはいつでも発射可能のようだ。不用意には近づけない。

 不意に生まれた拮抗状態。これ幸いと脳みそをフル回転させる。


 雨宮は攻撃を撃ってこない。おそらくは、俺が踏み込んできたところを返り討ちにするつもりなのだろう。近ければ近いほど、雨宮の攻撃は当たりやすくなる。


 だったら――、


 前方の景色を、注意深く観察する。よく目を凝らせば、先ほどと同じ空気弾が大小合わせて十個。雨宮近づくにつれ直径が大きくなっており、四分の三ほどの位置が最大。それより内側には小さなものが二つ。俺がそこまで到達したら、問答無用で破裂させにかかるのか。そして、直前の小さめなものを目くらましにして自分は離脱か……。


 いいだろう。その勝負、


 乗ってやる。

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