第40話 六角薄雪 3
「おいロキ! 頼まれた数、長剣ができたぞ」
奥から、もう一人の男性が顔を出した。ロキよりもかなり背が低く、髪もない。明らかに年上の印象だった。そんな男性が、なぜか俺を凝視し沈黙している。
「……えーっと、なんですか?」
「爺さん、イツキがこの刀持ってきたんだが、作ってた鞘ってのはこいつのだろ?」
「…………ぉぉお……」
「「おお?」」
「おお‼ 遅かったじゃねえか‼ どこほっつき歩いとった小僧‼」
突然、鼓膜を突き破らんというほどの声量で、老人が喋りだした。あまりの声量に、慌てて耳を押さえる。雨宮はもうすでに涙目だ。というよりも、俺は叱られているのだろうか。
「……俺、ですか?」
「当ったり前だ‼ どれほどほったらかしにしとったんじゃ‼ もうとっくに整備は終わっとる‼」
「うるせっ……いや、その、俺何も頼んでないと思うんですけど」
ピタリと、老人の動きが止まる。グリン! と首だけが真後ろのはずのこっちを向いた。後ろからは小さく悲鳴が聞こえる。
「小僧、ミレーナんとこの小僧じゃねーのか?」
「一応はそうなんですけど、多分、俺はあなたが思ってる人――」
「やっぱり、ミレーナんとこの小僧じゃないか‼ 自分の預けたモンを忘れよってからに、けしからん‼ 待っとれ、持ってきてやる」
嵐のように騒いだ老人は、そう言って奥へと戻っていった。
「……悪かったな。爺さん、最近耳も遠くなってきたんだ」
「でしょうね」
「うー……耳が痛い」
押さえていた手を外し、耳を休ませる。まだ先ほどの残滓が頭に残っているようで、微かに耳鳴りがする。
「念のために訊くが、身に覚えは?」
「ないです」
「そうだよなぁ……誰と間違ってんだ? あの爺さん」
「俺から、もう少しだけ少し預かってて欲しいって言いましょうか?」
「そうしてくれるか? 爺さんをだますような役を押し付けて悪いが――」
「持ってきたぞ‼ 小僧‼」
「「「ッ⁉」」」
再び爆音が室内全体を揺らし、慌てて耳をふさぐ。照明が小刻みに震えている。視界の片隅で、花瓶が落ちたのが目に入った。
「あの、できればもうすこしだ、け…………」
預かっていてください、その言葉が紡がれることはなかった。差し出されたものが何なのかを認識したとたん、言葉がしりすぼみになって消えていく。反射的に、受け取ってしまう。
「かなり特殊な素材だったからな、修理材料を探すのに手間取ったが、それで元通りだろう?」
思わず頷いた。ロキと雨宮が、驚き目を見開く。だが、そんなことに構っている余裕はなかった。
鞘も白、鍔も白、俺が持っている黒刀と対極の、何から何まで真っ白な刀。この名前を、俺は知っている。
こいつの名前は、
「……《六角薄雪》?」
「名前まで忘れとったら、ひっぱたこうと思っとったわい」
フンッと鼻息を鳴らし、老人が悪態をつく。雨宮とロキが目を見開く。
「神谷くん、知ってるの?」
「雨宮とゲームでパーティーを組む前、俺が使ってた刀だ。何から何までそっくり……どういうことだ?」
「そうりゃそうじゃろう。ワシが完璧に復元したんだからな」
違う、そういうことじゃない。この刀は、本来この世界にあるはずのない刀なのだ。なぜならこれは、ゲームの世界で造られた空想の産物なのだから。
刀という存在があるのは、そういう進化をしたからだと理由をつければまだ納得できる。白い刀も、そういう材料を使ったのだと言われればまだ理解もできる。だが、鍔の模様に刀身の刃紋、鞘に掘られた細工に部品の形まで一緒であることなど。あっていいはずがない。あるはずがない。そんな偶然は、起こりうるはずもないのだ。念のため、刀身を抜いてみる。やはり、真っ白なそれが俺の目に入った。
可能性があると言えば、それはこの世界がゲームの中だと認めてしまうこと。だが、それは違うともうこの数週間で嫌というほど実感してしまったはずだ。あの経験をしてなお、ここがゲームかもしれないとはどうしても思えない。
突然、
「……持ってけよ、イツキ」
ロキが俺に近づき、老人には聞こえないほどの声量でそう具申した。
「ロキさん……」
「これもなんかの縁だろ。それ、何なのか知ってんだろ?」
黙ってうなずく、ロキが小さく笑った。
「で、爺さん。こいつはいくらなんだ?」
「代金は前払いで貰っとる。待たされたからと言って取れん」
「だ、そうだ」
「本当に、いいんですか?」
「お前ってことになってんだ。ありがたく貰っとけ」
白刀を見つめ、少し考える。
これを必要としている人物が、まだこの世界にいるのではないか。いつか、これを取りに来るんじゃないか。そのとき、なかったらどういうことになるんだろう、と。
「持ってけよ。持っていけ」
その葛藤を知ってか知らずか、ロキがさっきと同じ言葉を繰り返す。考える――これを持ち去ればどうなるか、持ち去らなければどうなるか。もう一度刀身を引き出し、純白のそれを眺めながら思考を加速させる。
ロキは持って行ってもいいといった。だとすれば、一番の問題は俺の心だ。迷いがある状態でこれを使えば、良いことはひとつもない。もし、刀に命があるのなら、そんな奴には従いたくもないだろう。少なくとも俺はそうだ。
考える。考える。
俺は、どうすれば納得できるのか。どんな答えを出せば迷いが消えるのか。
考えること数十秒。
「…………はい。じゃあ、持ち主が来るまではそうさせてもらいます」
結局俺は、この刀をもらうことにした。ただし、あくまで借りるという体だ。本当の持ち主が現れるまでの、あくまで一時借用。その返答に、ロキが(なぜか雨宮も)苦笑した。
この刀が、俺と全く無関係かと訊かれたら、なぜか否定できない。俺の記憶にある、ここにはあってはいけないはずの謎の刀。この刀には何かを感じる。言葉にはできないが、不思議とそう思った。だから、あくまで借りるだけ。命を預かる相棒なのだから、墓場に刺さっていたこの黒刀と違って貰うと割り切ることができなかった。
「それじゃあ、ありがたく受け取ります」
「ありがとうございました」
さよならの言葉は、帰ってこなかった。二人とも、腕を組んでこちらを見つめている。あれが、鍛冶師の流儀なのだろうか。
「もう壊すんじゃないぞ‼」
店を出た後、そんな声がはるか後方からはっきりと聞こえた。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「……さあ、今日は終いだ。飯にするぞ」
「へいへい」
老人の提案に、ロキが店じまいの準備へと移る。看板をしまい、店のランタンを消していく。その間も、老人は店の前で立つ続けた。
唇が動く。
「…………あの小僧、エルフだったか」
その呟きを聞いたものは、誰もいなかった。
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