第230話 開戦
「それじゃあいってらっしゃい」
そう言って俺の頬に軽く口づけするミホ。
「行ってくる」
俺はそう言ってリカの背に跨ると、ミホへ手を振った。
リカは、大きな翼を広げて空高く舞い上がると、俺へ尋ねてくる。
「昨夜はお楽しみであったであるか?」
中年オヤジののような質問をしてくるリカ。
そんなリカを睨みながら、俺は答える。
「大事な戦いの前にそんなことはしない」
そう答える俺に、リカが続けて質問する。
「その割には身体中から魔王様の魔力の残り香を感じるのである。それに、戦いに赴く前に精を放って気持ちを高めるのは、何らおかしなことはないのである」
俺より遥かに戦闘経験のあるだろう長命の龍の言葉。
もしかすると、正しいのかもしれないが、意思の弱い俺にも、譲れない一線はある。
「全てに決着をつけるまでは、そういうことは誰ともしない」
俺の言葉に、リカが龍の姿でもそれと分かるようにため息をつく。
「ふぅ……頑固であるな、旦那様は。そんな意地を張っても誰も喜ばぬのに。我が旦那様の立場なら、とりあえず全員に種をつけてから考えるが」
やっぱりドラゴンは下等生物なんじゃないかと思えるくらい生殖のことしか考えていないリカの発言は無視することに決め、俺は前を向く。
俺は、カレンたちと合流する前に、俺とリカで戦場を下見に行こうと決めていた。
リカの魔力を隠すスキルは高く、四魔貴族のスサやテラにも気付かれなかった。
だから、接近しなければ問題ないはずだと踏んでいた。
しばらくの間、遊覧飛行というには程遠い高速の移動を経た俺とリカは、王国と神国の間の平原の上空へ着いた。
地面からは点にしか見えないほど上空から、俺とリカは眼下を見下ろす。
「もうかなり集まってきているな」
わらわらと虫のように蠢く黒い点の集まりを眺めながら、俺がそう言うと、リカが頷く。
「そうであるな。だが、ここにはそれなりの魔力を持った者は数名しかおらぬのである」
リカの言う通りで、目に魔力を集中してみても、目立った魔力の持ち主は数名しか見つけられなかった。
魔力を隠している可能性もあったが、敵がこちらの奇襲を想定していない限り、隠す意味はない。
「これ以上は見つかる危険があるから、一旦みんなと合流しよう」
できれば攻撃目標を見つけておきたかったが、贅沢は言えない。
大軍の中に無闇に攻め込んで、実は主力がいませんでした、と言う結果にならなかっただけ良かったと思うことにした。
リカの背に跨り、王国の方へ向かうと、すぐに巨大な魔力の塊を感知できた。
ゆっくりと舞い降りた俺とリカの前には、俺の大事な五人の女性に、四魔貴族二人とその配下の将軍たち、剣聖と刀神の二人に加え、数名の獣人と魔族がいた。
「遅いぞ、エディ。昨日あれだけ話したのに、俺たちを置いていったかと思ったぞ」
そう言って前に出てきたのはカレンだ。
愛する人と普通に会話ができる喜びに浸りそうになるが、俺は自分を戒め、平静を装って返事する。
「事前に偵察してきたんだ。だが、敵の主力は戦場にはいなかった」
俺はそう告げた後、すらりとした白い獣人の方を向く。
「ヒナ」
俺の問いかけにピンと耳を伸ばして反応するヒナ。
昨日の告白のせいか、その真っ白な頬はうっすらと赤く染まっていたが、俺は気付かないフリをして言葉を続ける。
「ヒナの耳で、敵の主力の居場所を探ってもらえないか?」
俺の言葉に、返事をするより早く、その長い耳へ魔力を集中するヒナ。
しばらくしてヒナは口を開く。
「エディ様。先日、四魔貴族スサと退治した際にアレスを刺した人間の声を探してみましたが、戦場の西の端にいるようです。会話の詳細までは聞こえませんでしたが、会話から、そこには聖女と名乗る人間もいるようだということも分かりました」
ヒナの情報収集能力の高さは知っていたが、戦場の西の端となると、かなりの距離がある。
ダメ元で聞いてみただけだったが、期待以上の成果に俺は驚く。
これなら、偵察などする意味はなかったかもしれない。
俺はリカの言葉に頷く。
「よし。そいつらが今回の親玉だ。そこへ奇襲をかける。北と南二手に分かれて挟撃しよう」
俺は周りのメンバーへ順に視線を送る。
「敵は強大で凶悪だ。お互い思うところはあるだろうが、昨日話した通り、今日だけは共に戦う同志だと思ってくれ」
俺はそう告げた後、何人かのメンバーへ声をかける。
「そこの獣人たちは、ヒナの知り合いだということでいいのか?」
俺の問いかけに、ネコ科の獣人だと思われる女性が答える。
「私たちは、ご主人に助けられたご主人の奴隷にゃ」
猫の獣人は、漫画のように、語尾が『にゃ』になるんだというどうでもいい驚きを感じながら、さらなる質問をしようとした俺に、見覚えのある男が口を開く。
「この者たちは、獣人の未来のためにここにいる。王国を売った十二貴族たちを共に討つことで王国へ貢献し、獣人の人権を得るために、共に戦うことを選んでくれた同志だ」
そう告げるのは、以前、レナとヒナと共に十二貴族の追っ手から襲われた際に、魔道士たちを指揮していた男だった。
俺の視線から、俺の思考を読み取ったらしい男は、言葉を続ける。
「以前は十二貴族たちの誤りに気付けず失礼した。今は、何が正しいのか分かったつもりだ。君たちを襲った私のことを信用しろというのは難しいと思うが、王国に忠誠を誓った者として、共に戦わせて欲しい。ただ、私は、ここにいる者の中で、一番弱いと思う。それでも、この獣人たちともしばらく行動を共にしており、彼らの戦いの指揮はできると考えている」
男の目は嘘を言っているようには見えず、真剣そのものであり、俺は彼を信じることにした。
男の言葉に、俺は頷く。
「分かった。貴方の言葉は信じるし、もしこの戦いを生き残れたら、獣人の人権が守られるようにしよう。いいな、レナ」
突然話を振られたにもかかわらず、レナは冷静に答える。
「ええ。王国貴族として、必ず約束するわ」
レナの言葉を聞いた獣人たちは嬉しそうな顔をする。
獣人たちの実力はよく分からないが、彼らからもそれなりの魔力を感じられた。
魔力が使えないはずの獣人からなぜ魔力が感じられるのかは分からなかったが、疑問は後回しにすることにした。
リカに教えてもらった獣化を使えば、戦力になるのは間違いない。
今はそれだけで十分だ。
次に目を向けたのは、二人の魔族の少女たち。
スサやテラの配下ではない様子で、将軍ほどの力も持っていないだろう彼女たちがなぜここにいるかはよく分からなかった。
「君たちは?」
俺の言葉に、カレンやテラと同じ紅眼の少女が答える。
「私もフワちゃんも、魔王様に名前を与えていただきました。その魔王様の窮地に駆けつけるのは当然です」
なぜか敵意丸出しで俺を睨みながらそう告げる紅眼の少女に若干戸惑った俺は、隣に立つもう一人の少女へそっと尋ねる。
「俺、なんかこの子に嫌われることしたかな?」
おっとりとした感じのその少女は、うーんと考えながら答える。
「多分、シャクネちゃんが尊敬しているカレンさんが、貴方のことを好きだから、嫉妬してるんだと思いますよ」
その言葉が聞こえたのか、シャクネと言われた紅眼の少女がこちらを睨む。
「フワちゃん。余計なことは言わなくていいの」
俺はそんな二人に質問する。
「二人とも、魔力は旅団長から師団長の間くらいだと思うが、この先の戦いは強敵だらけだ。正直、二人の魔力量だと苦しい気がするが大丈夫か?」
俺の言葉に、フワと呼ばれた方が緊張した面持ちで答える。
「はい。皆さんの足は引っ張らないつもりですし、私も魔族の端くれです。戦って死ぬ覚悟はしてきました。それに、実は私もシャクネちゃんも、カレンさんのおかげで今生きていることができてるんです。私なんかに名前を与えてくれた魔王様と、私たちを生かしてくれたカレンさんのために、必ずお役に立ってみせます」
そんなフワへ、俺に向ける目とは正反対の優しい目で見つめながらシャクネが口を開く。
「フワちゃんは私が絶対に死なせないよ」
力強くそう告げるシャクネへ、フワは笑顔を返す。
「ありがとう。でも、シャクネちゃんのことも、私が死なせないからね」
いかにも親友といった関係の二人を、親友と呼べる友人のいない俺は、羨ましく思う。
実力不足な感は否めないが、本人たちの意思を捻じ曲げるほどではないだろう。
カレンとの間に何があったかは分からないが、俺がいないところでも、他の人に命をかけるほど感謝されるカレンを、俺は改めて尊敬する。
俺は今の確認結果も加味して、このメンバーをどのように分けるかを決めた。
「それじゃあ、これから皆んなをどう分けるか発表する。しっかり聞いてくれ」
そう告げようとする俺。
だが、チーム分けを話す前に、思っても見なかった相手からの声により、俺の言葉は中断される。
「……必要ありません」
ゾワッという寒気とともに突然感じる悍ましい魔力。
光り輝き澄んでいるはずなのに、生理的な嫌悪感を感じる魔力。
その魔力の持ち主が発する聞き覚えのある声。
一度だけしか聞いたことはないが、記憶に焼き付いて離れない女性の声。
「だって貴方たちは、ここで滅ぶのですから」
その女性の言葉が合図だったとでも言わんばかりに、突然俺たちを囲むように現れる者たち。
そこには眼鏡の十二貴族をはじめとする十二貴族たちの姿もあった。
ナミとヨミまでいる。
完全に想定外の事態に、俺は内心焦った。
「なぜお前たちがここに……」
ミホとは正反対の神々しさを放ちながら、声の持ち主である女性が、傍にいる黒髪眼鏡の大人しそうな少女の肩を優しく抱きながら笑う。
「私たちは神の使徒です。そんな私たちには、様々な力が与えられております。未来を見通し、運命を変える力も」
前回の世界線で女神もどきを宿した聖女が、およそ聖女らしがらぬ残酷で冷徹な表情で告げる。
「その白髪の子以外はいりません。白髪の子だけ殺さないようにして、残りは皆殺しでお願いします」
そんな聖女の言葉を聞いた、眼鏡の十二貴族が苦笑する。
「仮にも聖女を名乗るなら、皆殺しなんて言葉を使うもんじゃないぞ、生徒会長」
眼鏡の十二貴族の言葉を聞いた聖女が表情を歪める。
「その役職で呼ぶのはやめてください。今の私は女神様に仕える聖女。それ以上でもそれ以下でもありません」
そんな聖女の言葉に、眼鏡の十二貴族が肩をすくめる。
「怖い怖い。それじゃあこれ以上聖女様を怒らせないよう働くとするか」
眼鏡の十二貴族が俺の方を向いて告げる。
「どこでどう嗅ぎつけたか知らないが、俺たちの目的を察知したことは素直に誉めてやる」
眼鏡の十二貴族はそう言うと、その口元にいやらしい笑みを浮かべる。
「だが、それだけだ。所詮、ただ魔力が多いだけの四魔貴族が二人に、異世界組がたかだか三人。あとの雑魚どもは我々の敵ではない」
眼鏡の十二貴族の言葉に、俺が言い返すより早く、剣聖が剣を抜いて前に出る。
「言ってくれるな、裏切り者の坊ちゃんが。確かに俺は四魔貴族に比べれば弱いが、同じ人間のお前に雑魚呼ばわりされるほど弱いつもりはねえぞ」
その言葉を聞いた眼鏡の十二貴族は嘲るように笑う。
「クククッ。まあ、称号の存在を知らないならそう思うだろうな」
眼鏡の十二貴族はそう言うと、手を上げる。
次の瞬間、空間が閉ざされるのが分かった。
アレスを救出に行った時と同じ感覚。
「これでお前たちはこの場から離れられず、助けも呼べない。だが、これだけでは実感しづらいだろう。ヨミ……でいいんだよな?」
そう呼ばれて前に出てきたのは、袴のような服を身につけたヨミだった。
「あの女に付けられた名というのが気に食わないが、何百年も使い続けた名ではあるから、一応それで合っている」
そう話すヨミへ、眼鏡の十二貴族が告げる。
「こいつらに、称号の力を教えてやれ」
眼鏡の十二貴族の言葉に、ヨミは答える。
「構わないが、それでこの戦いは終わってしまうぞ?」
その言葉を聞いた眼鏡の十二貴族は、笑う。
「クククッ。構わないさ。お前と違って俺たちは戦闘狂じゃない。簡単に済むならそれに越したことはないからな」
眼鏡の十二貴族の言葉を聞いたヨミは腰の刀を抜くと、青眼に構える。
「私の称号は『剣士』だ。ある一定の距離内で、魔法を禁じ、手にした武器と己の肉体以外での戦闘を禁ずるだけの称号だ。だが……」
ヨミはそう言うと、不敵に笑う。
「この世界で、数百年剣を鍛えた私に、剣で敵う存在は最早いない。魔王にリベンジする前の準備運動として、この場の全員を屠ってやろう」
言葉を発した瞬間、圧倒的な剣気を放つヨミ。
魔力量は今の俺と対して変わらなかったが、多少なりとも剣をかじった人間として、ヨミの実力はよく分かった。
「スサ。テラ。あんたたちならあいつを倒せるか?」
俺の問いかけに、スサとテラは揃って苦い顔をする。
「距離をとって戦えば。模擬戦は数え切れないほどしたことがあるが、この距離で、ヨミがこの妙な能力を使った時には、テラ兄と私の二人がかりでも勝ったことはない」
スサの言葉に対応を考える俺。
二人の四魔貴族に、リカと俺もいる。
全員で戦えば、絶対に勝てないということもないだろう。
だが、敵はまだ一人目だ。
その一人を相手に、こちらの最高戦力である四人を全て費やすことになる。
仮に勝てたとしても、こちらは損耗が避けられず、圧倒的に不利になるだろう。
こちらから奇襲をかけるはずが、逆に奇襲をかけられ、退路まで立たれた状況。
戦闘の素人である俺が立てた俄作戦など、やはりうまく行くことはないのだろうか。
弱気になり、考え込む俺に。
そんな俺の肩に、ポンと手を置き、思いもよらぬ人物が前に出た。
「相手が『剣士』なら私の出番かな」
ダイン師匠が不敵な笑顔で告げる。
「おいおい爺さん。人の獲物を取るんじゃねえ」
剣聖がダイン師匠に張り合うように声を上げる。
剣聖は、俺の方を向くと頭をかく。
「……俺もお前のことは何も言えねえな。お前たちのことを見届けると言ったが、前言撤回だ。王国の敵である十二貴族たちはお前に任せる。『剣聖』として、剣で最強を名乗る相手を無視するわけには行かないだろ」
絶望的な魔力差をものともせず、刀神と剣聖の二人がヨミの前に立ち塞がった。
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