第88話 閑話 ある十二貴族の男
男は金銭的に裕福な家に生まれた。
父親はエリートサラリーマンで、大手メーカーで順調に出世街道を歩み続けていた。
母親もいわゆるキャリアウーマンで、アパレル会社で異例の出世を遂げた有名な女性だった。
男は勉強も運動もできた。
物心ついた頃から有名な塾に通い、優秀な家庭教師に勉強を教わっていた。
専属のトレーナーに体の管理までされていた。
金にも困っていなかった。
下手なサラリーマンの小遣いを凌駕するほどの小遣いが小さな頃から与えられていた。
唯一得られなかったのは、家族と接する時間だった。
両親はともに忙しく、一緒に食事することはほとんどなかった。
兄弟もいなかった男は、ほとんどの時間を一人で過ごした。
そんな男は愛情に飢えていた。
誰かと過ごす時間に飢えていた。
幼稚園から有名私立に通っていた男には、仲のいい友達もいなかった。
表面上の友達はいたが、心を許せる者は一人もいなかった。
そんな男に近寄ってきたのは、いわゆる不良といって差し支えない者たちだった。
最初は男の持つ金目当てだったが、トレーナーによって体を鍛えられた男からは、力づくで金を奪うことができないと悟ると、仲間に巻き込んできたのだ。
親がいない者。
金がない者。
学校の勉強についていけない者。
様々な者たちがいたが、いずれも男とは正反対の環境にいるはずの彼らと、なぜか男は打ち解けた。
薬には手を出さなかったが、喧嘩やカツアゲは日常茶飯事だった。
「売り」の斡旋のようなことまでやっていた。
金には困っていなかったし、無知な少女たちを食い物にするのは気が進まなかったが、仲間たちとは一連托生だ。
自分だけ見ているだけ、なんてことはできない。
真面目な優等生ばかりの学校の中では完全に浮いてしまっていたが、男は気にしなかった。
学校が終わり、街に出れば仲間と呼べる者たちがいたからだ。
成績が大崩れしない程度には勉強もしていたので、親からは特に何も言われなかった。
高校に上がると、学校の中で明確な順位関係、いわゆるスクールカーストができていた。
一部の頂点の者たちを中心とした絶対王政的な関係が構築されるクラス。
だが、男はその枠組みの外にいた。
いじめも横行していたが、男は加担もしないし、止めもしなかった。
どんなに陰湿ないじめにあっても屈しない者が一人いて、いつのまにかその者だけがいじめられるようになっていたが、男にとってはどうでもよかった。
学校のことなどどうでもいい。
親から横槍を刺されたくなかったから、とりあえず無事卒業だけするために、問題ない程度に通うだけのところだった。
だが、そうもいっていられない事態が起こる。
女神のような謎の女の手によって異世界へ転生させられたのだ。
酷い話だが、一人でいじめられるようになっていた者を始め、何人かの者たちは、この謎の女から、大した説明も受けずに見捨てられていた。
男を始めとした残りの者たちは、謎の女から、転生させられた目的と、最低限の知識を授けられる。
男は自分の称号を確認する。
『奴隷商人』というのが、彼の称号だった。
酷い称号だ、と男は思う。
男は幸いにして、王国のトップに立つ、十二貴族家の子供として生まれ変わった。
両親が忙しくて男に構ってくれないのも、家庭教師や専属の魔法や剣の指導者が与えられたのは、元の世界同様だったが、異なっていたのは、他者との関わりだ。
十二歳の子供として転生した男が、十五になった時に、社交界デビューすることとなった。
十二貴族家が一同に会するその場で、男は別の十二貴族家の嫡男から声をかけられる。
「お前も転生者だろ?」
転生してから三年目にして初めて会う転生者。
男は警戒し、答えるか迷ったが、仲間恋しさもあり、素直に認めることにする。
「そうだが、なぜ分かった?」
声をかけてきた男は、静かに答える。
「そういう『称号』を持った奴がいる。お前も仲間に加えたい。明後日の正午、俺の家に来い」
眼鏡の十二貴族は、男へそう命じた。
不良時代の癖で、人から命令されるのは気に食わなかったが、こちらの世界に来てから初めての転生者ということで、男は従うことにする。
魔王を倒せ、という謎の女からの指示に、どう対処すればいいか、分からなかったのもある。
この世界の魔王という存在についてはおとぎ話でしか話を聞いたことがないが、実在するならあまりにも強大すぎて、人間に倒せるとは思えなかったからだ。
ファンタジーの世界にあってなお、おとぎ話のような存在が、魔王という者だったのだ。
翌々日、眼鏡の男の家に行くと、そこにはアレスという十二貴族家以外の十二貴族家の者と、二つ名持ちと言われる者たちが数名いた。
他にも子供から中年の者まで、計二十名程の者が集まっていた。
「よく集まってくれた。初めての者もいるから、改めて伝える。我々は皆、日本から転生してきた者だ。自己紹介は後にして、我々の目的を話そう」
眼鏡の男はそう言って全員を見渡す。
「我々の目的は、協力して魔王を倒すことだ。元の世界に戻るにしろ、この世界に残るにしろ、魔王を倒す必要がある」
男は、眼鏡の男の言葉に異議を唱える。
「話の腰を折るようで悪いが、元の世界に帰るならともかく、この世界に残るなら、無理して魔王を倒す必要はないんじゃないか?」
魔王。
絶対的恐怖として人間から恐れられる四魔貴族が、四人束になっても敵わないとされる、伝説上の存在。
人間の国なら簡単に滅亡させることができ、天災と言われる第一位階の龍ですらペットのように扱い、数百年前に万を超える軍勢で攻めてきた人間を、たった一人で、しかも僅か一発の魔法で全滅させたという存在。
そんな存在を倒すなんて、不可能に近い。
男の異議に対し、眼鏡の男は力強く答える。
「倒す必要がある。なぜなら今から約十年後、魔王がこの世界の人間を滅ぼすと、決まっているからだ。仲間の一人である『預言者』がそう未来を読んだ」
話に出てきた『預言者』というのは誰かの称号だろう。
称号の力は、男もこの三年間で色々と試したから実感している。
その称号による預言なら、まず間違いないだろうことも分かった。
「だから、我々にはどんな手を使ってでも魔王を倒す必要がある」
もし眼鏡の男の言葉が正しいなら、確かにそうかもしれない、と男は思う。
「魔王はあまりにも強大だ。正攻法ではとてもじゃないが太刀打ちできない」
確かにおとぎ話が本当ならば、どんなに強い人間でも、どれだけ束になろうとも、決して敵わないだろう。
「だが、希望はゼロではない。我々が魔王を倒しうる手段はある」
眼鏡の男はそう言うと、部屋の中の二十人を見渡した。
「そのための絶対条件は、この中の誰かが王になること。まずはそれが成し遂げられなければ、人間の将来に先はない」
なぜ王になる必要があるかは、男にはまだ分からなかった。
どうやって魔王を倒すのかも見当すらつかなかった。
だが、何もせずに殺されるのは勘弁だった。
「人間の未来の為、共に戦おう!」
眼鏡の男の言葉に、わーっと盛り上がるその場の者たち。
それは初めてこの場に来た男も同じだった。
自分たちの為だけでなく、この世界の人間全体を救うという大義に、男は燃えていた。
魔王を倒す為、眼鏡の男から、自分の能力を話すよう言われた男。
不良時代の経験から、仲間とはいえ、自分の手の内を全て明かすのはよくないことは分かっていた。
だが、眼鏡の男の言葉にはなぜか逆らえなかった。
「俺の称号は『奴隷商人』だ。条件を満たせば、どんな人間でも操ることができる」
気付けば、一番隠しておくべき自分の称号について語っていた男。
その『称号』の名を聞いた途端、眼鏡の男の眼光が鋭くなった。
「それは非常に使えるな。早速明日から協力してもらおう」
……そして男は、その手を悪事に染めることになる。
仲間に引き込みたい王国の要職に就く者へ、その者が望む女性を与えた。
その女性の意思とは関係なく、『奴隷商人』の力で操って。
能力が切れた時、何人もの女性を、絶望のどん底に追い込んだ。
……だが、本来、奴隷契約が結べないはずの貴族の女性すら自在に操れるこの能力は、ゲスな男たちにひどく好評だった。
要職に就く者のうち、眼鏡の十二貴族にとって邪魔な存在は、全て排除した。
汚職でクビにしたり、不倫させて家庭崩壊させたりして。
国のことを本気で思う素晴らしい人間たちも中にはいて、そんな人物の人生を壊すのは男にとって苦しかった。
その邪魔な存在の中には、彼ら自身の親や兄弟も含まれた。
親や、自分より上の優秀な兄弟がいては、十二貴族家の当主になれない。
だから排除した。
男が関わった者たちのうち、少なくない数の人間が、自殺したことも伝わってきた。
彼の両親も、尊敬していた兄も、すでにこの世にはない。
そのおかげで、今や彼も若くして十二貴族家の当主になっていた。
自分がやっていることが正しいか悩む男に、眼鏡の男は囁く。
「大義のために犠牲はつきものだ」
男は眼鏡の十二貴族の言葉を信じるしかなかった。
信じなければ、これまでやってきたことの重みに耐えられなくなる。
眼鏡の十二貴族の男は、その他でも色々と手を回しているようだった。
男は、その全てを知りたくはなかった。
知ってしまうと仲間ではいられなくなってしまうような気がしていた。
大義のための犠牲。
それがどこまで許されるのか、男には分からなかったからだ。
わからないままに眼鏡の十二貴族の言葉に従い、数多くの人間の人生を狂わせ続けた。
そしてある日、男はアレス襲撃計画について聞くことになる。
アレスは男の目から見ても、素晴らしい人間だった。
確かに、自分たちの誰かが王にならなければならないとの話は聞いてはいた。
だが、アレス以上に王にふさわしい人間は、自分たちの中にはいなかった。
だからこその襲撃計画ではある。
ただ、魔王を倒すためには、人格だけでなく、強さでも他の人間の追随を許さないアレスを王にした方がいいように男は思えた。
思えたが、男は何も意見しない。
黙って眼鏡の十二貴族に従う。
苦戦の末、アレスを生け捕りにした後も、男はただ、眼鏡の十二貴族に従う。
それ以外に男の取れる手段はない。
眼鏡の男を信じきるしかない。
男の手はもう、そうしなければ取り返しのつかないほどに汚れてしまっていたから。
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