第90話 裏切り
「なんで、あなたが裏切ったんだ――エレナさん!!」
エレナ・ミルウッド。
俺と部屋が同室で、騎士団に入って一か月、共に生活してきた。
女性だと勘違いするほどの容姿をしているが、正真正銘の男性だった。
男性だとわかった上でも、時々女性だと錯覚するほどの仕草や表情を見せる。
表裏がなく、いつも明るくとても好感が持てる性格をしていて、同じ部屋になってとても仲良くなった……はずだった。
そんなエレナさんが今、人を引き寄せるような笑顔は消え失せ、目の前に立っている。
無表情で家の出入り口に立ち、俺を見ている。
目を合わせているが、その瞳からは何も感情が感じ取れない。
なんで、エレナさんが……!
「あなたが、情報を流したのか……!」
俺は剣を構えながらそう問いかける。
「うん、そうだよ。リンドウ帝国に今この国に最強の兵士、ビビアナ副団長とリベルト副団長がいない、ってことを流したのは僕だよ」
エレナさんは淡々と、事実を並べるように無表情で話す。
いつもの明るく元気な喋り方をしていたエレナさんが、嘘のようだ。
「なぜ裏切ったんだ……! あなたが裏切った理由は、一体なんなんだ!」
俺は大声でそう叫ぶ。
外からは戦闘をしている音や、誰かの悲鳴が聞こえる。
だが、今はここの空間だけが遮断されたように静かな気がする。
戦闘の音や悲鳴は近くのはずなのに、遠くで鳴っているかのように聞こえている。
その静かな空間で、エレナさんが小さく呟くように答える。
「別に、裏切ったわけじゃないよ」
「どういう、ことだ……」
「もともと、僕は君の仲間じゃないってことだよ、エリック」
「だから、それはどういう……っ!?」
俺がもう一度問いかけようとした瞬間、エレナさんは目を閉じた。
今まで一度も逸らさなかった目が一度閉じ、そしてもう一度目線が合うと――。
――そこには、真っ赤に染まった瞳があった。
戦闘のときや魔力を操るときなどに、目が血の色を思わせるような赤色に染まる。
それは人族にはない特性だ。
その特性は俺が殺したフェリクス・グラジオや、俺が愛しているイレーネと同じ、つまり――。
「魔族、だったのか……!」
「うん、そうだよ。だから、僕はもともとリンドウ帝国側ってこと。まあ正確に言えば違うんだけど」
今まで一緒に一か月、共に暮らしてきて全く気づかなかった。
もともと魔族と人族に身体的差異はない。
違いは今エレナさんがやったように、目の色が変わるということぐらいだ。
「じゃあなぜあなたは、ベゴニア王国で兵士をやってるんだ……!」
「スパイだよ。この国は色んな魔族の国に狙われてたから、僕がスパイとして送り込まれたんだ」
何かを思い出すように少し笑いながら、俺から目線を外し上を見る。
「怪しまれないように見習いから入ったから、ここにいたのは三年ぐらいかな。長かったような、あっという間だったような……まあ、どうでもいいかな」
ふっと鼻で笑うと、俺にまた無表情な顔で話しかけてくる。
「ようやくここを離れられるから。面倒な任務もこれで終わりだ――邪魔な君を倒してね」
そう言うと、さっきまで何も持っていなかったエレナさんの両手には短剣が握られていた。
服の袖に仕込んでいたのだろう。
いろんなことに驚愕していたが、俺は全く油断せずにエレナさんを観察していた。
「悪いが、あなたには負けるつもりはない」
今までエレナさんと訓練で戦ってきたが、一度も負けていない。
両手に短剣を持っているということは、訓練の時と戦い方は同じだ。
持っている武器はエレナさんも俺も刃がある本物の武器だが、殺さずに気絶させることは俺にはできる。
俺の言葉を受けて、エレナさんはここで初めて笑顔になった。
その笑顔は俺が知っている純粋なものではなく、歪んだ笑顔だった。
「あはは、エリック。僕が訓練で本気出してると思った?」
「っ!」
「フェリクス・グラジオを殺したエリックなら知ってるよね、魔族の特性」
なぜ俺があいつを殺したことを知っているのか。
魔族側のスパイだから、それくらいは知っていて当然なのか。
「戦闘で本気を出すとき、魔族は赤い目になるって――ことをさ!」
エレナさんはそう言って、真っ赤な目のまま飛び込んできた。
――速いっ!?
予想以上の速さに驚き、剣を振るう。
しかしそれはエレナさんの右手に持っている短剣で流され、逆手に持っている短剣を振るわれる。
「――くっ!」
腹に目掛けて刺さりそうな短剣を、俺は咄嗟に無手でエレナさんの手首のあたりを弾いて軌道を逸らす。
服が破れて右脇腹に短剣が掠った。だが傷は浅い。
この間合いはまずい。
近過ぎて俺の剣は振れない、そしてエレナさんの短剣は思う存分に本領を発揮してしまう。
後ろには下がれない、ティナが寝ているから。
エレナさんが次の攻撃に移る前に、腹を狙って思いっきり蹴る。
両手を交差させてギリギリで防いだエレナさんだが、その勢いで家の出入り口まで後退する。
これで間合いは取れた。
しかし、危なかった……。
あのままの勢いでやられていたらまずかった。
エレナさんの言う通り、訓練の速度はやはり本気ではなかったようだ。
だが、それだけだ。
迫ってくる速度や短剣を振るう速度は確かに上がった。
それでも俺の方が上だ。
速度が上がったとしても、フェリクスほどではない。
あいつの方が速かったし、力も強かった。
俺の蹴りで今のエレナさんぐらい後退するほど、あいつは弱くなかった。
強くなってはいるが、やはり俺の方が強い――っ!?
俺がそう考えていると、いきなり目の前の光景が歪み始めた。
足もなぜか言うことがきかなくなり、フラついて膝をついてしまう。
な、何が……!
「言ったはずだよエリック。僕は兵士じゃない、暗殺屋だって」
目の前で俺にゆっくりと近づいてきているエレナさん。
これは、まさか……。
「どく、か……!」
「うん、短剣に毒を塗ってある。傷口から入ったら数秒で気絶するぐらいの猛毒だよ」
目の前にいるエレナさんの姿が霞んでくる。
「僕の勝ちだね、エリック。初めて、エリックに勝ったよ。特に、嬉しくもないけどね」
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