第80話 激情 -Always behind you-

・1・


 ——早朝。バベルハイズ王立霊園。


 沈まぬ太陽と氷の大地が一望できるこの場所は、王国が管理する共同墓地の一つだ。その一画を包帯を巻いた右腕で花束を抱えた青年が歩いていた。彼は迷うことなく歩を進め、とある墓標の前で足を止めた。


「悪ぃ……随分と遠回りしちまった」


 カイン・ストラーダは誰に聞かせるでもなくそう呟くと、そっと持っていた花束を置く。リサ・ストラーダの墓前に。


「正直、アンタが死んだって実感がまだないんだ。つい先日顔を見たばかりだからな」


 あれから2日。

 激動の戦火に彩られたバベルハイズはようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 魔人の襲撃。

 魔導式AIロゴスの暴走。

 そしてそれらの背後で暗躍していた二人の神凪かんなぎ

 多くの思惑が錯綜し、混沌を極めた戦いの連続。その最中、カイン自身も避け続けていた過去と向き合うことになった。


機械人形アイツが偽物だってことは理解してる」


 そう、偽物だ。

 機械人形オートマタが発した言葉は所詮、機械が算出したものに過ぎない。例えどんなに高性能でもそれは命なき傀儡。本人なんかであるはずがない。


「それでも俺は……その……またアンタとちゃんと話ができてよかったと思ってる」


 彼女は紛れもなくカインの知るリサ・ストラーダだった。紛い物であっても、本人が生きていればきっと同じことを言ったはず。そう思えるくらいには良くできた偽物だった。

 おかげで決して叶うはずのなかった彼女の言葉を今度はちゃんと聞くことができた。5年前のあの日、どうしようもなかったと頭では理解していながらもずっと彼女の死を自分のせいだと――その罪を背負い続けてきた青年を解放する最後の言葉を。

 癪だがその一点だけは神凪絶望かんなぎたつもに感謝しなければならない。


「どこまで行っても俺の自己満足だけどな」


 それでもきっと笑って許してくれる。記憶の中に今も鮮明に生きるリサという女は。今は素直にそう考える事ができた。


「やはりここにいましたか、カイン」

「シルヴィ」


 青年の名を呼び、近づいてくる女騎士――三剣騎士団トライナイツ団長シルヴィア・フラムベルグは、その立場故に普段人前では見せない柔らかな笑みを浮かべていた。今の彼女は騎士としてではなく、同じ師を仰ぐ弟子としてここにいる。


「さっき墓守のおっさんに聞いた。お前がリサの墓を用意してくれたんだってな。仕事早すぎんだろ」


 リサの墓石が新品なのは一目見ればすぐに分かる。今はもうこの国の人間ではないカインはいつここを発つか分からない。きっとそんな彼のためにシルヴィアが手を回したのだろう。


「いいえ、むしろ遅すぎました。彼女の死から5年、遺体はおろか遺品さえ残されていない。弟子として不甲斐ない限りです」


 ここにはただ、名前が刻まれた墓石があるだけ。下には何も埋まっていない。それでもここを彼女の安寧の地とすることが、今できる精一杯のことだった。


「……充分だ。サンキューな」

「あなたに素直に礼を言われると、なかなかどうして落ち着きませんね」

「うるせーよ」


 そう言って二人は、お互い気付かぬうちに昔のように笑いながら自然と言葉を交わしていた。


「ところでお前も墓参りか?」

「いえ、それは後日改めて。ここへ来たのはあなたを王城へお連れするためです」


 そう言ってスッと騎士としてのキリッとした表情に戻ったシルヴィアは、カインにこう告げた。


「吉野ユウト殿が目を覚ましました」


・2・


「あなたは死を免れる代償として、魔道士ワーロックの力を失ったのです」


 宣告される非情な現実。しかし、ライラの言葉に疑う余地がない事は他の誰よりも自分自身が一番理解していた。


「……俺は」


 その時、ガタンと扉が壊れるほどの勢いで開く音がした。


「ッ!?」


 入ってきたのは白衣に身を包む小柄な女性――鳶谷御影とびやみかげだ。彼女はものすごい剣幕でズシズシとユウトに迫ると、そのまま一言も喋らずに彼の胸に抱きついてきた。


「ちょっ、え……ッ!?」

「……呼吸、乱れなし。心拍数も正常」


 サッと流れるように彼女の頭部はユウトの胸板から額に移動し、ピタッと自分の額とくっつける。


「まぁ♡」

「……体温も、異常はありませんね」

「ッッ」


 鼻を撫でる吐息が熱い。ここまで全力で走ってきたのか、御影の息が乱れているのがダイレクトに伝わる。


(気まずい……)


 そんな中ただ一人、ライラだけは頬を赤らめ、ニヤニヤとした表情で口元を押さえていた。


「………………ふぅ」

「み、御影さん?」


 御影は靴も脱がずにベッドの上にへたり込み、俯いたままだ。


「……に、して……」

「え?」

「いい加減にしてッ!!」

「ッ!?」


 突如、まるで堰を切ったように彼女は大声で叫んだ。


「えっと、御――」

「あなたは……ッ! いったいどれだけ人を心配させれば気が済むんですか!?」


 普段の彼女からはまず考えられない怒声に思わずユウトの背筋が震える。咄嗟に落ち着かせようと伸ばしたユウトの手を御影は容赦なく叩き落とした。


「私が、どんなに……ッ」

「……あ」


 俯いていた彼女がゆっくりと顔を上げた。その瞬間、ユウトは自分が犯してしまった過ちを理解する。


「……あ、えっと……」


 泣いていた。

 常に冷静で、どんな時も必ず背中を支えてくれる彼女がだ。

 戦う力はなくとも、他の誰よりも頼りになる強さを持つ彼女がだ。

 子供みたいに泣きじゃくっていた。


「御影……」

「……ッ、失礼します」


 一気に暴発した怒りが収まらないからか、それともぐちゃぐちゃになった顔をこれ以上見られたくないのか、御影は吐き捨てるようにそう言い放つと部屋から飛び出してしまった。


「……」

「あらあら~」


 嵐のような一瞬の出来事に室内がしんと静まり返る。だがそれもほんの僅かな間だった。閉じたばかりの扉がすぐに開いたのだ。


「鳶谷博士? ん~? ……隊長、何したんですか?」

「よぉユウト。やっとお目覚めみたいだね」


 入ってきたのはレイナ・バーンズ、飛角、そして夜式真紀那やじきまきなの3人だ。明らかに普通ではなかった御影の様子を察し、レイナは怪しむような目でユウトを見る。対して何事もなかったようにマイペースな飛角は相変わらずだ。そんな2人の一歩後ろで真紀那は一言も喋らず、しかしユウトの無事を安堵して胸を撫で下ろしていた。


「……はぁ、一応聞いてやるけど、何かあった?」

「それは……」


 ユウトの様子がおかしい事にいち早く気付いた飛角が仕方なくそう尋ねた。そして案の定、彼は言葉を詰まらせる。そんな彼を見て飛角は小さく溜め息を吐くと、表情を険しくしてこう言った。


「唐変木は今に始まったことじゃないから私は特に気にしないけど、それにしたって……お前もそれくらい分かってるだろ?」

「心配をかけたのは……ッ! ……その、悪いと思ってる」


 あの時――ザリクの黒い瘴気に触れた瞬間、吉野ユウトという人間は確かに一度死んだ。今こうして生きているのはほとんど奇蹟みたいなもので、何とかなる確信があったわけではない。


「けどあのままじゃ魔遺物レムナントが――」

「そんなもん、くれてやればいい」

「ッ!?」


 飛角はキッパリと言い放った。一瞬、呆気にとられるユウトだがすぐに我に戻って口を開く。


「くれてやればいいって、どういう意味だよ?」


 思わず口調が強くなってしまった。ユウトはすぐに後悔したが、当の彼女はそれを気にしていない。むしろあくまで冷静に、淡々と続けた。


「周りをよく見ろ。私を含めここにいるヤツ全員、お前の尊い自己犠牲なんて求めてないんだよ。自惚れんな」


 飛角の言葉に、レイナをはじめこの部屋にいる全ての人間が首を縦に振った。


「俺は、そんなつもりじゃ……」


 続く言葉が出てこない。否定しようにもできなかった。

 自己犠牲。あの時のユウトの行動はまさにそれだ。


「……」


 詰まる所、優先順位の問題だ。

 もし飛角をはじめ、この場にいる全員がユウトと魔遺物レムナントを天秤にかけたなら、彼女たちはきっと前者を選ぶ。本当に大切なものを。

 だから御影はユウトに対してあんなにも激怒したのだ。大切なものを失わないために戦うユウトと同じように、彼女にとってユウトが大切な存在だからこそ。


「……ごめん、なさい」

「フフ、分かればよし。偉い偉い~」


 いつもの調子に戻った飛角はそう言ってユウトの頭を優しく撫で始めた。


「後でちゃんと謝っとけよ〜。やっこさん、今回は相当ご立腹みたいだからさ」

「う……ッ」


 さっきの御影の顔が脳裏によぎる。あれをもう一度前にしなければならないと思うと正直気は重い。だが今回は多大な心配をかけた自分に100%非がある。何よりそんな自分のために泣いてくれた彼女をこのまま放っておくことは絶対にできない。


「隊長、ファイトです! 誠心誠意謝れば、鳶谷博士は許してくれますから!」

「はぁ……分かった。覚悟を決めるよ」

「話はまとまったみたいですね。では皆さんで朝食にしましょう。病み上がりのユウトにはとっておきの薬膳を用意させます。修羅場に向けてしっかり精を付けてください」

「ライラ、なんか楽しそうだな」

「フフ♪」


 明らかに状況を楽しんでいる王女は意味深な笑みを浮かべると、侍女たちに朝食の準備を指示するのであった。

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