第62話 小さな村の小さな伝説

「ママ、怖いよ」

 建物の外から騎士様達の声や激しい戦いの音を聞いた幼い少女が、不安の声を上げるとともに母親の胸へと飛びつく。

 村の集会などでつかうこの建物の中には、現在ほぼ村の全員とも言って良い数の人達が集まっている。

 普段は林業や農業で豪快な性格の男たちも、戦いという初めての経験のせいか、誰もが口を閉ざし、聖女様が行っている儀式を今か今かと怯えながら待ち続けている。


 数週間前、突如村のすべての井戸が枯れ果て、近くを流れる小川も次第にその水量を減らしていった。


 当初こそ季節の問題で一時的に水が枯れ、雨さえ降れば何もかもが元どおりになると誰もが考えていたが、雨が降っても井戸に水が戻ることなく、状況はますます悪くなるばかり。

 困り果てた私たちは、この領地を収める公爵様に救いを求めた。

 すると、偶然各地を見回っておられた聖女様がたまたま旅の休息の為に訪れておられ、翌日には護衛の騎士様達を引き連れた聖女様がこの村へと足を運んでくださった。


 聖女様が言うには、地面の下。水脈が異常な動きをしており、元に戻すにはこの地で直接儀式を行わなければならないと。


 私は年長の方からすれば何も知らない只の若造だが、最近祖父から村の長の役目を引き継いだばかり。本当ならば父が担う役目だったのだが、残念な事に私が幼い頃に病で亡くなっている。

 これは、そんな私に訪れた最初の試練といえよう。


「大丈夫、大丈夫だから。かならず聖女様や騎士様達が、悪い魔物からこの村を守ってくださるから」

 普段とは違う大人達の様子を見て子供達が怯えてしまっている。


 聖女様の話では儀式の最中、邪霊と呼ばれるものがこの村に姿を表す可能性があるのだとか。

 この建屋は儀式を行われている広場からは離れているうえ、建物の外には今も騎士様達が警護をしてくださっている。

 本当ならばご自身の身の安全を確保する為の護衛なのだろうが、それでも大半の騎士様達を私たち村人の為にいてくださったのだ。


 私にとっては今回聖女様のお姿を見るのが初めてではあるが、噂通り民の事を第一に考えてくださっているお人なんだろう。

 ただ気になる事が一つだけ。儀式が行われる少し前、鎧を着た騎士様達の中に年若い二人の女性の姿をこの目にした。


 私はこの場にふさわしくない二人の少女の事が頭に残り、この建物へと戻る途中か騎士様に二人の少女達の事を尋ねた。すると騎士様は笑いながらこう教えてくださったのだ。

 大丈夫、あのお二人は私たち……いや、この国の希望なのだと。




『ユゥ〜ラリル〜ユ〜ラリユゥ〜♪ ソォラリ、ユゥ〜ラリユ〜ラリユゥ〜♪』


 この歌は……精霊の歌?

 儀式の最中、時折風に乗って届く綺麗な歌声。

 以前何かの書物で読んだ事があるが、聖女様は大きな儀式を行うときには必ず精霊の歌という歌を口ずさむんだとか。

 きれいだ……こんな時だと言うのに心が安らいでいくのが感じられる。


「大丈夫、大丈夫だ。必ず聖女様たちがこの村を守ってくださる。だから信じよう、私たちが信じなければ頑張ってくださっている聖女様や騎士様達に顔向けができないじゃないか」

 そうだ、あんな小さな子供達が頑張ってくれているんだ。大人である私たちが信じなければ申し訳がない。

 この歌を聴いていると自然と不安な気持ちが安らいで行き、気づけば一人立ち上がり、こう口にしていた。


「……そう……だな、俺たちの為に聖女様達は頑張ってくださっているんだ」

「お、おぉ、俺たちがこんなしょげた顔をしてちゃ申し訳が立たないじゃないか」

「はは、お前も一丁前に言うようになったじゃねぇか。そうだな、村長の言う通り俺たちも応援しよう!」

 静まり返っていた建物から急に声が聞こえ、護衛にあたってくれている騎士様が何事かと様子を伺って来られるが、村人達の様子を一目見ると笑顔で警備の方へと戻って行かれた。

 頑張ってください、聖女様。






「グルルゥゥ」

 突如目の前に現れた白い毛並みをした一匹の獣。

 私に漂っていた死の気配を一気に消し去ってくれたのには感謝したいが、味方かどうかが分からないこの状態では素直にこの状況を喜べない。


「こんな状況で魔獣だと!? くそっ、一体どこから現れやがったんだ!」

 最大のピンチとも取れる状況から救かったとは言え、突然現れた獣はまさに私の目と鼻の先。もしこのまま鋭い牙や鉤爪で飛びかかられれば私の体など一凪で切り裂かれる。

 ビスケスが投げ捨てるように言葉を吐き捨て、邪霊を牽制しつつ背後から獣との差を縮めようとするが、白い獣はその気配を察したのか、素早く振り向くと同時にビスケスに向かって大きく跳躍した。


「ビスケス!」

「くそっがっ!」

 不意を突くつもりが逆に不意をつかれ、ビスケスがとっさに大きく剣を凪振りかぶるが、白い獣は何もない空中でもう一度飛び跳ね、そのままエレノアが戦っている邪霊に襲いかかる。


 キィーーッ!!


 またあの声だ。さっきも私に襲いかかってきた邪霊も同じ声をあげて四散していった。

 今もエレノアが戦っていた邪霊が白い獣の鉤爪で切り裂かれ、悲鳴とも取れる声を上げながら四散していく。

 もしかしてこれが邪霊の断末魔なのではないだろうか。するとこの白い獣は邪霊の倒し方を知っている?


『我は獣などではない、我は聖獣、我が名を呼ぶときは白銀シロガネと呼べ』

「うわっ、獣が喋った!」

 直接私の頭に響くような野太い男性の声、さっき私のピンチの時に聞こえた声と同じという事は、恐らく声の出どころはこの白い獣なのだろう。


「どうした姫さん、あの魔獣がなんだって?」

「えっ、ビスケスには聞こえなかったの? 今その白い獣が……」

 そこまで言葉を口にして、白い獣が口を動かしていなかったことにふと気づく。すると直接私の脳裏にでも話しかけて来ているのだろう、先ほどの言葉が正しいとするならこの白い獣の正体は聖獣。

 中級精霊と呼ばれる実体をもつ精霊ですらお目にかかるのは珍しいと言うのに、神の使いとも噂される聖獣は言わば伝説級と言っても過言ではないだろう。


 噂では西のラグナス王国の更に向こうにあるアルタイル王国では、代々聖女を守る聖獣がいると聞いたことがあるが、残念な事に国同士の国交が無いため詳細は不明。

 このレガリアでも遥か昔は聖女に仕えていた聖獣がいたと伝承に残っているが、どれもこれもおとぎ話に近いような内容だった。

 するともしこの白い獣が本当に聖獣というなら、真の聖女であるアリスを守りに来たって事?


『先ほども申したはずだ、我はぬしの心の強さに応えたまで、アリスという娘の事など我は知らん』

「えっ、ちょっと私の心が読めるの?」

『我と波長が合う者ならば、だがな』

 さも当然のように私の言葉に答える白き獣、いや白銀シロガネ


 私の心が読める? それほど凄い力を持っているのならば、それこそ私に話しかけるのは間違っているだろう。

 どういう理由かは知らないが、アリスじゃないとすれは聖女であり、この儀式を執り行っている姉様を真っ先に助けるはずだ。私を守る事が結果的に姉様を守る事に繋がるとはいえ、一番最初に話しかけてくるのは間違っているだろう。


『何度も言うが、我はお主の心の強さに応えたまで。アリスと言う娘でもなければ、あそこで儀式を執り行っている者でもない』

 アリスじゃなければ姉様もでもない? 

 一体この聖獣は何を考えているのよ。でもとにかく今のこの状況では最強の助っ人と言える。

 自ら聖獣と名乗っているのなら間違いなく私たちの味方であろう。これでもし人間を滅ぼそうと言うのなら、私やエレノアを助けようともしないだろうし、目の前で次々と邪霊たちを倒す力で、騎士たちにも見境なく襲っているだろう。


 一応確認しておくけど、敵じゃないのよね?

『無論だ。我にレーネスとの契約がある限り、その子孫らを未来永劫見守り続ける。

 もっとも、我自ら力を貸そうを思ったのはレーネス以来ではあるのだがな』


 白銀シロガネが語った言葉の半分は意味が分からなかったけれど、レーネスと言う人物はハッキリと分かる。

 レガリアの初代聖女であり私や姉様のご先祖様。

 その白銀シロガネはこう言ったのだ、レーネス様との契約があると。


 わかったわ。力をかして、白銀シロガネ

『心得た!』


 その後、邪霊を牽制ながら白銀シロガネが敵でない事をビスケス達に知らせ、儀式は終盤を迎える事になる。

 もっとも、邪霊の大半は戦場を縦横無尽に駆け回る白銀シロガネが一人で殲滅していったのではあるが、私たちは誰一人として命を落とす者もなく、無事に二人を守り抜いたのだ。






「……戦いの音が、やんだ?」

 一人が始めた聖女様へのお祈り。

 いかに村人たちに勇気が芽生えたとはいえ、このまま勢いに乗せて戦いに参加するには力不足。いや、返って騎士様達の足を引っ張る事になるだろう。

 ならば我々が出来る事があるとすれば、神への祈りと聖女様達の安全を祈るのみ。

 この国では神への祈る力は、そのまま聖女様のお力になると言われているから。


「ホントだ、音が止んでるぞ」

「終わったんだ、聖女様が守ってくださったぞ!」

 一人が口にした言葉を皮切りに、集まった人たちから次第に明るい声が上がり始める。

 確かに先ほどまで聞こえて来た騎士様達の声も、激しい戦いの音も聞こえない。その中で、ひときわ大きく聞こえる聖女様が口ずさむ精霊の歌。

 まるで私たちに、もう心配しなくていいんだと語り掛けてくれているようにすら感じられる。


「なにあれ! すごくきれい!!」

 先ほどまで不安で泣いていた女の子が、格子の隙間から見える外の景色を見て声を上げる。

 あれは……光の雨?


「儀式が終わったようです。もう外に出ても大丈夫ですよ」

 建物の外を警護してくれている騎士の一人がそう私達に告げ、入り口の扉を大きく開く。


 きれいだ……。

 村長である自分が村人達にもう危険がない事を見せる為、一番最初に扉をくぐる。そこにはまさに幻想的という言葉が相応しい美しい光景が広がってた。


「これは一体……」

 外に出た村人達が誰しもこの光景に見とれ、言葉を忘れて立ち尽くす。

「私も詳しくは知りませんが、これが精霊の光と言うものらしいです」

 私が独り言のように放った言葉に、近くにいた騎士様の一人答えてくれる。


「精霊の光……これが……」

 天空から降りしきる無数の光の雨、そしてわずかに見える村の広場では多くの騎士様達から祝福される三人の少女の姿が見える。


 私は今日この光景を生涯二度と忘れる事はないだろう、光の雨に祝福された三人の聖女様の姿を……。

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