後日譚
「水龍と火神鳥」― 壱 ―
その身に炎を纏った大きな鳥。
相対するはエメラルド色の美しい蛇。
いくつもの火の玉が地を穿ち、鋭い水の塊が山を抉った。
そんな夢を見て、その迫力に心臓が耐え切れず、目が覚めた。
ガルダに『
目の前には貴重なカエルの寝顔があった。
いつもは私が目を開ける頃にはもうカエルは起きていて、息を潜める様にじっと見つめられている。
目が合うとほっとしたような、倖せを噛みしめるような、そんな顔で
毎朝の儀式のようなそれは、正直なんだかこそばゆい。
けれど、あどけなくも見えるその
私は誰かにこんなにも必要とされたがっていたのだなと自覚して、母性が依存に取って代わったりしないようにと自分に言い聞かせる。
リア充爆発しろ! って声が自分の中からも聞こえてきそうだよ。
私も息を詰めていたはずなのに、カエルの睫毛がぴくりと震えた。そろそろと開いて行く瞼の奥で、紺色の瞳がまだ夢を見ている。
どうせ起こしてしまうのならと、私は笑って彼に軽いキスをした。
「おはよう」
不意打ちを食らったカエルは瞬間的に覚醒して、眉間に皺を刻みながら頬を染めた。
何、その顔。カワイイ。
「ユエ、やめろ」
「なんで?」
自分だって、たまにするじゃん。
やめろと言われたら、困らせたくなる。
私はにやりとしながら、もう一度キスしてやった。
ユエ! と怒る声は聞こえてこなかった。代わりに掴まって、彼の舌が私の唇をなぞる。
まずいと思ったのはカエルの手が直接肌に触れてから。
「カ、カエ……ちょっと……っん……まず、くない?」
「しらん。ユエが悪い」
しれっと言って、唇を塞がれる。
彼の手が枕の下を探りに行って、神官サマからデータ提出料金としてもらい受けた魔道具(一定範囲の音を周囲に洩らさない)を発動させた。
あ、本当に止める気が無い。しまった。
「俺はやめろと言った。まだ鐘も鳴ってない」
「……でも、今日は、ガルダと……」
ちょっとだけ動きを止めて、カエルは私をじっと見つめた。それからすぐににやりと笑う。
「尚更、やめられない」
「えっ?!」
胸元に鈍い痛みが走る。
「ちょっ、痕、つけないで!」
「ユエは暑いとすぐに脱ぎたがるからな。保険だ」
だって暑いんだもん! 日本の夏よりはカラっとしてるけど、暑いものは暑いんだよ!
「どうしても嫌なら、言えばいい。もう、俺に触れられたくないと」
どうしてそんな意地悪な言い方をするんだろう。
そんなこと、言えるはずないのに。
「もう、カエルには――」
全部を言うつもりはなかったけど、意地悪を返してやりたかった私の口は、そこでカエルに塞がれた。
「――やっぱり、聞きたくない」
「……もぅ」
結局、2人で蕩けてしまっていつもより少しだけ寝坊してしまった。
◇ ◆ ◇
レモーラに戻って来てから、私が自分のベッドで眠ることはなくなった。
カエルの部屋のベッドはセミダブルくらいの大きさがあり、2人で寝るのに何の支障も無い。バス、トイレ付で簡易のシンクまであるのだから、ここに居着くのは必然と言える、かもしれない。
という訳で、そろそろただのウォークインクローゼットと化している自分の部屋で着替える。
カエルに付けられたキスマークが鎖骨の下辺りなので、首元の開いた服が着られない。くそう。
最近、カエルの過保護が半分独占欲だとようやく気が付いた。
あのスイートルームでの一夜から、彼がそれを隠そうとしなくなったせいもあるのだが、それによって一番被害を被ったのは代書屋さんだ。
隣に座るのも渋られたくらいだ。
せっかく待っててくれたのに、酷い扱いだと思う。
でも、裏を返せばそれだけカエルが代書屋さんを認めている、ということかもしれないし、彼等の仲が遠慮の無いものにまで深まっている、とも言えるのかも。
相変わらず、2人で飲みに行ってたしね!
フォルティス大主教もカエルの変化に気付いたようで、微笑ましいものを見るような瞳で彼を見ていた。
パエニンスラを発つときには、またいつでも手合せしようと拳を合わせて、私にはルーメンをよろしくと頭を下げた。
その、神官サマはまだ中央から戻って来ない。
彼と最後に会ったのは帝都を出る日の朝だ。
わざわざ部屋にやってきて、その時に魔道具ももらい受けた。
もちろん、楽しそうに根掘り葉掘り聞かれて、レモーラに帰ったら経過を聞かせて下さいね、と念まで押された。
かれこれひと月くらいにはなると思うのだが、まだごたごたしているのかもしれない。
中央に戻るのをあんなに嫌がっていたので、何があってもそのうちふらりと帰ってくるに違いないとは思っている。
シスター・マーテルには手紙が届いているようだしね。
あまり気にすると彼をつけ上がらせそうなので、なるべく気にしないようにしているのだ。
山奥に行くと言うので、かっちり目の膝丈半袖ワンピに長いトレンカの様なものを合わせた。
長袖は無理だ。暑さでやられてしまう。
甘んじて虫に刺される方を選ぼう。
カエルに髪を纏めてもらって、朝食を食べてたらお爺さんが顔を出した。
「ガルダと出掛けるって?」
行きたい、と顔に書いてある。
「爺さんは外出禁止だろ」
にやにやとカエルが返した。
「わしが居た方が、ガルダを止められるぞ?」
食い下がるお爺さん。
「ビヒトに聞けよ。了承が取れたらいいんじゃないか?」
「……ぬぅ」
パエニンスラのお城でジャンピング土下座を目の当たりにして驚いたが、それよりも周りを驚かせたのがガルダの存在だった。
あのビヒトさんがガルダには随分緊張して接していたし、ガルダも、ビヒトさんには興味津々といった顔を向けていた。
深々と溜息を吐いたビヒトさんは、お爺さんを連れて一室に篭ったっきり鐘2つ近くも出てこなかった。
後で聞いたら、正座させられて懇々と説教されていたらしい。
その大きな体を小さく丸めてお説教を聞いていたのかと思うと、なんだか可笑しかった。
「ガルダ様が来られましたが」
ノックの音と共に噂のビヒトさんの声がして、お爺さんはちょっと背筋を伸ばした。
「ビヒト、爺さんが話があるってよ」
カエルがドアの方に声を掛けると、不思議そうな顔をしたビヒトさんがそっとドアを開けた。
「ヴァルム様が何故ここに?」
「若者だけじゃいざという時ガルダを止められんと思ってな。わしも一緒に行ってやると――」
冷たくにこやかに笑ったビヒトさんの顔を見て、お爺さんはそれ以上言葉を紡げなかった。
「そのまま逃げられては困ります」
「失敬な!」
「前科持ちの人が何を言っても無駄ですよ」
「このひと月真面目にしとったじゃねぇか。ちょっと息抜きくらい」
「息抜きで数年行方不明になられては困ると言ってるのです」
「だから、店はランクに譲っただろう? いいじゃねぇか」
「
イライラと、普段では考えられないほど砕けてビヒトさんは言い捨てる。
私と目が合うとはっとしてひとつ咳払いをした。
大丈夫ですよー。そんなビヒトさんもイイです。
「ガルダにも言い聞かせておけばいいんじゃないですか?」
缶詰めの辛さはちょっと解るので、私は助け船を出した。
お爺さんがきらきらした目で私を見ている。もちろん、カエルとビヒトさんの目線は冷たい。
「主2人……2体? の対面なんて何があるか判らないし……ガルダに懐かれているお爺さんの同行は正直有難い気がします」
「っだろう!?」
「ガルダにも時間にはきちんとここに戻るように約束させられるのなら、一緒に来てもらってもいいんじゃないですかね」
渋い顔をしながらも、ビヒトさんはガルダを呼びに行った。
「ユエ」
「ん?」
「酔ってるだろう」
ぎくりとする。
お酒は飲んでない。魔力酔いだ。症状としてはどちらも大して変わらない。足下がふわふわして、気が大きくなったり陽気になったり、肌がちょっと敏感になったりする。
魔力は血液や体液に良く馴染んでいるということなので、まぁ、なんだ。
いつもは朝になれば酔いも醒めているし、大分慣れたのだが、だって、今日は――
「こ、これは仕方ない、デショ!」
責任の半分はカエルにあるんだから!
抗議の目を向けると、解ってはいるのか、つぃと目を逸らされた。
お爺さんは事情を察したのか生暖かい目で私達を見ている。
魔力の全く無い私は体内に他人の魔力が入り込むと体調を崩すようだ。カエルは元々魔力が極端に少ない体質らしく、酔うくらいで済んでいるのは実は幸運なのかもしれない。
そしてそれを利用して、私は身体を魔力に徐々に慣らそうとしている。もしも子供が出来たときに、子供の魔力で母体を危険に曝さないように。
そういうことは近しい関係者には周知されている。不用意に魔力に曝されないようにでもあるし、無駄なトラブルを避けるためでもある。
魔力を感知して発動する防犯魔道具が役立たずになるからね。
ちなみに、カエルとでも調子に乗って一晩で何度も肌を合わせたりすると、次の日酷い二日酔い状態になって半日寝込んだりするのだ。先は長い。酒好きの代書屋さんの辛さが変な所で解ってしまった。
動物の腸を使った避妊具があるにはあって、使えばもっと症状は軽くなるはずなのだが、私はカエルの子供なら欲しいし、元々確率は低いのだ。魔力に少しでも早く慣れるためにもお断りしていた。
カエルは――子供は怖いらしい。自分と同じに産まれたら可哀想だと。
何となくだが、私はそれも心配ないと思っている。そう言っても、上手く伝わらない。加護って結構万能だよって言って誤魔化したりしてる。
そんな風に怖がるのに一緒に寝るのをやめられないのは、やっぱり若さなのかな。笑っちゃう。
私だってのんきに構えているだけじゃない。
自分がカエルよりも先に死んでしまった時の為に、少しずつリエルに血を抜いてもらっている。
そういうのの保存技術はあるようで、順調にストックできればカエルも、もしも子供がカエルと同じに産まれてきても、何とかなるはずだ。
これはまだカエルには内緒だ。子供が出来たら教えてあげるんだ。
リエルと共犯の誓いを立てて、彼女の呼び方もその時に変えさせられた。
家族になるのでしょう? と。
特に、カエルとの間でそういう話は出ていないのだが、周りからはもう決定事項のように扱われている。
周りから固められるのは本意では無いけれど、急かされたりするわけじゃないので仕方が無いと諦めた。
皆の望みも痛いほど解るから。
「何だよ。早く行こうぜ」
バーンとノックもせずにドアを開けてガルダが入ってきた。
こちらに帰ってきてからはタンクトップにハーフパンツという出で立ちで、ロレットさんの店の服だった。何気にお洒落なんだよね。
それはそれとして、こいつ……後で色々教えないと。
はたと目が合うと、ガルダは不満そうに口を尖らせた。
「ユエに魔力は留めておけないって言ってたのに」
「留めてる訳じゃない」
カエルが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「それに、ちゃんと了承済みだ」
「俺んだってか」
ストレートなガルダの物言いに、カエルは少しだけ怯んで、こちらの様子を見ながら続けた。
「……あぁ、俺のだ」
お爺さんがにやにやしてる。
「別に、取りゃあしねーから俺のも流させてくれよ」
「無理。ガルダの魔力なんて強すぎて、多分死んじゃう」
私が肩を竦めてみせると、ガルダは舌打ちした。
「弱っちぃな」
「うん。ごめんね。これでも少し慣れてきてるんだよ」
ガルダは強いモノが好きだ。あと、単純に綺麗なモノ。
海色のキャンディーは私が彼を手懐けるのにかなり役立ってくれた。半分くらい無くなってしまったので、近いうちに買いに行こうかな。
ガルダが運んでくれたら港町まですぐかもしれない。
「……弱っちいけど、旨いモノくれるから許してやる」
「そう? ありがとう」
餌付けは成功しているようだ。しめしめ。
「でね、お爺さんが一緒に行きたいって言ってるんだけど、私達4刻、遅くても5刻には戻ってきたいんだよね。その時刻に全員を連れて戻ってくれるなら、明日ケーキを焼いてあげようと思うんだけど」
「……けーきってなんだ?」
「甘いお菓子だよ。多分、気に入ると思うんだけど。約束してくれる?」
しばし間がある。
「ナーガに会えなかったら、また付き合ってくれるか?」
ん? おやつだけじゃ駄目か。珍しい。そんなに『
「分かった。会えるまで付き合うから。そのかわり、ヒトの時間に合わせてね」
「……まぁ、そう言うなら合わせてやってもいい」
カエルは少し眉を顰めたが、ガルダの方はまんざらでもなさそうだった。
「お爺さんが楽しいことしに行こうって誘っても、2人でどっかに行かないでね。約束してくれないともう付き合わないから」
ガルダはキョトンとして軽く首を傾げた。
お爺さんの方がちょっと焦っている。
「嬢ちゃん、あんた容赦ねぇな」
「これで逃げられたら、私が悪いことになるじゃないですか。どちらかというと私、ビヒトさんの味方なので」
お爺さんはあんぐりと口を開けて、2、3度開け閉めすると諦めたようにカエルに向かって言った。
「坊主の1番の恋敵はビヒトじゃねぇか?」
「あぁ、最初からそうだ。ビヒトがその気になってたら、勝てない気がする」
真面目に溜息ついちゃってるけど……え? 最初からって、どういうこと?
確かに、ビヒトさんにお嫁さんにしてくれとは言った気がするけど。それのこと?
「あいつは俺も好きだな。強い気配がする」
「なんじゃい。どいつもこいつも。何でアイツだけがモテやがるんだ」
憮然として腕を組んだお爺さんは、長年の恨みとでもいうように舌打ちをした。
「やっぱり、モテたんですか? ビヒトさんって」
「僻んでんじゃねぇぞ? わしだってそれなりにゃぁ……だが、わしが知り合った半分くらいは後からあいつがかっ攫ったからな」
ああ、それは、あなたが放置した後始末をしてたのでは。と、私でも思いつくあたり……
笑いがこみ上げてきた。
「でも、彼は誰かには絞らなかったんですね」
お爺さんは真顔になって、ドアの向こうに視線を向けた。
「若ぇ頃のあいつにゃあ、他人なんて映らなかったろうよ。そこそこの年齢になったら子育てを押し付けられた。今は今の暮らしに満足してやがる。嬢ちゃんが真面目に口説いたら、脈があるかもなぁ」
「爺さん」
カエルの冷たい声に、お爺さんはにやりと笑った。
「わしは誰の味方もせん。好きに生きればいい」
そう言いつつ、ビヒトさんの言いつけを守り、カエルを抱き締め、引き籠もっていたガルダを広い世界に連れ出した彼は、もしかしたら皆の味方なのかも。ちょっとだけ、そう思った。
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