80.成れのハテ
あの、額にある宝石の様な石がその証だと主張している。『
ただ、その瞳には『
そろりそろりと相手を刺激しないように少しずつ後退る。
あれは子供達のように湖で溺れるようなことは無いだろう。下手すると一足飛びにこちらへやってきそうだ。
「主とやりあうのは、拙いんですよね?」
声を落としたら、震えがもろに出た。
「普通であれば……しかし、あれは普通ではないようですよ?」
ちらりと見た神官サマの瞳はまた光を放っていた。
「ここに来たのも、私達が居るからではなく――」
燃えている子供達の横を通り過ぎた時、主ハテックは猫のようにシャーっと威嚇の声を上げた。
私を庇うように広げていたカエルの手に突き飛ばされて、神官サマに受け止められる。カエルはそのまま後ろに一飛びしていた。
先ほどまでカエルが居た場所が一直線に抉れている。舞い上がった砂が飛んできた。
「……どの程度まで使えるのでしょうね? あの様子ではあまり複雑な
「
カエルの舌打ちが響く。
「危ない時はなるべく打ち消しますが、残量の差は如何ともし難いのでできるだけ避けて下さい」
「……簡単に言ってくれる。そもそも、本当にやりあって大丈夫か?」
「もう異変は広範囲に渡っています。あれは主としての役割を果たしていない。代わりはいるようですので、処分しておいた方がいいと思いますよ」
「俺では処分まで持って行けるかどうか……」
「出来なければ、ユエが狙われますよ? あれが狙っているのは、あの月の成分のようなので」
カエルが私を振り返った。
「来ますよ」
冷静な神官サマの声にはっとしてカエルが前を向く頃には、主ハテックは音も無く湖の向こうに降り立っていた。
こちらを気にしながら、ゆっくりと湖に近付く。
顔を湖に下ろし匂いを嗅ぐような仕種をすると、ぺろりと水を舐めた。そのまま瞳を爛々と輝かせ、一心不乱に水を啜り続ける。
「今は飽和状態の湖や月の光のお陰でユエに気付いていないようですね。ユエはあの洞窟に居た方がいいですよ。あの大きさではあそこには入れませんから。さあ、走って」
促され、躊躇うものの、私が居ても邪魔にしかならない。
主ハテックから目を離さないカエルに1度目をやってから、私は30メートル程の距離を一気に駆け抜けた。砂に足を取られて転びそうになりながら、こんなに真面目に走ったのはいつ以来だろうと思っていた。
途中でンギャっと主ハテックが声を上げた。水音に何かを弾く音。
ここで振り返ってはいけないと言い聞かせて、岩の割れ目に飛び込んだ。
心臓が壊れそうだ。
肩で息をしながら、這うようにして振り返り、現状を確認する。
主ハテックは湖のこちらにいた。飛び越えてきたのだろうか。その分カエルと神官サマは下がっている。
左手でナイフを数本持つカエルを、主は喉を鳴らしながら睨みつけていた。
主の前で燃えている子供たちの炎が一瞬立ち上がるほどになった。ちらりとそちらに気を取られた隙をカエルは見逃さない。
数本のナイフが目元を狙い、煩そうに前脚で弾かれるのを見越したように次の2本が肩口に刺さった。
シャーっという威嚇の声に、カエルはとっとっと下がりながら少し左に回り込んでいく。主ハテックの視界からこの洞窟を外すように。
足下の砂が抉れて舞い上がる。
神官サマも距離を保つように同じだけ左に回り込み、テント近くまで来ると主から目を離さぬようにしながら、入口近くに置いてあった荷物を手探りで手繰り寄せ、中身をその場にぶちまけた。
ちらちらと何度か足下を確認して筒状の物を幾つか拾い上げ、胸元や腰帯に挟み込んだりしている。
その間に主ハテックは肩に刺さったナイフを前脚で器用に払い落とし、カエルから目を離さずに目の前で燃えている子供達に近付いた。
ギャ、と一声威嚇すると、おもむろに炎ごとばくりとかぶり付く。まるで美味いぞとでも言うように、少し目を細めながらガリゴリと咀嚼する音がここまで響いてきていた。
もう一口、と開かれた口腔にカエルのナイフが飛んでいく。
カキンと軽い音がして主の口が閉じられ、それがニヤリと笑ったように見えた。それを見てカエルも少し笑う。
同時に主ハテックの口元で爆発が起こった。
ギャウっと2、3歩後退った主を追い、カエルが距離を詰める。飛び上がった彼を払うかのように横薙ぎにされた前脚は少しタイミングが遅かった。
主ハテックの額辺りに片手を付き、くるりと背中に飛び乗ると、素早く首周りに数本ナイフを叩き込む。
間髪入れずにそれらが爆発すると主は咆哮を上げながら後ろ脚で立ち上がった。
その脚を飛び降りてきたカエルが斬りつける。
ただ、浅い。主の体勢を崩させるにはいたらなかった。
身体の大きさの分、肉も厚ければ筋肉も堅そうだ。
距離を取るほんの少しの間、カエルは自分の掌を見ていた。手袋は焼いてしまって、今は素手だ。
下がろうとするカエルに、横合いから主ハテックの尻尾が襲いかかった。
一瞥すると、彼はそれを避けようとせず受け止めるかのようにその手を上げた。
ブンとうなりを上げてやってくるそれを受け止めきれる筈も無く、カエルは飛ばされる。
思わず息をのんだ。
神官サマの近くまで飛ばされたものの、着地から勢いのまま1メートル程後退して止まったカエルは、特にダメージを受けている風でも無かった。
主ハテックの方が不服そうに喉を鳴らしている。
「出来れば呑み込ませて下さい」
神官サマが先程拾い上げていた筒状の物を幾つかカエルに投げ渡した。
「また、無理を言う」
渋い顔をしたカエルにシャーっと威嚇が飛んでくる。
2人とも逆方向にそれを避けた。
カエルは筒をベルトに手早く挟み込んで、仕切り直しとばかりに大きく肩で息を吐いた。
ジリジリと回り込むように動きながら、しばらく睨み合いが続く。
主ハテックがカエルばかり狙うのは、攻撃されているからなのか『何か』の蓄積量が多いと判るからなのか……
主が体勢を低くしたかと思った次の瞬間、その巨体が消えた、ように見えた。
カエルは反射的に剣を払っており、ガキンと何かがぶつかり合う音が聞こえた。
一瞬彼の姿が見えなくなり、主ハテックの叫び声が響き渡った。
いつの間にか、主の片耳が無くなっていた。
カエルは頭上から、叫び声を上げ続けるその顔面の前に向かい合うように、挑発的に飛び降りる。
一呑みにしようと開かれた口の中に筒状の物を放り込み、鋭い歯を蹴りつけて距離を取った。
尚も追い掛けてくる鼻面を斬りつけ、牽制する。だけど、横から来る主の爪には対応が遅れた。
あっと声が出る。
辛うじて剣で直撃は防いだものの、そのまま地面に叩きつけられた。
砂埃が舞い上がり、視界が奪われる。
走ってきた直後のように心臓が早鐘を打っていた。
主ハテックは視界の利かない中、間髪を入れず砂をかき、嘲笑うかのように筒を吐き出した。
地面に付いた腕が細かく震え出し、必死にカエルを探すが見付けられない。
助けを求めるように見た神官サマは、表情も無く黙って様子を見ていた。
主ハテックが周囲に気を配り、やがて彼に目を留めるとゆっくりと体の向きを変えようとした。
だが、ビクリとして瞳を収縮させると、ギャニャっと少し可愛らしい声を上げて顔を仰け反らせた。
砂埃の中目を凝らすと顔の下、喉元に黒っぽい物が動くのが判った。
必死にそれを振りほどこうともがき動かす手脚をかいくぐり、その身体の下から何かが転げ出てきた。
主の喉元にはうっすらと血が滲んでいる。
肩で息をして、額から頬にかけて血を流してはいたが、カエルはまだしっかりと立っていた。
剣は途中から折れてしまったのか、半分位の長さになっている。
血の混じったつばを吐き出し、口元を乱暴に拭うと、彼は折れた剣を構え直した。
ほっとしたのが半分、もうやめて欲しかったのが半分。
失くしたくないというカエルの気持ちが良く分かった。
憎々しげに低く喉を鳴らしてカエルを睨みつける主。
頭を低く下げ、じり、と後退する。
追うように一歩踏み出すカエル。
「下がって!」
神官サマの鋭い声が飛んだのと、主ハテックが音にならない咆哮を放ったのは同時だった。
辛うじて前に出るのを踏みとどまったカエルは、反射的に両腕を顔の前にクロスさせ、頭を庇う。
次の瞬間、カエルの目の前で何かがバチンと弾けるような音がした。
続いて衝撃波がカエルを襲う。
強風に曝されるように靡く彼の髪も服も、幾つもの細かい剃刀が飛んできたように切れてほつれて流される。
一瞬だけ片足を引いたカエルだったが、主が突っ込んでくるのを感じたのか、その足に力を込め自らも前進した。
迫る鋭い牙に向かっていくカエルは、剣ではなく拳で横から鼻面を殴りつけた。
剣の方に意識を向けていたのだろう。主ハテックは意表を突かれたかのように少しバランスを崩した。
追い打ちをかけるように、飛び上がったカエルが同じ場所を蹴り付けると、今度は主が砂煙を上げて横倒しに倒れ込んだ。
闇雲に振られる前脚をいなしながら、落下する勢いを利用して、彼は主の瞳に折れた剣を突き刺す。
痛みと怒りとで叫び声を上げながら、主ハテックは猛烈に頭を振り、起き上がった。
はじき飛ばされたカエルは砂の上を何度か転がって勢いを殺す。
彼が立ち上がる前に主は突っ込んできた。
立ち膝のまま主の下顎を突き上げるように両手で受け止めると、押されるがままに5、6メートル後退し、カエルは何故かにやりと笑った。
主ハテックは残った目を細めてカエルを探るように数秒見た後、弾かれたように後ろに飛び退いた。
「判るのか。お前にゃあ、過ぎた量じゃないか?」
今度は静かな怒りをその瞳に滲ませながら、主は神官サマにも視線を投げた。
「気付かれましたね」
神官サマは動きも最小限に留めて、なるべく目立たないように魔法を放っていた。
主ハテックはカエルが魔法も使っていたと思っていたんじゃないかな?
それが、明らかに神官サマに対する警戒が上がっていた。
「奥の、奥の手とかは無いのか?」
「ありますが……どうなるか分かりませんよ? 制御出来ないので」
「俺に無茶を言うのだから、あんたもそれを制御しろよ」
神官サマはやれやれという風に息を吐いた。
「時間、作ってもらいますよ?」
カエルはハッと短く笑った。
「また、無茶を言う」
「ああ、出来れば耳を塞いでいた方が良いのですが」
主ハテックの威嚇を避けて飛び出したカエルは、舌打ちをして叫んだ。
「無理だっ!」
主の顔の前まで跳び上がり、残った瞳を狙ってナイフを幾つか投げつける。
全てを前脚の一払いで防いでしまうと、主は短い威嚇を幾つか神官サマに飛ばした。
大きな威嚇の時と違い威力が落ちるようで、ひらりひらりと避ける神官サマの足下の砂は、小さく穴が開く程度だった。
カエルがちらりとそれを見て、なるべく主ハテックの気を自分に引きつけるべく、その顎を蹴り上げた。
オーバーヘッドのような体勢からくるりともう半回転して着地する。と同時に主の血の滲んだ首のラインにナイフを投げた。
連投したナイフは最初のナイフが刺さった直後に後続のナイフがその柄を押し込み、爆発する。
『――汝、昏き闇の底に眠りし者よ』
神官サマの声が辺りに響いた。
『今
私にも場の空気が変わったのが解った。
主ハテックが神官サマに顔を向けた。
カエルはその横面を蹴り付ける。
――が、先程までより力が入っていない……?
空中でバランスを崩したカエルを一瞥すると、主は素早く反転してその尾で彼を弾き飛ばした。
『我は欲す』
カエルは丁度この割れ目の上部に叩きつけられ、岩の破片と共に私の目の前に落ちてきた。
一声呻いた後、頭を抱えるようにして少し身体を縮め、動かなくなる。
「――っカエル!!」
思わず洞窟を飛び出して、カエルを抱き起こそうとした。
月の光が遮られ、主がカエルを追ってきたのだと気付いて顔を上げる。
私を不思議そうに値踏みしている瞳がそこにあった。
『古より全てを焼き尽くしてきた灼熱の炎を』
神官サマの声に緊張がこもった。
すんっと顔を近付けられ、匂いを嗅がれる。
動けなかった。
主ハテックは顔だけ神官サマに向けて、煩わしそうに短い威嚇を連続で放った。
『我が目前に闇を――』
一瞬詠唱が途切れてひやりとしながら、この隙にとカエルのベルトから筒状の物を1つ抜き取る。
顔を上げようとしたら、ばくりと咥えられた。歯は立てられてないが、いつ呑み込まれるかと緊張する。
筒を持った右手が口の中にあって、良かったのかどうか。
『――焦がす炎の柱を打ち立て』
神官サマの詠唱が続く。良かった。
何処に向かっているのか運ばれながら、ふと先程主ハテックが筒を吐き出していたのを思い出した。放り込めばもしかして一緒に吐き出される?
物は試しと、なるべく喉の奥に届くようにと投げつけてやった。
主の動きが鈍くなる。吐き出そうかと口を開きかけ、思い直したようにまた閉じる。
駄目か、と次に出来ることに思考を切り替えた。
動くのは左手。左。
私くらいが殴りつけてもなぁと握った拳に目をやって、腕輪に気が付いた。
――目眩まし位には……
神官サマの言葉を思い出す。
『我等に仇成す者を……』
神官サマの声が付いてきている。
ゴクリと主ハテックの喉がなった。
飲み込んだ!?
私を離したくなくて、異物を飲み込む方を選択したようだ。
直後に私はざぶりと水に浸けられた。
すぐに引き揚げられたが、少し水を飲んでしまい咳き込む。鼻が痛い。
主は首を振り、私を少し放り上げた。
口を開け、飲み込む気なのだと理解した私は、半分自棄で主の鼻に向けて身体を捻り、左手を振り抜いた。
腕輪が鼻に当たった瞬間、辺りが白一色になった。
ギャ、と主ハテックの声は聞こえたが、自分が何処に落ちていくのか分からなかった。
1度何かに当たり、バウンドしてまた落ちていく。
『……イカリャク!』
水に落ちる寸前、耳を疑うような言葉が聞こえた。
聞き間違い? いや、でも詠唱は途中だった。以下略って……以下略って、いいの?!
落下した水音と、神官サマが何か叫んだ声が同時に聞こえたけど、何を言ったのか分からぬまま、私は水の中に沈み込んでいった。
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