78.クライ森

 発動させとけと言われた魔道具を握り締めたまま、私は採石場を見下ろしていた。

 樽を1つ抱えて、カエルは先程のように石柱の上に居る。

 カエルの手元が動いたかな、と思ったらドンと爆発音がした。続けて幾つかナイフを投げたのが判る。


 神官サマはもう1つの樽を持って奥に入って行ったようだ。

 カエルの視線が彼の方を追い、ナイフで援護している。

 やがて神官サマが戻ってくると、カエルは段になっている奥の壁面の岩に器用に飛び移って行き、何やら確認すると何ヶ所かで樽を傾けていた。

 空になったのだろう樽を投げ捨てると、石柱の方に戻ってきて神官サマに指を振って合図する。


 一瞬の間の後、ごう、と炎が上がった。

 カエルが少し下がる。

 神官サマも坂の方まで下がり、成り行きを見守っている。

 不意に近くでばくりと聞こえて心臓が飛び上がった。


 いつの間にか砂トゲトカゲ達が近くまでやって来ていて、バリバリと何かを食べている。はっとして周囲を見渡すと、黒っぽいものが広場に点在していた。

 慌てて御者台に登って、魔道具を発動させる。


 この位置だとトカゲ達までぎりぎり範囲に入ってしまうのか、近くまで来た蠍が弾き返されることに不服そうだ。ゆっくりと自らに近付くも、結果は同じ。

 ちょっと可哀相に思って、私は魔道具を幌の隙間からそりの中へ転がした。


 おやつにありつけるようになったトカゲ達は、炎から逃げる様に四方に散る蠍を、時に前足で押さえ付けたりして上手に狩っている。

 毒耐性もあるのかなぁ? あるんだろうな。


 採石場に意識を戻すと、入口近くの石柱まで戻ってきているカエルが、ぐるりと首を巡らせていた。

 風向きが変わると油の燃える匂いがする。

 しばらくそうして警戒していたが、動きが無くなったのか、カエルも石柱から下りて神官サマと共にこちらに戻ってきた。


 広場にも、もう蠍は見当たらない。私はそりに転がした魔道具を止めに行って、後ろから飛び降りた。

 カエル達を待つ間に、砂トゲトカゲの首元をぽんぽんと叩きながら、ありがとうとお礼を言う。

 彼らはおやつを食べただけのことだろうけど、うっかり刺されていたら危なかった。


「ユエ! なんで乗ってない?」

「乗ってたよ。さっきまで――」


 カエルを見上げようとして、後ろの景色に違和感を感じた。

 カエルを通り越して、奥の岩山の切れ込みに釘付けになる。

 カエルと神官サマがその視線に振り返った時、その切れ込みの向こうにずるりと鉤型に曲がった黒い尾が消えていくところだった。


 ちょっと、今何か、遠近感がおかしいものを見たような気がする。

 足の力が抜けそうで、カエルの腕に縋り付いた。

 1度私を見て、縋り付いた手をぽんぽんと優しく叩くと、カエルはもう1度岩山に視線を向けた。


ぬし級ですね。環境を考えると不思議ではありません。こちらに来なかったところを見ると、彼らにとってもこの繁殖は異常ということなのかもしれませんね」


 採石場の炎はまだゆらゆらと陽炎を上げている。

 あんなのと近くで会わなくて良かった。良かった、けど、会うかもしれなかったというのは怖い。私の知っているサイズじゃない。

 ともかく、と私達はそのままオアシス都市に引き返したのだった。


 ◇ ◆ ◇


 神官サマが依頼の報告に行っている間、私は仮眠を取っていた。

 夜に出発するかもしれないからだったが、しばらくすると汗だくで目が覚めた。

 お風呂が恋しい……水が貴重なので、お湯をもらって体を拭く程度しか出来ないのが辛い。


 湖の端で沐浴してる人達を見たなぁ。

 行こうか迷って、カエルを起こすのは悪いので、宿の人に桶を借りて水を入れてもらった。

 水で充分。水で。


 部屋で上半身裸になって、砂っぽい頭を桶に突っ込んで軽く濯ぐと、それだけで少しさっぱりした。髪の水気を拭いてから、そのタオルを水で浸して汗をかく所を中心に体を拭いていく。

 冷やりとした感覚に慣れてくると、とても気持ち良かった。

 鼻歌など歌いながら、何の気なしにノックに返事をしてはっとした。


「あっ……ダメ!」


 ドアに背を向けていたので、一応持っていたタオルで胸元を隠しながら頭だけ振り返ったら、カエルのぎょっとした顔が見えて、次の瞬間には凄い勢いでドアが閉まった。

 ああ、説教コースだ。

 今回は自分が確実に悪いので、覚悟を決めて手早く着替える。

 そろりとドアを開けると、カエルは座り込んで顔を膝に埋めて頭を抱えていた。


「……ごめん。鍵かけるの忘れてた」


 反応が無い。


「反省してます……カエル?」


 怒られないと逆に怖い。


「えーと……寝て起きたら汗だくでね? 気持ち悪かったからお水もらってきて……」

「なんで返事するんだ」

「……うっかり」


 長い長い溜息が聞こえた。

 まだ上気している顔を上げて、カエルは私を睨む。


「背中くらいしか見えなかったでしょ?」


 勢いよく立ち上がって、彼は私に背中を向けた。


「昼」


 短く言い放つと歩き出す。

 慌てて鍵をかけて後を追う。桶は後で返そう。

 無言で怒られるのが一番堪える。


「ごめんって。見られた私が悪いと思ってるんだから、そんなに怒らないで?」

「怒ってない」


 そう言うけどカエルはこちらを向こうとしない。

 これはしばらく駄目かもしれない。

 私は諦めて黙々と気まずい昼食をお腹に詰め込んだ。




 陽が落ちてから酒場で神官サマと待ち合わせしていたので、まだ目を合わせてくれないカエルと一緒に待つ。

 口数は戻ってきているので、そこだけは救いかも。

 程無くして現れた神官サマは、椅子に座りもせずにテーブルに手をつくと、にっこりと笑った。


「行きましょう」


 ちょっと面食らう。

 すぐにでも、と言いたいのは彼の様子で判ったが、ここで待ち合わせしたからには食事してから行くものだと思ってた。


「あの、食べてからでもいいですか?」


 彼の様子に遠慮気味に聞くと、神官サマはきょとんとして、笑いながら椅子に腰かけた。


「すみません。少し、気が早かったですね」


 お酒は抜きで、手早く食事を済ませると私達はそりに乗り込んだ。

 その森はこの街の南西側にあって、砂漠の終わりに当たるという。そこより西には深い森が続いていて、半島の南の森のように冒険者が何人も帰らない様な人類未踏の地なのだと。


 不帰かえらずの森とも呼ばれるそこは不用意に入ると方向感覚を狂わされ、いつまでも森を彷徨うようなことになるらしい。

 そんな脅しのような話を聞かされているうちに、ぽつぽつと緑が増え、木々の間を進むようになった。


「このままその湖まで行けるんですか?」

「さすがにそんなに行きやすい所ではありませんよ。この先に少し開けた所がありますから、とりあえず、そりではそこまでですね」


 今はカエルが手綱を握っている。森の様子を後ろで見ていた神官サマはしばらくしてから御者台へと出て行った。

 暗い森の中は月の光も届かないので、道の両脇で草が揺れても風なのか動物なのかさえ分からない。


 前方は灯石のカンテラで照らしているはずだが、後ろはただただ闇が広がっているだけだった。

 砂漠ほど冷える訳ではなかったが、その闇を見ていると身体がぶるりと震えた。

 やがてスピードが落ち、そりはゆっくりと止まる。

 砂トゲトカゲ達は明日までここに繋いでおくらしい。


 私達はテントや最低限の荷物だけ背負って神官サマについて行く。

 後ろのカエルが剣を抜く鞘走りの音が響いた。

 闇の向こうで何かが息を潜めているような気持ちになる。気のせいかもしれないけど、手には汗をかいていた。


 後ろでカエルが剣を振る音と動物の断末魔が聞こえた。

 振り向くと小さく大丈夫だとカエルは言う。神官サマは振り向かずに歩みを進めている。

 何度か同じように後ろや横で動物の声が聞こえたが、私は神官サマを見失わないように黙って付いて行った。

 何処をどう歩いたのか、彼は振り向くと私に手を差し出した。


「この向こうです」


 彼がカンテラで照らし出したのは岩の裂け目だった。差し出された手を取って、人1人分くらいの幅の暗い裂け目にゆっくりと足を踏み込む。


「足下、気を付けて下さい」


 カンテラを低く持って足下を照らしてくれる。

 割れ目を潜ってしまうと、思ったよりも広い空間のようだった。自然に出来た物なのだろう。崩落したような大小の岩がゴロゴロしていた。

 下を向いて歩いていると、時々前方に明かりが見えて気になる。何かと思ったら、神官サマが蜘蛛の巣なんかを焼き払っているようだった。

 たまたま見えた明かりの中に蝙蝠が右往左往していた。


 頭上をバタバタしているのはあれか! たまにチュっとか言ってるし!


 見えないけど、たまに頭を掠めて握る手に力が篭もる。

 力が入る度にこの手はカエルの手じゃなかったと思い出して、少し申し訳なくなった。

 早く抜けてしまいたい。


 暗い中を神官サマは迷いなく歩き、2度ほど曲がった。一本道じゃないんだろうか。

 やがて、前方に薄青い光が見えた。

 入ってきたのと同じような岩の割れ目から、冴え冴えとした光が射し込んでいる。月明かりのはずなのに、暗い中を進んできたからか、とても明るい光に見えた。


 それに近付くにつれ、私は何だか尻込みしてしまい、神官サマと繋いだ手から力が抜ける。

 そのまま立ち止まってしまいたかったのに、彼は私の手を掴まえたまま、その光りの中に身を投じた。


「大丈夫ですよ」


 薄青い光りの中で微笑む彼はこの世の者では無い美しさに見えた。

 まるで天使の振りをした悪魔に唆されているようだ。

 彼の手に引かれるまま、ゆっくりと外に連れ出される。

 眩しい気がして目を細めたが、それはやはり柔らかい月の光だった。


 夢の中と同じ、空気までもが薄青く染まっていて、その全体がぼんやりと明るい。

 後ろから来ていたカエルを振り返ると、彼は空を見上げていた。

 彼の視線を追い、私も青い月を見上げる。月から見た地球のような、白いまだら模様のある、月。


「レモーラで見るものと、同じですか?」

「……ああ。同じだ」


 神官サマは何度か頷いて、そっと私の手を離した。


「テントを張ってしまいましょう。今夜は私は寝ませんので、お2人で使うも、交代で寝るも好きに使って下さい」


 足元は砂地で、砂漠の砂と同じように見える。周囲はぐるりと崖に囲まれていて、湖の周辺だけ5メートルほどストンと落ち込んだようになっていた。

 周りは森だ。木々に邪魔され、上空からでもなければ見付けづらいに違いない。


 男性2人でテントを張っている間に、私は焚き火用の木切れや枝を拾い集める。湖の周りに生えている木は少ないが、薪にするのに困らない量が落ちていた。

 やるべき事が無くなってしまうと、薄青い空間は何だか落ち着かない。

 また足元に巨大な穴が開くのではないかと不安になる。


「ユエ?」


 砂の上にぺたりと座り込んでいる私に、テントを張り終えたカエルが心配そうに声を掛けてきた。


「どうした? 大丈夫か?」

「……うん……大丈夫。ちょっと、もう落ちたくないだけ」


 カエルは何処からか腰掛けるのに手頃な大きさの石や倒木を探し出してきて、焚き火の周りに置いてくれた。

 赤い火を見ていると、少し落ち着く。


「落ち着いてからで宜しいのですが、少し実験に付き合ってもらえますか?」


 神官サマが申し訳なさそうに私の顔を覗き込んだ。


「カエルのお茶を飲んでからなら、お手伝いしても良いですよ」


 私は1番落ち着けそうな物を思い浮かべて、カエルに目でお願いした。

 一瞬合った目はすぐに逸らされてしまったが、分かったとお茶の準備を始めてくれた。

 ……まだ怒ってるのかな。


「彼は怒ってる訳ではありませんよ?」


 カエルが水を汲みに行っている間に小声で言う神官サマに驚く。

 びっくりするからあんまり読まないで欲しいな……


「すみません。お2人とも気にしてらっしゃるので、つい。どちらかというと照れてるだけなので、余りお気になさらない方が宜しいかと」

「そう、ですか」


 筒抜けなのは、こう、気恥ずかしいね。

 でも、怒ってないなら良かった、かも。

 その話を聞いたからか、カエルのお茶を飲んだからか、カップが空になる頃には私はすっかり落ち着いていた。

 我ながら単純である。


「で? 何をすれば良いんです?」

「水に触れてみて欲しいのです。ユエが来たとき、水が光ったと言ってたでしょう?」

「あの時は、水に落ちたので全身浸かってましたけど、触れるだけで良いんですか?」

「とりあえずは。何も起こらなければ沐浴くらいして頂きたいところですが……」


 神官サマはカエルを確かめるように見た。


「ユエがやるというなら、何も言えん」


 ぷいと私からも神官サマからも顔を背けて、カエルは渋い顔をしていた。


「とりあえず、触れてみれば良いんですね」


 私は湖の縁まで行き、スカートを濡らさないようにしゃがみ込むと、両手を突き出した。

 湖は月を映して水自体も仄青く染まっている。

 そろそろと両手を水に浸ける。特に何も――そう思った時、湖全体がカッと青白く光った。驚いて手を引っ込める。

 振り返ると、すぐ後ろで神官サマが興味深そうに目を細めていた。




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