50.パエニンスラ

 大陸側の港町に着いたのは、すっかり陽も落ちてからのことだった。

 水平線しか見えなかったのに、いつの間にか地平線に取って代わり、夕焼けの朱い色をバックに黒々とした大陸のシルエットが近付いてくるのは、なかなか圧巻だった。


 入港した時、港には煌々と明かりが灯っていて、暗い夜に慣れ始めていた私には少し眩しかった。

 一瞬だけ、元の世界に戻ったような気になって、カエルの姿を探してしまったくらいだ。


 タラップを下り、揺れない大地を踏みしめたはずなのに、まだ身体はゆらゆらと揺れているような気がした。

 それは宿についてベッドに横になっても、まだしばらく続いたのだった。


 翌朝早く馬車に乗り込み、パエニンスラへと向かう。

 馬車の窓からちらりと見えた街並みは、石造りや煉瓦造りの重厚な物が多く、歴史を感じさせた。

 帰りにはゆっくり見られたらいいんだけど……


 港で別れた代書屋さん達は、パエニンスラの教会に滞在するとのことだった。

 代書屋さんが言っていた、オルガンのある教会。

 3日目にその教会近くの宿をとって、合流することになっている。

 城に3泊するのも、最後だけ教会に泊まるのも嫌だということで、そういう感じに落ち着いたのだ。

 言っておくけど、宿はちゃんと2部屋とるからね!


 道中2度ほど休憩を挟み、夕刻には首都パエニンスラに入った。

 ランクさんに入ったよ、と言われて窓から眺めてみたけれど、郊外は畑や牧草地帯が広がっていて村の周辺と大して変わらなかった。

 景色が一変したのは少ししてからのこと。


 まず道が変わった。ガタガタと踏み固められただけの道から、煉瓦敷きの街道へ。明らかに馬車の乗り心地とスピードが違う。

 ぽつりぽつりとあった平屋の家は、6階建てくらいの洗練された建物に。港町で見たような石造りや煉瓦造りのものが多かった。


「……都会、ですね」

「一応ね、パエニンスラいちの都だからね。治安は良い方だけど、ユエは1人で出歩かない方がいいね」


 ランクさんは冗談めかして言って軽くウィンクした。

 お城まではそこからまだ半刻ほどかかって到着した。馬車からでは良く分からなかったが、中心にお城が有り、そこから放射線状に都市が広がっているらしい。

 降車場にはいかにもな黒服の従者さん達が出迎えに並んでおり、私は緊張でただただ促されるまま黙って行動した。


 カエルがちょいちょいフォローを入れてくれるのでまだいいのだが、本当にここに滞在するのかと、着いたばかりなのに溜息が漏れた。

 大理石のような磨かれた床の中央にだけ、少し毛足の長い赤いカーペットが敷かれていて足音を吸収している。


 謁見の間、と呼ばれる部屋で領主に挨拶することになっていて、そこに向かっているのだけど、私はすでに自分が何処にいるのだか分からない。

 階段を2つ上がり、角を3つ曲がった辺りから記憶するのを諦めて、他の人に丸投げすることを決心した。


 こんなに同じような景色で、よく皆間違わないね!


 ようやく着いた謁見の間には、領主夫妻とテリエル嬢のご両親が待っていた。


「領主様におかれましては、ご機嫌麗しゅう。此度の此方への滞在について快く応じて頂き、感謝の念に堪えません」

「堅苦しい挨拶は要らないよ。テリエル、立派になったね。私はいいから、ご両親とゆっくりお話しなさい」

「お心遣い、感謝します」


 礼の姿勢のまま、彼女はゆっくりとご両親に視線を移した。

 緊張した面持ちで近付いてきたご両親は、逡巡の後にぎこちなく彼女を抱き締める。


「……テリエル」


 それ以上は声が出てこないようだった。彼等の間に横たわる時間という名の境界線が見える気がした。

 さて、私はそろそろこの恰好が厳しいのだが。ホント、お嬢様って向かない。

 ぷるぷるしているのを見かねたのか、偶然か、領主様はこちらに声を掛けてくれた。


「他の者も顔を上げて楽に。特に制限は設けないから、自分の家だと思って気楽にしてくれ。決まりだからこんな場所で顔合わせをしてるが、私ももっとフランクに付き合いたいのだよ」


 周りが姿勢を崩したのを確認してから顔を上げると、おどけたように肩を竦めて、壮年の優しそうなおじさんが笑っていた。

 プラチナブロンドの髪を後ろで1つに纏めて、ブルーグレーの瞳が優しく弧を描いている。

 正装なのかマントを邪魔そうにはらって立ち上がると、こちらに向かって歩いてきた。


「ユエさんだね? ラディウス・パエニンスラだ。確かにあまり見ない外見をしている。通訳をこなすと聞いたよ。そんなに緊張しなくても大丈夫だから、安心してほしい」


 差し出された手を取って握手を交わす。


「有難うございます。お世話になります」

『で、彼を治したのは君だって本当?』


 突然の多重音声と砕けた好奇心満載の言葉に面食らった。何処の言葉だろう? 他の人の顔からは結構マイナーそうな感じ?


『治したわけでは……私の加護と相性が良かったみたいです』

「ああ! 凄いね! 完璧だ」


 嬉しそうに、領主様は私の肩をぽんぽんと叩いた。

 周りからの視線が痛い。

 この感じは、テリエル嬢の親戚と言われて違和感がないな。

 彼は少し後ろで片膝をついて控えているビヒトさんとカエルに目を向けると、表情を引き締めた。


「ビヒトさん、息災なようで何よりだ。君の弟子もきちんと育っているようで良かった」

「もったいなき御言葉」

「冒険者の君にはもう会えないのかな?」


 ビヒトさんはちらりと目線をあげると、ちょっと肩を竦めた。


「年寄りは引退して、若者に引き継ぐものだろう?」

「まだまだ現役だと、聞くけどね」

「何処からの情報かな? 黙らせておかないと」


 口元だけで笑う冒険者のビヒトさんは、ぞくぞくするほど格好良かった。

 これは若い頃、随分女性を泣かせていたに違いない。


「最後に、カエルレウム君。初めまして。私はテリエルの家族として、ビヒトさんの弟子として、君を歓迎するよ」

「お気遣い、感謝します」


 左手は後ろに、右手は左胸に添えて、視線は下げたまま礼の姿勢を崩さずにいたカエルが簡潔に応える。


「やれやれ。ビヒトさんの教育が行き届きすぎて、若さが足りなくなってるじゃないか。ビヒトさんだって君くらいの頃はもっと弾けてたよ?」

「ラディウス」

「……おっと。怖い怖い。まあ、だから気楽にやってくれ」


 視線を上げることなく、カエルは頷いた。

 疲れてるだろうからと、食事までは部屋で寛ぐように言われ、プロラトル一家を置いたまま私達は謁見の間を後にした。


 部屋までの間に、領主様はテリエル嬢のお父さんの従兄弟で、お爺さんのお姉さんの子供だと聞いた。

 お爺さんが自由人過ぎて、お父さんはほぼそのお姉さんに育てられたらしい。

 つまり、領主様と兄弟のようにして育ったということだ。


 冒険者時代にお爺さんと組むこともあったビヒトさんは、そういう理由で今の領主様と昔からの顔見知りということになる。やりづらいですよ、と彼は笑った。

 冒険者時代の話をもっと聞きたかったが、また今度とはぐらかされてしまった。くそう。いつか聞いてやる。


 案内の従者についていくうちに部屋に到着していた。隣がカエルの部屋で、テリエル嬢達とは離れた一般の(?)客室だそうだ。

 気を使わないようにとの領主様の配慮らしい。

 ビヒトさんは部屋の位置を確認すると、戻っていった。彼は向こう側なのだ。


 部屋に入ってみると映画で見るような天蓋の付いたベッドが目に入った。

 一人暮らしをしていた頃の優に3倍はある広さの部屋で、クローゼット、鏡台、簡易キッチン、テーブルと椅子が備え付けてあった。


 部屋の中のドアの1つはユニットバスのような感じで、もう1つはカエルの部屋に続くドアだった。内鍵が掛けられるようになっている。

 ノックして開けてみた。

 驚いた顔のカエルが振り返ってこちらを見ている。


「繋がってるみたい」

「……そうか」


 ぐるりと見渡してみると、作りはほぼ一緒だった。当たり前と言えば当たり前か。


「広すぎて落ち着かないよね。入ってもいい?」


 カエルは少し考えこむ。


「先に着替えるから、そっちで待ってろ。着替えたら行く」


 護衛から普段着になるのだと思っていたら、ノックして入ってきたカエルは執事服だった。

 返事も待たずに入ってきた癖に、内鍵を掛けておけと怒られた。向こうからは掛けられない仕様らしい。


「疲れてない? 今日は休んでもいいんじゃないの?」

「移動ばかりで逆に身体がなまる。大丈夫だ」


 言いながらカエルは部屋のチェックをしていた。ベッドの下まで覗き込んで確認している。


「そこまでしなくとも……」


 カエルはちょっと笑った。


「これが仕事だ。例え身内でも確認は自分できちんとしろって習ったからな」

「なんか、物騒な教えだね」

「物騒なんだ。実際」


 まぁ、お家騒動はどこでもあるんだろうけどね。


「ん。問題ない」


 立ち上がってカエルはパンパンと手をはらった。

 今は白い手袋だ。


「さて、お嬢様。お茶を一杯いかがですか?」

「……いただきます」


 執事スマイルのカエルはなんだかむず痒い。水差しからポットに水を入れて火に掛けるまでの流れも、無駄がなく綺麗だ。


「カエルはずっと執事をするの?」


 素朴な疑問だったのだが、カエルは質問の意味が分からないというように、少し眉間に皺を寄せてこちらを振り返った。


「元気になったなら、もっと何でも出来るんじゃないかなって」

「そうでもない。ユエが居なくなれば俺はあそこから離れられん」

「……? 居なくなる予定は無いよ?」


 カエルは沸き始めたお湯の方にまた向き直った。


「嫁に行ったり、家に帰ったり、するかもしれないだろう?」

「しないよ?」


 溜息が聞こえた。


「ユエ」

「別に、カエルの為とかじゃないからね? そこ勘違いしないでよね」


 ツンデレ風に言ってみて、カエルの反応を窺う。

 うん。特に反応はなかった。こっちではツンデレ流行ってないのかな?


「家には帰れないんだよ。物理的に無理」


 よし。振り向かせることには成功した。


「物理的に?」

「比喩じゃないよ? 家だけじゃなくて、国にも帰れないから」


 カエルの困惑が手に取るように分かる。


「だから、それはあり得ない話。嫁は……どうしようかな。今の仕事楽しいし、子供達と離れたくないし、村を離れなくて良いなら考える。正直、今の待遇が良すぎて他なんて見られないよ。上げ膳据え膳で、寝酒まで一言で出て来るんだよ?」


 難しい顔をしたまま、カエルは私を見ていた。


「出てって欲しいなら、カエルが私の護衛と執事を辞めなきゃお話にならないからね」


 わざとらしく溜息を吐いてみせると、彼は動揺したのか視線を左右に走らせた。

 ポットの蓋が蒸気で持ち上がり音を立てる。

 慌ててカエルは火を止めた。


「火傷しないでよ?」

「そんなに馬鹿じゃない」


 いつものように、カップは私の前に差し出された。


「いただきます」


 ふわりと良い香りが立ち上っている。

 ポットをコンロに戻したままの姿勢で、カエルはぼそりと言葉を絞り出した。


「……ユエに、言ってないことがある」

「うん」

「言わなきゃならんとは、思ってる」

「うん」

「この旅の間には――整理をつけたいとも」

「わかった。じゃあ、その時に私も帰れない理由を教えてあげる」


 不思議そうにカエルが振り返った。


「何?」

「秘密の交換ね」


 人差し指を唇の前に立てて、私はふふと笑った。


「言ってないことがあるのは、カエルだけじゃないよ。だから、お互い様だね」

「……宣誓を、誤魔化したのか?」

「そんなこと、狙って出来るわけないじゃん」

「だからアイツはユエに固執してるのか?」

「それは私も聞きたい。ってか、交換だって言ってるじゃない。色々聞かないで」


 ぶーっと膨れたら、はっとしてカエルは口を噤んだ。


「聞きたい方の気持ち、ちょっとは分かった?」

「――嘘か!?」

「嘘じゃないよ。そんな嘘吐かないよ。ちゃんと交換で教えてあげるよ? 少しは話しやすくなるでしょ」


 ぐっと言葉に詰まって、カエルは溜息を吐いた。


「どうしてユエはそうなんだ」


 首を傾げると、彼はかぶりを振って両手を挙げた。


「とても敵わない気になる」




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