7.ジョシ会

 次の日は朝早くから何やらバタバタしていた。

 掃除などで人の気配がする時は、極力部屋で大人しくしていろと言われているので、こっそりドアに耳を当てて外の気配を探ったりしてみる。

 掃除を短縮したり、地下に出入りしている感じ? こっち、とか、これ、とか言う声が聞こえてくる。

 足音がひとつこちらに近づいてきた。

 と。耳元でノックが聞こえて驚いた。


「どど、どうぞ」


 どぎまぎしながらドアを開ける。

 そこには朝食の乗ったお盆を持ってカエルが立っていた。

 へらっと笑っている私を見て訝しそうな顔をしたけれど、中に入るとお盆を私に押し付けて、窓際の簡易机を椅子とベッドで挟む位置に移動させた。

 呆気にとられている私を置き去りに、ひょいとお盆を奪って、そのまま机の上に置く。


「おまえはそっち」


 ベッドを指差される。

 だんだん扱いがぞんざいになってきてる気がする!

 居候の身で文句も言えずに、すごすごとベッドに向かうと、カエルとすれ違った。

 お盆の上にはパンの乗ったお皿と、ウィンナーと櫛形のフライドポテトが乗ったお皿、小ぶりの陶器の壷にスプーンが刺さっているものが乗っていた。


 随分量が多いなぁと眺めていたら、ポットと木製のカップを二つ持ってカエルが戻ってきた。部屋の外にワゴンを置いてあったらしい。

 ポットとカップを置いたら、机の上はもうぎゅうぎゅうだ。

 ウィンナーをひとつひょいとつまみ上げ、口に放り込むと、少し私の方に机を押し付けてからカエルは座った。


 昨日の所作がウソのように適当にカップにお茶を注ぎ、ひとつは私の前に差し出される。

 昨日、専属だのと話していたので、朝から緊張して食事をとることになるのかと思っていたが、どうやら違うようだ。

 カップを受け取って、いただきます、と呟いた。


「それ、意味とかあるのか?」


 やはり複雑そうな顔でカエルが聞く。


「言葉の意味としては『頂戴します』とか『もらい受けます』って意味だけど……作ってくれた人や、生産者、自然の恵みなどへの感謝が篭もってるって言う人もいるから……。『召し上がれ』への返答だと思えば、おかしくない……よね?」


 そこまで聞くと、物凄く意外そうな表情になった。


「まともな答えが返ってくるとは思わなかった。だが、まぁそう聞くと違和感は消えるかもな」


 マトモって! むー!


「ここの言葉ではなんて言うんですか? そちらに言い換えれば少しは変な目で見られませんかね?」


 嫌味に聞こえるように、丁寧に質問してみる。


「……スミーティオ、が一番近いか? けど……別にここに暮らす奴らはそこまで気にしないと思うから、堂々と口にしていればいい。異国の祈りだと思ってくれるさ」

「ビヒトさんもテリエルさんも、随分気にしてた気がするんですけど」


 ぐ、と一瞬のどを詰まらせて、わざとらしくカエルはカップに口を付ける。


「……似たような言葉を聞いたことがあって……だから、皆、ちょっと驚いたんだ」


 日本語を? いや、似たような、だから近い言語が無いとは言えないか……


「爺さんが居ればな。何か分かったかもしれんが」

「お爺さん? 物知りな方だったの?」

「世界中を文字通り飛び回ってた人だからな。少数民族とも友達になったとか、なんとか……そんな話をよく聞かされはしたな」


 相槌を打ちながら、目線でフォークを探していたが、見つからない。


「なんだ?」

「……フォーク……無いのかなって」


 きょとんと、ロールパンを2つに割ったまま、カエルがこちらを凝視した。


「摘まめそうなモンだったから、用意しなかったんだが……貧乏人なんだか、いいとこのお嬢様なんだか、さっぱりわからんな」


 肩を竦めて立ち上がったので、私は慌てて引き止める。


「あ、いい! 取りに行かなくていいから! 私、超庶民だし! っていうか、私、朝も皆と食べると思ってたから、色々不思議でっ」


 チョウ? と首を傾げながらもカエルは座り直す。


「昨日が特別だ。朝と昼は個人で取る方が普通だな。お嬢は朝から忙しくしてるし、俺は寝込んでることも多いから……」


 彼はそこで一度言葉を切り、口角を少しだけ上げてにやりと私を見た。


「なんだ、給仕して欲しかったのか?」

「やめて。勘弁して……このスタイルがいいです」


 慌ててポテトをひとつ口に放り込んだ。

 別に、コンビニのオツマミ系をこうやって手で摘まんで食べることはよくあった。洗い物が面倒くさいから。

 ただ、テリエル嬢みたいに、カエルもきっちり良いところのお坊ちゃましてるもんだと思っていたのだ。

 とても仲のいい姉弟に見えるのに、ちょっと不思議だ。

 ……あれ? 姉弟じゃないっけ?


「お嬢も結婚するまではかなりいい加減だったぞ」


 心の微妙なところを読み取られた。

 それはそれで納得のいく情報だけれども……


「カエルとテリエルさんって……」


 聞いていいのか判らなかったので、恐る恐る口に出す。

 答えは意外とさらりと返ってきた。


「ユエとそう変わらない。俺は年季の入った居候だ」


 さらりとはしていたけど、それ以上は聞ける感じでは無かった。

 私は壷に入っていたマーマレード風のジャムをたっぷりパンにのせて齧り付く。

 オレンジの爽やかな酸味の中に、ほろりと苦みが混じる。

 美味しいのに、今の心情にハマりすぎていて、眉間に皺が寄ってしまった。




「2刻の鐘が鳴ったら応接室に行くように言われてるから、部屋に居ろよ」


 手早く食器を片付けながらカエルが言う。


「2刻って……」


 悪いとは思ったが、ここの時間の表現だと何時だか良く分からない。

 カエルはぴたりと動きを止めて、まさかという顔でこちらを見る。

 私は肩を竦ませるだけだ。


「後で教える。次に鐘が3つ鳴ったら2刻だ」


 瞳に困惑の色を滲ませながら、慌ただしくカエルは出て行った。

 ぽつりと残されて、深い溜息が出た。

 とりあえず机と椅子を元に戻し、ついでに窓を開けて空気を入れ換える。

 この部屋の窓は下の窓を押し上げて開けるタイプで、あまり大きくない。景色も見えづらいのが残念だ。


 そういえば、と思い出して抽斗を開けてみる。

 数枚の紙と筒状のケースに入った色鉛筆、昨日カエルが読んでいた本が入っていた。

 本を取り出してぱらりと捲ってみる。

 昨日は一瞬だったから謎文字しか見えなかったけど、じっくり見るとじんわりと日本語ルビが浮かんでくる。

 少し読み進めてみると、冒険譚のようだった。ひとつの長い話ではなく、何話かで1冊になっている。

 意外と面白くて、立ったまま読み耽ってしまった。


 どこぞの村長の娘を魔狼から助け出す話の途中で、カエルが戻ってきた。

 ノックに生返事をしたので呆れた表情で入ってきたが、立ったまま読んでいるのを見て苦笑された。


「面白いか?」

「うん。これ、本当の話? ただの創作?」

「かなり誇張されたじじいの冒険譚。どこが装飾でどこが本当だか俺にもわからん。だが、本人に直接聞いた話とは結構違う」

「手作りなの?!」


 印刷かと思っていたが、よく見ると物凄く綺麗な手書きのようだ。


「知り合いの吟遊詩人に話したら、纏められて売り出されたらしい」


 売り上げの何パーセントかを、いまだに送ってくるということだ。


「爺さんの知り合いは変なのが多いんだよな」


 と、そこで鐘が3つ聞こえてきた。


「――と、行く時間だ。後でゆっくり読め」


 私は頷くと、本を抽斗に仕舞ってカエルに続いたのだった。


 ◇ ◆ ◇


 応接室にはテリエル嬢の他に、メイドのような、エプロンを付けた恰幅のいい、人の良さそうなおばちゃんと、首にメジャーを掛けた、身なりのいい細身の女性、その助手と思われる大量の荷物を整理している若い女の子がいた。

 カエルは私を案内し終えると、執事の礼をして下がっていく。

 部屋の中はカーテンが閉められ、灯石が灯っていた。


「ユエさん、こちらへ」


 テリエル嬢に促されて、彼女の隣に移動する。


「まず、うちの女中頭のアレッタよ。カエルやビヒトに言えないようなことがあれば、彼女に頼ってちょうだい。もちろん、私でもいいんだけど……ビヒトの目が無いことって少ないし」


 彼女は少しおどけて肩を竦めた。


「今日はいい機会だから、仲良くなれるようよろしくね」

「あ、はい。ユエです。どうぞよろしくお願いします!」


 アレッタさんにぴょこりと頭を下げると、戸惑いと驚きがないまぜになったような表情で彼女が口を開く。


「ちょっと変わってる、とは聞いていたけど……挨拶は頭を下げなくてもいいんだよ。あんたみたいなお嬢さんは、相手の目を見ながら優雅に膝を折ればいいんだ。アレッタだよ。気軽に接しておくれ」


 頭は下げずに、優雅に膝を折る……

 私は映画で見たドレスの貴婦人の挨拶を思い出す。


「私はお嬢様なんてもんじゃないですよ…」


 と、いいつつスカートを両手で摘まんで、なるべく優雅に膝を落としてみた。


「よろしくお願いします」


 今度は、おや、という声が漏れる。


「出来るじゃないか。セリフといい、昔のテリエルお嬢様を思い出すね」

「アレッタ。余計なことは言わないで頂戴」


 ぷくっとテリエル嬢が頬を膨らませる。


「奥様、お客様の前ですよ」


 アレッタは呆れ顔だ。


「いいのよ。ここに居るのは気心知れた者だけなんだから。今更取り繕っても仕方ないでしょ」


 細身の女性も女の子もクスクス笑っている。


「ユエさん、そちらにいるのが服飾品を扱うロレットと見習いのヴィヴィ。どちらも昔からうちに来てくれているお馴染みさんよ」

「よろしく。ユエさん」


 2人とも優雅な挨拶だ。


「よろしくお願いします……それと、あの、なんかこそばゆいんで、ユエ、と呼び捨てでお願いします」


 私はぐるりとみんなを見渡してお願いした。

 皆呼び捨てなのに、自分だけさん付けされると気持ち悪い。テリエル嬢にも言いたかったので、丁度良い機会だ。

 テリエル嬢は面白そうに目を輝かせて微笑んだ。


「じゃあ、ユエ。まずは脱いでね」

「え?」




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