4.夢見るショウジョじゃいられない

 テリエル嬢の興味がようやく私から入手物に移り、ぐったりと簡易ベッドに体を預けていると、ノックと共にカエルが入ってきた。


「入るぞ」


 返事を待つもんじゃないの?


「そっち、入って大丈夫か? ユエ」


 カエルの背丈なら衝立の上からひょいと覗けそうだが、その辺は気遣ってくれるらしい。


「どうぞー」


 がたがたと衝立を移動させる音がする。


「そうなると、お嬢は返事してくれないからな。これ、着替え。ビヒトから預かってきた。お嬢のお古で悪いが、しばらく我慢してくれ、だと。……大丈夫か?」


 俯せのまま、ぐったりしている私に心配そうな声が降ってきた。

 足元に何かがどさりと置かれる。


「肉体的より、精神的ダメージが大きいデス……」

「……俺も昔やられたんだ」


 だからわかる、と言外に言って、小さく息を吐いた。

 同志だったのか。

 私は顔だけを彼に向ける。


「悪気はないんだ。保護手数料だと思って許してやってくれ」


 そういってカエルは小さく肩を竦めた。

 居候の身ですものね。

 こっくりと頷くと起き上がり、私は着替えのために布の山を抱えて隣の部屋に移動したのだった。


 現実って残酷だね。

 胸の辺りがすかすかするんですけど?

 どうやらシンプルなワンピースにカップが付いただけの、いわゆる長袖のブラトップの様な物が下着らしい。


 ゆるゆるなんで、自分のブラは着けたまま上から着こむ。

 その上に五分袖程の、レースやリボンが施されている萌黄色のワンピースを着る。足首まである裾が慣れない。

 テリエル嬢の方が私より少し背が高いが、なんとか引きずらずに済みそうではあった。

 大丈夫かな? これ。七五三感が半端ないんだけど……


「この、沐浴着? って、どうすればいいですか」


 カエルは黙って隅の籠を指さした。

 私を見ても特に反応は無い。おかしくは無いってことだよね。

 籠の中にはカエルの脱いだであろう沐浴着や、テリエル嬢の長手袋が無造作に入っていた。私もその上に脱いだ物を乗せる。


「お嬢。おーじょーう。駄目だ……」


 カエルはテリエル嬢に呼びかけているけど、反応は全くない。カルテに色々と書きつける姿は鼻歌でも歌いだしそうである。

 しばし思案して、カエルは彼女の耳元に口を寄せた。


「……リエル」


 ぴたり、と手を止めて、彼女は振り返った。


「……今! 今の、カエル?! ちゃ、ちゃんと聞いてなかったから、もう1回、もう1回呼んで!!」


 さっと体を起こして、カエルは呆れ顔で告げる。


「聞こえてたんじゃないか。朝食も食べてないだろ? 店は閉めさせたけど、ビヒトが困ってるぞ」


「うっ……だけど……」


 カエルとカルテを見比べていたテリエル嬢は、カエルの後ろからそっと覗いている私に気付くと、観念したように肩を落とした。


「じゃあ、これだけ。聞き忘れてたから。それと、カエルがもう一度呼んでくれたら朝食を食べに行くわ」

「なんで俺が呼ぶのも条件に入ってるんだ」


 カエルが嫌そうな顔をする。


「だって! 最近誰も名前を呼んでくれないんだもの! 自分の名前を忘れちゃったら困るわ」


 ちらりと、私を見る。

 いや、私、名前は名乗ったでしょ?


「旦那に呼んでもらえばいい」

「ランクはしばらく帰らないじゃない。それに、彼はリエルとは呼ばないもの」


 もの凄く期待を込めた目で彼を見て、両手を拳に握る。

 頭痛を抑えるように額を押さえて目を閉じたまま、彼は根負けして溜息と共にその名前を吐き出した。


「リエル」


 満足げににっこり微笑むと、彼女は私に向き直る。

 美人の笑顔の破壊力ってすごいなー。

 彼女の後ろの窓から入ってくる光が後光のように見えて、私は目を細めた。

 ガラスは質が良くないのか、そういうデザインなのか、気泡がところどころ入っていたり、透明性が低くて景色も見えないのだが、空気がきらきら輝いて見えたというか。

 テリエル嬢はちょっと不思議そうな顔をした後、質問を口にした。


「ユエちゃんって、いくつ? 14? 15? そろそろ成人くらいなのかな〜とは、思ってるんだけど……」


 目が点になりそうだった。

 カエルから突っ込みが入らないということは、彼にもそのくらいに見えているということだろう。

 日本人は外国で若く見られると聞くこともあったけど……14歳はないよね?!

 で、そろそろ成人って成人の基準が違う予感がするよ!

 え。胸? 確かに寄せて上げて見栄を張ってもぎりぎりCくらいしかないけど! それのせいなの?!

 ちょっと違う方向に流れ始めた思考を無理やり戻して、私はなるべくきっぱりと言った。


20歳ハタチです」


 しかも今年21になります。と、そこまでは言わなかったけど。

 一瞬の空気の冷たさは言いようがない感じだった。


「お、思い出せないからって適当に言うのはダメよ? 背伸びしたい気持ちは解るけど――」

「ハ、タ、チ、です!」


 テリエル嬢を真似て、片頬を膨らませてみる。

 彼女は頭を抱えてしまった。


「……カエルより年上……」


 彼女は心の中の何かと闘っているようだった。

 そして一拍置いて、私も驚く。カエルが年下!? 身長の差もあるけど、確かに彼は私より少し上だと思っていたのに……


 当のカエルは完全にフリーズしていた。表情はそれほど変わっていないが、瞳がめいっぱい見開かれている。

 私はこの時初めてじっくりと彼を見つめたのだ。綺麗なお姉さんの方に意識が向いていたのと、醜態を晒してしまった恥ずかしさで、知らず知らず視線を逸らしていたのだと思う。


 黒っぽく見えていた短髪と瞳は、自然光の中では濃紺だった。多少冷たい印象を受けるが、表情がないからかもしれない。パーツ自体は割と整っている。

 沐浴着ではない彼の服装は、ハイネックの黒い長袖の上にこれも長袖のグレーのチュニック、黒のズボンに茶のシンプルなロングブーツという出で立ちだった。


 黒い服の袖は手の甲までを覆うほど長く、中指に引掛けるところが付いている。

 腰には少し幅広のベルトを巻いていて、小さいポーチの様な物や細かい金具が付いていた。腰の後ろにちらりとナイフか、短剣の柄が見えた。


「お2人は、お幾つなんですか?」


 このままでは話が進まないと、主にカエルの年齢が気になって聞いてみた。

 ふたりははっとして視線を合わせる。


「19」

「21よ」


 2人とも思っていたより離れてなかった!

 1コくらい、差のうちに入らないじゃない!

 衝撃は見た目に、であるということをうっかり失念する。

 落とした記憶を拾い上げる頃には、私がすんなり保護されるに至ったことに納得した。未成年だと思えば、確かに多少怪しくても優しくしてくれるよね。

 思い至ったところで、少し不安になった。


「……ハタチだと、問題ありますか?」


 ショックから多少立ち直ったテリエル嬢は、蟀谷こめかみを押さえながら目を閉じた。


「う〜ん。出てない結果もあるけど、身体的には怪しい所は無いし、検査にも協力的だったし……」


 キョウリョクテキ。あれを断るというのは出来ることだったんだろうか。

 乾いた笑いが零れる。


「……密偵として入り込みたいなら、未成年だと思わせていた方が得なのよね……」


 そう言って数秒黙ってからふっと息を吐き、カルテに年齢を書きこむと彼女は不敵に笑った。


「どのみち、教会に行くまではやることは同じだわ。それから後のことを考えましょう」


 ◇ ◆ ◇


 朝食は本館のテリエル嬢の執務室でとることになった。今までいたのは離れだったらしい。

 離れの方が高い位置にあるらしく、渡り廊下を渡った先は本館の2階だった。

 テリエル嬢とご主人の寝室や客室などがこちらにあり、カエルは離れの1室を使っているということだった。

 使用人たちはまた別に、近くに寮のような物があって、ビヒトさんだけが本館の1階に個室があるようだ。


 そんな話をしながら歩いていますが……

 離れの方もお金持ちっぽいな〜、なんて思ったけど、こちらはホンマもんのお屋敷じゃないですか!

 所々にある壺や絵画や彷徨いそうな鎧(!)、ドアや階段の手摺まで細かい細工が施されていて、高級感が半端ない。うっかり近寄って壊したり傷つけたりしたら困るので、私はなるべく廊下の真ん中を歩くようにしていた。


 長いスカートは、踏んずけて躓いて転びそうになるんだよ!


 こちらの窓は厚みはあるようだがしっかり透明で、この館が高台に建っているということが、ちらりと見えた景色から想像できた。

 階段を慎重に下りて、奥の部屋に通される。

 大きな一枚板の執務机と、来客用であろう長椅子とテーブル。ビヒトさんがすでに中にいて、銀色のワゴンを横に待機していた。


「ユエちゃ…さんはそちらにどうぞ。ビヒトは食べたのよね?」


 高そうな革張りの椅子に腰かけながら、テリエル嬢は私にソファを勧めた。

 彼女の言い直しに、おや、という顔をしたビヒトさん。

 ちょいちょいと手招きすると、彼女はビヒトさんの耳元で何やら内緒話だ。


「左様でございましたか」


 ひとつ頷くと、彼は意外そうにこちらを見た。


「では、そのお召し物は少々子供っぽかったかもしれませんね。失礼致しました」


 丁寧に頭を下げる。


「いえ……あの、できればもう少し動きやすい服でいいんですが……使用人の物でも構いませんので……」

「考慮いたしましょう」


 にっこりと笑って、ビヒトさんは配膳の準備を始めた。


「カエル。あなたユエさんの給仕をなさい」


 私はぎょっとしたが、カエルもビヒトさんもそれほど驚きは無いようだ。


「わ、私、給仕とかされたことないですから、大丈夫です! ひとりで食べます! なんならお皿も運びます!」


 勢いでソファから腰を浮かす。

 彼女は面白そうに笑って、座り直すよう手で促すと続けた。


「体調のいい時、カエルはビヒトに付いて執事の勉強をしているの。いい機会だし、練習させてあげて? なんなら滞在中はユエさんの専属に付けようかしら……」


 うーん。と口元に人差し指を当てて軽く首を傾げる。


「お嬢……」


 こちらはちょっと不満な様で、カエルは抗議の声を上げた。

 全く考慮してはもらえないようだったが。


「うん。いいかも! カエルはユエさんの監視を兼ねる。ユエさんはカエルが倒れたりしないように見守っててもらう! 着替えまでは手伝わせられないけど、他は大丈夫じゃない? カエルも行動範囲が広がるし、ユエさんも軟禁よりはマシでしょう? ね? 決まり!」


 思いっきり監視とか軟禁って言われてるよ。

 力が抜けて、すとんと腰が落ちる。

 まぁ、疑うのは仕方ないかもね。これだけのお屋敷だし、お店も経営しているなら、知られたくない秘伝とか色々あるのかもしれないし……

 黙って地下に監禁されないだけマシなのかも。


 と、いうか私にはどっちみち選択権は無いんだったね。ストレートに言ってくれる方が確かに気は楽だな。

 そうこうしているうちに私の前にお皿が並ぶ。

 ナイフとフォークを見てちょっと怯んだけど、一本ずつだったのでとりあえず迷うことはなかった。


 カリカリのベーコンにソーセージ。ふわふわのスクランブルエッグに赤いジャムの乗ったトースト。トマトソースだろうか、赤いソースの豆の煮物。

 見たこともないような物が無くてほっとする。


「お茶はどれになさいますか?」


 本人の意向は全く無視されたカエルが諦め顔で口調を変える。


「何種類かあるんですか? え、えぇと……」


 ここで、セイロンとかアールグレイとか言って通じるもんだろうか……番茶とか煎茶とか抹茶とかは、無いよね?


「……テリエルさんと同じもので」


 もの凄く無難な道を選ぶ。

 彼女はもうカップに口を付けていた。


「ミルクと砂糖は如何いたしましょう」


 ここでミルクの種類を尋ねられたら、イギリスか! と突っ込みを入れるところだった。イギリスじゃないよね? 英語じゃないし……


「ストレートでいいです」

「畏まりました」


 お茶を入れるカエルの所作はとても綺麗だった。執事服じゃないのが違和感があるくらいに、きちんと勉強しているのが判る。

 ことりといい香りの湯気をたてたカップが置かれる。アールグレイに似ているが、そこまで濃くなく、少しミントのような爽やかさもある。


「ウコギュット産のイエルガーでございます」


 なんだか、まともな食事をしたのが随分前に感じられる。

 思わず両手を合わせてしまった。


「いただきます♪」


 3人の視線が一斉に刺さる。口に含んだ紅茶を噴き出さなかった私を褒めてほしい……

 カップを持ったまま固まった私に、テリエル嬢が目だけ笑わずに微笑んだ。


「……随分短いお祈りね?」


 お祈り? あ、お祈りに見えたのか。うっかり手なんか合わせたから。普段はそんなことしないんだけど、つい嬉しくて。習慣ってオソロシイね。

 冷や汗をかきながら、私はどうにか笑顔を作ったのだった。




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