3章6話

 新しい携帯簡易食の完成を祝い、深夜だというのに(いえ、深夜だからこそでしょうか)俄然盛り上がる店内。もしもこれが広まれば鉄や銅でできた薄くて軽い器も需要が高まるので、その作製をどこの鍛冶屋に頼もうか、などという将来の展望を見越した話にまでなっております。表で目を回していた常連さん達も戻ってこられ、その日はどんちゃん騒ぎになりました。


 殴られて腫れた顔を気にせず何もなかったように騒げるのは男衆の特権ですが、見ているこちらとしては痛々しく感じます。うちの翔くんがご迷惑をおかけしました。治療してさしあげたいのは山々なのですが、今は夢天魔法を行使して夜の魔女になっている最中ですので、新たな夢天魔法を使うことも叶いません。回復の妖精さん達を呼び出せないのは、こういう時に不便ですね。


「なあラズリーヌさん、あんたはこの街に住んでるのか」

「いいえ、ここには遊びにきているだけよ」


 とても楽しく愉快な雰囲気なのですが、そろそろタイムリミットがきたようです。どんなことでもできてしまいそうなこの体ですが欠点もあり、何をするにつけても体構成物質である魔素を使わなければなりません。ただそこに存在するだけでも、それはどんどんと失われて行くのです。早めに眠ったせいもありますが、ウサぐるみに魔素弾を撃ったのが悪かったのか、いつもより魔法の効果が持続しません。


「ふぅん。あのさ、お願いがあるんだけど」

「あら、珍しいわね。何かしら」


 少しづつですが、七色の粒子になって足先から散って行く魔素。今の魔素保有量ではこれ以上、分身を具現化させるのは困難なようです。


「今度、昼間に会えないか。とびっきりの場所を案内するぜ」


 こんなに素敵な空気を最後まで吸っていられないことが、とても口惜しくてなりません。


「嬉しいけれど、お昼間は無理かも」

「どうしてだよ」


 散り始めた魔素はその速度を早め、足先どころかもう脹脛まで消えかかっています。


「私は夜の魔女。微睡みと虚ろの世界でのみ存在するのよ」

「何を言ってるのか分からねえよ。せめてどこに住んでるのか教えてほしい」


 幸い、良い感じに酔っ払っている皆さんには気づかれていないようですが。


「興味があるなら探して下さいな。案外近くかもしれないわよ」


 ああ、もう限界です。魔素崩壊が一気に加速し、翔くんの前で霧散してしまいました。霧散した魔素は酒場の床へと降り注ぎ、そして消えてしまいます。


「探してやるとも。絶対にな」


 残った意識が聞き取ったのは、そんな彼の言葉。見て取ったのは、彼が微笑みながら拳を握る姿でした。酔った上での戯言だとしても嬉しく思います。しかし彼の希望に答えることは一生できないでしょう。仮初の私は泡沫の夢、本当の私は皺くちゃのおばあちゃんなのですから。


「どうしようかしら、こんな時間に起きてしまって」


 魔法の切れた私はベッドで目を覚ましました。この魔法は保有している全ての錬魔素と引換えに夢の世界を現実と結びつけるのです。それは即ち、効果時間が切れると同時に夢も終わるということに他なりません。効果時間は呪文詠唱時に保有している錬魔素の量に比例します。徐々に回復してくる錬魔素は魔法の効果に影響を及ぼしません。


 私は一度大きく伸びをしてから、ゆっくりとベッドから離れます。窓際に設置されている椅子に座り、月のないこの世界特有の星空を見上げました。この空の元、今も翔くんが遠く離れた酒場にいるのかと思うと何だか不思議な気持ちになります。


「ルリコさま、戻られたのですか」


 ノックの音と共に部屋の扉が静かに開きました。


「ええ、早く床に就きすぎたみたいです。ハンナこそどうしたの」

「私は物音がしたので見にきただけですよ。この歳になると眠りも浅いですから」

「分かるわ。歳を取るたび、眠りが浅くなるのは悲しいものね」

「そうですか? 起きていられる時間が多くて私は嬉しいですけど」


 現実を考えれば確かにそうですね。ずっと夢の世界にいられたらなんて、私は何を考えているのかしら。夢の中では年端も行かぬ娘ですので、思考もそれに引っ張られてしまったようです。


「せっかくですから紅茶でもお持ちしましょうか」

「勿論ハンナも付き合ってくれるわよね」

「当然ですよ、今日の冒険話を聞かせてくださいな」

「今日はまず斧を探しに森へ出かけたのよ――」


 老人は老人同士で弾む会話ができるのです。無理をせずとも楽しむ方法など、探せばたくさんあるでしょう。そうであるのに無理をしたいと思うのは、心のどこかにまだ欲のある自分が残っているからなのかもしれません。


 そうやって柄にもなく黄昏れていましたら、黒助を忘れてきたことを思い出しました。明日もう一度、宿場町へと出向かなければなりませんね。意図せず降って湧いた口実に私は心の中で舌を出すのです。

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