今も昔も。誰よりも

黎明館 地下



コンクリートの壁に覆われた殺伐とした空間。

そこには朔姫とジョエルが緊迫した雰囲気のなか、一定の距離を保ったまま対峙するように向かい合っていた。


「久方ぶりの手合わせだ。どれほど成長したか見せてもらおう」

「はい」


返事をすると同時に、朔姫は片足を引く。

そして膝をゆるめ、僅かに腰を落として飛び出す機会を窺う体勢を取る。


「では……お手並み拝見だ」


床を蹴り、駆け出した時。

ジョエルの低く重圧を掛けるような呟きが朔姫の耳に届く。


「はぁっ!」


臆しそうになる心を奮い立たせ、ジョエルに向けて駆け出し、渾身の力を込めてその体を目掛けて蹴りを叩き込む。


「……早いな」


的確な蹴りに感心するが、その言動とは裏腹に、ジョエルは体を後ろに引き、遇らうように避ける。


「とは言え、所詮はその程度だな」

「いいえ」


その言葉と同時に、朔姫は隠し持っていたスローイングナイフを手に取り、一気に腕を振る。

空気を切り裂くような音と共に、ジョエル目掛けて閃光のように走る。

しかし動きを読まれていたのか、ジョエルには届かず、全て彼の足元の床に突き刺さるだけだった。

それでも朔姫は間を置かず、蹴りとナイフで攻め立てる。

異能者の中でも、圧倒的な力を持つジョエルに一矢報いるには、体勢を崩して隙を作ること他にない。

だがどんなに攻めてもジョエルには通じない。


ならば、と。

朔姫は一端、距離を置いてナイフを両手に取り、ジョエルの足元すれすれを狙って投げる。

必然的にジョエルは避ける為に、後ろへ下がっていく。

持てる限りの力でナイフを放ち、攻め続けるとジョエルは壁際に追い詰められる。

そして遂にジョエルの背が壁に当たったのを、朔姫は見逃さなかった。


「ッ…」


ジョエルが息を呑むのど同時に、彼の足元が一瞬にして凍り付く。

朔姫はこれを狙っていたのだった。

壁際まで追い詰め、張り付けるように氷で足場を固めれば避ける事は出来ないと。

目論見通り、足場を固めた氷は既に膝まで覆っており、ジョエルは身動きが取れない。

朔姫は素早く自身の周りに、雹を発生させる。


「これで決まり」


手を翳せば、周囲に漂う雹が降り注ぐ。

このままいけば、ジョエルに一矢報いることができると、微かな希望が宿る。


「上出来だ……」


そう呟いて、口角を吊り上げるジョエル。

追い詰められたこの状況さえも、まるで楽しんでいるかのようで。

いよいよ雹がジョエルに襲い掛かると思いきや、その間際。

彼を覆い尽くさんが如く黒い靄が発生する。

そしてジョエルに襲いかかる全てを、溶かすように消し去った。

まるで、そんな希望は幻に過ぎない言わんばかりに。

その光景に朔姫は瞠目し、唖然としているとジョエルは妖しく笑みを浮かべる。


「終わりか?今度はこちらから行かせてもらう」

「くっ」


ジョエルが放った黒い靄が、目にも留まらぬ速さで襲いかかり、朔姫は体勢を崩す。

いつの間にか氷は溶け、既に自由を取り戻した足で、ジョエルは怯んでいる朔姫との距離を一気に詰める。


「相手の動きを封じる為に、壁際まで追い詰める手法は見事だった。だが……詰めが甘い」


既にジョエルの左手に集められた黒い光。

あまりの至近距離に避けられるはずもなく、朔姫はまともに喰らう。


「きゃあっ…!」


短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる朔姫。

だがジョエルも手加減していたのか、僅かに痛みはあれど、すぐに自身で身を起こす。


「参りました……やはり、あなたは強い」

「君よりかは、経験も実力もあるものでな。当然だろう」


悪びれる様子もなく、当たり前に言ってのけるジョエルに、朔姫は尤もだと思った。

目の前にいる男の実力が、この程度ではない事は、今まで過ごした日々の中で理解している。

だからこそ、自分が非力である事実を余計に突き付けられて、朔姫は俯く。


「落ち込むことはない。私に適わないとはいえ、以前より動きもだいぶ良くなった。君の異能である“氷”の質も良くなっている。このまま鍛錬を続けていけば、更に向上しよう」

「…ありがとうございます」


そのまま深々と頭を下げると、ジョエルは歩み寄り、右手を朔姫の頭に置いた。


「君は呑み込みが早く、実に優秀だ。期待している」

「そんな……貴方を始めとする、先輩方のご指導のお陰です」

「フッ……謙虚だな。それが君の美点でもあるが。あのお嬢さんにも見習わせたいものだな」


ジョエルの言葉に、朔姫ははっとして顔を上げる。


「あの。一つ聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「ジョエルさんは、どうして桜空さんをリーデルに?」

「……何故だと思う?」

「………」


逆に問われる。

ただ聞くだけでは、答えを得られないと。

朔姫は記憶にある渦中の少女の姿を思い浮かべる。自分と同年の少女。

小柄と言われる私よりも、小さいのに堂々としている。

異能者という自覚をあまり持たずに生きてきたからなのか、はたまた何も知らないからなのか、どこか眩しく感じられる。

そして彼女の特徴であろう透き通った青い瞳は、不思議と逸らす事が出来ない。


「答えは極めて単純だ。君も感じている彼女の性質だ。頂点に立つものは皆を導き、時に支え、支えられてこそ君臨するもの。その為には、そこに芽生えるであろう信頼関係が不可欠」

「彼女なら……それが出来ると?」

「ああ」


ジョエルは確信しているかのように頷く。

しかし会って間もない人間に対し、そこまで思えるものなのだろうか。

彼は桜空あかねに対して、それとはまた異なる想いを抱いてるのではないかと、朔姫は勘繰る。


「……ジョエルさんは、桜空さんの事をよく知ってるんですね」


悟られないよう言葉を選んで聞いてみれば、ジョエルは思いのほか、すんなりと答えた。


「お嬢さんの事は知っている。今も昔も。誰よりも…」

「誰より?」


意味が分からず、疑問を口にするが、ジョエルがそれ以上答える事はなかった。


「さて、話はここまでだ。鍛錬を再開するぞ」

「……はい」


朔姫は再びナイフを手に取り、構え始める。

今は目の前の事だけに集中しようと、朔姫は心を決める。

こうして静かな夜は更けていくのであった。

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