決めるのは私よ

「桜空さん……」


囁くようなか細い声が聞こえた。

顔を上げれば朔姫と目が合う。

きっと彼女自身は、そんなつもりでは無かったのだろう。

それなのに、何故だか居た堪れない気持ちになった。

そも了承などしていないし、聞いてない。

あの男が勝手に言ってるだけだと言いたいところだが、署名をしているのは事実で完全たる否定はできない。

例え偽られたうえでの署名だとしても。


「………」


悪事を働いたわけではないのに、痛いほどの視線を浴びせられ口を閉ざす。


「アーネスト」


弁明することもできずに沈黙するあかねを見かねたジョエルが、アーネストに声をかける。


「お嬢さんを自室に連れて行け」


横目で捉えながらそう告げた。

少し距離があるせいか、サングラス越しの瞳は見えない。


「そうは言ってもね……あかね嬢が誰より一番知るべきではないかな」


最もだ。

――私は何も知らない。

ただ彼等の様子から、リーデルというのがオルディネにとって重要な事だとは理解出来る。

けれど全てを知らない限り、明確な判断など到底出来るはずもない。

火種を蒔いた彼の意図さえも掴めず、ましてや自分の意見さえも言えていないのだ。

あかねは透き通るような青い瞳で、ジョエルを捉える。


「決めるのは私よ」


単純な言葉だった。

あかねにとって、混乱を帯び始めている思考回路で素直に出た言葉でもあった。

ジョエルにも理解出来たのだろう。


「分かっている。君には後で説明しよう。だが今は邪魔なだけだ」


ジョエルは淡々と述べると、あかねに背を向ける。

まるでこれ以上の問答は許さないかのように。

それでも彼の言葉に嘘が含まれているとは思えず、あかねもまた追及することはしなかった。


「やれやれ……君はどうしようもないね」


アーネストは呆れながらも、あかねの肩にそっと手を置く。


「行こうか。あかね嬢」

「……はい」


返事はしたものの、ふと自分がこの場を去ってもいいのだろうかと疑問が過ぎる。

何も言わずに去れば、それこそ混乱が増すのではないかと不安に思い、あかねは躊躇し足取りが重くなる。

そんな心情を察したのか、アーネストは彼女の背を軽く叩くと優しく微笑んだ。


「大丈夫。彼等も馬鹿じゃない。君が心配するような事はないはずさ」


その言葉は真実なのだろうか。

分からない。本当のことなど。

だが少なくともアーネストが自分の身を案じて、言ってくれているのだけは理解でき、静かに席を立つ。


「分かりました」

「それでは僕達はお先に失礼するよ」

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