か弱い男の解体新書

河條 てる

吐露

 まずはここに来てくださった、物好きは人達にお礼を。ありがとうございます。


 早速ですが、私の自白にお付き合い下さい。勢いで書いているので支離滅裂かも知れません。申し訳ございません。


 私は恐らく比較的、裕福な家庭に生まれ落ちたのでしょう。家族の仲も良く、不自由という、不自由は感じず、暮らしてきました。


 それでも、私という欠陥人間は生まれたのです。私は他人を恐れました。人見知りとは違います。初対面でも話せますし。それとは違うのです。


 私はこの世で生きている人間は実は私だけではないのかとよく考えました。この疑問は、残念ながら永遠にハッキリする事が出来ないと知った時の落胆はそれはもう、凄いものでした。


 そんなませたガキは成長し、口の悪い、調子に乗ったようなクソガキとなりました。ですが、何せ中身は他人が怖いチキン野郎ですので、他人の舌打ち1つで全てが氷点下まで冷えていくのを何度も感じました。もっと言えば視線1つでさえ、急激に冷めました。


 ああ、ここで改めて私の言う、他人が怖いについても語りましょう。私は他人からの評価が怖い。最近になり、この結論に落ち着きました。

 私はそこそこ勉強も、運動も出来ました。最初は何でもない普通の点数、能力だったと思います。しかし、それ以上を常に求められているように感じて、仕方ありませんでした。私は努力しました。私がその程度の人間だったと笑われるのが怖かった。友達と思っている人達に失望されたくなかったのです。


 皆に自分を認めて欲しかった。仲良くなりたかった。だからこそ失望されたくなかった。本当に。


 全ての人間に対して、好かれたい。私の持つ感情を極端に表せばこうでしょう。ですが、もちろん、私にも無理だと分かっています。だからこそ他人が怖い。嫌われる可能性があちらこちらに歩いているこの現実が怖い。


 また、仲が良いと思ってる友人ほど、その感情は強いのです。私には幸運にも、絶対に信頼出来る友が二人います。彼等以外にも、友と、呼べるであろう人は沢山います。ですが、かの二人には遠く及ばない。私はかの二人が私を友だと思ってくれていると確信できます。ですが、その他の友にはそれがない。


 私は臆病です。だから常に逃げ道を用意します。とても仲が良いと思ってる友人と話していて、少しでも違和感、私のことを嫌っているような素振りを見受けると、その人の一切を信ぜられなくなります。ですが、矛盾する私は、その人物との共通の話題をせっせと探すのです。


 私の根本とは誰とでも仲良くなりたい事にあります。ですが、臆病な私はウザがられたり、鬱陶しげにされるのがとても怖い。


 この感情の狭間に浮かび、木葉のように揺れるのです。


 ああ、言い忘れていました。私は嫌いと言われることは怖くはありません。勿論物凄く悲しいですが。


 これを書いていて、何となくこうなんだろうな、という自分についての考察は、


 私は他人が大好きでとても怖いのだ。


 という事です。私は今まで嫌いな人間は殆どいなかったように思われます。私はどうしようもないクズですから周りに合わせ嫌いと言ったり、先生を嫌いという事はありました。ですが、その人という「人間」を嫌いになった事はなかったと思います。


 例えば、私は中学生の頃の担任に嫌いだとよく言っていましたが、それは「先生」としての彼の事で、彼という「人間」は嫌いではなかったと記憶しています。


 変な話ですね。笑ってください。


 だから押し付けがましい話、私は嫌いじゃないから皆も私を嫌わないでほしい。だけど、君が嫌いなら、私は関わらない。それが君にとっての幸福だから。

 と思っているんです。

 自分で言ってて気持ちの悪い人間だと思います。


 また、私は少し非情な面も持ち合わせています。前述の通り、私は努力の上で成り立つ人間です。ですから努力をしない人達のそういう側面が大嫌いなのです。


 私は努力して、今の地位、と言うには些かちっぽけなものですが、手に入れたのです。なのに、周りの努力しない人達はそれがカッコいいかのように振る舞う。それがどうしようもなく嫌なのです。


 彼らはもしかしたらガウスやニュートン並の天才なのかもしれない。でも、怠慢でその機を無にしている。一見、私の根本に矛盾するようですが、寧ろ私は根本に基づいているからこそ、そういう側面が嫌いなのです。話せば、面白いし、とてもいい人達。そんな人達が、機を無にし、それで良しとするのが私には耐えられない。


 勿論これも押し付けです。全くもって自分勝手な人間です。


 最後に言い訳を一つだけ。


 私にとって人間とは矛盾を内包しつつ存在するものであり、その矛盾故に感情が生まれるのだと考えています。ですから私の思っている事に矛盾があっても、私にとっての「人間」の定義には矛盾はないのです。


 少しスッキリしたのでここで終わります。まだまだ思っている事はありますが、また機会があれば(無いといいんですが)書こうと思います。


 ここまで読んで下さりありがとうございます

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