世代交代
「巴先輩には、沢山のことを教わりました。航学での生活のこと、自衛官として大切なこと、色々なことを手取り足取り…本当にありがとうございました。先輩から教えてもらったことを無駄にせず、私も立派な先任期に、そして航空学生になりたいと思います。お疲れ様でした」
ビデオカメラを前にして、緊張しながらも淡々と喋る日和。文言はあらかじめ用意していたものだから、あとはそれを間違えないよう、半分機械的に口から出すだけだ。
「はいカット。すごいね日和ちゃん、一発OKだよ」
月音がグッと親指を立てて笑い、録画の停止ボタンを押す。
「別に、誉められる程のことじゃないよ。カメラに向かって喋るだけだし」
「それでも緊張しちゃうよ。私は確か3回くらい撮り直したかなぁ」
二人が撮っているのは先任期に向けたビデオレターだ。彼らの卒業ももう目の前に迫った2月。毎年この時期になると「先任期を送る会」なるものが開催される。セッティング等は全て後任期が行い、場所は防府市内にあるホテルなどのパーティー会場を使用する。学生隊公認のため、この日ばかりは当直を含めた学生全員が外出できるという、ちょっと特別な催しだ。
その中での余興の一つとして、近年では映像企画というものを行っている。言ってしまえば結婚式などで流れるビデオレターのようなもので、撮影や編集が得意な学生が中心となって製作が行われる。
この撮影というのが、春に行われた対番外出と同様、防府市民にとっての風物詩のようなもので、多少ムチャなことをしても笑って済ませてくれるというのだから日和には驚きだった。
どれだけのことが許されるのかというと、例えば去年で言えばタクシー会社に協力してもらってカーチェイスの画を撮ったり、乙武装の姿で市内を走り回ったり、富海の海水浴場に行って真冬の海を泳いでみたり、それはそれは無茶苦茶なことをした(勿論撮影は土日などの休日を使って行われる)らしい。それでも基地に苦情の電話が入ることはなく、むしろ防府市民はこのイベント(?)を毎年楽しみにしているとかいないとか。
日和たち4区隊が作る映像のコンセプトは「沢山の笑いとちょっとの涙」ということで、例年通り笑いを取れるような映像を流した後、最後に各対番に向けて後輩からのメッセージを入れるという方針で撮影が進んでいた。
「他の皆は外出して撮影してるんだっけ?」
「そうだよ。確か「100人にナンパしてどれだけ連絡先を交換できるか」っていう企画をやるって」
「よく考えつくなあ、そんなの」
苦笑いを浮かべつつも、けど少しだけ楽しそうだなと日和は羨ましくなる。こういうお馬鹿なことができるのも、若さと元気が取り柄の航空学生に許された特権なのだろう。
「よーし。そしたら私たちは他の人のメッセージを撮りにいこう! みんな外出しちゃってるけど、確か当直で奥村君が残ってたはずだよ」
「月音、楽しそうだね」
「楽しいよ。お世話になった先輩に、気持ちよくここを出ていってもらいたいからね。良い作品を作らなきゃ!」
「そっか…そうだよね」
なにか物足りないような顔をする日和。それを見て月音には、彼女がなにを言いたいのかなんとなく理解できた。
「実感が湧かない?」
「ん…そうかな。本当に卒業しちゃうんだなって」
「まぁ、そこにいるのが当たり前の存在だからね。卒業するって言われても、あんまりピンとこないよねぇ」
同じ基地、同じ隊舎の中で生活を共にする先任期と後任期たち。姿を確認すれば敬礼。例え相手が100m先にいようが全力で挨拶。後ろから追い抜く時は「失礼します」の一言。そして時々かかる非常呼集と地獄のような舎前指導…と、こうして列挙してみると先任期との思い出なんてろくでもないものばかりなのだが、しかしいざ彼らが卒業してしまうとなると、それも楽しい思い出だったかのように思えてしまう。
本当にこの隊舎からいなくなるのだろうか。卒業した後も、彼女たちはずっと自分たちと一緒に生活してくれるんじゃないだろうかと、そんな気さえする。
「つまるところ日和ちゃん、これは私たちへのけじめってやつなんだと思うよ」
「けじめ?」
「先輩がいなくなることへの、そして私たちが先輩になることへの、ね。いつまでも先輩たちに頼ってばかりもいられない。もう少ししたら私たちにも後輩ができるんだから、そろそろその辺も自覚しないといけないんだよ。このイベントは、そのきっかけみたいなものなんじゃないかなって私は思ってるんだ」
「なる…ほど」
しっかりしてるなぁと、日和は息を漏らす。航学群の基幹隊員公認で開催される「先任期を送る会」というイベント。月音の言う通り、そこにはなにかしらの意味があるのだろう。
常に後輩が悪さをしていないか目を光らせ、挨拶を忘れたら烈火の如く怒り、そして時々非常呼集をかけるという、後任期にとっての先任期とは実に忌まわしい存在だ。しかし同時に、困った時には必ず助けてくれるし、常に正しい道を示してくれる頼もしい先輩でもある。
そんな先輩たちがもうすぐいなくなり、今度は自分たちがその立場に立つことになる。いつも巴のことを良い先輩として頼り慕っていた日和には、そういう自覚がまだ足りていなかった。
「勿論、先輩たちへの感謝の気持ちを表す場だとも思ってるよ。だからさ、こんなちょっとした余興だけど、一生懸命良いものを作ろうね」
「…うん。なんか、ありがとね、月音」
不覚にも、こんな小さな同期がとても頼もしく、大きく見える。思えば彼女と出会ってからもうすぐ一年になるのだ。楽しい時も苦しい時もいつだって隣にいて、まるで妹のような存在で、時々ポッと出てくるその一言にどれだけ救われてきただろうか。
「…ねえ、すんごい失礼なこと考えてるでしょ?」
「そんなことないって。やっぱり月音は良い子だなぁって思っただけ」
「またそうやって子供扱いしてぇ!」
照れ隠しに月音の頭をくしゃくしゃと撫でる。
先輩たちだけではない。彼女にも、なにか感謝の気持ちを形として送りたい。けどそれを口にするときっと調子に乗るだろうから、今のところは笑って誤魔化すことにした。
冷たい風が吹く群朝礼場から、軽快な小太鼓の音が隊舎まで響いてくる。後任期学生によるファンシードリルの練習だ。数ヶ月の間練習を続けてその腕を磨いてきた彼等の演技もようやく形を成してきて、今やその指導は先任期学生の手を離れ、基幹隊員たちが主導で行っている。その初御披露目の舞台は70期の卒業式。もう目の前だ。
居室の窓からはその練習風景を目にすることはできず、ちょっとした物足りなさを巴は感じていた。本当はその隊列の中に入りたくて仕方なかったドリル隊。今でもその憧れの想いは変わっておらず、未練がないかと言われれば嘘になる。71期ドリル隊の中には自分の対番である日和も加わっているというのだから尚更だ。
「卒業式の時に出る面子、決まったらしいよ」
しばらく練習の音に耳を傾けていると同期たちがやって来た。月音の対番である若宮と、秋葉の対番である瀬川だ。
「日和の奴、レギュラーに選ばれたらしいじゃん。良かったね」
「ありがとう…って言うべきなのかしらね?」
若宮が投げた缶コーヒーを巴は片手でキャッチして、少し寂しそうに笑った。
「この小太鼓、月音だっけ?」
「そっ。なかなか様になってるでしょ? 最初はヘッタクソだったくせにさ、よくここまで仕上げたもんだよ」
「ウチとこの秋葉はナレーションやるんやて。なんでも、一番声が綺麗やから…とか」
「なんか、世代交代って感じがするわね」
なにを今更、と呆れたように若宮が言う。
「私なんか、
「ウチは春日ドリルが終わった時やなぁ。もう全てが「終わった!」って気分やったわ」
「あなたたち、もっと先輩としての立場というか、後輩育成の責任とか…」
「でも、71期は着いてきてくれたでしょ?」
巴の言葉が遮られ、外から聞こえる小太鼓の音が一際大きくなった。
「優秀な奴らだよ。ちょっとやそっとの壁じゃあ立ち止まったりしない。私たちがいなくても、日和たちは大丈夫だって」
「ウチらもそろそろ先輩を「卒業」せなあかんねや。これからの航学はあの子らが率いていく。実感湧かんかもしれんけど、きっちり「けじめ」はつけなあかんで?」
「それくらい、分かってるわよ。でも、日和は…私の対番は…」
「自分と重なって見える? それとも大原?」
後任期の頃に辞めていった同期の名前を出され、巴の表情は一気に暗くなる。
とても真面目で、皆のまとめ役で、だけど先輩と一線を越えてしまって
そんな彼女に、対番の日和はよく似ていた。何事にも真面目で真っ直ぐで、だからこそ、目を離した時に容易く折れてしまうんじゃないかと…
「坂ちゃんとあの子は別人やで?」
「分かってるって」
「いいや、分かってない。あんたは坂ちゃんのことを「自分がついていないといけない」と思うとるやろ。そんな調子やから坂ちゃんも、未だに先輩離れができんのとちゃうか?」
「先輩離れ…?」
「先任期なんてウザがられて当然の存在なのに、日和くらいだよ。どんだけ怒られても、犬みたいに先輩のこと慕ってさ。別にそれは悪いことじゃないけど、あの調子だと先任期になった時苦労するよ」
「なによ二人して! 私に説教しに来たわけ?」
巴にしては珍しく口調が荒くなる。かなり動揺しているようだったが、対して若宮たちは至って冷静だ。
「諭しに来たんやで。友達としてな」
「巴が日和のことを大切に思ってるなら、尚更距離を置いた方がいいよ。老兵は死なず、ただ消え去るのみってね」
少し頭を冷やせと、そう言い残して二人は居室を出ていった。残された巴の手元にはまだ熱を帯びた缶コーヒーが一つ。これがもし空だったなら握り潰していたのかもしれない。
指導学生として、先輩として、対番として、正しく責任を持って日和を導いてきた。おかしなことは教えていないし、今後も同じように接していくつもりだった。けれどそれは、間違いだったのだろうか。
釈然としないまま、巴は窓の外に目を向ける。後任期たちによる練習はまだ続いており、それを見ることができない自分が、なんとも惨めだった。
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