衝突 後編

「あぁ、えぇっと…」


 教育隊の入り口前で冬奈たちと鉢合わせた日和たち。特に反応せずそのまま入れ替わりで入室していればよかったものを、変に反応してしまったものだから妙な空気になってしまった。かける言葉が見つからず、かといってこのまま無視するのも気まずい。


「思いの外早かったんだね。その、黒島教官の用事って…」


 結局日和はその話題に触れてしまう。なるべくなら避けたかったところだが、この場合仕方ないだろう。


「なんてことないわよ。ちょっと小言を言われただけ。全く、誰かのおかげで余計な時間をくってしまったわ」


 そう答えつつ冬奈は沢村をチラリと見た。すると沢村はまた舌打ちし、冬奈から目を逸らす。どうやらこの二人の間に生まれた問題についてはまだ解決していないらしく、やはり触れるべき話題ではなかったなと日和は後悔した。


「で、でもこれでこの話はおしまいなわけだよね?良かったね」


 当然よ、と冬奈は大きく息を吐いた。


「こんな下らない話がいつまでも続いてもらっては困るわ」


「ちっ、うるせぇな…」


 居心地が悪くなったのか、沢村は不機嫌そうにその場を去ろうとする。が、すぐに冬奈が呼び止めた。


「ちょっと、どこ行くのよ」


「飯だけど…」


「居室に戻って身辺整理が先よ。あと、どうせ単独行動はできないんだから、私とあなたは一緒に動くしかないんだからね」


 他の後任期学生はとっくに居室に戻ってしまったので、いまこの群庁舎に残っているのはここにいる面子しかいない。となれば嫌でも沢村と冬奈は共に部隊行動を行うしかなかった。またしても二人の間にピリピリとした空気が漂い、どうしたらいいか分からず日和は狼狽えるが、見かねた樫村は半ば強引に日和を連れて教育隊の中へと入っていった。





 教育隊の中ではすでに各教授班当直たちが交代申告や命令受領を行っていた。日和たちはやや出遅れ気味だったが、さっさと申告を終わらせれば他の学生と大差なく居室に戻れるだろう。


「樫村学生はB教授班当直を下番します」


「坂井学生はB教授班当直に上番します」


 黒島教官への申告を終え、用事のなくなった樫村は解散を告げられた。教官の長話に捕まることはなかったので、樫村は帰り際に小さくガッツポーズをする。それを少し羨ましそうに見送る日和は引き続き命令受領を行うこととなる。


「ああ、B班は明日もワシの授業があるんじゃったなぁ。今日の授業終わりに出した宿題をキッチリやってくるよう、班員に伝えておいてくれい」


「はい、伝達しておきます。準備する物等は今日と同じで宜しいでしょうか?」


「そうじゃな。後は…」


 黒島教官は長い息を吐いた。日和は嫌な予感がし、思わずペンとメモ帳を持つ手に力が入る。


「のう坂井、今日の沢村の発言、あれを聞いてどう思った?」


(やっぱりか…)


日和は気を落とした。これは長い話になる、と。


「どう、とはどういうことでしょうか?」


「沢村の言っていたこと、授業中眠たい奴は放っておけばいいというのは、まぁ正論かもしれん。やつの言う通り、やる気のない学生に構っている時間は、やる気のある学生にとっては無駄な時間でしかないからの」


「…でも、私たちは同期です」


 そうじゃ、と教官の口調は少し強くなった。


「ここは高校や大学みたいに「個人」が集まっている場所ではない。ワシら教官とお前たち学生は皆一つのチームなわけじゃ」


 航学群、もっと言えば12教団には航空自衛隊の為にパイロットを育成するという任務を持っている。なので教官は学生に教育を行う義務、学生は教育を受ける義務があるわけで「やる気のない学生には教育を受けさせない」なんてのは許されない。やる気がないのであれば、やる気が出るような教育を行うことが教育の任務であり、そしてそのような同期を見捨てないのが学生の任務だ。


 沢村の言う「眠たい奴は眠らせておけばいい」というのは、言ってしまえば学生としての任務放棄だ。沢村本人はやる気を持って授業に臨んでいるかもしれないが、同期の中から授業中に眠ってしまうような学生を出したことを反省しなければならなかった。


「なるほど。普段区隊長や先輩たちが「同期を見捨てるな」って言われるのは、ただ単に仲良くしろって意味じゃないんですね」


「そう言うことじゃ。お前たちがよく口にする「同期の絆」とかの重要性というのはそこにあるとワシは思う。友情とかそういうものとは違った、一つの組織としての団結力じゃな」


 きっと彼は沢村たちにも同じ話をしたのだろう。だが二人は、特に沢村は教官の言葉を素直に受け止めはしなかった。だから黒島教官は、このままではなにも変わらないと感じて、こうして二人の同期である日和に同じ話をしているのだ。


「このこと、同期のお前から二人によく伝えておいてくれい。ワシならダメでも、お前さんの口からなら聞く耳を持つかもしれん。人間なんだから、学生間でぶつかり合うことは当然あり得る話じゃが、そこで生まれた溝をいつまでも残していては学生生活は乗り切れん。そういうのを助けてやるのも、お前たち同期の大切な務めなんじゃぞ」


 以上、と言って教官は日和に帰るよう告げる。話したいことは話した。あとはお前に任せる。そんなことを言っているように日和は感じた。


 教授当直としての仕事を終え、急いで居室に戻る日和。もっと長引くかと思っていた黒島教官の話だが、ちょうど区切りのいいところで終わってくれたため、そこまで大きなタイムロスにはならなかった。他の同期はすでに食堂へと向かっているが、急げば追い付くこともできるだろう。


 居室に戻ると、いつも通り台風が日和の部屋を荒らしてあった。が、同部屋の月音が気を回してくれたのだろうか、大まかな部分はすでに片付けてあった。


 日和はそんな心優しい同期に感謝しつつ、手早く身辺整理を終えて居室を出た。当直腕章を着けているお陰で単独行動が可能なわけだから、日和はいつもと比べて随分自由に、無駄のない動きができる。普段なら他の同期の動きに合わせて行動しないといけないから、こうスムーズにはいかないだろう。


 だが、ことが上手く運んでいたのもそこまで。日和が隊舎を出ようとした時、またしても彼女の足を止めさせる出来事があった。


「何度も言うが、俺はお前と仲良しごっこなんてするつもりはないぜ」


「だったらさっさと先に一人で行ったらどうなの? それとも「単独行動はできないから一緒に行って欲しい」なんて図々しいこと言うつもり? 率直に言って、あなたはここの生活には向いてないわ」


 口論する冬奈と沢村だった。だいぶヒートアップしているのか、二人が気付かない程離れている日和にも、その会話の内容は聞こえてくる。


 どうやら先に噛みついたのは冬奈のようで、ここから一緒に部隊行動をとりたいなら、今までの考えを改めると同時に、これまでの無礼を皆に謝ることを約束しろと言い始めたらしい。でなければ共に行動することはできない、と。


 学生は一人で行動することができない。漫画みたいな話だが、実際にその通りなのだから仕方ない。


「私は今ここであなたを見捨てることができるわ。あなたじゃなくても、他に私と一緒に行動してくれる人はいるからね。でもあなたはどうかしら? そうやっていつまでも同期との間に壁を作るあなたを、一体誰が拾ってくれるの?」


「…うるせぇな。俺は誰の手も借りるつもりはない。要は見つからなきゃいいんだろ」


 そう言って沢村はその場を立ち去ろうとする。ルールを破り、一人で行動するつもりだった。それに気付いた冬奈は彼を呼び止めるが、全く聞く耳を持たない。その時だった。


「いい加減にしてよ!」


 日和が二人の間に割って入る。思わぬ人物の登場に驚く冬奈たちだったが、一番驚いているのは日和本人だ。二人を止めるつもりなんてなかったが、気づけば体が動き出していた。


「二人ともおかしいよ。こんなところで意地張り合っても仕方ないでしょ? 今は皆で協力して次の授業に備える。それでいいじゃない。今二人がぶつかり合っても何も解決しないよ。無意味だよ」


 だから、と言って日和は二人の手を取った。


「今は私が指揮とるから。皆で一緒に食堂に行こう? このことは自習の時間とか休日とかで、皆で話し合って解決すればいいよ」


「坂井学生…」


「お前な…」


 二人はため息を吐き、日和の手を振りほどく。


「これは私達二人の問題よ。坂井学生がとやかく言うことはないわ」


「そんなこと言ったって!」


 同期として見過ごせない。そう続けようとすると今度は沢村がさえぎった。


「わかんねぇのか坂井、お前は今お呼びじゃないんだよ」


 冷たく、心に突き刺さるような沢村の声色。まただ、と日和は感じた。何度か聞いたことがある、自分のことを見透かしているようなそんな声。


「みんな仲良くとか、同期だからとか、口先だけの綺麗事ばかり並べているけどな、結局のところここに集まっている連中は個人の集団なんだよ。考えが違けりゃぶつかりもする。それくらいお前にだって分かるだろ?」


「分かってるよ。だからって目の前でぶつかり合ってる同期がいて、それをそのまま放っておいていい理由にはならないよ。こういう時こそ同期で問題を共有して、皆で解決していかないと…」


「そういうのを「余計なお世話」って言うんだよ。お前のエゴに付き合わされて、仲良くなったフリをすればお前自身は満足なのかもしれないけどな、実のところそれってなんの解決にもならないんだからな?」


 エゴと言われて、珍しく日和は頭にきた。


「なにそれ…同期で、仲間みんなで仲良くしようとするのが、そんなにいけないことなの?」


「偽善者ぶるなよ。お前が守りたいのは同期じゃなくて、自分に対する同期からの評価だろ? 正直、見ていてむかつくんだよ。誰にも嫌われたくないっていう裏の気持ちが見え見えでな」


「偽善者ぁ!?」


 よくぞそこまで人の気持ちを好き勝手分析できるものだと、日和はますます腹を立てた。


 だが、なにも言い返せなかった。彼の言うことが図星だったのか、頭に血が上って言葉が出てこないのかは本人にも分からなかったが、とにかく日和は悔しそうに歯を食い縛るだけで、うつむいたままその場に立ち尽くすだけだった。


 もうこれ以上は時間の無駄だと沢村は居室に戻ろうとする。もう時間的余裕はなく、今さら食堂に向かったところで次の授業に間に合わないのは目に見えているからだ。立ち去る彼を冬奈が呼び止めるが、それも無視される。


(私は、ただ皆が仲良くできればって、ただそれだけだったのに…それって自分勝手な考えだったのかな?)


「ごめんなさい坂井学生。あなたが止めに入ったのを、私は無下にしてしまったわね…」


 小さく震える日和の肩を、冬奈は優しく叩いた。自分でも気付かぬうちに、日和はハラハラと涙を溢し、地面を濡らす。


 今まで、いつだって日和は自分が正しいと思うことをしてきた。他人にとやかく言われようと、自分は間違っていないと信じてきた。


 しかしここにきて自分の気持ちに自信が持てなくなってしまう。沢村の言葉は今まで出会ってきた誰よりも冷たく鋭く、氷の針のようなもので、深く日和に突き刺さる。まるで心の内を見透かされているようで、それでいて何も言い返せなかった自分が、日和は情けなくて仕方なかった。

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