Category 10 : Avenge
1 : Dream
七時〇二分、竜巻が遺した砂埃と陽に染まったロサンゼルス郊外、イスラム教モスクを改装したトレバー=マホメット=イマーム宅。
家というにはキッチン等の家庭設備は簡易的に増設されただけでしかなく、煌びやかな青系等のガラス工芸品が、アラベスク模様を映す暖色系の天井灯と共鳴して朝日差し込むロサンゼルスの外れにオリエントの栄光を垣間見せる。
客人は滅多に来ない。一部の軍人がアラブ系のトランセンド・マンにしごかれに来るのみ。反乱軍所属一ヶ月強のアダム・アンダーソンもその一人だった。
お互いに長さ六十センチメートルの短棒を二本ずつ構えた二人だけが、道場に見立てた九×九メートルに敷き詰められた無数の衝撃吸収六角形タイルの上に佇む。
場外には離れて椅子や本棚が並んでいる。書物の大部分は大戦前の武術や医学の文献だという。アダムも一部読ませて貰ったが、アラビア語の物は分からずまだ単語を覚えている段階だ。
距離一メートル。少年が見上げる、浅黒く彫りの深いトレバーの顔は茶色の照明で一層暗く、表情は窺えないが、奥に潜む眼光だけは一切揺るがない。
自分の三十センチメートル強あろう大男に怖じず、アダムは黒いタイルを蹴って右手で喉への突きで先制。
次の瞬間、正中線に見据えた筈の人象は右前に瞬間移動していた。迎撃する間もなく少年の胴体を大人の腕が肘裏で挟み、勢いを乗せて回転。
遠心力で倒れたアダムの目の前に棒の先端が止まった。
「訓練は大事だが、俺からすれば無駄だ。結局はお前の意思の問題でしかない」
仰向けのアダムを起こして気を取り直し二戦目、互いの前手の棒先が触れないギリギリの間合い。
カッ――右でトレバーの持つ先端を横に叩いていなし、左の棒を振り下ろす。しかし、弾いた筈のスティックが頭上で斜めに受け止め、横に逸れる。
諦めずにもう片手を腹に突くが、大人の持つ得物が差し込み、外へ流す。
ではもう一本──真っ直ぐ伸ばした筈の腕が逸れる。
両腕を開いて動けぬまま、額に激痛が走る。咄嗟に首を曲げて後頭部のダメージを最小限に済んだが、堅い床の上で仰向けになる事は避けられなかった。
吹き飛んで眉間に皺を寄せる少年を見下ろしトレバーは歩を進める──ガッ!
ほぼ寝た状態で放つ足払いと、低い膝ガードがぶつかり合った。不発と即座にアダムはもう片足で突き蹴り。
しかしトレバーの冷ややかな目は甘んじず、足首を掴む。
読めた──軸足でジャンプ、そのまま同じ側を首に回す。
遠心力で投げ倒しを試みる。だが、突如支えが消えた。
放り出された少年は床の上を転がって立ち上がる。幸いにも向こうは待っているらしく、不動の仁王立ち目掛けて距離を詰めた。
跳び膝蹴り――大人の拳底が当たる寸前で止めるが、棒を持ったまま少年の腕は彼の後頭部を引く。
柄の痛みに一瞬怯んだ相手を見るなり、アダムは更に左右の膝蹴りを連続させる。トレバーも同様膝でブロック。二本の棒で殴る事も考えたが、外側から抑える大人の腕がそれを許さない。
打撃から切り替え、少年は足を左右へスライドしては軸にし回し投げようと仕掛けるも、向こうも歩を合わせて一進一退。
ならばと片足を引き、丹田ごと膝を押し出す、が当て感は無く、上から押し潰すような痛みが……
膝を踏み台に宙を舞った大柄な姿は後頭部へ踵をお見舞いする。死角からの一撃に為す術もなく吹っ飛ぶアダムだが、転がって受け身。
振り向いて対戦相手を把握しようとするが、目の前に飛び込んできた短棒に驚き、どうにか咄嗟に払った。
後続の巨体が両膝を突き出して跳んでくる。上体を後ろに傾けて回避、戻して背後に立った男目掛けて後ろ蹴り――ドッ!
足裏同士が激突し、人体が編み出せる最大衝撃力をそれぞれ食らった二人はリングの端に着陸した。
右に残った棒一本が伸び、小柄な頭を真っ直ぐ指し示し、土俵際で待つ。分かるや否やアダムは駆け込んだ。
拳の如く左、右──棒で一撃目を弾き、二撃目は左へステップして突きをこめかみの横で回避。
側面を取られた少年は慌てて両腕で頭を覆うが、滅多打ちの前に忽ち萎縮する。
だが、負けじと奮い立ったアダム──ガードのまま肘二つでタックルし、後が残されてないトレバーは組み合って舞台端を踏ん張った。
歪な輝き──前から押し返される感覚に更にリングを蹴る。
軽い──大柄な人影は目の前から消えていた。
ぐらつく身体を止めるのに夢中で後頭部を抉る拳を捉える事は出来ず、小柄な肉体はマットに伏した。
トレバーの能力は幻覚。だが一体どんな幻を見せられたのか……
「お前が見ているのは行き先ではなく道だ。精度は見事だが、途中で止められては無意味だ」
顔を上げれば馴染みのアラブ人が手を差し伸べている。
親切に甘えて引っ張り上げられ、二人はまたしても前手の棒同士が当たる距離。
棒の示す先はアダムの喉。武器の背後に潜む鋭い視線を警戒しながら、少年は素早く自分の二本を前に交差させ、一本を絡め下げる。
指先の異常な振動を感じ取ったトレバーは引っ込めるも、爆竹の如き乱舞が追い打つ。
双棍の成す嵐を前に大柄な人物は一歩また一歩と退くが、肝心の有効打は細い棒切れに阻まれて及ばず。
左右の素早い連打はおろか、崩そうと力一杯殴っても接触に対し斜めに流されるだけ。ドライな樫の打音が暫くトレーニングルームを占拠する。
攻撃は向こうの思う壺だ。アダム少年が狙うべきはトレバーの放つカウンターの更にカウンター……
その時、相手の足が大きく振り上がるのが見えた。本能的に身を固めるアダム、顔面を覆う腕を前蹴りが落下と共に突き出す。
きつい円弧を描くような勢いに乗り、背中を反る。一回転して体勢を戻した少年は、今度は横にスピン。
遠心力任せて連続蹴りを繰り出すが、少年より二周り大きい頭がスウェー。一発も当たらないまま着地した。
だが回転は止まらない。勢いを乗せて上段回し蹴り。跳び退く姿が見える。蹴り足を振り抜いた少年は更にもう一回転。
停止――小さめのハイキックはトレバーが逆手に掲げる棒に止められ、同時に大きい腕が放った水平打は当たる寸前でアダムの両手が掴んでいた。
振り解こうとしたその時、右手から自分の意思に反する“何か”が入り込んで来た。
一瞬輝いたかと思えば、腕がカッと熱い。不思議な事に不快感や痛みは無い。それどころか力が湧き上がってくる。
刹那、トレバーはガードの足で前蹴りを少年の腹部に命中させたが、蹴り足を半分引き戻したアダムからサイドキックが脇腹を刺す。
痛み分けに終わったが、体格の優れた大人は足裏の摩擦で後退を止め、よろめく相手目掛けてジョルトブロー。
堅く握る左拳を伸ばすその時、トレバーは違和感を覚えた。
手が痛い。ちらと見る。
爪が掌に深く食い込んでいた。内長い二本の先端は赤く滲み、腕が伸びない。
脳の反応に対して身体が遅い。何故自分の腕が力んでいるのかも分からないまま、上手く加速出来ない腕の先に居る少年が姿を消した。
一瞬息が止まる。鳩尾を棒の底で突かれたアラブ人は訪れた二つの内股に走る激痛にバランスを崩す。
アダムは片膝を着いた大人に攻撃の手を休めない。思い通りに動かない左上腕の代わりに頭半分を左肘で隠し、もう片方の棒で打ち落とすトレバーだったが、額に一筋の汗が伝う。
鼻先に迫る棒をバク転で躱し、追い掛けてくる少年の前蹴りを──視えた。
足幅を大きく、腰を落とす。アダムの目には脳裏に焼き尽くような光が……
途端、膝関節を狙った靴底は壁でも蹴ったようにバックした。意思に反する挙動を見せた蹴りを傍目に巨体の突進が迫るが、覚束ない足元では踏み留まりようもない。
約百キログラムもの体重を全部乗せたタックルが小人を弩の如く飛ばし、ほぼ直線を空中で描いた身体は場外を示す線を越え、誰も居ないテーブルが一瞬で木片と化した。
「大丈夫か?」
試合は終わったが、動悸は速いままだ。テーブルの残骸をどけ、立てと差し伸べる手を取って起き上がった。
「気にするな。俺も加減仕切れず悪かった」
普段通り低く冷徹な声は変わらないが、散らばった破片をちまちま拾い集める大人の姿はどこだか間の抜けたようにも見えた。
細かい木屑を箒で集めたが、頭を掻いてゴミ箱に入らない何処に捨てようかと迷って道場をウロウロし始めた。
「ところで、今先程のは幻術か?」
「まあな。触覚は他の五感よりも優先される。接触点を変えないまま立ち位置を変えても反応が遅れるのと同じだ」
待ちくたびれたか、素朴な少年の疑問。テーブルには花瓶も載っていたらしく、肉厚の多肉植物を仕方なく本棚に飾っていたマグカップに入れ、今度は土を集め始めた。
「太極拳の応用か」
「まあな。お前も色々と学んだようだな」
「だが通じなかった」
「なら更に実戦を積め。結局実行しか手段は無い」
ようやく片付けが終わり、観葉植物の避難を完了させるとテーブルが遺した一対の椅子の片方に座り、手でもう片割れを指して傍観者に促した。
「それと、気になったが、足でもエネリオンを発射出来るのか? 最後足元を蹴った時に異様な反動があった」
「エネリオンの放出は神経の末端部ならば理論上は可能だ。とはいえ俺も手以外では至近距離が限界だがな」
無表情ながらもアダムの深い青色の目は輝いている。
「ところで、先程の能力は何だ? 俺の幻術にも似ているが、俺の能力では対象者に錯覚させても対象者の持つエネルギーそのものに干渉出来る訳ではない」
不意打ちされ、間が三秒。青がかった目が左右に泳いだのをトレバーは見逃さなかった。
「……チャックと調査中だが、恐らくはエネルギーの付与、エントロピーの減少だ。エネリオン自体の付与か、原理は不明だが……作用を一点に集中させれば肉体の一部の機能を暴走させる」
「対象物で現象の違いはあるか?」
「無生物に対して変化は無い。生物も作用させる方法で代謝活性や先程の幻覚の延長のような現象まで幅広く起こる。それから、小動物限定で、死んだ生物も生き返らせる。鮮度や原形を留めている事が条件だが」
何を言われるのか……一段落終えたアダムは対面する大人の顔を窺った。
「少し長くなるが、話を聞いてくれ」
心配は好奇心に変わった。コクッと縦に頭を振ると、トレバーは椅子に深く座り直し、腕組みして語り始めた。
「地球管理組織は、世界の統括・平和維持を目的にしているが、故に反対する者達には厳しかった。前世紀起こったインフラを狙った世界的テロリズムを恐れての圧政で、賛同する者も少なくはなく、二億人が実質管理組織の統治下にあるとされているが、反対者も多い」
少年の顔色を様子見しながら話すトレバーは、椅子から身を半分より出すアダムののめり込みに大丈夫そうだと判断し、続ける?
「俺達反乱軍は管理軍の圧政に反対する都市同士のコミュニティーが由来だが……武力と武力では際限なく衝突が続くだけだ。それを終わらせるべく、奴らは更に“俺達”よりも強力な兵器を研究している」
「そんな兵器があるのか?」
「生物が変異を繰り返した結果進化が起きたようにトランセンド・マンも更に変異を起こせばどうか……それが奴らの研究の一つだ。管理軍の研究機関はトランセンド・マンは勿論、戦闘に無関係な普通の人間までも材料に行っている。だからこそ反対者も多い」
アダムは普段の無表情を変えないが、瞬きの回数が増えたのは目に見えて明らかだった。
「良く分かるな」
「昔は地球管理組織に居たからな。俺も実験対象だった。戦術兵器級の威力を持つ光学制御や流体制御の能力者の開発もあったが……だがそれも所詮は武力に頼っているだけだ。とはいえ、俺達も現状同じ事を仕返しているだけに過ぎないが……」
少年には記憶こそ無かれど、何時からか意識が芽生えた時、彼は逃げていた。
「無論、ハン達もそれは分かっている。まだ方法を考えている段階でしかないが……例えばアンジュのあの力は暴力と違う、一つの“守る”方法だ。お前のその生命への干渉もそれに当てはまるかもしれない」
トレバーはアダム少年が最も信頼する人物の一人だ。トランセンド・マンとしての力の使い方を教えてくれた。
しかし不思議な事に、今の彼は戦う事を否定とまでは行かないが、「戦わない」事を賞賛するような言い草だった。
管理軍から逃げる記憶は時折脳裏にこびり付き、指揮官と思われる人物にただ一方的に殴られた見えない傷痕──思い出す度に心拍数が上がる一方、今の力であの男を倒せるのか、と不安に支配される。
しかし、実験用マウスの命しか救えない程度の能力でどうすれば……
「だが、今はその力の使い方はお前の意思だけで決めろ。他に誰かがその能力を求めても、お前が判断する事だ」
否、あの人物と戦う事を目指すのではない。道を辿る事に拘っては駄目だ。
「判断は誤るな。不老不死の薬は文明の資源を枯渇させるだけでしかない」
少年が信頼する大人は決して揺るがない、まるで完全に少年を信じているかのような口ぶりだった。だが、
「こんな力で世界が変わるとでも思うのか?」
「言っただろう、訓練も所詮は意志で変わる。武術とて人を治す医術あってこその技だ。かつて、物体を止めるだけの能力しかない子供が居たが、今や“彼女”は機甲連隊をも退ける程の強さを身に付けた」
トレバーと対峙すると内心を見透かされているような気分になる。中東系の鋭さ際立った目鼻立ちだけのせいではないだろう。この男はまるで心を読んでいるように少年の疑問どころか、その答えたる助言まで……
(これも幻術の技能の一つなのか?)
そして、もう一つ気掛かり……アンジュが今の自分と同じ状況を通っていたのだ。
並外れた身体能力も、生命に干渉する力も、彼女のアドバイス無しには成し得なかった。アダム・アンダーソン自身、アンジュの「守る力」のお陰で今ここに生きている一人だ。
ならば彼女にこの力をどう使うべきか話すべきか。何よりこの能力はあの少女が最も望んでいる筈だ。だがトレバーは力の自分で決断しろと言った。
「もう少し話をして良いか?」
「ん? ああ」
一つの迷いが胸焼けを起こし、反応が遅れた少年。レンズの焦点が合わないアダムを待ってやったトレバーは続ける。
「かつて俺達反乱軍が生まれるよりも前、トランセンド・マンはかつて非人道的な超能力研究の為、秘密裏に死者や犯罪者を実験材料にしていたのが始まりだという。研究者や能力者の中には、知的好奇心の為に都市をも滅ぼした者も居た」
少年は頭痛になったように額を押さえた。ただでさえ白い顔色が青ざめたのを見て大人は口を閉じた。
眉間を寄せて目を強く開閉し、掌を立てて無事を知らせ、話は続く。
「無論、奴らの中に平和を願って行動している者が居る事も知っているが、俺が居た頃も派閥争いは絶えなくてな、ここ十年は研究者の一派が管理軍の実権を握っているだろう。管理軍がお前を欲しているのも上の意向とやらだろうな」
アダムには微かだが、実験の記憶が残っている。しかも自分だけではなかった。
「何故そんな事を……」
「さあな、結局私利私欲を満たす人間の本質は変わらんのだろう。俺が管理組織に所属していた頃も、完全仮想型都市の建造があってな」
「VR空間だけで都市を構成するのか?」
「そうだ。人間を培養液に寝かせ、意識はネットワークを自在に行き来出来る。名目上は電脳空間の普及による省資源かつ治安維持可能な社会の実現が目的だが、ある研究者は神経を直接接続する事で脳の細部まで把握できる事を利用し、事実投薬や強制変異を起こす事でトランセンド・マンの新たな開発を裏で行っている」
「詳しいな」
「実際にその研究者に会った事もあるからな。当時の軍部の友人達も被験者で、殆どはその過程で死んだ。ある者はその身を犠牲に俺を脱出させてくれた」
素直な感心。一方、アラブ人は浮かない顔。不審な様子に少年も怪訝な顔が同調した。
トレバーもまた少年と同じ道を歩んでいた。
「俺はお前達にも同じ目に遭って欲しくはない。話が長くなったな。まあこれは今からその力をどう使うかの参考にでもしてくれ」
やはり――本当にアダムの心を読んでいるのではないか。高い座高と尖った視線が形成する威厳は少年を脅すには十分過ぎた。
「そうだ、最後に余談だが、近い内に俺はある研究機関を持つ管理軍拠点の強襲を計画している。表向きは反乱軍が協力するゲリラ組織への支援だが、ハン達からは懐の極秘情報も探りたいそうで、その時はお前も手伝って貰うぞ」
緊張が解ける。小麦肌の大人の鋭い目つきは相変わらずだったものの、言葉から重みが消えた。
だが双方に気の緩みは無い。仮に第三者がこの場に入ってきたならば、二人の気迫に逃げ出すかもしれない。
少年の行動原理は二つ、何故自分をあんな目に遭わせたのかという好奇心、そして反乱する逃亡心。
何故彼がその心に駆り出されるのかは分からない。しかし決心した。
「分かった」
知れると信じて、逃げる一歩に繋がると信じて、自ら戦いを希望した。
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