5 : Guard

 十五時〇六分。速力を落とす事なく、前世紀後半期から活躍する艦船十一隻はハワイ沿岸に刻々と接近しつつある。


「カイルさん、これって攻撃が弱くなってません?」

「だと思った。レックスが上手い事やってくれたようだね」


 一番先に海原を切り込むの駆逐艦の艦首、洋上で歓迎する灰色の花火が数を減らしていくのを察知した長い灰髪の少女は灰目を開き、金髪の小柄な青年はスナイパーライフルを先端を下ろす。美男美女はお互いの瞳を見合わせた。


 頭上では青白く真っ直ぐ静かな稲妻が空に幾筋も浮かび、遠くで消え去る火球の群れ。青年が斜め後ろに振り向くと、管制員が過労死せんばかりの短い間隔で、太平洋のど真ん中に浮かぶ滑走路から飛び立つ巨大な航空機達。


「僕達もそろそろ頃合いかな」

「ハンさん、私達もう行っても大丈夫ですか?」

『暫くは艦隊は僕だけでも守れそうだ。住民の安全確保が第一な以上、アンジュも適任だろうし、頼んだよ。とはいえ、君達はなるべく艦隊の援護が出来る位置に居てくれ』

「はい!」


 若干アジア訛りな柔らかく落ち着いた声を通信機越しに手を伸ばすアンジュリーナ。見えない素粒子が形成するベクトル中和力場が艦尾から後ろの空母の艦首を結ぶ。


 下向きの運動エネルギーをゼロにするエネリオンの壁は合計体重百キログラム近くの二人が跳びはねるのには十分過ぎる強度だった。


 透明な即席橋を渡った先では戦闘機が離陸を繰り返す滑走路の脇で、プロペラの角度を変えられるティルトローター式の航空機が空気を揺るがす高温ガスを吐きながら二つのプロペラを回転させていた。


「遅れてすみません!」

「いいや、予定より早くて助かるよ」


 迷わず一機後部のカーゴドアから入り、先に待っていた歩兵小隊に会釈を済ませて横並びのシートに座る。間もなく機体はエンジンを高く唸らせ、慣性によって乗員に後ろ向きに引っ張ろうと一瞬、他の輸送機達と共に海に浮かぶ鋼鉄の島を発った。


「こんな時に噂の“天使”を拝めるとは縁起が良さそうだ」

「嬢ちゃん、これ終わったらワイキキビーチでデートでもしねえ? 地獄を天国に変えようぜ」

「ったく、だからお前らはまだ童貞なんだよ。すみませんウチのアホ共が……」


 移動中、少女に向けた兵士達のからかいに上司と思われる年配の人物がヘルメットを殴る。苦味を隠せない愛想笑いで「慣れてますから」と手を横に振るアンジュリーナ。


 しばしの間、隣でプロテインバーを無邪気に頬張るカイルは何かを察したように急いで飲み込み、小声で軽口を叩き合っていた兵士も触発されてとうとう無言になった。


 ゴウン!──輸送機が爆風に煽られる。カーゴ内を狼狽えが充満し、クリスチャンと思わしき誰かの呟きも微かに耳に入る。


 端の方に座る少女は真剣に目を強く閉じている。彼女が差し向けられる殺意を一手に引き受けているのだとこの場に居る全員が知っていた。


 アンジュリーナは、自身の“中和”という能力について、守ることしか出来ない、と“思い込んでいる”。


 そして戦場においてトランセンド・マンという超兵器の役割を持つ以上、人々から向けられる、好意でも嫌悪でもない、期待の眼差し――皆を裏切る訳にはいかない、と彼女の本能が使命感に駆り立てる。もう過ちを繰り返したくない、と……


「肩に力が入っているよ」


 隣から落ち着いた青年の声にハッとした少女。口から息を大きく吐き、体に溜まった邪念を捨てる──クラウディアから習ったリラックス法で自身の脈拍を感じて意識的にコントロール。


 守るべきものを守れない事、結果を出せない事に彼女は人一倍敏感だった。それを自身で自覚している少女は能力を行使する時、望む結果をイメージする。


 成功体験を思い出す事が手っ取り早い。以前の任務で先輩方や上司、名も無き兵士達から貰った賞賛と笑顔。つい最近、管理軍の工作員が引き起こした暴動を鎮圧した際にも、見知らぬ親子から感謝された時はどれだけ嬉しかったか……


 顔色を良くした隣の少女を見送りドイツ系青年は頷き、パラシュートを点検する者や銃口に念入りにブラシを突っ込む兵士を眺め、「三十秒前です」と席を離れた。


 ビーッ!──一秒の狂い無く赤いサイレンと同時に視界が明転。カーゴ部が開く事で生じた乱流が反乱軍兵の身体を冷やし、気を引き締める。


 全身を浴びる風によって癖の強い金髪をオールバックに変え、カイルは民家がヒロ郊外と、こちらに届く前に花状に咲く爆煙を俯瞰した。


「僕が先に行きますよ」

「降下は攻撃を想定し予定通り市街地の中で行う。ビルの窓を割っても弁償は自分でやれよ。針に糸を通せ!」

「私が守ってみせます。お気を付けて!」


 赤から緑に変わるサイレン――金髪の青年が長銃を抱えて飛び込み、兵士達も続く。残った少女は目を閉じて狙い来る破壊の意思を感知──手を広げ、祈祷師の如く、止める。


 浮遊感を覚えながら腹を下に両手両足を広げる。進行方向を阻む空気抵抗を服の上から感じ、近付くビル街と島中央に繋がる田園地帯――畑を荒し抜ける敵軍を見据えた。


 先頭のカイルが落下姿勢のまま銃の引き金――エネリオン充填時間一秒、弾速は秒速三千四百メートル――戦車の徹甲弾に匹敵する不可視の弾丸は、地上で待ち構えていた戦車のエンジンを貫き、畑を荒らす最中で静止した。


 応戦すべく、航空機や落下する群れ目掛けて地上から飛び上がる榴弾の嵐。だが、命中前に榴弾は突如爆発し、爆風も見えない壁があるかの如く届かない。機銃弾も簡単に軌道を逸らされ使い物にならない。


 エネリオンで強化された膝のバネで、時速二百キロメートルもある六十五キログラムの質量を受け止め、アスファルトに亀裂を作って降り立った青年は休まず前進。エネリオンの弾幕と攻撃機達が落とす爆弾が侵攻部隊をあっという間に蜂の巣にする。


 数え切れないパラシュートがヒロ上空を覆い、建物の合間を縫っていく。軽装甲車両や二足歩行戦車の姿まで見える。一つ一つ地道に狙うどころか一人にさえも弾は当たらない。


 ヘリコプターで纏めて隊を地上に送るヘリボーン作戦と違って、上空から固定翼機で部隊を落とすエアボーン作戦は輸送量こそ勝るが、横向き時速三百キロメートル超で投下する為、隊員や物資が散らばり、孤立された所を撃破されるリスクも負う。


 そこで選ばれたのはアンジュリーナ・フジタの持つ中和障壁によって合流までの時間を稼ぐという案だった。都市部への進行をこれ以上許さないという反乱軍、そして犠牲者を出したくないというアンジュリーナの意志そのものだ。


 青年の後方十数メートル、三つのパラシュートを咲かせる巨大な人間の姿──二足歩行戦車が膝を曲げ、巨体がヒビの入ったコンクリートに沈む。


『ロサンゼルスから速達だ! ハリウッド映画は好きか?』


 誰かが操縦する高さ四・五メートルの二足歩行戦車が落下傘を外し捨て、二十ミリ機銃の乱射とロケット砲数発で膠着する前線が一瞬ねじ曲がる。


 ゴシャッ!──パラシュートを開く車両を乗せた板状の投下クッションが潰れた音が立て続けに鳴る。地にタイヤを付けたその後方を十人十人一列に並ぶの歩兵隊がついていく。続き、小銃弾と榴弾の嵐が襲い来ている筈の軍勢を押し除ける。


 敵軍は上空の排除を諦め地上に照準を合わせるが、結果は変わらない。車両の大口径榴弾砲が周囲の歩兵と雑草混じりの黒土もろとも機動車両一両をひっくり返す。


 前線たる都市と農村の境、引力に抗って空中で減速し、フワリと降り立った少女は長い髪から白銀の輝きを放ち、女神の如く、これ以上は通さんと掌を侵略者共へ向けていた。


 トランセンド・マンといえども出力や処理には限度がある。次に彼らが出来る事は火力をこの超能力者に集中させる事だけだ。そうすれば見えない壁も破れる筈だと。


 ところが、目当ての人物──まだ顔に幼さが残る比較的小柄な少女には集中砲火を以てしても真剣な表情は一切歪まない。それに、女神に随従する取り巻きの砲火が彼女への手出しを許さず、二つの脅威の排除を同時に行わなければ管理組織側に勝ち目は無い。


 こちら側に来るベクトルのみを中和し、それ以外は通す、巨大なフィルターに覆われた都市はまたも変化が起きていた。


 建物の陰に隠れていた反乱軍の生き残りも加勢し始めたのだ。進軍を包むような扇状の射線に、敵兵達は次々と赤い飛沫を吹きながら死体の撤退跡を残す。


 数百人もの兵士を守る任務に適する、広範囲の知覚に長けたアンジュリーナもその様子を目に焼き付けていた。


 敵であれ味方であれ、彼女は人が傷付くのを恐れる。それが彼女自身の手で起きようが、誰かが起こそうが、どの命も平等だ。


 だが、今その瞬間に拘っても意味はない。壁で救うには限りがある。隔ててしまえば苦痛は飛んで来ないが、その向こう側に触れられない。


 だから彼女は反乱軍という組織に志願し、“救済”という思想を叶えるべく、分断を破る為、日夜奮闘する。


「アンジュ、良く来てくれた」

「あっ、チャーリーさんお久しぶりです」


 市街地から軽機関銃を構えながら隣に来て話し掛けるのは、肌が小麦色に焼けた黒髪で中背の男性。ただし身長の割に肩幅は広く、首も太くてタンクトップから生えた少女の二倍もある両腕に筋繊維が濃密に詰まり、血管も隆起している。


「ホノリイー・ビーチでも弟達がレックスと合流した。敵側は退却しているそうだ」

「民間人の避難は大丈夫ですか?」

「こちら側島東部はもう済んでいるが、問題は予め言った通り西側だな。ゲリラとの合流と救出の為にもこちらからも敵軍を撤退させる事が最優先だ」


 前列ではカイルと肩を並べる濃い茶系統の短髪を持つ青年が何かを話しながら農村目掛けて“見えない筈”の光弾を放つ。


 後退する人間の盾になるべくロボット歩兵や多脚戦車が迫る壁を止めようと立ち向かうが束の間、小口径弾の束が合金プレートを瞬く間に粗い彫刻に変え、留まる事を知らない反乱軍に弾幕を送り返すが、受け取り拒否される。


 動く要塞と化した反乱軍は攻勢を一切緩めず、不可視の城壁も崩れる事はない。

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