4 : Fly

「今の聞こえたか?」

「榴弾砲でしょうか、結構近いですね」


 重力の方向が定まらない感覚に白い眉がピクリと動く。頭頂部が禿げた老人に問われた若い男はごちゃごちゃした倉庫を見渡した。


 彼ら反乱軍の管制官達は管理軍に制圧されて以来、航空施設の一室に監禁されている状態だった。食事やトイレは最低限用意してはくれるものの、人一人さえ入れない換気口だけの部屋に二十四時間も閉じこめられていては息が詰まりそうになるだろう。


 それでも挫けずに八人の反乱軍航空管制員は倉庫にある物を片っ端からかき集め、外部との交信を画策していた。


「こんな事もあろうかと骨董品を取っておいて良かった」

「警備も少々手薄で助かりましたなあ」


 現在管制員達が取り囲んでいるのは、翼長二十メートルの薄い小さなグライダー型プロペラ機。上面には太陽光発電パネル付き。


「でもどうやって飛ばす? 電波妨害で遠隔操作は無理だし、無線電波に乗り込んだ奴なら操縦している事にも気付くかも……」

「飛行距離や方位のみで動くプログラム飛行ならどうだ? メッセージを書き込んで……」

「元々緊急管制用だから高高度長距離飛行には十分耐えるでしょうし、このタイプなら速度は……」


 地図の上に立った女性の細い指は右へ諸島を横切り、一番大きい本島の東海岸の上で止まった。


「丁度この辺りで合流する筈。タイマーで救難発信を付ければ向こうだって拾ってくれるでしょう」

「でもこの部屋から飛ばせるんですか?」

「俺がやります。トイレでここから出る時、丁度窓があるし、なんとか服の下には隠せるだろうし……」


 大柄な男性が手を挙げた。静かなファンの回転音に混じって唾を飲む音も聞こえた。


「ひとまず我々の状況だけでも……そうだ、あの管理組織の指揮官が光学制御能力持ちというのは味方が気付いていない可能性がある。島全域を覆う程だからな、至る所に観測装置を置いてたりするのかも。予測に過ぎんがそれだけでも伝えるんだ。警戒に越した事はない」

「分かりましたよイームスさん」


 緊張か冷やしわに汗が流れる老人の忠告。実行員の若い男性は七分袖ジャケットの下にどう隠すかを試しながら苦笑いを見せた。






 ワイキキより西へ約十五キロ離れる真珠湾接岸部、ヒッカム滑走路。


 次々と管理軍の輸送機が発着を繰り返す片隅の管制塔も島に起きる異変を感じ取っていた。


「反乱軍共が思ったより早く来やがりましたぜ。しかもトランセンド・マンが三人。俺はもう退屈ですが、どうします?」


 島中を電磁波錯乱による通信妨害を行っているとはいえ、電波も可視光同様屈折する。真珠湾を中心に味方機への管制官や各都市へ出向く味方の通信のみを通すような、通信ケーブルのような構造をこの光学制御能力を持った銀髪の青年──サムは眠そうな声で通信機に呼び掛けながら恒常的に作り上げていた。


『口が悪さは相変わらずのようだなサム。だが予定通りに行け。あと時間耐えれば我々の勝利だ……それで、状況を報告しろ。給料引くぞ』


 頬杖をつく青年にアレクソン司令は指をポキポキ鳴らして威圧。対する青年は大きくため息。


「ダイアモンド・ヘッドはもう無理っすよ、只今撤退させてます。きっと電子支援で島の通信の一部を取り戻すんでしょうな。まあ俺が居る限り全域は無理でしょうが。トランセンド・マンをハワイ島制圧に割き過ぎたなこりゃ」

『我々艦隊がオアフ側に引いておいて正解だったな。ダウンタウン方面のゲリラと纏めてこちらが対処する』

「俺はやっぱ出番まだなんすね。まだ輸送機来ますしそっちに送っときましょうか? その気になりゃあ俺も“撃てる”のに」

『いいや、ロサンゼルスの艦隊をこっちに来させれば破綻だ。大富豪は切り札を最後まで取っておくのが筋だぞ。シナリオ通りにな、大根役者は要らん』


 茶髪と碧眼の男性は短気な子供を諭すように言い残すとモニターから消えた。


「はいはい……ったくお堅いねえ。滑走路守りながらそんぐらい出来るっつうの。何ならこっちの手札は全部ジョーカーだ……」


 マイクを切った上で口をすぼめたサム、散々反論を吐く。不満を捨てきったか、青年は机への八つ当たりを思い止まり、人工皮革椅子の背もたれに寝転ぶなり呆然と白い目を向ける部下達に問う。


「そういや、人質の方は?」

「やはりこちらの意図や電波妨害の原因を読み取ろうとしてますね。何より外部への接触を図っているようです」

「泳がせとけ、どうせ無理だ。しかし流石は“スパイ”だな。まあこの作戦もそいつから貰った反乱軍の情報で随分マシにはなったし」


管制室は暇を持て余す司令官と対照的にオペレーター達が休みなしに働き、淡々とした命令とキーボードのタイプ音のみ。回転音が轟く窓の外はそれに応じて数多の輸送機が往来を見せる。


 似たような機体ばかりが離発着を繰り返す面白みのない風景に、三十秒も経たずして飽きた彼は暗く青い目を再び仕事中の部下に向けるのだった。


「それにしても回りくどくねえか? 俺なら街ぶっ飛ばしてそこに再建するね」

「流石に元から存在する都市を全部壊しては手間が掛かるでしょうし、民間人の虐殺は不味いでしょう。内通者との“契約”もありますから」

「そういやそうだったわ。まあ三十六時間後には晴れて管理組織の理想都市になるってこった。あんまり街を壊すんじゃねえぞ」

「貴方に言われましても……」

「チッ……それもそうか」


 一瞬部下を睨むが、我に返ってサムと呼ばれた青年は机に突っ伏した。





















 ハワイ島東部、ヒロの沿岸四十キロメートル、十四時五十七分。


 駆逐艦を筆頭に十一隻の艦船はミサイルの雨あられを掻い潜ろうと時速百二十キロメートで海を押し除けていた。


 大型艦艇を使用する海戦においてミサイルと対艦攻撃機は驚異的な射程と誘導性を誇るが、矛が発達すれば盾も進化するのは当たり前だ。


 高精度レーダーや妨害装置、レーザー迎撃砲等の発展は誘導兵器による艦隊への被害を撲滅的に減少させ、どちらがより相手の物資や補給や処理を削いで意表を突くか、という駆け引きが海戦の主流となっている。


 従来の兵器を中心に据えた編成はトランセンド・マンがいかに彼らを守るのかという事もさることながら、もう一つ重要な役割を背負っている。


「味方軍はホノリイー・ビーチにて交戦中。これ以上攻め込まれると……」

「危なかったですね。沿岸には案の定対艦兵器が確認されました」

「ハンさん、『レイロン』準備完了です」


 オペレーター達の報告を耳に、艦隊の責任者であるハンはVRゴーグル状の物体を装着すると、ディスプレイ一体型の椅子に座った。


「ありがとう、少しの間指揮は任せたよ。レックス、君も任務を頼む」

「はい。レックスさんもお気を付けて」

「待ちくたびれましたよ。これ食います?」


 中華系青年の隣の席で頷いたモンゴロイドの女性はハンの副官。目を閉じて回転椅子の背もたれに身体を預けていたレックスは起きるとサツマイモチップを一枚真上に投げて口でキャッチ。


 袋を女性に渡してブリッジを後に、甲板に出ると対空機関砲の連射と、後ろで控える空母から航空機の発進するアフターバーナーの轟音が鼓膜を破らんとする。海を眺めれば、青い境界線上から現れた灰色の煙を残す光球が次々と橙色に破裂している。


 軒先まで走ると、少し癖のある金髪と潮風にたなびく長い灰髪の後ろ姿が見えた。


 金髪の小柄なゲルマン系青年はスナイパーライフルらしき長い筒を仰角三十度に、視線はスコープの向こう、まるで飛来するミサイルの一個一個を捉えているかの如く見据えている。


 一方灰髪のスラブ系少女は遠方に壁を作るかのように両手を前に、目を閉じて瞑想――トランセンド・マンの知覚は個人差があり、普通の人間が遠くを見る時に目を細めたり小さい音を聞く時に手で補助するのと同様、エネリオンの知覚のみに集中する方法も多種多様だという。


「二人とも、お土産は何が良い? 豚の丸焼き? それとも勝利?」

「もう、こんな時に笑わせないで下さいよ」

「えっと……チーズバーガー……」

「アンジュには笑顔が一番似合うからな。カイル、お前ちゃんと飯食えよ」


 集中するあまり上の空な言い方の男子の肩をトンと叩き、口元が綻ぶ女の子の頭にポンと手を置く。親指を立て、レックスは飛び上がった。


 目に見えぬ力――エネリオンを皮膚から吸い込み、頭が覚めるような感覚。


 飛ぶ――無意識がエネリオンを空気の圧縮に変え、身体の後方へ噴射。


 一瞬でマッハ一・四に達した青年は発着したての対地攻撃機を追い抜き、遠くから飛来してくるミサイルの大群を認めた。


 突如、空中に形成される“見えない筈の光の束”――直後、青白い輝きが一筋、その中で煌めいた。


 閃光が収まった時、魚影のような弾丸の群れは煙だけを残し消滅していた。


(今のはハンさんの“雷”か。上司のカミナリってのは怖いもんだな。ハンさん優しいとはいえ俺もヘマやらかさねえようにしねえと……)


 気を引き締め、段々と近付いてくる岸、そして遠目でも分かる巨大な滑走路を備えたビル街。


 その右側、熱帯植物が生い茂るビーチから何かが飛んでくる――染み付いた動きで背中の銃を構え即座に引き金を引くと、数百メートル先に灰色の汚れた花が空中に咲いた。


 音速の十倍もの弾丸を捉えられるラテン青年にとって、初速が遅く大きく愚鈍な対艦ミサイルの群れを撃ち落とす事などキャッチボールも同然だった。


 誘爆したミサイルの煙幕を抜けて雲を晴らし、続いて迫る対空機関砲の嵐の前にスライドしながら錐もみ回転、紙一重で躱す。


 こちらに敵意を向ける砲がはっきりと見えてきた。更には彼自身目掛けて突っ込む比較的小さなミサイルの大群。


 秒間百発もの連射に徒を空飛ぶ爆竹が弾けていく。だが数には勝てず、上昇して回避。半分以上残った弾丸が直角を描き、後を追う。


 音速を超えるトランセンド・マンといえども速度や耐久力には限度がある。戦車には対戦車兵器、航空機には対空兵器……相手が超常的な力を持った人類であれ、対抗する通常兵器も研究を重ねれば自然と生まれるのだ。


 射程を犠牲に音速の五倍超えかつ驚異的な旋回性を誇る、対トランセンド・マン誘導ミサイル――青い海を背景に複雑な軌道を描く特攻隊を一瞥し、レックスは百八十度方向を変えた。


 重力に気流を重ねて限界まで加速、右手で銃を乱射しながら近付く地面へと左手を差し伸べる。それだけで先頭集団が身を爆ぜた。


 今度は腹を下向きに、大気の肉厚な壁を受けて直角に滑空――獲物を求める人工のハンター達の幾つか軌道を外していたが、殆どは青年を逃すまいと急カーブを描く。


 鬼ごっこを終わらせるべく銃口を後ろへ。弾幕は少しずつ数を減らしているのは確かだが、恐れを知らぬ奴らはあっという間に距離を詰める。


 圧縮された空気の壁を作って一時的に時間を稼ぎ、降下。爆炎が連鎖を起こし、明後日の方向へ飛んでいく個体も見えるがまだ多い。それどころか目先の海岸から別の群体が昇ってきている。


 では逆――判断したレックスは進行方向へジェット噴射。迫り来るミサイルの嵐を目に焼き付け、乱射と同時に身体をスライド。


 空に引っ張られる感覚が消え、背後から爆音が骨まで響く。だが、同士討ちを避けた残党が数体――歯を噛み締める。


 ビーチの上空を炎と煙が覆う。その様子を観測していた管理組織の兵士達は灰色の煙が晴れるのを暫く眺めていた。


 すると、


(甘えぜ!)


 硝煙製の雲から人の姿が落下の限界を超えて飛び込んでくる。


 レックスの体表に纏う厚さ十センチメートルの空気の鎧により、直撃どころか破片の一つたりとも彼に届いていなかった。


 地面まで残り五十メートル――近づいてくる地面を睨む。


 管理軍拠点に舞い降りた巨大な圧縮空気は、複数の兵士を五メートル吹き飛ばすだけでなく駐鋤に止められた砲さえも引っこ抜き転倒させる。


 逆噴射――身体の重さが倍増する。フワリと着地し、扇状にエネリオン弾の掃射。反対側の敵兵達が銃を構えるが、上空から降り注ぐ空気弾に彼らは昏倒した。


 見上げると、豆粒大の浮遊物四機――小型ドローンが守護天使の如く周回しながら彼の死角へ圧縮空気を吐く。


 爆風に動じない戦闘車両が一泡吹かせようと前に出るが、途端に青年の銃が向く。不可視の弾丸に油圧や機関部を貫かれ、車両は沈黙した。


 横三百六十度隙無しの青年たった一人のみでホノリイー・ビーチは二分と経たず艦船迎撃の余裕を失い、彼を止める事だけに専念していた。


 再び別の対艦ミサイルを破壊しようと空気弾を手の上に転がす。その時だった。


 水平線にパッと閃光が浮かんだ。ほぼ同時、真っ直ぐなレーザーの如きフラッシュと、雷のような大気もろとも震わす轟音。


 視界が晴れると、狙いを定めていた敵のミサイルポッドは跡形も無く、砂浜に残骸と思われる破片が転がっている。


 晴れた真昼のハワイ沿岸に降り注ぐ電子の束――直撃した標的をウェルダンまで焼き、半径数十メートル以内の電子機器は拡散する電磁パルスによって機能停止。


 トランセンド・マンの電子制御能力によって予め電気抵抗を軽減したラインを作り、外部からの大電流を流す拠点素粒子兵器「レイロン」──雷龍の意味を持つ。ちなみにレックス命名。


 地球の丸みに隠れた二十キロメートル沖から届く電子ビームの第二波に海岸の砲兵は一層怯えを見せる。更には洋上に都市方面へ向かう戦闘機と、水平線の上に浮くヘリコプターが段々大きく見えてくる。


「アロハ~。といってもお前らのツアー計画は海岸のゴミ拾いだけだがな」

「うるせえラルフ、その口縫い合わせてやろうか」


 にやけてナイフを逆手に二本持つのは東南アジア系の浅黒い肌を持つ小柄な男性。隣で短機関銃を腰だめで威嚇する金髪の若い白人男が咎めた。


 少し後ろでフルフェイスヘルメットの人物が服装に溶け込む黒い二丁拳銃を携えている。


「レックス、よく来てくれた」

「船は遅いから退屈でしたぜキタカタさん。ダニー、兄貴は元気か?」

「カイワイエでゲリラ戦担当ですよ。気を付けて、ああ見えて接近戦はかなりの手練れです」

「そんじゃあ、海岸のゴミ拾いはとっとと終わらせるか」


 レックスの傍に駆け寄ったのは、片や三節棍を振り回すスキンヘッドの二メートル近くある黄色人種の三十代男性。


 銃剣付きライフルを構えるもう片方は十七、八歳──身長百八十センチメートル弱はあるが、顔に若干の幼さが残っている。


「俺のジョークを盗みやがって」

「ならこれを返してやるぜ!」

「うぇっ?!」


 斬り掛かろうと地面を蹴った褐色の男は空気の壁に跳ね飛ばされ、後方の装甲車両にめり込む、突如、電子のラインが車両を一瞬で火柱に変えた。


 八つの目と一つのバイザーヘルメットが一斉に白けた視線を送る。お互い見詰め合った両サイドは数秒後、殺意を滾らせた眼と共にそれぞれの武装をぶつけ合った。


「おい俺はまだ死んでねえぞ!」


 燃え盛る装甲車の瓦礫を軽々払い、ラルフと名乗った人物は煤付きのやつれた顔で愛用のカランビットナイフを銀色に輝かせる。


 不意に見下されるような視線を感じ、バックステップ──立っていた場所に砂のクレーターが出現。


 撒き散る砂を払って見上げれば二機の小型全翼機が機首をこちらに宙で静止していた。休む暇無く圧縮空気が獲物を仕留める鷹の如く襲来。


「てめえ、俺が銃持ってねえのを良いことに!」


 超越者同士の争いの隙を見て降下を始めたヘリボーン部隊の第三波が、残った管理軍を熱帯林へ退却させるのはそう遠くない未来だった。

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