5 : Quarrel

 普段は陽気な太陽に暖められ、穏やかな昼下がりのロサンゼルス。


 しかし、今は少しばかり喧噪としたムードが都市の一部に漂っていた。


「おい!だからお前が払えっての!」

「だからお前が悪いんだろうが!」


 ヤシの並木と白塗りの壁の建物が独特な西海岸アメリカの道端、二人の男達が掴み合いにならんとばかりに口論を繰り広げていた。片方は黒髪、もう片方は金髪。


「一体どうしたんだ?」

「見ての通り喧嘩だとよ。何でも、昼飯で揉めてるらしい」

「しょうもない連中だ……しかしこうも喧嘩になるとは珍しい」


 傍で離れて見物する観衆達。表情は呆れが半分、驚きが半分。トラブルに慣れていないといった感じか。


「お前達、騒ぎを起こしてどうした?」


 迷彩柄の服装に警棒を持った人物が二人、騒ぎを囲む十人ばかりの野次馬をかき分けて寄った。一人が喧噪の元凶の間に割り入ろうとし、もう一人は「喧嘩だ。二人よこしてくれ」とイヤホン型通信機に喋りかける。


「だってよお、コイツが俺の肉取りやがったんだ!」

「だからっつって酒全部飲むかお前?!」

「言い訳無用だ。お前達の仲が良かろうが悪かろうが、周りに迷惑を掛けるんじゃない。戦争がしたいなら無人島にでも行け」


 暴言じみた二人の弁明を一蹴、軍人は二人の肩をポンと叩いて呆れたように言う。が、


「「うるせえ!」」


 逆効果だったらしく、怒りと共に二人は掛けられた手を勢い良く払いながら、そのまま手の甲で兵士の顔面を殴った。


「お、おいっ! 何を……」


 反射的に染み付いた動作で腰の鎮圧用デーザーガンを抜こうとする軍人。しかし引き金を引く前に、先程まで揉めていた二人の跳び蹴りの餌食となった。


 囲んでいた観衆が息をのむ。一瞬女性の甲高い悲鳴も聞こえた。連鎖し、通りがかった群衆をも更に引きつける。


 一方、囲まれていた騒ぎの原因である二人は冷静に周囲を見渡していた。金髪の方が黒人数人グループを見つけ、そして言った。


「死ね! ニガ共! パンの焦げみてえに目障りだ!」

「おい何だ!」

「野郎!」


 白人から容姿を貶された挙げ句、中指まで立てられ、黙ってられない黒人達は一斉に飛び掛かろうとした。


 挑発した男が逃げようと退く。追い掛ける黒人。


 不意に、男は逃げ足を止めた。黒人は勢いのまま突進――すると金髪の男は相手の首に組み付き、背中から路上を転がる。走るスピードのまま、黒人は後方へ投げ出された。


 飛ばされた黒人は騒ぎに連れられた数人の白人一行の元へぶつかり、巻き込まれた一人が倒れる。


「この野郎!」


 白人数人が黒人を囲い、蹴りつける。仲間の黒人達がそこへ割り入り、仲間を救出すべく殴り飛ばした。


「何しやがる!」


 異人種同士の集団による抗争はすぐさま周囲に影響を及ぼした。大雑把な殴り掛かりは更に巻き込まれる人間を増やし、同人種ですら殴り合わせる結果となった。


 間もなく、兵士の通信によって騒ぎに駆けつけた別の兵士二人が駆け足で到着した。争いの規模はざっと十数人。


「おいおい、喧嘩と聞いたがそれどころじゃねえよ。こりゃ暴動って言うんだぜ」

「連鎖したんだろ、まるで核だ……応援よこしてくれ。ありったけだ……いいから暴動が起きてんだよ! 盾でもショットガンでも放水車でもよこせ!」

『今通報があった。もうじき待ってろ。カップラーメンが出来るまでの辛抱だ』


 ジョーク混じりながらも緊迫した声がイヤホンから聞こえる。兵士達は苦虫を噛み潰した。


「皆、下がれ! もうじき鎮圧隊が来る!」


 一人が手を大きく広げて通りの人々を喧噪の外へ誘導する。


 ガシャン!――振り向くと、通りに建っていたアパレルショップのショーウインドウが粉々に割れていた。


 店の中では男が一人、ガラスの破片と共に床に伏していた。奥では店員が驚愕に縮こまって動けずにいる。


「おい、民間人を助けるぞ!」

「ったくこれが一番厄介だ。いっちょヒーローになるか!」


 お互いの肩を叩き、軍人二人は乱戦を回避しながら取り残された人々の元へ向かった。





















「ふえっ?!」


 甲高く戸惑う少女の声が、一瞬だけロサンゼルスの下町を覆った。


 それもつかの間、殺伐とした雰囲気が蘇る。何しろ通りの奥で十数人が殴り合っているのだ。少女、アンジュリーナが不抜けた声を出す事となった原因もこれだった。


「な、何かあったんですか?」

「ん? 喧嘩だよ。元々何か揉めてたらしいがそいつが広がったらしい。ったくどうなってるんだ。一九七〇年代にタイムスリップした訳じゃあるまいし……」


 驚き呆れる通行人から話を訊き、戸惑いを抑えきれないアンジュリーナはすぐさま騒ぎの震源に向かって走ろうとした。


「た、大変! 止めなきゃ!」

「手伝おうか?」


 落ち着かせるように、隣に居たアダムが言った。我に返った少女、慌てていた自分を戒め、少年と向き合う。


「あ、いや大丈夫よ。私はこういうのが得意だから。少し待っててね」


 真剣な眼差しで首を振り、それだけ言い残すと少女は迷わず腕を突き出し、群衆の元へ駆けつけていった。


「やめて下さい!」


 するとアンジュリーナの手――掌から飛び出す“輝きの錯覚”をアダムは気付いていた――その延直線上、殴ろうと腕を振り上げた人物が金縛りよろしく硬直。


 続けて人混みに向かって掌――体当たりしようと走っていた人物が、壁にぶち当たったように停止する。対面する前蹴りを放とうとしていた男も足を伸ばす途中で止まった。


 人間は自分のイメージと違う動作をした際、想定通りに上手くいかなければ戸惑い、無意識に行動を止めてしまう。それはアンジュリーナが引き起こした念動力の場合でも例外ではなかった。


 常人には見えない力は暴動を鎮圧し、喧騒は次第に収まっていく。ついさっきまでストリートファイトが繰り広げられていた場所では、二十人ばかりが彫刻の如く止まっていた。中には拳が相手の頬の一寸前で止まっている者や、掴み合ったまま動かない者、果ては誰かが手当たり次第に投げた果物や家具やアクセサリーが宙に浮いたまま静止していた。


 不思議な光景を目の当たりにするどころか、身をもって体験しては驚かずにはいられない。争い合っていた者達はそれぞれの不自然な体勢を見て、怪訝に瞬きをする。野次馬も同様、目の前の不可思議な出来事に意識を取られ、まるで念動力に止められたようだ。


「だ、大丈夫ですか?」


 誰もが不思議な現象に呆気に取られる中、高い声――周囲の人間の視線は、一斉に両手を喧嘩の中心に向けていた灰髪の少女に向けられた。


 誰もが皆ポカンと立ち尽くし、見とれていた。そこには負の感情は無い。ただ純粋な好奇だけ――彼女は他人の注目を浴びる事には慣れていた。常人とは遙かに違うトランセンド・マンの宿命でもある。


「おいそこ、動くなよ! 事情を訊かせて貰おう」


 途端、野太く低い声――足音がドタバタと場に押し寄せてきた。再び観衆が振り向くと、今度は迷彩柄の軍人達が十数人。全員がショットガン型の圧縮空気弾発射銃やグレネードランチャーを装備していた。


 アンジュリーナが腕を下ろす。それだけで暴動の途中で停止した人々はバランスを崩し一斉に地面にこける。宙に投げられて浮いた状態の物体達はそのまま重力に落下し、一部椅子やテーブルは破片と化する。


 到着した兵士達は迅速に暴漢達を拘束し、巻き込まれた仲間の兵士や民間人を助け、既に近場に居た人々に向かって聞き込みを行っている。


「でかしたぞアンジュ。被害が拡大しなくて良かった」

「いえ、当然の事をしたまでですよ」

「後は大人達に任せな。休みを満喫してこい」

「はい。じゃあお願いしますね」


 アンジュリーナと顔見知りらしき兵士が一人、功績を褒めた。当の彼女は首を横に振り、愛想良く謙虚に否定する。もう一人兵士が自信たっぷりに言うと、少女はお辞儀をして立ち去ろうとした。


「あっ待って!」


 突如声が掛かった。女性のものだが比較的低く、落ち着いた声だ。


 振り向くと、目の前に立っていたのは三十代程の女性。そして足元には身長一メートルにも満たないような子供の姿。


「先程はどうもありがとうございます。私達、店にそこの入ってて、巻き込まれそうになったんですが、止めて下さって、本当に助かりました」


 女性は手を前に揃えて丁寧にお辞儀をした。目は嬉しそうでありながら、不安と恐れをまだ拭えていないのか、沈み気味でもあった。


「いえそんな、私はするべき事をしたまでです」

「いやいや、少なくとも私じゃ助けようと行動が出来たかすら……」


 手を振って謙遜しながら笑顔で応える少女。しかし彼女にとっては、人の役に立ったという実感はただ嬉しかった。


「そんな、行動なんて、ただ自分がしたいと思っただけです。そんな特別な事じゃあ……」

「ねえお姉ちゃん、今の凄いね! どうやったら出来るの?」


 今度は無邪気な子供が前に出て賞賛。興奮気味の純粋な好奇心だけが表情にあった。


「そうね……」


 アンジュリーナは少しの間黙った。自分の行動が子供を笑顔にさせたと考えると、嬉しかった。


「自分のしたい事を強く想って、それに向かって何をすべきなのか考えるの。そうすればきっと出来るわ。でもそうするにはとても頑張らなくちゃいけないの。出来る?」

「分かった、頑張る!」


 アンジュリーナは、丁寧に頭を下げる女性と元気に大きく手を振る子供を見送り、笑顔で控えめに手を振り返したのだった。


(ひとまず皆無事で良かった。後は……)


 一段落してホッと胸をなで下ろした少女は、ある事に気付いた。


「あれ、アダム君?」


 周囲を見渡しても、先程まで通りを一緒に歩いていた少年の姿は無かった。





















 アダムは、アンジュリーナの放つエネリオンが、誰かに殴り掛かろうとしていた暴漢の腕を止める様子を見て感心していた。


(ここまで精度良く運動エネルギーを中和する事も出来るのか)


 二人掛かりで倒れた人物を滅多蹴りする場面、足を振り下ろそうとした所で一時停止の如くピタリと止まる。ショーウインドーが破られた店内、近くにあった椅子を倒れた人物に叩き付けようとした男が、振りかざした所で停止。


 気付けば、騒ぎを起こしていた人々が二十人程、時間が止まったようにその場で固まっていた。傍観する人々も皆、非現実的な現象の魔力に取り込まれ、


(使い方次第でこんな事も出来るのか。機転も利くな)


 と思考を余所に、後ろから徐々に近付く甲高い音が鼓膜と足裏に感じる。振り返った先には迷彩柄の四輪駆動軽装甲車両。それも二台、エンジンを震わせ、屋根に赤と青のサイレンを鳴らしていた。


「どうなってんだ? まるで時間を止めた訳じゃあるまいし」

「あれアンジュじゃねえ? 彼女が止めたんだろ。ほらあの子優しいしそれに……」

「さっさと行くぞ!」


 車から出てきた兵士達は各々ショットガン型の銃や盾、果てはグレネードランチャーまで持ち抱え、軽口を交わしながら騒ぎの中心へ向かった。


「ほう、あの銃ソニックランチャーか。格好いいな」


 前方で喧嘩の一部始終を見届けていた野次馬の一人が、軍人達を見て物珍しく言った。


 カチン――ふと、堅い物体を打つような乾いた音。


 音源は右隣。近い。


 首を回した。目先には赤毛の誰か。


 観察すると、向かって左側で起きている騒ぎを見ている。


 バチッ!──激痛が右脇腹を急襲した。


 痛みは全身を駆け巡り、少年の肉体全てをほんの一瞬だけ弱めた。


 しかし、この場合の一瞬が命取りになる事など予想だにしなかった。


 良く見ると、右横の人物はジャケットの懐から隠れるようにこちらに向かって拳銃の銃口を向けていた。


 眼を下に移す――ジャケットの上から、先端が細い針で出来ている細い筒状の物体が、脇腹を刺していた。


 取ろうとしても腕が痙攣して思うように動かない――痛みは電気か。


 不意に、針を取ろうと伸ばした手を誰かが後ろから掴んだ。


「おっと、具合でも悪いのか?」


 首を回そうとしたその時、掴まれた腕を引っ張られる感覚。


 辛うじて後方に見えたのは、黒い髭の大柄な男性――上着を被せるように広げている。後ろの景色が見えない。


 隠されながら路地の隙間に引きずり込まれ、後頭部に肘打ちを食らったアダムはガクリと体を落とした。

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