3 : Preparation
時刻は朝五時半前、荒野の奥から太陽が微かに発するオレンジの光。
反対側には北アメリカ大陸中央部に位置する塩湖、グレートソルト湖。そのほとりに並んだ大量のテントと軍事車両。
その中の一つのテントの内部、寝袋から上体を音もなく起こす姿があった。
彼、アダム・アンダーソンは眠気すら感じさせず立ち上がる。
他周囲の兵士達がまだ寝静まっている中、寝袋を畳み、タンクトップの上から戦闘ジャケットを着る。アルコールティッシュで顔を拭き、水筒から水を飲む。
ふと、テントの入り口のファスナーが開いていたのに気付いた。好奇心を刺激され、布を手でどけながら外へ出た。
微かな空気の流れが顔に吹き掛かるが、顔は一切動じない。正面には見渡すばかりの湖が後方から僅かばかりの日射で視界に映る。
後ろを振り向けば、もうじき太陽が荒野の向こう側から顔を覗かせようとしていた。
もう一度湖へ視線を向ける。岸にはドレッドヘアーのラテン黒人、リカルドが立って水平線を見ていた。
テントから出て砂の地面を無音で歩み寄る。斜め後ろから見た黒い顔は明るい笑顔だった。
「ん? うおっ、もう起きたのか?」
ようやく黒人が背後の気配に察したらしく、ドレッドヘアーを揺らして後方確認。声に何故か驚きが混じっていた。
「静かだったもんで気付かんかった。お前はスパイかニンジャかよ」
呆れ気味の発言に、何の事だか、と少年が黙ったまま首を傾げる。
「湖の朝は冷えるな。どうだ、綺麗だろ?」
二人が眺める先には細波の立つ水面。少しばかりの太陽光を散乱させる。
「泳いでみるか? だがここは塩分濃度高過ぎてうっかり飲んだり目に入ってしまったりしたら駄目だぞ。まあ“俺達”なら平気だろうが」
トランセンド・マンの並外れた耐久力は物理的エネルギーだけに限らない。毒や病原菌といった化学反応にすら耐性を持つのだ。
かつて地球管理組織がトランセンド・マンを、宇宙空間に模した超低温と真空環境下に放り出した実験では、エネリオンのみをエネルギー源に数時間の活動が観測出来たという。
それはさておき、この塩湖ではトランセンド・マンなら生き残れるかもしれないが、他の生物はそうはいかない。
「だから魚が居ねえのが残念なんだよな。ここから少し南にユタ湖ってとこがあるんだが、そこならバスやナマズにパーチまで泳いでる。帰りに釣りしてえんだ。お前もやるか? 取れたて新鮮な奴を焚き火で炙ってそれはそれは最高だ」
アダムが僅かに動揺した。食だけは彼の持つ数少ない人間性だ。
「それに野外キッチンも良いもんだぜ。料理出来るとモテる。俺だってそうやってアマンダのハートを鷲掴みにしたのさ。お前だってアンジュちゃんに料理作ってやってみ、ああいうドジな子はイチコロだ」
話が終わると、黙って動かなかったアダムが首を横に九十度回した。
「もう、何で人の噂してるんですか」
高い声が少年の視線の延長上から耳に届いた。黒人も同じ方向を見る。
その先では苦笑気味なな眼差しでこちらへ、灰色の目から視線を送っていた少女が風で長い灰髪を揺らしていた。
「別に、ただアンジュちゃんがドジで可愛いって話をしていただけだぜ」
「それ気にしてるんですよ? 次からは失敗しませんから」
白い歯を噛み合わせて高慢に言う黒人へ、アンジュリーナが三割怒って拗ねながら反論した。
「冗談冗談、料理出来る男はモテるとアダムに教えてやったんだ。アンジュちゃんにはしっかり者の旦那が必要だしな」
「後半言ってる事同じじゃないですか。何で皆さんからかうんですか?」
「俺らにとっちゃあアンジュちゃんはいつまでも可愛いアンジュちゃんだってこった」
「酷いですう……」
頬を膨らませた白人美少女を見てリカルドは嬉しく高笑いした。ただアダムだけが傍観していたが、残りの二人にとっては居ないも同然だった。
「そ、それよりも、準備しましょうよ。兵士さん達にご飯作らなきゃ」
「真面目だねえ」
「というかさっきリカルドさん料理が出来る男の人は良いって言ってませんでしたっけ?」
「フヘヘ、可愛い顔してキツいねえ……」
形勢を覆され、気持ち悪く笑う黒人男性。やれやれ、と腕を振りテントの方へゆっくりと歩く。アンジュリーナはそれを満足の笑顔で見送った。
「アダム君も、手伝ってくれる?」
「分かった」
今まで停止していた少年と向き合うアンジュリーナ。彼は頼みをあっさり承認した。
笑顔で長い髪を揺らしながら先導する少女と、ついて来る少年はマイペースな足取り。
やがて二人はのんびりした足取りのリカルドを追い越して大きなテントに入る。中ではあちこちで何十人前も作れそうな調理器具を持つ人々が。
アンジュリーナがポケットから髪留めゴムを取り出したかと思うと口に咥えた。空いた両手で長い自慢の髪の毛を一つに束ね、ゴムで縛る。
ポニーテールの少女は率先して作業に加わる。アダムも嫌な顔せずにアンジュリーナを手伝い始めた。
「これで良いのか?」
「そうよ。後は……ひゃん!」
拍子抜けた声が上がったのと同時、大きなコンテナのような箱の中に重ねてあった食器類が少女の平常心と共に崩れた。
「ご、ごめん……」
誰からの非難を受けている訳ではない。少女の謝罪は半分程条件反射的なものだった。少年は何も言わず顔すら変えないまま床に散乱した食器を手際良くテーブルの上に置く。
丁度後ろから入ってきたリカルドは若者二人の様子を見て微笑んだ。
午前十一時過ぎ、イエローストーンの山脈地帯。太古からの森林や火山が有名だ。
低く飛ぶ監視ドローンが静かにプロペラを回し、山脈のあちこちを飛んでいる。地球管理組織の小隊規模の監視戦闘隊も見えた。
その森林の中にて、木々の間や監視の目を縫うように行軍する車両達があった。
更にその内の一つの兵員輸送トラック、緊張し震える手で小銃を構える者、何かを呟く者、目をつぶって祈る者まで居た。
「最初から気張るな、しっかりしろ。大丈夫大丈夫、俺達はおこぼれを拾うだけで良いんだ。ルーサー、ビビってんのか?」
「まだ結婚してねえからな。それにばあちゃんに百歳まで生きるって約束したし」
「俺こそ子供が生まれたばっかだ。死んでられっかよ」
中隊長らしく殺伐とした雰囲気を和ませるロバート。相棒のルーサーがジョークをジョークで返す。
「なあ、快適な空の旅はどうよ?」
『機内サービスが無いのが残念だ。あ、あとお前らの所に警護の奴らが来てるぜ』
今度は耳の通信ユニットに語りかける。するとジョークと共に聞こえた報告に周囲の兵士達が目を見開き、それぞれの武器を取った。
「詳しく分かるか?」
『軽装甲車が三つ、精々二十人ってとこかな。牽引されてる二足歩行戦車も一台。そちらからは二時の方向に居る。今の調子じゃあ五分で到着ってとこかな』
「サンキュー。よしお前ら、蜂の巣にしてやろうぜ」
ロバートの台詞に車内の全員が士気を上げ、他の車両にもそれは伝染した。
『って訳でロバート達が遭遇する。戦力の分に支障は無さそうだが、早めに始めようぜ』
『報告ありがとうな。こちらも砲兵達の準備が終わったそうだ。皆、以上で他に何か無いか?』
レックスの告げに次いでジェイクが尋ねる。通信機からはそれぞれ肯定の声。
「アダム君も大丈夫?」
「大丈夫だ」
通信機を耳に、目を先頭の少年に、アンジュリーナが言った。対するアダムは斜面の木の陰から前方の山々の景色を見渡し、視線を離さない。
「何か見える?」
「向こうはまだ気付いていない」
森林の一点を観察しながら少年の返答。全く振り向かない。その冷酷にも感じる姿が少女にとっては何処か頼もしかった。
『じゃあ始めるか』
『待って』
テレサからボソボソの乾いた声が呼び止めた。一拍遅れ、女性の声は話を続ける。
『昨日観測した増員のトランセンド・マンが消えている。まるで何かで遮ってるみたいに全く場所が分からない』
『じゃあバレてるってのか?』
『いや、それであれば既にこちらに攻撃があってもおかしくはないが……』
リカルドの問いにジェイクの曖昧な返事。話が進まないのでレックスが強引に割り込んだ。
『攻撃来ねえならこっちには気付いてねえって事だろ? ロバート達が遭遇する前に早くやる方が良い』
『そうだな。戦場で迷うもんじゃないな。合図で始めよう』
スピーカーとマイクを通しての会話が終わり、アンジュリーナが前方の少年を見る。
「アダム君、準備は良い? いざとなったら私が守るから」
「問題ない」
抑揚の無い断言。少女の不安が少し拭われた。
「自信満々ね。アダム君見ると不安や悩みが無くなって勇気づけられちゃうわ。ありがとう」
「どういたしまして」
笑顔と共に少女が言った。目の前のアダムは対照的に、振り向きもせず返事も反射的だった。
『行くぜ。五、四……』
アダムがレッグホルスターから二丁拳銃を素早く抜き取り、
『三、二……』
アンジュリーナが見渡すばかりの木々の景色から迷わず正面を向き、
『一、ゴー!』
カウントダウンの終わりと共に二人の若い男女は地面を蹴った――走って木々を躱しながら、景色がスピードのあまり引き延ばされる。
十秒も経たない内、二人は正面に重機関銃で武装した軽装甲車を認め、その周囲を歩兵共が纏っているのも見えた。
少年が二つの銃口を体の前へ――引き金を引き、それぞれの銃口から大量の不可視の弾丸。
銃身の延長に居た兵士達の身体が十個ばかり、“見えない筈”の針の如き弾を受けて、大穴を穿たれ血を吹き出した。中には体の一部が千切れている者まで居る。
走行中だった装甲車上部の機関銃がアダムへ向けられる。応じて少女の掌がそちらを向いた。
直後、少女の掌から“見える筈のない”輝き――それは装甲車と機関銃を包んだ。すると、装甲車が急に止まる。
機関銃から発射炎。だが、肝心の銃弾は発射してから一メートル程飛んだだけでストップし、後は引力に従うのみ。
アダムが車両へ銃を向け、連射。エンジンと内部の人員を貫かれた車両は沈黙した。アンジュリーナは死体を決して見ず、前に進む。
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