2 : Draw

「始めて良い?」


 目の前の少女、アンジュリーナからの問いに、


「ああ」


 一言で返事を済ませた少年、アダム。


 一辺九メートルの格闘試合スペース、その中心で僅か一メートル間隔で向かい合う二人。目線は少しだけ少年の方が高い。


 両者共足を肩幅に開きながら二本の腕を前に出し、アダムの右手が少女の左手首をぐいと掴み、アンジュリーナの左手が少年の左手首を優しく包む。それぞれの目は見つめ合ったまま視線を離さない。


 突如、アダムが右手に掴んだ腕を左方向へ流し、左手でボディブロー。


 アンジュリーナが右手に持った手を引いて外側へ逸らし、逸らされた左腕を伸ばし、相手の顔面へ。


 迫り来る攻撃を右手で止めるアダム。同時に左腕が拘束からすり抜けた。


 目前へ伸びる指――間一髪で右手で掴み止めたアンジュリーナ。別の指先が自分の喉へ向けられているのを知った。


 少女の左手がそれを掴み、少年が左右へ掴まれた両腕を揺らし暴れる。アンジュリーナは柔らかに吸収してみせた。


 外が駄目なら内、少年が手先を尖らせ拘束から脱出――右手で作った握り拳を少女の顔面へ。


 咄嗟にアンジュリーナが右小手で受け、それを下へ受け流す。今度は左手。


 二人の左腕同士が交差し、下へずらす。今度はアダムが右腕を……


 互いの両腕が回転するように連続打対決――当たっては逸れ、逸れては突き出し……


 アダムが均衡を崩すように、攻撃を巻き込んで両腕を同時に前へ伸ばす。対する少女が両手で掴んだ。


 再び固定された腕を左右に揺らし、相手は優しく対応し近寄らせない。


 低姿勢のアダムの左足が弧を描いて一歩。慌てて左足を引っ込め後退する少女。


 少年が前進する度に放つ蹴りによって、後退を余儀なくされるアンジュリーナは場外から三メートルにまで接近していた。


 リングアウトが心配で後ろをちらと見た少女――直後、左足に強い衝撃。


 危うく体勢を崩す所だったが、素早く威力の無い確実性重視の蹴りだったのですぐに踏み止まれた。


 一瞬の隙――少年の右手が真っ直ぐに伸びる。すんでの所でアンジュリーナの左手が引いて流し、カウンターの右拳。


 襲い来る打撃を上に跳ね上げたアダム。少女の右腕を引き、反動を加算させた左裏拳。


 腹へ打ち込まれそうな拳に対し、手首を掴み止めたアンジュリーナ。アダムがもう片方の手を向こうの喉へ突き出す。これも少女はもう片手で受け止め、拮抗。


 両手を左右に揺さぶり隙を伺い見る少年。少女が合わせて腕を動かし避ける。


 突然、少年が腕を引き戻しながら床を蹴り、少女までの間合いが詰まる――膝が腹へ一直線。


 膝蹴りに対し後方へ跳び退き、場外から五十センチメートルの距離を残して着地したアンジュリーナ。アダムが追う。


 右拳が横殴りに少女の側頭部へ――左手をかざし防ぐと同時に左半身を前に、勢い良く右手を少年の頭部へ。


 頭を左に傾け紙一重で躱したアダム。通り過ぎた腕を左手で引き下げ、空いた少女の顔面目掛け左ジャブ。


 下げられた右手の代わりに左手で迫る拳をキャッチしたアンジュリーナ。それを逃さず、アダムは拳を平手に、離れて少女の左腕を上から叩き弾き下ろす。


 少年から上段が隙だらけとなった少女に向けて右フック。反射的にアンジュリーナは頭を後ろへ傾け、拳が鼻先を掠めた。


 不発の右手で上がろうとする少女の腕を掴み、アンジュリーナが引き剥がそうと腕を掴む。その上からアダムの左手が押さえ、封じられた少女の両腕。


 アダムの上体が急に動き、腕への衝撃――少女の腕の固定が解放された。しかし押されて更に後ろへ。


 場外線すれすれで踏み止まった少女。次の瞬間、彼女の正面には右跳び蹴り。


 少女が足を両手で受け止め、上半身のバネで衝撃を吸収しリングアウトを免れた。更にもう片足での回し蹴り、頭を下げて回避。


 アダムは片足を掴まれたまま蹴りを空振らせ着地し、もう一度足を薙ぐ。少女は低体勢になり、不発。


 ならば、とアダムが今度は左足を滑り込ませ相手の足元へ。アンジュリーナは脛の衝撃を覚え、同時に体が倒れる。ただし少女が相手の右足を抱えたままだったのでアダムも同時に倒れた。


 背中に地面を着けた少年は前転しつつ両足を振り下ろす。少女は横へ転がって躱す。


 前転蹴りを躱されたアダムはその体勢から横へローキック、アンジュリーナが起き上がりながらジャンプして避ける。


 蹴りから体を回転させつつ起き上がる少年。向こうとは二メートルの距離。


 アンジュリーナが無言で右平手を前に構え、左手をそれに添える。


 アダムは無言で相手の懐前にまで近付き、右手を前に、左拳を腹の位置に。


 二人の前に出た手が交差し触れる――瞬時にアダムが左手で触れた少女の腕を下へ抑え、右裏拳。


 少女の左手が顔面に迫る拳を受け止めた。同時に相手の右腕を掴み、双方が絡まる。


 腕の自由を失ったアダム。腕を出すと同時に腰を入れ、ウエイトの乗った押し出しでアンジュリーナが後退する。


 二、三歩よろめき、前を向いた時には眼前に少年の拳が――慌ててスウェー、躱すと同時に後ろへ。


 アンジュリーナは既に場外線の縁に立たされていた。それを知ったアダムの容赦無き跳び蹴りが襲う。


 少女の両腕が正面から受け止めるが、彼女の身体はガクンと後ろへ。


 勝利を疑わなかったアダム。だがアンジュリーナはまだ手を残していた。


 突然、宙に浮いた彼女は足を後ろへ、すると、何も無い筈の空間を壁を蹴ったように跳ね返り、復帰。


 宙を舞う少女からの連続蹴り。アダムがバックし捌きながらハイキックで迎撃する。


 前進中の少女が不意に一時停止し、少年の蹴りが空振る。隙を見せたアダムへ着地したアンジュリーナからの左手刀。


 慌てず少女の手を横から掴み、根元の腕をもう片手で叩く。左手を戻されたアンジュリーナは右腕を出そうとするが、少年の平手が上腕を叩いて繰り出せなかった。


 隙を見たアダム。右半身を前に勢い良く右ストレート。


 その一瞬、アンジュリーナが力んで目を瞑った。それでも拳は直進する。


 次の瞬間、伸ばす最中の腕を押し返される感覚――同時に目の前の少女が体勢を低くしながら両手を前に突き出していた。


 直感的に膝蹴りを少女の顎目掛けて繰り出すアダム。


 停止。


 少年の膝がアンジュリーナの顎寸前で止まっていた。一方、少女の両手はアダムの腹ギリギリの位置に。


「……あっ、ご、ごめんなさい。だ、大丈夫?」


 ことごとく先程までの戦意を捨て、動揺しながら尋ねる少女。当然触れてもいないのだから本人は無事ではあるが。


「何故謝る?」


 体勢を戻しながら訊き返す。相手はハッと気付いたように口に手をやっていた。


「……あっ、そっか、べ、別に大丈夫だったんだ……ご、ごめん……」


 またも全く意味の分からない謝罪。少年にはどうでも良く、無理矢理話題を変えた。


「しかし、先程の挙動は能力か?」


 疑問に思ったのも無理はない。本来なら場外負けになる筈の少女は壁を蹴ったようにリングへ戻り、空中から降りる際に重力に逆らって止まったのだ。更にクリーンヒットする筈の拳も遅くされた。


「勿論よ。私の「中和」で勢いを止めたの。能力を闇雲に使うんじゃなくって、ここぞ、という所で発揮して意表を突くの。トレバーさんから教えて貰ったわ」


 トレバーの能力は「幻術」であり、精密なタイミングによって接触した相手の感覚器官を麻痺させる戦法を得意としているのだ。


「でも負けちゃったけどね……」


 苦笑気味な暗い顔のアンジュリーナ。腹に当てただけでは試合は決まらなかった筈だ。それにアダムの膝がほぼ同時に顎を捉えていたのだから。


 だが少年はそれを真っ向から否定した。


「いや、アンジュの方が先に当たっていた。体勢が崩れて威力が出なかった筈だ」

「そ、そう? そんな別に良いのよ、試合だし」


 と言いながらアンジュリーナがリング外から水筒とタオルを持ってくる。受け取り次第水をガブ飲みする少年。


「アダム君は上達早いし、動きも積極的で良いと思うわ。私なんて実戦で攻撃すら出来ないし……」


 褒めると同時に何故か自分を卑下する少女。アダムにはその理由どころかそんな話をしようとする訳すら全く見当も付かない。


「いや、こちらはまだ能力が分かっていない」

「そ、そういえば……やってみて何か掴めた?」

「エネリオン放出は可能だが、物体には何も作用しない」

「うーん、もしかして使うべき所が違っていたり? トレバーさんみたいに人に作用するのかな……」


 この時は結局何も分からずじまいだった。

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