6 : Inhibition

 ロサンゼルスは海が近く、特に昼間は東南方面から風が吹く。都市部から二十キロメートル程離れた海岸沿いには高さ五十メートルもの、白い棒状の物体が至る所に立てられていた。


 直接的な風力だけではなく風による空気の渦も利用して、立てられた細長い棒状の管内のタービンを回す風力発電機だ。高効率化は当然、スペースを取らず、羽根による事故も防げ、メンテナンス性も考慮されている。


 発電プラントの一つとなっている海岸は、昔程ではないにせよ時折観光客で賑わいを見せる。地面から生える発電機の筒も、地元住民の間ではすっかり馴染んでいた。


 海と陸の温度差で生まれる空気の流れは、ただ都市のインフラに役立っているだけではない――海岸から陸へ二十キロメートル、ある高層ビルの屋上では土に湿気を奪われた風が吹きさらし、そこに居たスラヴ系少女の長い灰髪を揺らす。


 皮膚に冷たさが走っても気にせず、彼女は視界に映る殺伐とした空気に気を取られていた。


 灰目の先――次々と繰り出される少年の腕。それをも上回る速さで、大人の片手はいなす。


 二方の腕同士が絡み、大柄な方がたぐり寄せた。


「俺を倒そうとするな、俺に当てろ」


 叱るような助言――アダムが腕を解いて引き、拳を引き締める。


(もっと速く)


 アダムが前進し、向こうがバック。


 ダッシュする少年から拳の猛攻。当たらないが、遂にトレバーが後ろにあるヘリポートのフェンスにまで追い詰められる。


 すると、大人が今まで動かさなかった左手を伸ばしたのが見えた。


(見えた)


 右側頭部を狙ったフックをガード。左半身を半歩前に出し、胸に向かって勢い良く横蹴り。


「遅い!」


 トレバーの腕が足を逸らし、裏拳――アダムの顎を抉る。衝撃に耐え切れず、少年は膝まずいた。


「ハア、ハア……」

「休憩だ。それ以上は休んでからだ」


 座り込む少年を見下ろし、拳を引き戻したトレバー。すると、屋上の端で観戦していたアンジュリーナが駆け付けた。


「トレバーさん、水とタオル持ってきましたよ。アダム君も使って」

「気が利く」


 汗もかいていないアラブ男性は端的な返事をし、少女の手から二つを奪い取るように収めた。見ようでは冷たい態度だったが、少女は慣れているらしく、嫌な顔一つしない。


 疲労で四つん這い状態のアダムは右手だけ前に出すと、柔らかい布の感触を認め、掴んで顔に当てた。汗を拭いても尚、皮膚を液体が伝う。


「水も頼む……」

「はいこれ。大丈夫?」


 アダムはやっとコンクリートの床の上に座ったが、まだ息が乱れて、何も喋らない。そして水筒を受け取った途端、がぶ飲みし始めた。


(まだだ、まだ速くなれる筈だ。何が足りない?……)


 返事もせず考え事をし始めたアダムは、眉を曇らせながら自然と顔を俯かせ、それがアンジュリーナを心配させる。少なくとも少女には少年が落ち込んでいるように見えていた。


「ほ、本当に大丈夫なの?」

「ああ」


 深呼吸。真剣に目線を向き合わせたその発言と顔に歪みは無い。息がゆっくりとなる。


「そう、良かった」


 安心し、愛想笑いを浮かべたアンジュリーナ。この時は相手の無表情はプラス効果に働いた。


「難しい?」

「ああ」

「私も、最初は全然駄目だったわよ」

「……どうやって出来た?」

「私は人を助けたい、それが願い……私は『力』を使う時は願いを強く想っているの。貴方の願いは何? そうすればきっと上手くいくわ」


 助言を送るアンジュリーナの表情は、少女らしく高いトーンとは離れ、何処か大人びていた。何よりも人の役に立ちたい、という思いが一番強いのだろうか。


「願い……」


 少年は、願いというものが良く分かっていなかった――好奇心。それがたった一つの、突き動かされる動機。


(知りたい)


 それでも十分だった。この世界は知らない事ばかり。ましてや、自分自身の事すら何も分からないというのに……


「アダム君の助けになれば良いかなあ、って思ったんだけど……」


 またしても黙り込むアダムを見て、再び心配性を発動させた少女は目を泳がせて訊く。


「いや、助かる」

「それなら良かった……」


 安堵したものの、アンジュリーナは違和感を覚えていた。彼のリアクションや、抑揚の無い声、そして無表情は、普段別の誰かと接する時とかけ離れている。


 彼からは“人間味”を感じない。訊かれた事だけにしか答えない。まるでロボットと会話している気分だ。


「アンジュ」


 だから、突然少年が彼女の愛称を喋ったのは心外だった。


「えっ、な、何?」


 彼女自身に掛けられたものに他ならないだろう。少女は想定外の出来事に動揺し、素っ頓狂な声で飛び上がりそうになった。


「君は救ってくれたし、要望にも応えてくれた。ここまでしてくれ……だから……何と言うべきか……」


 相手の驚きも気にせず、少年の容赦なき言葉が足されていくが、台詞は途中で止まった。


 迷っていた。状況に対して言うべき言葉を知らなかった。


 それを察したアンジュリーナは、優しさが溢れんばかりの笑顔で、手を差し伸べた。


「ありがとう、だよ」


 少年の目がハッと見開く。「本当か?」と瞳は半信半疑だった。


「助けてもらった時、感謝する時、ありがとう、って言うんだよ」

「……ありがとう」


 何処か腑に落ちない様子で言うアダム。表情は相変わらず固かったが、次第に青い目だけは幼く、若々しく輝かせていく。何か新しい発見をした子供そのものだった。ジグソーパズルのピースがはまった。


「どういたしまして」


 お礼を言われたアンジュリーナは満足の笑顔だった。


 尚、速攻でアダムは平常通りの静けさを取り戻したが。「あれ?」と少女の腑抜けな声だけがビルの屋上に残るが、すぐに吹き付ける乾燥した空気の中へ消えていった。


 屋上のフェンスの向こう側には、再興中の都市と、緑に彩る農地、そして土色に霞んで見える廃墟……


「あひゃっ」


 しばらくぼんやりとロサンゼルス都市を一望し、不意に風でたなびき目に掛かった長い髪を、アンジュリーナは手でどけた。





















 日中の新ロサンゼルス市の中に居るのは、“この時”は市民だけではなかった。


「ブラウンがやってくれたお陰で随分助かるわね」

「だな」


 都心部の通行人の多い歩道。飽きっぽく物足りなさそうに、枯れ気味な声をした金髪メッシュの女性と、最短で言い返した、人相の謎めいた黒ヘルメットの男。


 街を行く人々に比べ、派手で目を引く外見だというのに、通行人は誰一人として注目しない。


 視界の中にそびえ立つ高層ビル群、彼らはその中の一際高いビルの前に来た。お構いなしにガラス張りの正面扉から堂々と入る。


 建物内の人物でさえ、チラ見すらしない。“普通の人間”にとって彼らは“存在しない”のも同然だった。奇抜な外見であっても、音を立てて歩いていても、誰も見向きもしない。


「さてと、あたし達も作戦通りに行こう」

「分かっている」


 人を避け、非常階段を上る二つの影。靴音がコツコツこだまするが、彼ら以外に誰も居ない。


「それじゃあ、あたしはこの辺で」


 女性の方は十階程に達すると廊下へ出る。ヘルメットが頷き、彼はそのまま上へ。


 時々、建物の職員達が廊下を行き来していたが、誰も金髪メッシュの姿を見る事はない。


「楽な仕事ねえ。まっ、そんな思った所で誰か来るんだろうけど」


 荒い口調で疲れを吐き出された独り言は、すれ違った人々の耳に届きもしない。これこそ彼女の能力、

「認識阻害」だ。

「さあて、“迷子”はどこかしら……」


 廊下を進む内、やがて通る人を見なくなった所で息を吐き、呟く。


 ちなみに、「認識阻害」は生物の五感にしか作用しない。「能力」の行使は、“彼女ら”が感知する“エネルギー”を由来とするため、彼女のように“エネルギー”を感知出来るある種の人物に気付かれる可能性もある。


 だから、仲間の一人が離れた荒野から、“意味を持たないエネルギー”となるものを送信し、二重で認識妨害している。それが市郊外に居る大柄なサングラスの男の役割である。


 所謂ジャミングだが、ノイズがあっても完全に誤魔化せる訳ではない。どれだけうるさい音楽が鳴っている中で囁いても、声を発した事という事実に変わりはない。


 演奏に含まれている僅かなパーカッションでも、聞こうと意識すれば聞こえる。それと同じ原理で、“意味を持ったエネルギー”を判別する事は可能だ――たった今、この女性に向けて両足蹴りを放つ人物のように。


 顔面に重い衝撃――成す術も無く飛ばされ、手から着いて受け身を取り、起きる。


「チッ、あたしに不意打ちするなんて良い度胸ね。レディを蹴飛ばすなんてのも男としてどうかしら」

「関係ない。問題はその理由だ」


 前方五メートルで両手を体の前に構える、黒髪黒目で中国系の男性、ハン・ヤンテイ。女の睨む舌打ちと文句にも耳を貸さない。


「あたしそういう理屈付ける男嫌い」

「僕はそういった大して考えない人は好きではないな」


 ハンが述べた矢先、女は苛立ちを募らせた顔で床を蹴り、突進。正面からタックルを両手で受け止めたハンは、床へ押さえ付けようと体重を掛ける。


 ガクン、と両者が組み合ったまま止まった。


「エイヤッ!」


 高く響く掛け声――女性は重力に抗って拘束を振り解く。続いて片足を前に踏み込み、もう片足で回し蹴り。


 咄嗟に上半身を反らすハン。目の前を靴先が過ぎると、向かう女性は反対側の足で下段へ回転蹴りを放っていた。


 対するハンは前方へ跳び、床を一回転。距離が離れたのを機に中華系青年は、耳のヘッドフォンマイク型の通信機に手を当てる。


「侵入されている。警報を……」


 しかし、返ってきたのは意味を持たないノイズのみ。


「無駄よ。あたしの“領域”で何をしようと外部には伝わらないわ」

(ジャミングか、ステルス系の能力か……発信源は何処だ?)


 空間に存在する不自然な“エネルギー”――まるで空間全体を包む塵らしき何かが光を錯乱させているイメージ――ハンは感付いていたが、何処から来ているのかは分からない。


(遠くから、あるいは複数の方向からの妨害だろうか)


 廊下には二人以外誰も居ない。第三者が来る気配も無さそうだ。そんな寂しげな廊下を眺めたハンは、女性の背後にある廊下突き当たりの窓ガラスへ目をやった。隣のビルが見える。


 外へ出して暴れられれば街がパニック状態になり、一般人にまで被害が及ぶだろう。


(とはいえ、向こうも気付かれないような行動をする以上、第三者にバレるのは不味い筈だ。目的は何だ? やはりアンダーソン少年か?……)


 見つめ合いながら、足を擦るように無音で距離を詰める両者。


 片や、金髪メッシュの方は意識を見えない所へ巡らせていた――建物の構造全体を認識し、幾つもの天井を突き抜け、建物の屋上――居た。


(指令部へ連絡。アンダーソンは……)


 歩み寄る女性の思考は相手の東洋人へは伝わらない。だが確かに、耳穴の極小通信機が思考を電気信号化し、電波へと変換していた。

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