第62話 後悔の涙

 ソーマの絶叫が屋敷に響き、彼が疲れて寝静まるまでの間、

シアンは用意された自室で一人、後悔をしていた。


 酒の勢いを借りて彼に関係を迫ったら、彼の態度状態が急変し、

あんな事態に発展するとは、シアンは想いもしていなかったのだから。


 そして、彼女が彼に対して実行したことは、

彼女自身が望まず、侮蔑ぶべつあたいする行為に他ならなかったのだから。



 これまでのシアンの旅は、順調といえば順調ではあった。


 師と仰ぐブラウに見守られ、剣の腕が立つアルテナに守られ、

道中で危険があれば二人に任せ、また遠距離から、

安全な位置から魔法で攻撃をしていれば良かったのだから。


 旅に出るきっかけでもある彼が魔物に連れ攫われ、

その魔物が脅威で、彼女も怪我を負わされたことはあるけども、

 その魔物も討伐したし、この街で請け負っている冒険者業務は、

多少の困難はあれども、その日その日で達成していけていたのだから。



 シアンは、その過去の境遇から人付き合いが、

特に男性との付き合いが苦手であった。


 彼らのシアンへ向ける目が、口元が、雰囲気が、

シアンを不安におちいらせ、恐怖でさいなむのだった。

 ソーマが彼女の顔を見て思わず褒めたように、シアンは、

女性として顔立ちも体型も、街の人々の注目を集めるほど際立きわだっていた。


 過去に『髪色が黒に近い』ということで虐げられていた彼女だったが、

 このノースァーマの街で髪色に関して、

それをとやかく言う者はいなかった。


 その代わり、容姿の美しさにより得をすることもあれば、

損をすることもあるのが、今のシアンの悩みでもあった。


 依頼遂行のため依頼人に会うのだが、大抵は好意的に依頼人も対応し、

それが人付き合いの経験のないシアンにとっても助かっていた。

 しかし中には、付き合いの悪い依頼人もいれば、

シアンに対して、妬みや卑猥な目を向ける者たちもいた。


 それは依頼人や街の人々に限らず、同業の冒険者たちの中にもいた。


 シアンはその時 気づいていなかったが、

ブラウやアルテナがいなければ――という事態もすでに起きていた。


 シアンも後になり今になり、それらに次第に気づき始め、

不安や恐怖に、人知れないところで体を震わせることが多くなった。



 今回の、酒の勢いを借りて―― だが、

シアン自らが酒を飲むことはない。


 冒険者斡旋所内でブラウが事件の報告にと離れた時に、

冒険者の男性に酒を誘われ、断り切れずに酒を飲まされ、

飲まされていたからこその酔いの勢いで、屋敷へと逃げ帰ってきたのだった。


 ソーマならば、強引に酒を飲ませて酔い潰そうなどとはしない。

むしろそうなる前に注意してくれる。


 シアンにとってソーマとは――


 シアンにどこまでも優しくて、

どこまでも自分を受け入れてくれる。


 ―― そういう存在だと彼女は思っていた。


 いずれ何かの時に、自身純潔初めてを誰かにムリヤリ奪われるくらいなら、

彼に捧げて、優しく抱かれ、胸の内に抱えているすべてを知ってもらいたかった。


 だから彼に拒まれるとは考えられなくて、考えたくなくて、

シアンはムリヤリにでも『認めさせる』ことしかできなかったのだった。



 あの後、シアンは――


錯乱さくらんしている彼の絶叫を聞き、一番に部屋に入った』


 ―― ことになっている。



 彼女自身が後悔に苛まれ、

今回のことを申告できずにいる間に他の者達がそう決めつけてしまい、

シアンは余計に言い出せなくなってしまった。



「私……どうしたら良いんでしょうか……」


 シアンは寝台の上で、枕を抱きしめながら

目を伏せ、一筋の涙とともに、ぽつりと呟いていた。


 彼女の頼れる師匠であるブラウは、まだ帰ってきていなかった。

そして未だに彼の絶叫が屋敷に、シアンの耳に入ってきていた。






 叫び続けるソーマの部屋から出た直後、バーントは後悔していた。


 彼の様子がおかしくなって 心配してそばへ近づいたのに、

自分の顔を見て、状況が更に悪化するとは思いもしていなかったから。



 なんとかしようと思った結果が逆効果で、

しまいには、ジョンに引き剥がされてしまったのだから。


 しかしバーントはその時、こう考えて納得した。


『彼はあの男達に襲われた直後なのだから、

男の自分が近づくのがいけなかったのだ』と。


 ジョンの機転で彼が暴れることがなくなったため、

もしものためにアルテナとミザリーを彼のそばに残して全員退室した。



 彼の絶叫が響く中、ジョンが両親に状況を説明するため、

バーントはジョンと共に通路を歩くが、



「ねぇバーント、彼に何をしたの? 」

「ジョン? 」


 機転を利かせた時よりも険しい目つきをしたジョンに、

バーントは戸惑ってしまった。


 自然と通路で立ち止まる二人。

ソーマの絶叫が、二人の会話を聞き取らせないための防音を果たしていた。



「おれはジョンと一緒に行動してただろう? 」

「それは、こっちに来てからだよね。その前だよ。」

「その前……」


 バーントは、あまり思い出したくなかった。


 大鷲の魔物討伐の依頼を受けて冒険者を集めて集団を組み、

順調かと思えたのに、仲間が密かに魔物の卵の密輸をくわだててたり、

黒い魔物ヒナが出たと報告を受けて、村人まで借りだして討伐に挑んだのに、

自分以外は全員、魔物の手で殺されてしまったのだから。


 バーントの頭の中では、火の棒持ちの村人が逃げたことは忘れ去られていた。


 バーントは思い出すのも嫌だったが、

相手がジョンだったからこそ、その時のことを話すことにした。

 彼が魔物の死に涙を流し、祈りを捧げたことも含めて。



「仲間が魔物に最後の一撃を加えるのを、彼に邪魔された……ねぇ……」


 ジョンは聞いた話を自身の頭の中で練り込んで、


「……彼の、状況の悪化の原因は……やっぱり君だよ。バーント。」


 バーントへ冷静に言い放った。


「ど、どうして……」

「本当にわかってないのかい?

まぁ……その様子じゃ、わかっていないのか。」


 バーントの様子を見て、

ジョンは落ち着いた様子で彼に、こう説明した。


「簡単に言うと―― 『彼は君に殺される』と、思いこんでいる。」


 その言葉はバーントにとって、

まるで頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を持っていた。


「ジョッ、ジョン、待ってくれっ!

おれは彼を殺そうとなんてしていないっ!! 」

「彼がそう思いこんでるんだから、他に言いようがないよ。」


 以前、ソーマに対して『守る』と言ったバーントにとって、

彼が自分に『殺される』と思われているのは我慢できなかったのだ。


「じゃあ、彼はなんでそう思いこんでいる、って わかるんだ!? 」

「あの時の彼の様子で、君と何かあるな、とは思ったけどね。

君の話で、ある程度 想像がついたよ。」


 感情をあらわにしているバーントに比べ、

ジョンは淡々と話をしていた。



「……そ、それは? 」

「君自身も口に出して言っていただろう?

大鷲の魔物と『黒いヒナ』を討伐しに行った、って。」

「……それは言ったが……」

「大鷲の魔物と『黒い髪の彼』を殺しに行った、って ことだよ。」

「ジョン、だからおれは―― 」


「彼が魔物の巣にいて『殺しに来ていた君達をずっと見ていた』って、

まだ想像できない気づかないのかい? 」


「―― っ!? 」


 言われて、今になって、バーントは思った。


(どうして今まで、それに気づかなかったのだろうか。

なぜ、おれはそれを考えようとしてこなかったのか……)


 以前、マルゼダとブラウとで情報の共有をしていたのに、

彼が魔物に、巣へと攫われていたことも聞いていたはずなのに―― と。



「大勢で押しかけて魔物と黒いヒナを殺そうとしたんだったよね?

 魔物が殺されようとしているのを彼は邪魔をして、

それで仲間に、彼は殺されかけたんだったよね?

 魔物が殺されて、彼は泣いて祈りまで捧げたんだったよね? 」


「……ああ……あぁ……」


 ジョンの言葉一つ一つがバーントの心を削る。

削っているのはジョンではない、バーント自身だ。

 なぜソーマのことを考えてやれなかったのか、と。


「ボクも信じられないけど、魔物は彼を守ってたんだよ。

彼は、バーント達が来てからのことを全部、見聞きしてたはずなんだ。

他にも、彼が魔物だけでなく『彼自身も殺される』と思い込む何かが

あったと思うよ。」



 ジョンの言葉にバーントは深く思い出そうとし、記憶の中から――



 ―― このデカい魔物ったら、

次は黒いヒナを見つけ出してぶち殺してやるっ!!


 ―― この魔物を殺したら、後は黒いヒナか!


 ―― 囲んでなぶり殺しだなっ!


 ―― はははははっ!!


 ―― 魔物の味方をするんなら、てめぇも魔物だ! ぶっ殺すぞっ!!



「―― っ!? あ、ああぁ……なんてことだ……」


 ―― 大鷲の魔物と戦っている時の、

仲間の冒険者や弓矢を持つ村人たちの言葉を思い出し、

 それを彼が見聞きしていたであろうことに、

バーントはうつむいて顔を手で覆い、嘆いた。



「あったんだね? 彼が、そう思い込む何かが。」

「……なぜおれは、今まで気づかなかったんだ……」

「……バーント……」


 バーントのこぼす悲痛な声に、

ジョンも悲痛な面持ちでバーントを見つめていた。



(あの時、魔物に……いや、おれ達の前に出てきた彼は、

自分が殺されるかもしれないと思いながら立ち塞がっていた……)


 夜に赤い火に照らされて明暗激しい森の中――


(これ以上魔物を傷つけるな、って 言った彼をおれは――)


 魔物に向けていた殺意と悪意を一身に受け止めた彼を――


(仲間が彼を蹴倒し、剣を振り上げていたのをおれは――)


 本来は保護されるべきはずだった彼が、

仲間に殺されようとしていたのに止めもせず――



 ―― おれは嘲笑わらって 傍観してみてたんだ……



「彼はずっと、おれに殺されるかもしれない恐怖とも戦っていたのか……」


 手の隙間から赤い絨毯に落ちる涙を、

バーントもジョンも、止めることはできなかった。


 ソーマは今もなお、恐怖に抗いながら悲鳴をあげ続けているのだから。

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