第23話 シアンの過去

 シアンさんの顔をまともに見たのは、

今日が初めてだったんだ。


 屋敷にお邪魔した初日は食事を作ってもらった。

翌日もそうだった。


 一昨日は手伝ったけど、

食材を切ったり彼女の指示に従ってただけだし、

 それに久々の調理で心理的な余裕もなかったから、

シアンさんの顔をしっかりと見るなんてことはなかった。


 昨日は自分だけ別のつもりで、手探り状態で作っていたから……


 思わずシアンさんの容姿を褒めた後、

 台所で二人していつまでも向かい合ってるわけにもいかないから、

自分の方から先に料理へと意識を切り替えて、調理を開始することにした。


 面と向かって異性を、容姿を褒めることなんて、

そうなかったんだけどなー。


 ……さて、昨日と同じようにグラタンもどきを作りますか。

自分の分だけじゃなくて全員分だから、量多めにしないとだよな。


 料理のことを考えると、おれの意識はもう完全にそっちへと向かっていた。





 綺麗、美しい。


(そんなことを私に言う男の人なんて、今まで一人もいなかった……)


 シアンは顔を紅潮とさせたまま、

呆然とソーマの料理している姿を眺めていた。


 まるで初めて男性を見たかのようにシアンは動けないでいた。



 シアンは生まれも育ちも、このホルマの街だった。


 シアンにとって初めての男性となる父親は

彼女が物心をついた頃には街には いなかった。


 幼少の頃は母親と二人で生活をしていたが、

母親は遠方からの父親の訃報を聞いた頃より心身ともに衰弱し、

 ついに孤独の身となったシアンは、

父親の親友だったブラウのもとに引き取られて育ってきた。



 シアンは生まれつき髪色が黒に近く、

それだけでも心無い者たちにありもしない噂をされたり

酷い扱いを受けてきたのに加え、両親も亡くした彼女は、

ブラウに引き取られた後は屋敷に引きこもるようになってしまった。


 そのことにブラウも相当に苦労は重ねたが、

時が経ち体が大きくなっていくと 心にも余裕ができてきて、

 シアンの方からブラウへの恩返しも込めて、

日常生活から魔力の研究への手伝いをも申し出るようになった。


 親代わりとなったブラウもその事を自分のことのように喜んでいたのだが、

シアンが外に出ると、またしても問題が起きた。


 変わらず彼女の髪色に対して彼女を悪し様に言う者たちがいるに加え、

成長した彼女を見る男達の色欲の目の多さ、

 そしてブラウの魔力研究に対する潜在的な偏見があることを、

二人は思い知らされたのであった。


 ブラウは元冒険者として名を知られているから表面化してはいなかったが、

 この街で何年も屋敷に引きこもった彼女に対してが、

眼と耳を覆いたくなるくらいに厳しかった。

 シアンが前髪で顔を隠していたのも彼らを見たくなかったし、

見られたくなかったからだった。


 またしても心に傷を負って外に出れなくなるのは彼女もブラウも望まなかった。

 ならばとブラウは元冒険者 そして魔力研究者として、

シアンに戦う術を教えることにした。


 研究の傍らであったから、

それを教えることは遅々としてしか進まなかったが、

 シアンは才能があったからか

魔力を魔法として扱うことができ護身にも活用できた。


 シアンがブラウをお師匠様と呼んでいるのはそのためであるし、

ある種のけじめでもあった。



 ブラウに教わっている一環として街の外へ出て数度目の時が、

ソーマとアルテナの二人と出会った時であった。



 シアンがソーマを初めて見た時は、

アルテナの急変もあり気が動転していたが、


 彼らが屋敷に泊まった翌日、

彼女はあることに今更ながらに気がついた。


 ソーマの髪色が、完全なる黒色だったことに。


 ただでさえ髪色が黒に近いからと、

それだけで小さな頃から『不吉な子』と言われてきた彼女にとって、

黒髪ながらも二人で旅をしている彼に興味を抱ざるを得なかった。


 だが同時に、男性であることに恐れた。


 それを悟られないように面目は保ちながらも

内心は破廉恥な男性たちと同じではないかと疑ってきていた。



 ブラウが二人を見て親子かなにかだと思ったのと同じ感想を彼女は抱いていた。

しかし彼はそれを否定した。

 シアンはそれを信じられなかった。彼の髪が黒いから。

以降の彼らの様子を見て、シアンは二人が羨ましくなった。彼の髪は黒いのに。


 彼の髪色が黒であろうが、彼に懐いている彼女に。

自分以上に黒い髪であるのに、彼女の身を案じ徹夜で看病までした彼に。


 聞けば彼は、髪の色が黒であるだけで他所の街で迫害されてきたそうだ。


 それでも彼女は彼を突き放すこともなく旅を共にしているし、

それでも彼は迫害する者たちに対し何もせず、そのことを軽く笑って話していた。


 シアンの興味に、羨望と好感が増していた。


 先ほど彼が彼女の寝顔をじっと見ないために距離をとったのも、

女性への気配りができていると受け取り、

 また普段からシアンに接する態度が優しくて、

シアンは自然と笑みが浮かんでいたのであった。


 アルテナも最初こそ厳しい態度であったが 今では互いに慣れてきており、

シアンは彼女を、


 (妹がいたらこんな感じなのかな?)


 と、思うようになっていた。


 彼も彼女も、お師匠様以外では初めて『普通の人』として接してくれた。

 今までお師匠様と家にある本だけがシアンの交友関係だったのに、

二人もやってきた。



(このまま、この家にいてくれたら良いのに……)


 シアンは体調が良くなるアルテナに対し、

僅かながら残念そうに思っていた。


(このまま、この家にいてくれたら良いのに……)


 シアンは色々と複雑な事情と感情を混ぜ込んでソーマに対し、

そう思っていた。



 シアンは改めて彼の様子を見た。


 昨日に比べて慣れた手つきで調理し、表情はそちらにしか向いていない。


 しばらくしてスープの良い匂いがしていることに気づいて、

そこでようやく――


(ずっと彼を見ていた。)


 ――ことをシアンは知った。



「あ、ご、ごめんなさいっ! 私何もしていなくって……」


 すでに人数分の皿に盛られ終えた料理に気づき、シアンは慌てて謝った。


「ん? いや、いいよ。たまには休んでもさ。」

「……、……、……」


 ソーマは特に気にした様子もなく言うが、

言われたシアンは申し訳なさそうに髪を束ねていたのをほどいた。



「うーん……」

「な、何か? 」


 サラりと落ち垂れた前髪の向こうで彼が何かを考え、

彼女は見つめられて、何を言われるのかと不安になった。


 至近距離で、男性である彼と面と向かっての状況に、

シアンはうつむき加減で下を見ていた。


 親しくなった と思っていても、

どこかで恐れていることに情けなさも感じていた。



「やっぱり前髪を短くした方が良いんじゃないかな? 食べにくいでしょ? 」


 そよ風が吹いたかのように自然な動作で、

彼の右手が彼女の前髪をまとめて後ろへと撫でるように流し、

 彼女の抱えている感情も事情も何も知らない彼は、

気軽に そう話しかけていた。



「――っ!? 」


 彼の一連の動作に彼女は再び顔面が紅潮し、

体は硬直し思考も一瞬に停止した。


 幼い頃、親にしてもらってから遠くになっていた頭部への刺激と感触。

かつては望み、そして諦めるしかなかった父親への憧れ。


 眼球が空気に晒されて渇くのを防ぐためじゃなく彼女の視界は滲みだし、

顔を両手で覆って、シアンはその場にへたりこんでしまった。



「ど、どどど、どうしたの!? い、痛かった!? 急にごめんね!? 」


 シアンの様子に慌てて手を離したソーマが慰めに入った。


 それがまた彼女の涙腺を緩ませることになるとも知らずに。



 シアンは初めて泣いていた。

それを知らずにソーマは終始オロオロとしていたが。


 ちなみに、ソーマの作ったグラタンもどきは、温め直すハメになった。

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