歌舞伎役者の弾左衛門支配からの脱出には他の芝居の座や水戸の若様なんかの協力は必須かな

 さて清花が、海老蔵と一緒に稚児行列に行くのは無理なのはなぜという質問に、俺はうまく答えられなかったのだが、実際はこの時代の歌舞伎役者は河原乞食と言われる非人身分だからというのがそういった事ができない理由だ。


「だからそれを変えるのは簡単には行きそうにないんだよな」


 まず幕府としては食料や必需品などを生産するわけでない、非人というものを基本的には良くは思ってないだろう。


 江戸幕府は基本的に富の唯一の源泉は農業であるという、農業生産を重視する重農主義であって、穢多のように武具に必須の革製品を生産するものを江戸幕府は当然重要視していたと思うが、非人のような基本的に生産というものを行わず、他人に頼って生活するものをそもそも良く思っていない可能性が高い。


 博打が禁じられてるのも、博打には生産性というものがないからだな。


「まあ、博打と芝居はぜんぜん違うんだが、熱中させるという意味合いでは似たようなもんか」


 遊郭設置の公許が流れ巫女による江戸市中における外様の大名による諜報活動の制限を行いたい、遊女屋に犯罪者が逗留したりするのを防ぎたいなどの意図もあったことから、こちらは早めに行われているのとはちょっとわけが違う。


「そういう点では初代西田屋は大したもんだ。

 遊郭を公許することに幕府にも利があることをきちんと提示してるからな。

 ってことは歌舞伎芝居についても、弾左衛門の支配下でないほうがなんか幕府に利があることを明示しないと駄目か」


 西田屋二代目はどうしてああなったではあるんだが。


 そして幕府が弾左衛門に旅芝居の一座もすべて管理させていたのは、それが外様の藩の諜報活動が含まれてないかとか、幕府に批判的な芝居を大勢の前でやることが出来ないようにするという意図もあったろう。


「ま、そういう心配をするのは仕方ないんだけどな」


 猿楽は室町幕府とも結びついていたのでその心配はあまりないが、歌舞伎などはアウトローである者が行ってるし、そういった芝居が原因で一揆のようなものが起こることを幕府はとても警戒していた。


 江戸市中では盆踊りなどが活発でなかったのも、多くの人間が集まって騒動が起きることを恐れたからだが、明治になると盆踊りが性的な風習を伴っていたため、盆踊り禁止令がたびたび出されたのとはちょっと意味合いが違うし、遊女歌舞伎が禁止されたのも、風紀の乱れと言われてるが要は幕府に不満を持ったものがたくさん集まって暴発することを問題視したわけだ。


 名目上、公許の遊郭以外での遊女の存在を認めないはずが、実際には女旱の江戸では湯女や水茶屋の茶女飯盛旅籠での飯盛り女などが売春をするのを黙認したのは、単純に幕府の治安維持要員が少なすぎて検挙できないからもあるが、そういう性欲の発散できる場所が実際の治安維持には必要であるというのもあっただろう。


「俺や中村勘三郎だけでなんとかしようとしても無理だろうし、他の芝居の座や水戸の若様にも協力をお願いしないと駄目だろうな」


 これについてはあんまりあせらないで、旅の一座なども味方につけてやっていくしかないだろう。

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