歌舞伎の猿若座が吉原音楽堂を使いたいと言ってきたか

 さて、吉原と品川の間を行ったり来たりしている俺だが、吉原にいるときに一人の男がやってきた。


「俺は猿若勘三郎さるわかかんざぶろうというものだ。

 少し話をしたいんだが時間をもらえねえか?」


「ああ、いいぜ、遠慮なく上がんな」


 猿若勘三郎は、中村勘三郎として江戸で初めての常設の芝居小屋となった、猿若座/中村座の創始者と知られる男だな。


 その出自は京とも、名古屋中村とも言われるが、初代は万治元年(1658年)に死去してるはずだから、目の前の男は長男が初代中村勘九郎、次男の中村勘治郎が襲名した、二代目猿若勘三郎だろう。


 兄弟である中村勘次郎らと大蔵流狂言を学び、元和8年(1622年)江戸に下った先代は寛永元年(1624年)猿若勘三郎と名乗り、中橋南地なかばしなんち(現在の京橋あたり)に芝居小屋「猿若座」を建て座元となり、これが江戸における常設歌舞伎劇場の始まりとなる。


 ただし、ここで行われていたのは歌舞伎というよりは、猿楽つまり能狂言の『猿若舞』で、秀吉・家康・秀忠・家光など歴代の将軍が猿楽を好んだため、猿楽は武家社会の文化資本として大きな意味合いを持つようになったこともあって、寛永9年(1633年)、勘三郎は幕府の御用船「安宅丸」回航の際に船先で木遣り音頭を唄い、将軍家より陣羽織を拝領し、その後もしばしば江戸城に招かれ『猿若舞』を躍り名声を獲る一方で、明暦の大火による中村座の建物の焼失や奉行所からの取り締まりに悩まされていた。


「で、話ってなんだ?」


「ああ、奉行所の取締でしばらく中橋南地での興業ができなくなっちまったんだ。

 そこで吉原の弁財天音楽堂での興業をやらせてほしい」


「なるほどそういうことか、俺は構わないぜ、茶屋を開く建物もいるか?」


「ああ、そうしてくれると助かる」


 男娼である陰間かげまは、もともと舞台に出る前の修行中の少年役者が「陰の間の役者」とよばれ、特に女性役である女形おやまを目指すものには必須とされていた。


 男性相手に女性のように接し、男性に抱かれることで女性らしさを学ぶことができるとして女形修行の一環と考えられていたらしい。


 なので陰間は売春を専業にする男娼全般を意味するが、陰子かげごは女形修行中で売春もする役者見習いの美少年を、舞台子ぶたいごは舞台に立つようになったあとも売春をする女形を意味したりする。


 陰間の客は男は女犯禁止の坊主が多かったが、女も多く特に大奥の女中が、寺社参りなどで城の外に出られたばあいは、このときがチャンスとばかりに陰間茶屋に行って、陰間をかったりもした。


 そんなわけで芝居小屋は役者が売色もする場所だからこそ、悪所として取締の対象になるわけでもあるんだがな。


 そもそも歌舞伎の発祥が出雲の阿国の”ややこ踊り”をちょっと変えて、京の四条河原で遊女が踊った”かぶき踊り”が全国に広まったものでもあるから遊郭と歌舞伎は兄弟の様なものだ。


 この時代の歌舞伎役者だけでなく、21世紀でも芸能人を蔑むために河原乞食と呼ばれているのは、遊女歌舞伎が京都四条河原の興行に起源するところからであるが、そもそもこの時代には”楽しい時間を過ごす娯楽の提供に対して対価を払う”という概念が少ない。


 要するに釣った魚と取れた米を交換したり、銭と米を交換したりというのはお互いに手元に残るものがあるので問題ないが、芸を見せること、例えば歌を歌ったり、三味線をひいたり、猿回しをしたりで銭をもらうというのは、芸を見せた側には銭が残るが、見た側には何も残らないので、芸人とは芸を見せて銭を「恵んで」もらう乞食であり、芸などは見せないで一方的に施しを乞う乞食、乞胸などと扱いをされていたのもそのせいだ。


 この時代の小説家や浮世絵師の地位や収入の低さも同様の理由だな。


 眼には見えない楽しませたことに対しての報酬というものを、一律に決めるのは難しいのは確かなんだが。


 後日、猿若勘三郎一座が座員を引き連れやってきた。


「ずいぶんと小さい子供もいるんだな」


「まあ、連れ合いがいるやつも多いからな」


「俺の娘の清花の遊び相手にちょうど良さそうだな」


「俺たちゃ、おこも(乞食つまり非人の別称)だがいいのか?」


「吉原の中じゃ武士も町人も百姓も芸人も関係ねえよ」


 俺がそう言うと猿若勘三郎がふっと笑った。


「そうか、世の中お前みたいなやつばかりだったらもっと住みやすいんだがな」


 そして俺たちはお互いの子供を呼んで紹介し合う。


「おーい、清花ー」


「あい、とーしゃ?」


「おい、海老蔵」


「あい、座長」


「うちの娘の清花で歳は3つだ、仲良くしてやってくれ」


「十三のところの息子の海老蔵だ」


「よろしくねー」


 清花がニコニコしてそう言うと、海老蔵君もニコニコしながら答える。


「こちらこそよろしくね」


 これが清花と後の初代市川團十郎の出会いとなるのだった。

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