品川の飯盛旅籠の改善は一筋縄では行かなそうだ

 さて、品川の公許遊郭化に伴い、飯盛旅籠の一つを買い取ってそこを中心として品川の遊女や下女たちの生活も改善していく道筋はつけたと、思う。


 俺は品川から吉原へ、歩いて帰っている途中だ。


「とはいえ、まだまだ手を付けただけだがな」


 これから人足を雇って、濠などを作って、吉原のような郭を作らないとならない。


 新吉原については移転させたい幕府が工事費用を出してくれたが、その前の日本橋人形町にあった旧吉原は、遊女屋が工事費用も出していたりする。


「まあ、この時代の人件費は、安いからまだいいんだがな」


 ちなみに遊郭の「郭」とは、「城郭」などと同じで、濠や壁などで囲われた区画を意味する言葉だ。


 吉原だけでなく、京の島原や、大阪の新町、長崎の丸山なども、周りは濠や壁で仕切られていて通常出入りできるのは大門からだけだ。


 この遊郭の構造は、唐の長安にあった、妓女の集められた郭である、平康里へいこうりを模倣したものであるらしい。


 京に上洛するというのも、もともと平安京などは洛陽を模して作られたかららしいし、水戸黄門の黄門と言うのは、もともと中納言の唐風の呼び方だし、江戸時代くらいまでは、結構中国の影響というのは大きいんだな。


 五大遊郭でも、伊勢は公許遊郭じゃないので、濠などはない例外の遊郭と言えるが、むしろ全国の多くの遊郭は、城下町や宿場町など人の集まる場所に自然に発生していったものなので、吉原や島原のように都市から離れた場所にきっちり濠や壁で囲んだ郭の中に置屋などを置くという、遊郭のほうが特殊な例と言えるのだけどな。


 遊郭がそうやって出入りの制限があるのは、遊女が遊郭の外に出て商売をすることをできないようにしたり、逆に遊郭に犯罪者が逃げ込んだりしないように、人の出入りを監視して治安を維持するのが本来の目的だったりする。


 もっとも湯女や夜鷹、飯盛り女を始めとした、私娼の摘発を吉原に任せなければならなかったり、後には四宿の飯盛り女を黙認したように、治安維持要員の不足や江戸の人口の増加などで、段々とそういったことを、厳密にやることもできなくなっていき、後々はきっちり濠や壁で周囲を囲んでいたわけではない公許遊郭もでてくるようになる。


 幕末の慶応年間に許可された、江戸の根津神社の門前の岡場所だった、根津遊郭なんかがそうだな。


 とはいえ、例えば21世紀のディズニーワールドやUSJなどが、その中が現実から解放される夢の国であったように、遊郭もきっちり壁で区切られていたからこそ、その中は浮世を離れ遊女との疑似恋愛を楽しめる桃源郷であったりする。


 そして、風俗のグループ経営は、江戸時代ではともかく、21世紀の風俗店では普通に行われているものだ。


 江戸時代でも風俗店ではないが、21世紀の三越グループとなる、呉服店の三井家の越後屋、東急グループになる大村家の白木屋、大丸グループの村田家の大文字屋などは、上方に本店があって江戸はあくまでも支店であったりする。


 尤も江戸時代の豪商は同業種の支店を出すのではなく、酒造蔵元、両替商、呉服商、米商、木綿問屋、材木商、油問屋、海運業などの他業種との兼業化するものが多かったのだが。


 これは一つ一つの業種の需要はそれほど大きくはなかったということが大きいんだけどな。


「最大の問題は、吉原と品川の間の、連絡手段だったりするんだよな」


 21世紀の現代であれば、電話やFAX、電子メールやLINEのような、SNSなど離れた場所との連絡手段はいくらでもある。


 それでも、店長会議などでは、本社に集まったりするんだけど。


 基本的に、俺は吉原の三河屋の楼主がメインだと思っているが、吉原の惣名主であるとともに、大見世の十字屋、中見世の伊勢屋、小見世の椿屋、切見世一棟に美人楼、万国食堂、花鳥茶屋、吉原温泉、吉原旅籠、吉原工場のオーナーでもある。


 と言うか、そろそろ俺が直接見るというのを、やめていくべき時期でもあるんだろうけど、番頭レベルの育成が進んでないの、も実情だったりする。


 こうなると、藤乃が教育係として残ってくれて、本当助かってるが、店の経営はまた別の話だしな。


「とりあえず品川には二階番の龍を向かわせるとしようか」


 遊女に接する二階番は、番頭や物書きの次に重要な役割で、信頼できるやつでないと、任せられない役割なんだが、事実上の昇格だと俺は思う。


 それはそうとして、毎日、何があったかを報告させ、それに対する指示を出す文のやり取りをするために、品川と吉原を往復する文使いも必要かもしれないな。


「これは思っていたより、ずいぶん大変かもしれないな」


 遊女の生活改善のために、吉原でやったことを、品川でもやれればと軽く考えていたが、距離がある場所の改善と言うのは、思っていたよりもだいぶ大変かもしれない。


 そして俺は三河屋へ戻ったあと二階番の龍と直接話をした。


「龍、今度品川が公許遊郭になるんだが、それに先駆けて飯盛旅籠の権利を一棟買ってきた。

 で、お前さんには品川にいって、今の主人に俺からの指示を伝え、それをちゃんとやってるか報告する役目を担ってほしい」


「あっしがですか?」


「ああ、二階番をきちんとやってる、お前さんだからこそ任せたいんだ」


「わかりやした、その役目受けさせていただきやす」


「俺もなるべく顔は出すようにするが、吉原の総名主である以上、品川に入り浸りってわけにはいかんからな。

 まずは食事をちゃんとしたものに変え主人も同じものを食ってるか、それを見張ってくれ」


「わかりやした」


 吉原で一番最初にやったのが、食事の改善だったし、やはり食事をまともにするのは、大事だと思うんだよな。

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