3月5日は出代わり、そして新造出しの日でもある

 さて、3月5日は出代(でかわり)の日で名主、庄屋、商家、武家などの大きな屋敷で働く下女・下男などの年季奉公人が一年契約の勤めを終えて交代する更改期日だ、もちろん雇っている方と雇われている方が望めば年季契約は更新されるし、雇ってる側がもう要らないとなれば雇われている側は放り出されるわけだが。


 半季奉公の場合は半年なので、秋の9月5日に入れ替わりがある。


 まあ、半年奉公は経歴に箔をつけたい裕福な家の娘などが武家の奥向きに務める場合などが多くそれが済めば実家に戻って見合いの相手を見つけて結婚したりする事が多いな。


 遊女の場合は10年を年季とする場合が多いがそれも様々だ。


 で、雇われる側が望んでもこの日に契約を更新されないとその後の生活が大変だったりもする。


 21世紀の派遣社員が契約更新をされなくて途方に暮れるようなものだと考えればいいが、基本的には貧しい農家が口減らしのために江戸に奉公に出すことが多いからな。


 江戸の町には平地が少なく名高い特産品もない相模(さがみ)や安房(あわ)あたりからくる女が多く、そういったものは解雇された後は行先がなくなったりする。


 男は土木建築作業など働き口はたくさんあるが、女には少ない。


「まあ、そういった女をほっとくわけにはいかないよな」


 俺はそういった解雇された下女などで行き先に困ってるやつは、吉原に来るように口入れ屋に声をかけた。


 そういったものの多くは容姿はさほど優れていないので遊女としてではなく針子や飯炊き、万国食堂の料理係や劇場の裏手などで雇って行くわけだが、ほとんどの場合食事は今までよりも良くなるので喜んで働いてくれそうだ。


「ほんとうにありがたいことです」


「まあ、真面目に働いてくれればこっちは人ではまだまだ足りないからな」


 そしてこの日は今年の正月に15歳になった禿達の”新造出し”の日である。


 三河屋でも今日は藤乃の下にいた禿の藍(あい)や桜の下に居た沈丁花(じんちょうげ)の”新造出し”が行われる。


 そして今まではやり手が教育していた禿が太夫や格子太夫の付き人に回されるのだ。


 新造出しは禿を卒業して新米の見習い遊女である振袖新造としてのお披露目を行うことで、童服から振り袖に着替えて化粧をして着飾り、妓楼内の先輩遊女に挨拶をして回った後、見世に関わる揚屋、引き手茶屋、船宿などにも挨拶をして周り、その先に赤飯を配り、見世の前には蒸篭(せいろう)を積み重ねて一番上に白木の台を載せ、そこに縮緬(ちりめん)や緞子(どんす)などの反物を飾って新たな遊女の誕生を知らしめた。


 特に楼主や内儀が自ら養育した将来の太夫候補の引込禿のお披露目は盛大で、後ろ盾となる太夫がその後ろについて歩き、そのお披露目にかかる費用は三百両から五百両(おおよそ3000万円から5000万円)、太夫道中さながらに若い衆や禿も伴って仲之町を10日間ほど毎日練り歩くことで遊女のデビューを宣伝するのだ。


 宣伝広告の手段の少ない江戸時代ではこういった方法で見世の繁盛具合やデビューする遊女を紹介するわけだ、後は細見に載せるぐらいしか方法もないしな。


 ちなみに振袖新造に客をとらせる”突出し”もしくは”水揚げ”までの2年ほどはあくまでも遊女見習いであり太夫の道中に付き従ったり、宴席で客の相手をしたりはするが、夜の相手をすることはない。


 ”水揚げ”が終われば晴れて一人前になるわけだがな。


 突き出しも3月中に行われることが多いな。


 また太夫や格子太夫が身請けされたり年季が明けたりした場合は、その下の格子や格子太夫の中で最も稼ぎの良いものが昇格して、太夫や格子太夫がたちが今まで面倒を見ていた禿や振袖新造を新しく面倒を見ることになる。


 昇格すると唐突に負担が増えるのであえて格子の位にとどまるものもいる。


「さすが三河屋の新造は綺麗だな」


「おう、あの子の水揚げは俺っちがするぜ」


「よせよせ、お前さんなんかじゃ相手にされるわけがねえ。

 そこかのお大名様でもなきゃ無理だぜ」


「いんや、そうとも限らんだろ」


 その費用を負担するのは本来その禿の面倒を見ていた太夫や格子太夫なんだが、俺はその金を一旦は見世負担にすることにした。


「今の桜から金をとるのは可愛そうだしな」


 まあ結局見世の金というのは遊女の稼ぎから取ってるものではあるんだがな。


「これで一安心でんなあ」


 桜がホッとしたように言ったがその表情はすぐれない。


「桜、なんか悩みでもあんのか?

 岩が大きくなったとか」


 桜は首を左右に振る。


「いや、岩の方は大丈夫やんすよ。

 それよりもわっちの年期明けのときにちゃんと迎えに来てもらえんのかな一緒にちゃんと暮らしていけんのかなと思ってしまうとどうにも心配でありんすよ」


 俺は首をひねる。


「ふむ、それは心配してもどうにもならんだろう。

 なんなら男の様子でも見てくるか?」


 桜の顔がぱっと明るくなる。


「ええんでっか?」


 俺は頷く。


「別に構わんよ」


 そうすると桜は立ち上がっていった。


「じゃ、じゃあ、ちょっと行ってきますわ」


「おう、気をつけてな」


 ウキウキと見世から出ていった桜だが帰ってきた時はなんやら落ち込んでいた。


「おいおい、一体どうした?」


「清兵衛はんが、なんやら若い女と楽しそうに話しとったんですわ。

 やっぱり、わっちのような年増より若い女がええんですやろか……」


 そういうと桜はしくしくと泣き始めてしまった。


「おいおい、その女が誰でお前さんの間夫とどんな関係かちゃんと聞いたのか?」


「聞けるわけあらへんですがな。

 わっちは影から見るだけで精一杯ですわ」


 こいつはちゃんと調べてこなきゃまずそうだな。


 桜の勘違いだといいんだが、男の方の気が変わったんだとしたらどうしたもんだろうか?

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