十四話 敗北の後 下

「な、なんですか、これ!?」


 桃源郷の空気が変わった。

 リョウジでも気付くほどの、はっきりとした害意が私へと向けられている。

 暖かな日差しはどこからともなく現れた黒い雲に隠され、柔らかい風は刺すような冷ややかさを持つ。


「お前、何かやったのか?」


「ソフィアさんが何かしたんじゃないですか!?」


「鳥と果物を食べただけだぞ、私は」


「あああああああ!?」


 甲高い、子供のような声が私達耳に飛び込んでくる。 ユーティライネン殿だ。

 背丈より長い杖を抱える姿は、まるで子供が不釣り合いな人形でも抱えているかのようだった。


「あんた達、一体なにしたのよ!? ここは、聖域なのよ!」


「え、何なんですか、聖域って!?」


「最も神様へと近い場と言われて、魔王すら入れない神聖な領域で、あんたみたいな勇者に有り難いお言葉を授けてくれるのよ!」


 道理で不自然なほど綺麗なわけだ。

 しかし、言葉だけ貰っても困るだろう。

 それとも何か貰えるものなのか。


「ここでのルールは『殺さず、犯さず、争わず』の三つよ。 どれを破ったの? 言ってみなさい、場合によっては私が仲介してあげるから」


「ふむ……まず鳥を殺して食べたな」


「焚き火したのは入りますかね?」


「あとは軽く立ち合ったくらいか」


「全部じゃないのさ!?」


 ユーティライネン殿の言葉と共に、ばっさばっさと巨大な羽ばたきの音が聞こえてくる。

 そちらに視界を向けてみれば、深い青い羽が鮮やかな巨大な鳥の姿があった。

 鋭い嘴から吹雪よりもなお冷たい吐息が漏れ、羽ばたきをするたびに粉雪が舞う。

 巨木すらなぎ倒してしまいそうな巨体の割に、やたらとつぶらな瞳を持っていて、妙に可愛らしい鳥だ。


「神鳥シムルグ……!」


「ほう、知っておられるのですか」


「こ、この聖域を守る守護者よ……敵対する相手は氷の像にされてしまうわ」


「大賢者様でも実際には見た事がないんですか!?」


「ここの管理者やってるのに、守護者に狙われるような事しないわよ!?」


 そんな風に騒ぐ我々に、神鳥シムルグは一声鳴いた。

 明らかに攻撃的な鳴き声で、私達を敵と見ているようにしか思えない。


「知らなかったんだ、許してはくれないか」


「キシャァァァァァァ!」


 神鳥シムルグは私の言葉を理解した気配もなく、吹雪のように凍えた息を吐く。


「所詮は畜生か、語り合う事も出来ん」












「これは……美味いな、神鳥」


「マジ神鳥うめえ」


「まだまだありますから、たくさん食べてくださいね!」


 爺が満面の笑みで、網に乗せた神鳥の肉をどんどん焼いている。

 辺りには激戦の痕が残っているが、この美味さの前では多少の風情の無さなど気にならない。

 あちこちに壊れた剣や、凍り付いた木々が見えるが、爺特製のたれをつけて焼かれた肉は、全身を氷付けにされて包帯を巻かれたリョウジも怪我を推して貪る美味さだ。


「どうしよう、これ……」


「まぁ食べてから考えるのはどうでしょうか」


 何だかんだと言いながら、一緒に神鳥に狙われたユーティライネン殿も、最終的に協力して戦ってくれた。

 虚空から剣を取り出し、不可視の触手で相手を絡め取る魔術がなければ、相当苦労しただろう。


「一応、これでも聖域の管理者なん……だけど……」


 目の前に差し出した骨付きもも肉は、ユーティライネン殿の胃を動かす破壊力があった。

 聞かなかったふりくらいはしてあげよう。


「し、仕方ないわね! 残したら勿体無いものね!」


 そう言いながら、ばくりと大口を開けて食らいつく辺り、食べたくて仕方なかったのだろうなあ。


「そういえばユーティライネン殿」


「あによ」


 爺が焼く肉を狙って、リョウジとマゾーガが並んでいる。

 ルーテシア嬢はかぶりつく事に慣れていないのか、助けを求めてリョウジをチラチラと見ているが、それに気付くような気の効く男ではない。


「大賢者様と見込んでお聞きしますが、魔剣を直せたりはしませんか?」


 ユーティライネン殿に借りた魔剣、名剣の類はどうも合わず、その殆どをへし折ってしまった。

 チィルダ並みに私に合う刀でなければ、精密な受けなど出来ない。


「あの折れた剣でしょ? 無理よ」


「そこを何とか」


「値切ってるわけじゃあるまいし……そうね」


 しばし考えこみながら、ユーティライネン殿は肉にかぶりついた。


「理論上でしか考えた事がない施術だけど、試してみない?」


「それで直るのなら」


「あ、あとあなたの命に関わるかもしれないけど、いいわよね?」


「……なにをするつもりなんですか」


 嫌な笑顔を浮かべるユーティライネン殿に、私の背筋に冷たい汗が流れるのだった。

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